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【とある少年の視点】「十年後」

※モブ視点の三人称です。

※36.「二人ぼっちの逃避行」から十年後の話です。

 Aランクダンジョン『白銀(はくぎん)霊峰(れいほう)』。

 標高二千メートル程度のその雪山は、付近一帯がダンジョンとして指定されている。


 雪深いダンジョンの頂上付近で、ラッセル少年は仰向けに倒れ込んだ。

 遮るもののない空はどこまでも澄んでいて、これまで歩んできた登山ルートは見事な雲海に覆われている。


 そうした晴れやかな絶景のただなかで、ラッセルは絶望感に(ひた)っていた。


『白銀霊峰』の踏破クエストを受注したのはパーティリーダーであるアイリスだった。職業は聖騎士。冒険者ランクはA。

 ほかにもメンバーは四人いて、合計六人で王都から遥か北方の『白銀霊峰』へと挑戦したのである。

 メンバーはラッセルを除く全員がAランク冒険者で、彼だけがひとつ下のBランクだった。職業は盾使い。


 ダンジョンを進むなかでAランク魔物――アイスゴーレムの群に出くわし、ラッセルは(おとり)として置き去りにされたのである。


 彼は運よく所持していたアイテム『煙玉』で敵の目をくらまして難を逃れたものの、もう元のパーティメンバーと顔を合わせるのも嫌になり、自暴自棄な気持ちで頂上までの道のりを辿ったのだ。

 途中で魔物に出くわすだろうと思ったが、幸運なことに一体たりともラッセルの前に立ちはだかることはなく、かくして今『白銀霊峰』の(いただき)まで来てしまった。


 頂上への道を選んだのは単に「死ぬ前に綺麗な景色を見たい」という願望からだ。それ以上でも以下でもない。下山するにしても、付近の村までの道は危険な魔物が多く(ひそ)んでおり、ラッセルひとりの実力で勝てる敵はいない。

 ゆえに彼は死を確信して、どうせならという気持ちで頂上へと向かったのだ。


「シスター……」


 薄く開いた彼の目に映るのは、澄んだ青空でも壮大な雲海でもない。学校での日々のことだ。


 聖ヒュブリス学院はおよそ五年前に開校された、冒険者を志望する子供のための教育機関である。

 魔物や魔力に関する基礎的な知識はもちろん、過酷な冒険を乗り越えるためのアイテムの使い方や、火のおこし方や水の蒸留方法といったサバイバル術など、これまでギルドがなおざりにしてきた部分を埋める役割を充分に果たしていた。


 ラッセルは、学院長であり(みずか)ら教壇にも立つシスターのことが好きだった。

 叱るときも慰めるときも常に柔和な笑みを(たた)え、寄り添ってくれる。彼女と接していると、なんだか自分が春の陽だまりのなかにいるような気分になったものだ。


 また、ラッセルはシスターが教祖をしているヒュブリス教団の信者でもある。学校を卒業してから入信したのだ。

 ラッセルは教義に惹かれたわけでも、決して金銭を強要しないあり方に気軽さを感じたわけでもない。

 ただただ、シスターについてもって知りたかっただけだ。


『ヒュブリス教団』は基本的に銀の竜を神として(あが)めているが、それはあくまでもシンボルでしかなく、竜の像を通して個人的な神を信ずることを許している。ただし、それを口に出してはいけないという決まりはあった。

 ラッセルにとってシスターは、唯一絶対の、個人的な神だった。


「お願いです。どうか僕を神様のもとへ連れて行ってください」


 ラッセルは仰向けになったまま、手を組み合わせて祈った。


 おぞましい(うな)り声が聞こえたのは、それから間もなくのことだった。


「あれは……フロスト・デーモン!?」


 全身が白い毛で覆われ、頭部はヤギそっくりな二足歩行の巨体が、猛烈な唸り声を上げて頂上へと進行してくる。

 ラッセルの記憶している限り、その魔物はAランクダンジョン『白銀霊峰』のボスであり、今は不在のはずだった。それが今存在するのは、ラッセルたちがこのダンジョンに訪れる以前にボスが再臨したことを示している。


 ボォォォォォアアアア!!


 唸り声が(とどろ)く。フロスト・デーモンは完全にラッセルを標的に定めていた。


 それから数秒もしないうちにフロスト・デーモンは頂上にたどり着き、少年の前に立ちはだかった。


 ボォア!!


 短い咆哮とともに放たれた拳に、ラッセルは反応できなかった。

 絶望感と恐怖で足がすくんでしまったのである。

 いかに死を覚悟したと言っても、ラッセルのそれは失意に由来したおぼろげな幻想でしかなかった。『美しい景観の中で死にたい』などという甘ったるい理想は、真に死を感じさせるおぞましい怪物を前にして、一挙に吹き飛んでしまった。


 ラッセルは巨大な恐怖心に押し出されるように、死を直感した。


 しかし、それが訪れることはなかった。


 ギィィィィン!


 敵の拳は、ラッセルの身に到達する前に弾かれたのである。


 いつの間にか彼の目の前には淡いブルーの半透明の壁が出現していて、それによってフロスト・デーモンの攻撃が阻まれた。


「生き、てる……?」


 彼がそう呟いた直後、壁が消え、代わりに上空から何者かが降り立った。


「平気?」


 雪面に降り立った男は、不器用な微笑みを浮かべてそう言った。


 あまりに唐突(とうとつ)に物事が動いているため、ラッセルは言葉を返すことができず、ただパクパクと口を開閉させるだけである。


 どうして天上から人が現れるのか。

 この男は何者なのか。

 一切が彼にとっては謎だった。


「おっと。先に魔物を倒そうか」


 男はそう言うと、随分と年季の入った木の盾を引いた。

 フロスト・デーモンが男へと突進していく。


 ボォォォォォア!


「出力1%『シールドバッシュ』」


 男が軽やかに突き出した盾が魔物と激突する。

 その瞬間、ドォン! と空気の()ぜる音が響き渡り、フロスト・デーモンは木端微塵に吹き飛んだ。


「これでよし。君、怪我はしてない?」

「あ、え、は、はい」


 男はラッセルの返事を聞くと、満足そうに頷いた。

 そして唐突に指笛を吹く。


 ピィーーーーィ。


 音色が響いて数秒後、空の深みに変化が訪れた。

 初めラッセルは、自分の見ているものが幻覚や何かなんじゃないかと思ったくらいだ。


「神様……?」


 銀の竜が空の深みから降りてくる。ラッセルはただただ目を見開いて、それを凝視していた。


 竜の姿が幻覚などではなく(まぎ)れもない現実のものなのだと理解したのは、その異様なまでの巨躯が自分のそばに降り立ってからのことだった。


 その竜は、顔だけでラッセルの十倍以上も大きかった。全長は、ささやかな丘くらいなら悠々と埋め尽くしてしまうほどである。

 鱗はまるで一枚一枚が短剣のように鋭く変形していた。


 男が慣れた手つきで竜の顎を撫でた。

 すると竜は、「きゅるる……ごろごろ……きゅるる」と気持ちよさそうに喉を鳴らした。


「君は冒険者かい?」


 男の口調は優しく落ち着いていて、けれども充分な力強さが宿(やど)っているようにラッセルは感じた。


「あ、は、はい」

「そうか。これから俺は王都に行くんだけど……一緒に行く?」


 そう言って、男は親指で銀の竜を()す。

 ラッセルは呆然と、ほとんど無意識に頷いていた。


「それじゃ行こうか。こいつの鱗は鋭いけど、怪我する心配はないから安心して乗ってくれ」


 男の言葉に返事をするように、竜がきゅるきゅると鳴いた。



◇◇◇



 竜の背に乗って、雲の上を旅する。

 そんな経験はラッセルにとって初めてのことだった。


 王都へと向かう最中、ラッセルは自分の知る限りの王都のことを話し続けた。

 男がここ十年の王都について知りたがったからだ。どうやら長らく王都から離れていたらしい。


「ちょうど三年前ですかね。ギルドの偉い人が総入れ替えになったんですよ。それで制度も随分緩くなって――」

「あ、僕、ヒュブリス教団っていうところに所属してまして。あれ、十年前にもあったかな――」

「シスターがとても優しいんですよ。でも、ただ優しいだけじゃなくて立派なんです。今は孤児院の開設も進めてるとか――」


 ラッセルの話は、彼自身のよく知る範疇(はんちゅう)――つまり冒険者ギルドとヒュブリス教団、そして聖ヒュブリス学院のことがほとんどだった。

 そうなると自然とシスターの人柄だとかの話になってしまって、ラッセルは男が退屈してやしないかと心配になったが、どうやら満足そうに聞いている様子だった。



 王都が近くなっても、竜は高度を維持していた。速度だけがどんどん緩んでいき、やがて王都の真上で停止した。


「それじゃ、キュール。またあとで」

「きゅる、きゅる、きゅるるるっ」

「あはは。大丈夫大丈夫。キュールは心配性だな」

「きゅるん」


 男は立ち上がり、竜を相手に喋っている。

 どう聞いても竜の返事はラッセルにとって鳴き声にしか聞こえなかった。


「あ、あの。竜と喋れるんですか?」


 おそるおそるたずねると、男はニッコリと微笑んで頷いた。


「長い付き合いだから」


 神様と喋れるなんて、とラッセルは感心したが口には出さなかった。


「さて、じゃあ行くか」

「行くかって――え!? ちょっとおぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 ラッセルは急に男に担がれて、じたばたともがいた。

 ここは遥か空の上。見下ろすと、雲の下にミニチュアの都市が広がっている。


 男はまるで数センチの段差でも降りるかのように、気軽に空中へと飛び出した。



◇◇◇



 ラッセルは奇跡的に気絶しなかった。だからこそ、地上に到達するまでの絶望的なダイブを余すことなく両目で見ていたのである。

 絶命必至の速度で王都の石畳が近づき、やがて、すとん、と音も衝撃もなく男は降り立った。


「ふえ……?」


 生きてる。

 その実感が訪れる前に、ラッセルは男の肩から降ろされた。


「君、大丈夫か? 随分青白い顔をしてるけど」

「だ、だだ、大丈夫、です」

「あはは。無理しなくていいよ」


 自分は今まさに、とんでもない経験の連続にさらされている。そんな実感がラッセルにはあった。

 パーティから見捨てられたことなど、もはや些細(ささい)な問題でしかない。

 現に彼は、翌日には自らパーティ脱退申請を行い、背を預けられる相手が見つかるまでは一人でしっかりと生きようと心に決めることになる。


「さて、と。ギルドに行こうか。場所は十年前と変わってないかな?」

「あ、えーと十年前だと……多分変わってます。『鎧の魔王』が暴れた跡地に移転してますので。案内しますよ」

「そうか。助かる」


 ギルドの外観は、移設前よりも質素ではあるものの規模は大きくなっている。中央に受付関連の、三階建ての建物。右隣に食堂。左にはギルド直営の宿屋が軒を連ねている。


 両開きの木戸を開けると、ラッセルはシスターの姿を発見した。受付嬢と何事か話している。


「今カウンターにいるのが、例のシスターですよ」


 そう男に呼びかける。

 ラッセルの声が聴こえたのか、シスターは振り返った。


「あらあらラッセルさん、こんにち……あら」


 言葉が間延びして消えていく。


 シスターの視線は、ただただ男へと向けられていた。

 二秒ほど丸く見開かれた目は、やがて柔らかく細い微笑のカーブを描く。


 シスターが覚束ない足取りで男の前まで歩み出ていった。


 それから起きたことに、ラッセルは度肝(どぎも)を抜かれた。

 ただただ驚きに打たれ、ぽかんとしてしまって、ろくに頭が働かなくなってしまうほどの、そんな光景だった。


 男はシスターに微笑を返すや(いな)や、彼女の左の頬を――ギルドの外にまで響くほど強く、激しく、たった一度だけ平手で打ち()えた。


 ギルド内がしんと静まり返る。

 そんななか、頬を打たれたシスターが(ひざまず)いて男の手を取ると、自分の額へと押し当てたのである。


 ラッセルの目にはシスターの一連の動作が、まるで神聖なものに対して行う儀式めいた所作(しょさ)のように映った。


「おかえりなさい、ルークさん。おかえりなさい、わたくしの神様」


 やがて流れたシスターの声は、涙に震えながらも、敬虔(けいけん)な響きをいささかも失っていなかった。

お読みいただきありがとうございます!

もし本作を気に入っていただけたなら、ブクマや評価等、応援よろしくお願いいたします。

画面下の「☆☆☆☆☆」のところで評価を入れられるようです。

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