35.「もう我慢しなくていいんだよ」
呆然とするケイトさんとシスティーナを置いて、俺は王都の門へと駆け出した。
キュールを始末するために出てきたであろう冒険者たちを突き飛ばして、門を抜ける。
冒険者たちももうキュールどころではなく、突如王都の中心に現れた巨大な脅威から目を離せなくなっている様子だった。
『どこへ行くの、ルーク』
マルスの声がする。けれど俺の胸ポケットには、もう彼女の姿はない。声だけが耳元で響いていた。
『あれはルークのために生まれた魔王なんだよ。敵じゃないよ』
魔王の振り上げた拳が街に打ち下ろされ、砂煙が上がる。
『ルークだけには教えてあげるね』
全力で走っているのに、王都の中心へはまだ距離がある。
どう見積もっても十分以上はかかってしまう事実がもどかしい。
『わたしには特別な力があるの。見ての通り、魔王を作る力』
マルスの声は否応なく流れ込んでくる。
きっと耳を塞いだってなんの意味もないだろう。
マルスの言葉に反応しないよう、頭を空っぽにして駆け続ける。
『でも、わたしが妖精なのは嘘じゃないよ。ずっと前に人間に滅ぼされた妖精の生き残り』
『知ってる? 妖精に寿命はないの。子供を産むこともない。だから増えることも減ることも、本当はないんだよ。殺されない限り』
『わたしは妖精の最後の生き残りで、特別な力をたくさん持ってるの。ルークを移動させたのも力のひとつ』
『たくさんの力はあっても、誰かを傷付ける力はないの』
『じゃあ魔王はなんなのかって思うよね。わたしたち妖精は、共感して、共鳴する力はとても強いの。それに加えて、わたしだけは具象化の力を持ってるんだよ』
『これは人間への復讐なんかじゃないよ。そんなもの、とっくに終わってるもの。これまで何回魔王を生んだか分かる? クスクス』
『今までずっと、わたしは魔物に共感して魔王を生み出していたんだよ。だって、魔物は生まれながらに人間を害する生き物だもの。生まれた魔王は、分かりやすく、単純に、人間を攻撃してくれた。ほかの魔物を統率して、人間を追い込んでくれた』
『でも最後には、いつだって魔王は倒されちゃった。それも当たり前だよね。だって、魔物は人間に倒される運命なんだもの』
『だから今回は、人間を使って魔王を作ろうって思ったの』
『ひとりぼっちで、なのに強い人間。それがルークだよ』
『あなたはちっとも素直じゃないから、我慢ばかり上手になって、心の奥にたくさんたくさんドロドロしたものを抱えてた。ルークは自分で気付いてた?』
『あなたは本当は、みんなのことが憎くて憎くてたまらなかったの』
『あなたにとっての世界は幼馴染の女の子だけで、その子から意地悪され続けたんだもの、世界全部が嫌いになっちゃうよね』
『あなたはずっと、大嫌いな世界に我慢してきた。だから強くなれたけど、その分ちゃんと、ドロドロも溜めこんでたんだよ』
『あの魔王は全部、ルークなんだよ』
『もう何も我慢しなくていいんだよ』
俺が魔王の足元にたどり着く頃、マルスの声は消えた。
魔王の周囲数十メートルは粉微塵になっていて、どこもかしこも燃えている。
悲鳴は遠くから聴こえていて、魔王の足元は案外静かだった。
これが俺の内側にあっただなんて、信じない。
全部マルスの虚言だ。
信じない。
絶対に信じない。
そうしないと正気を保っていられないじゃないか。
魔王の足を前にして、盾を引いた。
「出力最大……『シールドバッシュ』!!」
ガァン!!
風圧とともに強烈な金属音が響き渡る。
魔王は多少ぐらついたが、鎧にはヒビひとつ入らなかった。
拳が俺めがけて振り下ろされる。
「『シールドバッシュ』!」
ギィィィィン!!
盾と拳がぶつかり合い、生まれた衝撃波が瓦礫を吹き飛ばした。
押し合いの末、魔王の拳が大きく弾かれる。
俺の攻撃が通用していないわけじゃなさそうだ。
ただ、たった一部でさえ鎧を砕ける気がしない。堅すぎる。
ああ、そうか。この魔王は俺から生まれたから、堅いのは当たり前だ。
誰にも突破できない堅さ……かもしれない。
絶望感を覚えた瞬間――。
「鉄鋼魔法『伽藍』」
俺の後方からいくつもの黒々とした太い帯が伸び、魔王の巨体を鳥籠のように囲った。
そして形成された黒の鳥籠を残して、帯が引っ込んでいく。
「なんで魔王が市中に出てんだよ、ドアホ。お前、なんか知ってんだろ?」
声変わりしたばかりのような、低くなりかけの男の声。
振り返ると、そこには俺より三つ四つ年下――十五、六の子供がいた。
ツンツンと逆立った黒髪で、目つきは高圧的。
ガン!
ガンガンガンガン!!
魔王は鳥籠をめちゃくちゃに殴って暴れている。
足踏みするたびに地面が揺れて塵や埃が舞ったが、目つきの悪い子供の作り出したであろう鳥籠は壊れる気配がなかった。
「おい、シカトしてんじゃねえぞ盾男。テメェ冒険者だろ。格上には従え。オレを誰だと思ってやがんだタコ助」
口悪いな、こいつ――とか、普通の状態であれば俺もそんなふうに思ったことだろう。
背後に魔王がそびえている状況では、マトモに頭が働かなかった。
それに、俺の知ってることを話したとしてなんの意味があるんだ、とも思う。
俺が唖然としている間にも、魔王はガンガンガンと鳥籠を叩いている。
「ウルセェな魔王! 鋼鉄魔術『黒縄』!」
少年は自分の胸に手を当て、そう言い放った。
刹那、彼の背中から先ほどの黒く太い帯のようなものが、蛇行しながらいくつも飛び出した。
それらは魔王の身体に巻き付き、その身の自由を奪っていく。
「なんだこの魔王。火力はねぇのに堅ぇな。ワケ分かんねぇ。マァ、どーでもいいわ。鉄鋼魔術『白毫』」
今度は先ほどに比べて遥かに細い帯が、少年の背からいくつもいくつも伸びた。
王都の上空で黒の帯が螺旋状に連なり、あっという間に一本の槍を形成していく。
直感的に分かる。あれは、魔王の鎧を砕くだけの威力を持っている、と。
ただ、トドメを刺せるかは怪しい。
だから俺は、拘束された魔王へと駆けた。
「おい! テメェ何してん――」
「鎧を砕いてください! トドメを刺します!!」
俺の言葉に返事はなかった。
沈黙を肯定だと信じ、魔王の足をよじ登る。死ぬ気で。
腰を通過して胸まで来たとき、少年の声が聞こえた。
「くたばれゴミクズ魔王!」
その罵倒を合図に跳躍する。
ほとんど間を置かず、漆黒の槍が魔王の身体の中心に突き刺さった。ほんのわずかだが、鎧に亀裂が走る。
「出力最大――『シールドバッシュ』!!」
ガギィィィン!!
渾身の力で突き出した盾が亀裂に直撃し、魔王の鎧が一部だけ砕け散った。
『まだ生まれるのが早かったね。残念』
マルスの声が耳の奥に入り込む。
『ルークの魔王はちゃんと回収するね。時間をかけて、じっくり育てて、誰にも負けないくらい最強の魔王にしてあげる』
「待て! 『シールドバッシュ』!!」
もう一度放った俺の攻撃は、虚しく宙を打った。
魔王は跡形もなく消えている。
地面に落下した俺の耳に、またしてもマルスの声が届いた。
『さよならルーク。また会おうね。きっとだよ』
それきり、二度と彼女の声は聞こえなかった。
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