36.「二人ぼっちの逃避行」
Sランク冒険者『鉄鋼術師アスラ』。
黒鉄を自在に操る魔法――鉄鋼魔法の唯一の使い手であり、現在ギルドに所属するSランク冒険者のなかで頂点に君臨する実力者。ギルドの最高戦力と呼ばれる男。
名前は俺も知っていたけれど、すぐそばの子供がその大物だとは思わなかった。魔王が消え去ってあちこちから聞こえたその名前で初めて気が付いたくらいだ。
瓦礫の隙間にはほかの冒険者がいて、彼らはきっと魔王相手に微々たる攻撃を仕掛けていたのだろうけど、この瞬間まで俺が気付くことはなかった。
何もかも必死で夢中だったから。
「で、テメェは何者で、あの魔王はいったいなんなんだよ」
アスラさんは不機嫌そうに言う。
魔王を相手に大掛かりな魔法を連発したというのに、あまり疲労は見えなかった。
俺も肉体的には疲れていない。けれども心がどうにも重たかった。
「俺は――」
◇◇◇
俺はアスラさんに何もかも包み隠さず話した。ギルドへと歩きながら、少しずつ。
自分がCランクの盾使いであり、あの魔王は火の妖精マルスが俺を媒介して生み出したものであること。
ケイトさんが聞いたら「信じがたいです」と即答するような類の話だろうけど、アスラさんは何も言わずにただただ聞いてくれた。
退屈そうでもあり不機嫌そうでもあったけど、それが彼の普段の態度なのかもしれない。
道中で彼は何度も色々な冒険者から声をかけられたが、すべて「うるせえゴミクズ、引っ込んでろ」と一蹴して俺の言葉にだけ集中していた様子だった。
ありがたいやら申し訳ないやら。
「で、テメェの齢は?」
ひとしきり話した後で最初に飛んできた質問がそれって……。
「俺は十九です」
「クソガキじゃねえか」
「失礼ですけど、アスラさんは俺よりも年下なんじゃ……」
「は? ブチ殺すぞテメェ。ひとを見た目で判断すんじゃねえよタコ助。オレはテメェの倍は生きてんだよ」
いやいや、さすがにそれは嘘だろ。
だってどう見ても十四、五だし。
「何じろじろ見てんだ。あのな、オレは魔王具の呪いで齢を取らねえだけだ」
「魔王具の呪い……?」
「さっき見せた鉄鋼魔法は全部、魔王具の力なんだよカス。ほら見ろ」
そう言ってアスラさんはシャツをはだけて胸を見せた。
ちょうど鳩尾にあたりに黒く明滅する球が埋め込んである。おそらくこれが彼の言う魔王具なんだろう。
アスラさんはシャツを元に戻して口を尖らせる。
「言っとくけどな、誰にでも見せてるわけじゃねえぞ。テメェがギルドに掃いて捨てるほどいるポンコツ冒険者じゃねえからだ」
あんまりな言い方だけど、それは俺を買ってくれてるということだろうか。
さっきの魔王との戦いで俺に普通と違うものを感じてくれたのかも。いや、まあ、自分でも異常だとは思うけど。
「で、だ。さっきの話を聞く限り、王都に魔王が出やがったのはテメェの仕業ってことだな?」
「あ、いや……はい。否定はできません」
目を背けたいことだが、マルスの言葉が真実ならあれは俺が生み出したものなんだろう。
「ふーん。で、妖精はいつどうやってテメェに取り入ったんだ? 手口を詳しく教えやがれ」
ふーん、で済ますことなのか。
まあいいけど。
俺はマルスに出会ってからのことを――彼女の口振りや、俺に見せた力の数々を含めて一切合切伝えた。
思えば、マルスの存在にもっと疑問を持つべきだったのかもしれない。たとえ本人が素直に白状してくれないとしても、周りの誰かに聞くとか……。
でも、たとえどれだけ手を尽くしても、彼女が魔王出現の元凶であるという真相にはたどり着けなかっただろう。
「クソ妖精がよぉ……。まあいい。聞きたいことは聞いた。もうじきギルドに着くし、テメェはどっか行ってもいいぜ」
「すいません、俺からも質問していいですか?」
彼がSランク冒険者と知ってから、ずっと気になっていたことがある。
「んだよ。面倒臭えなクソガキ。答えるかどうかは別として聞いてやるから、早くしろ」
ケイトさんが言っていたことを思い出す。
デッドリー・ドラゴンの襲来を受けて王都にSランク冒険者が到着した。
そいつが――。
「キュールの……ブレイド・ドラゴンの処分をするのは、アスラさんなんですか?」
生唾を呑んでアスラさんの顔を見る。
彼はゆっくりと自分の唇を舐めた。
「答えはイエスだ。絶滅した魔物を庇ってんのはテメェなのか? ああ、そうかそうか。そりゃクソッタレな話だな。クソ騒動のド真ん中にはいつもテメェがいるわけだ」
「……お願いします。キュールを見逃してやってください!!」
俺は必死で頭を下げた。
キュールの件について俺ができるのは、なんとか言葉を尽くして態度を示すことだけだったから。
アスラさんが相手なら、多分俺の防御は役に立たない。
実際に彼の攻撃を受けたわけではないが、俺から作り出された魔王の鎧に亀裂を入れたのは彼の攻撃だ。
「オレが今どういう立場にいるか分かってんのか?」
「分かってます。Sランク冒険者には責任があるでしょうし――」
「そうじゃねえよタコ助」
そうじゃない?
思わず顔を上げると、アスラさんが俺を睨んでいた。なんとも不愉快そうに。
「オレはたった今テメェがゲロった内容全部聞いてんだ。テメェは魔王の生みの親で、しかもその魔王はまだ死んでねえ。回収されただけだ。で、クソ妖精はまたテメェに会うとかイカれたことを抜かしてやがる。つまり、テメェの存在は今後のために割と重要なんだよアホ。クソ妖精に動きがありゃ真っ先にテメェが気付くだろうし、テメェがいなけりゃおそらく対処が遅れすぎる」
「じゃ、じゃあ……」
「オレとしちゃブレイド・ドラゴンが生きていようと死んでいようとどうでもいい。王都の敷居を跨がなきゃどんなクソ魔物がどこでクソしてようが知ったことじゃねえんだよ」
「それじゃ、キュールを見逃してくれるんですね……?」
アスラさんは舌打ちして、はっきりと言った。
「答えはノーだ。オレはテメェが魔王の生みの親だって事実を握り潰す。ギルドの上層部でアホ面さらしてるクソ連中どもが、テメェを殺そうと躍起になるからだ。そうなるとテメェの重要度をクソ連中に示す必要があるが、客観的な材料はねぇ。そもそも全部テメェの口から飛び出た根拠のねぇ話だからな。クソ連中はこの件を、テメェを殺して終わりにするだろうよ」
「……」
「ブレイド・ドラゴンを生かす特別な理由はねぇ。そして、クソ連中が決定を覆すこともねぇ。勘違いしてもらっちゃ困るが、オレはギルドから金と地位をもらって生きる小市民だ。上層部に意見する権限なんてそもそもねぇんだよ」
足元の地面が揺れているような感覚がある。
疲労かショックか、その両方か。理由は定かではないけれど、俺が絶望していることだけは確かだった。
「テメェが選べる道はふたつ。ブレイド・ドラゴンを大人しく差し出して、これから王都でひたすら危機に備えるか――」
「それはないです。キュールと一緒にいるって約束したから」
約束は大事だ。
特に、信頼している相手からの約束は何にも代えがたい重みがある。
それが破られたときの感覚は、つい最近味わったばかりなんだ。
「なら、テメェにできることはひとつだ。ブレイド・ドラゴンと仲良く一緒に死ね」
◇◇◇
湖のほとりに戻ると、そこにケイトさんの姿はなかった。おそらくギルドの仕事に精を出しているんだろう。
魔物――あるいは魔王による負傷者を手当てするのもギルドの役割のひとつだ。魔物に破壊された街の復旧に向けて、プランニングから実際の行動まで含めて行うのもギルドの仕事の範疇である。
あたりは徐々に朝の気配を増していた。
もうじき日が昇る。
ウッドロッジの庭へ行くと、打ちひしがれた様子のシスティーナがキュールを撫でているのが見えた。
彼女は俺に気付くとパッと顔を上げ、それからわなわなと口を震わせた。俺の後ろに続く何人かの冒険者を目にしたからだろう。そのうちのひとりはもちろん、『鉄鋼術師アスラ』だ。
「ルークさん……街はもう大丈夫なのですか?」
「いや、めちゃくちゃに壊された。でも、ひとまず脅威は消えたよ。多分、『ヒュブリス教団』にも色々と復旧に力を貸してもらうことになると思う」
「喜んで協力しますとも! 善行を尽くすと約束しましたから」
彼女はキュールの翼の付け根あたりに生えた剣状の鱗を、心許なく握っている。
「キュールは処分される」
「え……」
「でも、こいつとは一緒にいるって約束したから、俺も――」
「駄目です! 駄目に決まってます! 馬鹿なことをおっしゃらないでくださいな! なんでルークさんまで――」
システィーナは何人かの冒険者に羽交い絞めにされ、キュールから引きはがされた。同時に口も塞がれる。
「詳しいことは全部、アスラさんから聞いてくれ」
俺にはそう言うことしかできない。
キュールに歩み寄り、そっと頭を撫でる。
「きゅるるる?」
「ごめんな、キュール。俺みたいな奴に見つかったせいで苦労をかけて。……でも、ずっと一緒だからな」
「きゅるぅ!」
キュールはガリガリと俺に頬ずりをする。ピンク色の舌を出して何度も何度も舐める。
「アスラさん」
「あ? もういいか?」
「パペのこと、お願いします。このことを知ったら無茶するでしょうから、それらしいことを伝えておいてください」
アスラさんは「ふん」と鼻で笑って、片手をひらひらと払った。
面倒臭え、と言わんばかりに。
そして彼は、自分の胸に手を当てる。鳩尾に埋め込まれた魔王具へと。
「鉄鋼魔法『黒玉』」
彼の背中から飛び出した黒の帯が、俺とキュールを球状に囲んでいく。
すっかりなにも見えなくなると、俺は腕時計を外した。
球体が徐々に縮んでいくのが分かる。
これを見させられているシスティーナは気が気じゃないだろうな。
だって、せっかく見つけた新しい神様が一遍にいなくなってしまうんだから。
それも、Sランク冒険者の強力な魔法に圧殺されて塵も残らなくなる。
俺はキュールにしっかりと身を寄せて目を閉じた。
瞼の裏に映るのは、かつてパペとキュールと一緒に見た高原だ。
風が柔らかくそよいでいて、『匂いリンドウ』の可憐な紫の花弁が揺れる場所。
その名は『竜の背骨』。
アスラさんの作り出した球体が、一気に縮むのが分かった。
それに合わせて、真っ白な光が一瞬だけ瞼に閃いて――。
目を開けると、思い描いた通りの場所にいた。
隣にいるキュールも無傷だ。
先ほどアスラさんからもらった無骨な石を見つめる。今ではなんの効力も持たないただの石ころだ。
「きゅるるる?」
「これからは二人ぼっちだ。少し寂しくなるけど、一緒にいてくれるかい?」
「きゅるるるるぅ!」
俺はキュールの背にまたがり、王都の反対方向を指さした。
「それじゃ、行こう」
「きゅるる!」
キュールが飛び立ってから、効力を失った『転送石』を宙に放った。
俺とキュールが生き残る唯一の方法。
アスラさんによって処刑されたことにして、誰にも見つからない場所で生きる。そしてマルスに動きがあれば即座に王都へと帰還する。
アスラさんから提示されたプラン通り、俺はこれから人の目が存在しない果ての果てまで旅立つ。
遥か遠くで凍てついた山脈が、生まれたての太陽の壮絶な赤を背負って屹立していた。
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