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一人暮らしのベランダにて

半分

作者: なす

 ――――を知らないなんて人生の半分損してる。

 そんな言葉を耳にすることがある。人との会話の最中であったり、テレビやラジオから聞こえてきたりする。ネットニュースを見ているとコラムなんかでこの言葉が登場する。"人生の半分"とされている部分には、映画、音楽、食べ物、特定の人物など、様々なものが入っている。そしてこの言葉が登場するとき、多くは言われた側の主観で語られている。こんな体験をした。こんなことを言われたと、おそらく語り手にとってあまり好きではない登場人物の存在と共に批判的な言葉で締め括られるように思う。

「あんたが私の人生の何を知っているんだ」

 言い回しは多数あれど、意味としては余計なお世話だという反論。

「人生の半分がそれって薄っぺらい人生だな」

 相手に対する嘲笑。はたまたその場で何も言えなかった自分に対する自虐で終わることもある。

「なんで自分はこうなんだろう」


 なぜこんなことを書いているかというと、僕もその言葉を言われてしまったからだ。しかも3日間で2度も。

 今年の頭のことだ。僕は自分より一回りほど歳上の人たち数人と話していた。正月ボケが抜けきっていない僕たちは当たり障りのない会話をしていた。年末年始にどこへ旅行に行っただとか、家でずっとだらだらしていたとか、ほとんどが休みの過ごし方の話だった。その中で1人の映画好きの発言が流れを変えることになる。

 初めは映画を観に行ったという話だったのだが、きっと感動を共有したかったのだろう。周りの人に確認し始めるではないか。いや、僕が穿った見方をしているだけで、もしかしたらネタバレを避けたいという配慮だったのかもしれない。どちらにせよ、その場は映画好きの理想通りの展開になっていく。なんてことだろう。みんな観ているじゃないか。話の聞き役に徹していた僕は焦り始める。どうやってこの場を乗りきるか……正月ボケの頭を必死で回転させる。

「別の話題を振るべきだろうか」

 だがそれはあまりにも不自然じゃないだろうか。せめて誰も観ていなければよかったのだが、みんなが観ているのに別の話題に話を移すことはできない。

「自然な形でこの場を去れないだろうか」

 それも難しい。場は盛り上がり始めている。ここで立ち去るのはあなたたちの話には興味がありませんと言っているようなものだ。

 無情にもなんの策も浮かばないまま僕の順番が来てしまった。映画好きが言う。

「スター・ウォーズ観た?」

 さてどうする。僕は観ていない。だがこの場は盛り上がっている。これからその話をする準備ができている。この場にいる僕以外の全員が観ている。そもそも大作だ。観ていない人の方が少ないのかもしれない。でも僕は観ていない。というか観たことがない。避けてきたわけではない。たまたま、本当にたまたま触れることがなかっただけだ。そんな言い訳をしなければならないのか。ああ、考える時間もない。どうするべきだろうか。

 結局僕は観ていませんと正直に告げるしかなかった。映画好きの落胆した表情が見てとれる。それはそうだ。話題を提供した。みんなが共通して盛り上がれる話題だった。まさにこれから場が楽しくなるという状況で僕は水を差してしまったのだ。そこから色々なことを言われたが、えぇ……とか、すみません……とか、無難な相槌を打つことしかできなかった。そして最後に言われた。

「スター・ウォーズ観てないなんて人生の半分損してるよ」


 その2日後、学生時代の友人である女性と話していた。彼女は同い年で、流行に敏感な人だ。話し方に嫌味がなく、かといってわざとらしさも感じさせない嫌われることの少ないタイプだと思う。気を使うことなく話せる彼女が言った。

「タピオカミルクティー飲んでないなんて人生の半分損してるよ」

 どうやら彼女の中ではタピオカミルクティーのブームが続いているらしい。それから彼女はタピオカミルクティーの素晴らしさを僕に説明してくれた。タピオカの食感の説明には

「もちもちしてるものって良いよね」

 と返したし、ミルクティーに入っているのが良いという説明には

「それはミルクティーの素晴らしさじゃないの?」

 と返した。飲んだことはないが、その2つが組合わさっているからおいしいらしい。

 会話の最中、疑問に感じていた。同じように人生の半分損してると言われたのに、まったくもって自分の中にネガティブな感情が生まれてこない。これは内容だろうか? それとも相手との関係性なんだろうか? とにかく会話を乱してしまった映画の話とは違い、今回は知らないことも含めて普通に会話が進んでいる。飲んでみようかなという考えも浮かんできている……実は映画のときは、絶対に観るもんかという思いも少し浮かんでいた。結局のところその会話で嫌だなと感じることがなければ、何を言われても嫌な記憶としては残らないのだろう。自分の中の嫌な記憶に出てくる言葉にはネガティブな印象があり、楽しい記憶の中に出てくる言葉にはポジティブな印象がある。そういうことなんだろう。だからこそ、同じ言葉でも素直に受け取る人と、勘ぐって別の意味に変換して受け取る人がいるのではないだろうか。

 ふと妙案が浮かんだ。僕は別に、流行りものが嫌いなわけでも、話題の映画を避けたいわけでもない。タピオカミルクティーを飲みながらスター・ウォーズを観れば、僕の人生には得しかない。彼女は、タピオカとミルクティーを組み合わせたからこそ素晴らしいと言っていた。ならばタピオカミルクティーとスター・ウォーズ、人生の半分を占めているらしい2つを組み合わせればさぞ素晴らしいものになるに違いない。だがその場合、今までの人生はどうなってしまうのだろう。半分を占めているものを2つ取り入れたら、それだけで僕の人生は一杯になってしまう。今までにやってきたことは、出会ってきた人は全て押し出されて消えていってしまうのだろうか。もう新しいものを取り入れることはできなくなってしまうのだろうか。

 ばかな考えだ。誰も本気で"人生の半分"なんて言っていないのだから。言う側も言われる側も、その場のやりとりで多少、感情の起伏はあるだろう。でもそれだけ。本気で腹をたてているわけでもないし、1年後には別のものが人生の半分を占めているだろう。ただの感情表現の言葉。それだけのことだ。


 少しだけ、そこまで自信を持って人に勧められるものがある人を羨ましいと思いました。ちなみにこれを書いてる2020年3月現在、僕はタピオカミルクティーを飲んだことはありません。スター・ウォーズも観たことがありません。まだまだ人生を楽しむ余地がありそうです。

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