36:おまけ。「おうじさま」(3)
切れ長の金の瞳。流れるようなミントグリーンの髪。手足がすらっと長く、まるでどこぞの王子様のような出で立ちをしている。
そんな美青年が、小さな桃色竜の前に跪いた。
「シェリル嬢。……会いたかった」
その低くて優しい声に、シェリルはぴんと来た。
(この人、ヘルムート様なの! え、でも、どうして……?)
何の予告もなく目の前に現れた番に、シェリルは動揺する。どう反応したら良いのかが分からなくて、思わず後ずさってしまう。
「ひ、人違いなの! 私はシェリルなんかじゃないのー!」
シェリルは震える声でそう叫ぶと、転がるように駆けだした。追いかけてこられないように、わざと狭い路地を突っ切る。王子様は慌ててシェリルを捕まえようとしてきたけれど、なんとかそれを振り切った。
騎士学校の寮に逃げ込んだシェリルに、キャロルが目を丸くする。
「どうしたの、シェリル。そんなに慌てて……あれ、おつかいは?」
「それどころじゃないの! ヘルムート様に見つかっちゃったの! どうしよう、まだ会いたくないよ……そうだ!」
シェリルはぽんっと音を立てて人化する。そして、キャロルの肩をがしっと掴んだ。
「キャロルも人化して! 私と入れ替わって、ヘルムート様をごまかしてほしいの!」
「ええー?」
キャロルは納得のいかない声を出しながらも、シェリルの言う通りに人化する。そして、シェリルはキャロルの白いワンピースを、キャロルはシェリルの赤いワンピースを着た。事情を知らない人が見たら、絶対に二人を見間違えてしまうような状況が出来上がる。
「……シェリル。人化しても、入れ替わっても、意味ないと思うの。王子様が番なら、すぐにシェリルのこと見分けてしまうはずだもん……」
「何言ってるの、キャロル! ヘルムート様はエディみたいに見分けられるはずないの! 私のことなんてあんまり見てなかったし、番かどうかちょっと怪しいかもだし……って、ひゃあ!」
シェリルは言葉の途中で叫んだ。だって、いきなり窓の向こうに美青年の顔が見えたから。
王子様、執念でシェリルを探し出したらしい。
目を瞠り固まってしまったシェリルの代わりに、キャロルが王子様に近付いた。窓を開け、ぺこりと頭を下げる。
「こんにちはなの。あなたは、だあれ?」
「……ぼくはヘルムート。うろこ竜の王子だ。番であるシェリル嬢を迎えに来た」
王子様はまっすぐにシェリルの方を見ていた。
(人化した私の姿、初めて見るはずなのになんで分かるの? しかも、こんなにそっくりなキャロルまでいるっていうのに!)
まるで、キャロルに対するエディみたいな反応だ。そう、本物の番であるかのような反応。
シェリルは火照った頬に手を当てて、小さく身を縮こまらせた。
騎士学校の寮の部屋。シェリル、キャロル、そして竜の王子様ヘルムートが向かい合って座っている。
そこにエディがお茶を運んできた。みんな人間の姿をしているので、少し部屋が狭い。
王子様がお茶を一口飲み、シェリルをじっと見つめて言う。
「君がいなくなって焦ったよ。さあ、うろこ竜の集落へ一緒に帰ろう」
「……嫌なの」
シェリルはふるふると首を振って、エディの後ろに隠れた。王子様は不機嫌そうにエディを睨む。
「エディといったか。ぼくの番を隠すとは、良い度胸をしているな」
「いや、俺は別に隠してないし。ほら、シェリル!」
エディが慌てて背中の後ろにいるシェリルを前に出そうとする。けれど、シェリルはエディの背中を必死に掴んで抵抗した。
「だって、私が本当にヘルムート様の番なのか、自信がないんだもん! ヘルムート様は、私なんていなくても全然平気みたいだし……」
しょぼんと項垂れたシェリルに、王子様は小さく息を吐く。それから、徐に胸ポケットから細長い石を取り出した。その石は淡いピンク色の光を零している。
「これ、もしかして」
「そう、ぼくの竜石だ。行方不明になっていたこの竜石を、やっと取り戻すことができたんだ……シェリル嬢、手を」
恐る恐る差し出したシェリルの手の上に、王子様の竜石が乗せられた。すると、竜石が瞬く間に鮮やかな真紅へと染まっていく。
「この竜石は、ゴルネッサが隠していたんだ。ぼくに眠りの呪いをかけたのもあの女。ぼくの意識のない間に強引に結婚して、王子妃になろうとしていたらしい」
ゴルネッサが怪しいと睨んでいた王子様は、竜石を取り戻すために彼女に近付いた。ゴルネッサを油断させるため、泣く泣く番であるシェリルに興味のないふりまでして。その甲斐あって竜石は取り戻せたのだけど、ふと気付くとシェリルが集落から消えていた。王子様は相当焦ったという。
「シェリル嬢、君はぼくの番だ。ぼくの竜石が真紅に染まったのが何よりの証拠……だから、一緒に帰ろう」
王子様の声は、とても優しくて穏やかだった。シェリルの頬は火照り、心臓もドキドキ言っている。
でも、シェリルは気付いてしまった。
――王子様は、一言もシェリルのことを「好き」とは言っていないことに。
シェリルはふるふると首を振って、ぎゅっと目を瞑る。
(やっぱり、私は悪い子だから。番に愛してなんかもらえないんだ……)
秋が来ても、シェリルは集落には帰らず、王都にいた。なぜか、王子様も王都にいる。
それとなく何度も竜の集落へ帰るように促してみたのだけれど、シェリルと一緒でなければ帰らない、と王子様は言い張った。
「……なんで、ついてくるの?」
「君が誰かにさらわれたりしないように、ちゃんと見ていないといけないからな」
今、シェリルは困っていた。もふもふ竜の姿のシェリルの後ろを、王子様がずっとついてくるから。人間の姿をしている王子様は、鋭い目つきで周りを牽制し続けている。
そんな姿もかっこよくて、ちょっと悔しくなる。シェリルはドキドキする胸を、そっと押さえた。
騎士学校の生徒たちとボールで遊ぶつもりだったのに、これでは思いきり楽しめそうにない。シェリルは口を尖らせて、小さく呟く。
「さらわれたりなんか、しないもん……」
王子様の気持ちはよく分からなかった。こんな風にシェリルに執着しているような行動をするくせに、「好き」という言葉は言わない。なぜかは分からないけれど、そういう言葉は絶対に口にしてくれない。
シェリルはため息をついて、寮の部屋へと戻る。部屋の中を覗くと、いつも通り、エディとキャロルがものすごく仲良くしているのが見えた。今日のキャロルはブラッシングをしてもらっているようで、エディの前でぽってりしたお腹を出している。
「エディの手、あったかくて気持ち良いの! ふふー、エディ大好きー」
「俺もキャロル大好き。はあ、癒される……」
エディもキャロルも「好き」「大好き」と何度も言い合っては、くすくすと笑っている。
シェリルはそれが羨ましくて仕方がない。ちらりと後ろを振り返って王子様を見てみたけれど、王子様はただ首を傾げただけだった。
「シェリル嬢?」
小さな頃からずっとエディとキャロルを見てきたシェリル。自分も番からあんな風に愛されるはずだと信じていた。
でも、現実はそうじゃなかった。番であっても「好き」の言葉ひとつもらえない。
シェリルは涙目で、番である王子様を見上げた。
「ねえ、ヘルムート様。番ってなんなのかな。必ず相手のことを好きになるとは限らないのにね……」
王子様はシェリルの言葉に目を瞠り――さっと青ざめた。




