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10.「ゴブリンキング」

 雲ひとつない快晴。

 ゆるやかに吹く風が、火照った身体に心地よい。


 俺は今、高原を歩いている。傾斜はゆるく、足場もいい。振り返れば、雑草に覆われた坂道がまるで緑の海みたいだった。はるか遠くの王都の街並みは、手のひらで包み込んでしまえるくらい小さい。さらに遠くでは山々が折り重なるように続いていて、空との境目に薄ぼんやりと稜線が滲んでいる。


 Cランククエスト――『匂いリンドウ』摘み。

 冒険者として再出発した俺の記念すべき初クエストだ。


『匂いリンドウ』は高原に咲く香り高い植物で、ポーションを初めとして様々な薬品系アイテムに使われる。群生地としてもっともポピュラーなのが、『竜の背骨』と言われる尾根だ。

「『竜の背骨』は、大昔に絶滅した魔物――ブレイド・ドラゴン(剣山竜)の亡骸が長い時間をかけて自然と一体化したものらしいですよ。え? 本当かって? アハハ、そんな昔話があるだけですよ。山くらい大きなドラゴンなんて存在するわけないじゃないですか~。ルークさんはピュアですね~」

 なんて受付のお姉さんが言っていたのが印象的だ。


 俺は今、『竜の背骨』を目指してのんびりと歩いている。



「よし、尾根に到着だ」


 ゆるやかな高原を登り終えて、大きく伸びをした。空気が気持ちいい。


 左右に目をやると、やや丸みを帯びた尾根が大振りなカーブを描いて長々と続いていた。

『竜の背骨』と呼ばれるのもなんとなく分かる。巨大な生き物の背のように見えなくもない。


 尾根沿いに、点々と濃い青色が散っている。『匂いリンドウ』だ。


『もっと手応えのあるお仕事じゃ駄目だったの?』


 マルスが俺の肩であくびした。


「受注できるクエストは貢献度で決まるんだよ。俺は貢献度ゼロだから、駆け出しの冒険者と同じクエストしか受けられないんだ」

『ふぅん。そっか。ところでルーク、今は頭で会話しないの?』

「周りに誰もいないんだし、普通に喋るさ」

『ふーん』

「退屈そうだな。一緒に花を摘む?」


 マルスは短く首を横に振り、俺の上着の胸ポケットに潜り込んだ。


『終わったら起こして』

「分かった」


 ポケットから頭を出したマルスは、もう安らかな寝息を立て始めていた。

 寝るの早いな……。



◇◇◇



「このくらいでいいかな」


 もう三十本くらいは採取してるし、充分だろう。

 クエストの達成目標は二十本だけど、ついつい調子に乗って集めすぎてしまった。


 それにしても、こんなふうにのんびり植物採取するのって楽しいな。リリアとパーティを組んでたときは、一回も採取系のクエストをしなかったし。


『ふわぁ……お仕事終わった?』

「ああ。後はギルドに戻って納品するだけだ」

『お疲れ様、ルーク』


 マルスの声を聞いて、自然と微笑んでしまった。

 そういえば、こうやって労われたことってあったっけか。

 うーん……思い出せない。いや、昔のことなんて思い出す必要もないか。


「よし。帰ろうか」

『うん』


 もう日が傾いている。

 西日を受けた高原がすっかりオレンジ色に染まっていた。


 帰りは気分を変えて、尾根伝いに王都の方面へ行こう。こうやって自由に歩き回るのも楽しいものだ。


『ルーク、楽しそう』

「顔に出てた?」

『心に出てた』

「あはは。そりゃ、誤魔化せないな」


 のんびりと尾根沿いを歩いていると、道のわきに妙なものが見えた。

 なかば雑草に覆われて、何やら穴のようなものがある。


「なんだあれ?」

『穴ぼこだね』

「うん。……ん? 階段になってる」


 近付いて見下ろすと、穴は人ひとりくらいなら優に入れるサイズで、しかも中が階段状になっている。


 もしかしてダンジョンか?


 首を傾げた瞬間。


「――!」


 俺とマルスは目を合わせる。

 そしてほとんど同時に頷いた。


「行こう」


 微かに聴こえた音は風の唸りなんかじゃなくて、確かに人間の悲鳴だった。



◇◇◇



「スキル『暗視』!」


 暗闇に色と輪郭が浮かび上がった。


 スキルには二種類ある。常時発動型のスキルと、自分の意志で発動する必要のあるスキル。

『オートガード』は前者で、今使った『暗視』は後者だ。

 このあたりのことは冒険者として最初に説明を受けるレベルの常識らしいのだけれど、それすら知らなかった俺のためにわざわざカルロさんが教えてくれたのだ。


 階段はずっと奥まで続いているように見えた。

 段差は丸太で補強されているものの、なかには踏みしめるとミシミシ音を立てるものもある。

 けれど、一段一段慎重に降りるなんてありえない。


 一段飛ばしで駆け降りていると、やがて終わりが見えた。

 その先には、階段と同じく人ひとりがようやく通り抜けられる狭さの通路が続いている。


 足をゆるめることなく走ると、視界が開けた。


「おわっ!?」


 足元が揺れ、思わず立ち止まってしまった。

 通路の先は巨大な洞窟で、そこにかかる吊り橋に踏み出していたのだ。


 洞窟はドーム状になっていて、見上げるといくつもの穴から吊り橋がかかっている。

 橋から顔を出して見下ろすと、同じように、いくつもの穴から乱雑に吊り橋が伸びていた。


『ルーク、気付いてる?』

「なにが?」

『ゴブリンがたくさん。弓矢もってる』


 目を凝らすと、穴という穴から緑色の小さな魔物――ゴブリンが顔を覗かせていた。


「マルス、隠れろ」

『うん』


 彼女はするすると空中を滑るように飛び、俺の胸ポケットに収まった。

 上を見ても下を見てもゴブリンだらけだ。


 連中はまだこちらに気付いていないようだが、穴から吊り橋へと次々に姿を見せる。どの個体の手にも、小さな弓矢が握られていた。


 さっきの悲鳴はゴブリンの鳴き声か何かだったんだろうか。


『違うよ。ちゃんと、人間の声だった』


 なら、悲鳴の主はどこにいるんだろう。

 背負った盾を右手に構え、洞窟内を見渡す。


「あっ……」


 いた。大洞窟の一番下に、人影が見える。やけに大きなリュックを背負っているので初めは魔物か何かかと思ったけれど、よく見れば人間だ。

 その人は、行き止まりを背に座り込んでいた。


 何か、一点を見つめているような……。


 視線の先を追って、思わず息を呑んだ。

 座り込んだ人間と比較すると、横にも縦にも何倍も大きい緑色の魔物がいたのである。


 もぞ、っと胸ポケットからマルスが顔を出すのが感触で分かった。


『ゴブリンキングだね。ここの主かな』

「多分」


 おそらくこのダンジョンは、ゴブリンの住処か何かなんだろう。運悪く迷い込んだ人間が、今まさに襲われようとしているというわけだ。

 ゴブリンは多少は知恵がある。敵がダンジョンの奥――引き返せないような場所に来るまで一切手出ししてこなかったりするのだ。


「マルス」

『なに?』

「絶対に顔を出すなよ」

『なんで?』

「危ないからだ。――スキル『魔物引き寄せ』!」


 瞬間、ゴブリンが一斉にこちらを向いた。無数に空いた穴から、わらわらとゴブリンが溢れ出てくる。吊り橋に群れる連中は、ギラギラした眼差しを俺に向けた。


「そうだ! 俺を見ろ! 俺が相手だ!」


 弓矢が一斉に引かれる。標的はもちろん俺だ。


「キキー!!」


 甲高い鳴き声とともに、無数の矢が迫る。


「『防御の構え』――もとい、『オートガード』!」


 鋭い金属音が雨のように降り注ぐ。


 問題ない。ダメージはゼロだ。

 ケルベロスの攻撃でさえ防いだ俺の防御を、ゴブリンごときが突破できるわけがなかった。


 が、根本的な解決にはならないのは分かってる。どれだけ攻撃を防ごうとも、悲鳴の主を救えなきゃ意味がないんだ。


「おいゴブリンキング! 上がってこい! 俺が相手だ!」


 大洞窟の最下部の巨体が、ゆっくりと俺を見上げる。


 そうだ。俺だけを見ろ。

 俺だけを敵だと認識しろ。


 しかし、ゴブリンキングはゆっくりと顔を正面に――悲鳴の主の方へと戻した。


「くそっ……離れすぎてるからか」


 スキルには最適な距離がある。常識だ。遠ければ遠いほど効果も薄くなる。


「に、逃げてください!」


 最下部から届いた女性の声は、間違いなく悲鳴の主のものだ。


 怖くて怖くて仕方ないだろうに、どうして『逃げて』なんて言えるんだろう。

 すごいな。素直に尊敬する。


 吊り橋に手をかけ、跳びあがる。なんの躊躇もなく。

 落下地点はゴブリンキングの真上。ちゃんと計算済みだ。


「君は立派だ!」


 耳元で風音を聴きながら、夢中で叫ぶ。


「だから、ここで死んでいいわけない!」


 右腕を引く。地面に到達するまで、あと五メートルもない。


 空中でゴブリンキングと目が合った。


 タイミングを合わせて一気に盾を突き出す。


「シールドバッシュ!!」


 轟音とともにゴブリンキングの身体が地面にめり込み、地面にいくつもの亀裂が走った。

お読みいただきありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 『防御の構え』――もとい、『オートガード』! オート 自動 なので、掛け声より、オートガードにより弓矢は弾かれた っと結果形になる気がします。
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