37:おまけ。「おうじさま」(4)
「シェリル嬢、まさか、君はぼくのことが嫌いなのか……?」
王子様は端整な顔を青ざめさせ、シェリルに向かって震える手を伸ばしてくる。シェリルはびくりと体を跳ねさせ、その手を避けた。
「嫌いなわけないの! 私はヘルムート様のこと好きだもん。大好きだもん。そのミントグリーンの髪も、金色の瞳も、優しい声も、全部好き。竜の時のつやつやした鱗とか、しゅっとしたしっぽとかも、大好きでたまらないの……」
初めて会った時から、シェリルは王子様のことが大好きだった。この王都で一緒に過ごすようになって、その気持ちは一層大きくなった。だって、集落にいた時と違って、今は積極的に優しくしてくれるから。その優しさに触れるたび、シェリルの胸はいつもきゅんきゅんしていた。
一緒にいればいるほど、どんどん好きになってしまう。でも、だからこそ、「好き」といってもらえないことが不安でならなかった。
「私は、ヘルムート様が好き。でも、ヘルムート様は、私のことなんて……って、ええ?」
シェリルはぽかんと口を開けた。なぜなら、目の前の王子様が、顔を真っ赤にして俯いていたから。
「え? ヘルムート様、なんでそんな真っ赤なお顔に?」
「ま、待ってくれ。うわ、まずい、なんだこれは。心臓が壊れそうだ」
王子様が胸を押さえて蹲った。真っ赤な顔を伏せて、小さく唸っている。
耳まで赤くなった王子様に、シェリルは首を傾げてしまう。
(ま、まさか照れてるの? えっ、「好き」って聞いただけで?)
もしかして、この王子様は極度の照れ屋さんなのだろうか。「好き」という言葉に免疫がなさすぎる。
――いや、そんな、まさか。
シェリルはそっと王子様に近寄って、試しに耳元で囁いてみた。
「ヘルムート様、大好き」
「くっ!」
王子様、照れすぎて身悶えしている。ちらりと一瞬見えた顔は、緩みまくっていた。
(「好き」って言ってくれないのは、ただ単に恥ずかしくて言えないだけ? 私のこと、心の中ではちゃんと好きでいてくれてるの?)
シェリルは、今までのことを思い返してみる。
息を切らしながら、王都にいるシェリルを迎えに来てくれたこと。
エディにやきもちをやいていたこと。
シェリルがさらわれないように、見守ってくれていたこと。
ただ、番だからという理由だけで執着していたわけではなかったのか。王子様は「好き」といえない分、態度で示そうと思っていたのか。
ふっと小さく笑みが零れる。照れ屋で不器用な王子様のことが、なんだかますます愛しくなってきてしまった。
とりあえずシェリルは王子様に「好き」「大好き」と囁き続けてみる。やっぱり、王子様はすごく嬉しそうにしていた。シェリルのことが嫌いなら、こんな反応しないだろう。
少しだけほっとしたシェリルは、その後もしばらく「好き」という言葉で彼を悶えさせてあげたのだった。
冬も間近になった頃、シェリルは王子様と一緒に集落へと戻った。
以前と違い、シェリルの傍にはいつも王子様がくっついている。
「シェリル嬢に悪い虫がつかないように見張っていなくては」
王子様は金の瞳を鋭くして、周囲を警戒していた。シェリルはもふもふの自分の体を確かめる。悪い虫とは、ノミとかダニだろうと思って。
「ヘルムート様、ノミもダニもいないの」
「……そうか」
なんだかちょっとだけ、残念な子を見る目をされた気がする。なぜ。
シェリルと王子様は並んで集落の中を散歩する。小さなもふもふ竜と大きなうろこ竜が仲良く歩く姿に、周囲の竜たちは目を丸くしていた。
もふもふ竜とうろこ竜の仲が悪いのは、みんなが知っていること。いくら番でも、そんな簡単に仲良くなれるわけがないと思われていたようだ。
集落で一番大きな広場に足を踏み入れた時。後ろから女性の声が飛んできた。
「あら、シャロルさんではありませんの」
「シェリルだもん!」
くるりと振り返ると、そこにはすらりとしたうろこ竜の女性ゴルネッサがいた。頬を膨らませるシェリルを庇うように、王子様がさっと前に出る。
「何の用だ、ゴルネッサ」
「ヘルムート様! こんな番かどうか分からないもふもふ竜は放っておいて、婚約者である私と散歩なさいませんこと?」
「……ゴルネッサ。君とは婚約なんてしていないと何度言ったら分かるんだ。それに、シェリル嬢はぼくの竜石を真紅に染めた。彼女はぼくの真の番だよ」
「な、なんですって……!」
ゴルネッサがキィッと歯噛みする。
そう、王子様は誰とも婚約なんてしていなかったらしい。婚約者というのはゴルネッサの虚言だった。
「こんなことなら竜石をお返しすべきではありませんでしたわ! ……仕方がありませんわね、最後の手段ですわ!」
「きゃあ?」
ゴルネッサがひょいっとシェリルを持ち上げた。王子様が焦り、シェリルを取り戻そうと手を伸ばす。けれど、ゴルネッサはさっとそれを避け、高笑いをした。
「ほほほ! さあ、ヘルムート様。可愛い可愛い番ちゃんを返してほしければ、この私ゴルネッサと結婚すると仰ってくださいな! 私と結婚さえしてくだされば、この子に危害は加えませんわ!」
「な、なんだと……」
王子様が端整な顔を歪ませ、悔しそうに唇を噛む。
(ヘルムート様が困ってる……。どうしよう、どうしようー!)
シェリルは自分がピンチなことも忘れて、大好きな王子様のことを心配した。
小さな頭を最大限に捻り、打開策を考える。けれど、ゴルネッサがシェリルのお腹をつんつんしてくるので、上手く思考がまとまらない。
王子様はお腹を突かれているシェリルを見ながら、絞り出すように声を出す。
「条件をのむしかないのか……! シェリル嬢……!」
冷たい風の吹く広場で、王子様が頭を抱えた。ただならぬ気配に、周囲にいたうろこ竜たちが集まり始めた。軽く二十人くらいはいる。
(こんな大勢の前でゴルネッサさんと結婚するなんて言ったら……)
さっと血の気が引く。シェリルは王子様のことが大好きで、ずっと一緒にいたいと思っている。ゴルネッサになんて、絶対取られたくなかった。
けれど、王子様は負けそうになっている。
「……分かった、ゴルネッサ。ぼくは……」
「駄目ー!」
ゴルネッサの腕の中でじたばたと暴れながら、シェリルは絶叫した。
嫌だ。こんなことで大好きな番との未来を失くすなんて。絶対、絶対、嫌だ!
大きく息を吸い込む。そして、昂る気持ちもそのままに、思いきり息を吐き出した。
ゴオオ、とすごい音が出た。
「あわわ……?」
音だけではなく何か出た。何かキラキラした意味不明のものが。シェリルは自分の口から出た妙なものにぎょっとして、目を丸くした。
これは、もしかして。
「ひ、広場が凍ってますの! ま、まさか、あなた、氷のブレスを……?」
ゴルネッサが真っ青になって震える。周囲に集まっていた竜たちもガタガタと震え始めた。もちろん、生まれて初めてブレスを吐いてしまったシェリルも、一緒になってぷるぷる震えていた。
凍りついた広場で、竜たちが揃って震える。冷たい風が、そんな竜たちを笑うかのように、ぴゅうと吹き抜けていった。




