27:カウント、ゼロ。「つがい」(1)
冬が終わり、春が来た。
うろこ竜の集落、高い石の塔。そこでキャロルは毎日を過ごしている。王子はやはり、目覚めない。
キャロルは十五歳になった。番である王子の傍にいるおかげなのか、お医者さんに言われていた命の期限を越えることができている。
「番を傍に置いているというのに、なぜ王子は目覚めないのか……」
時々、でっぷりとした王様が様子を見に来る。そのたび、キャロルに微妙な目を向けてくるのだけれど、キャロルにもどうしたら良いのかなんて分からない。そそくさと寝床へ戻り、エディのシャツを被って耐えるしかなかった。
エディのシャツは酷使しているせいで、ボロボロになってきていた。換毛期を迎えたキャロルの抜け毛はすさまじく、シャツには大量の桃色の毛がくっついている。濃紺色であるためにその毛は目立ち、今や奇妙な物体と化していた。
ある晴れた日のこと。
侍女がとうとう耐えきれないと言って、キャロルからエディのシャツを奪った。
「綺麗にお洗濯しますからね! ほつれたところも直しますよ!」
「いやなの! 返してー!」
「駄目です! 清潔にしないと病気になりますよ!」
侍女が持ち上げたエディのシャツに、キャロルはぶら下がった。侍女が困り顔でシャツを左右に揺らす。ぶら下がったキャロルも一緒にぷらぷら揺れた。
もうほとんどエディの香りは残っていないのだけれど。洗われてしまうと、本当に何もかもがなくなってしまう気がして、キャロルは必死に抵抗した。
「大事なの! 取らないでー!」
「お洗濯が終わったら、すぐに返してさしあげます。キャロルお嬢様、わがままは、めっ! ですよ!」
「うえええん!」
侍女に怒られて、キャロルは泣きだした。
でも、手はしっかりとシャツを握って離さない。
(負けないもん! エディのシャツは、私のだもん!)
キャロルも必死だけれど、侍女も必死だった。キャロルをぶら下げたまま、洗濯場へと直行する。
「さあ、キャロルお嬢様。洗いますよ、洗っちゃいますよ。手を離さないと、キャロルお嬢様も一緒に洗濯しちゃいますからね」
「いやー!」
涙目でぶんぶん首を振るキャロル。全身でエディのシャツにしがみつき、抵抗を続ける。
「代わりに王子の服を貸してあげますから。番の服ですよ? 運命の恋人、最愛の伴侶の服ですよ? 欲しいでしょう?」
「いらないの! これが良いの! うえええん!」
侍女が半眼になり、すっと青筋を立てた。
もう何も言わず、洗濯桶に水を張る。そして、キャロルもろともシャツをざぶりと浸けた。
「冷たいのー!」
「でしょうね。でもほら、服からこんなに茶色い汚れが出てきましたよ? ……いや、これもう黒くないですか?」
「うえええん!」
びしょ濡れになったキャロルが、とうとうシャツから手を離した。すると、侍女はふわふわのタオルで、キャロルを優しく包んでくれる。お日様の匂いのするタオルで、キャロルは丁寧に体を拭いてもらった。
「お洗濯が終わったら、ブラッシングをしてさしあげますね。良い子で待っていてください」
侍女はにこりと笑うと、エディのシャツをざぶざぶと洗い始めた。泡がもこもこ出てきて、シャボン玉が生まれては消えていく。
キャロルはぐすぐす鼻を鳴らしながらも、シャボン玉を追いかけて遊んだ。
洗濯が終わり、エディのシャツが干される。青空にはためく濃紺のシャツは、どこか新しい感じがした。
侍女に抱っこされて、キャロルは部屋に戻る。なんだかとても疲れた。
「さあさあ、ブラッシングの時間ですよ!」
侍女がにこやかにブラシを構えた。キャロルは逃げようと、とたとた部屋の隅に走る。
この侍女のブラッシングはいつも痛い。なんというか、いつも雑に梳かれる。毛玉になりかけている部分を力任せに引きちぎったりするので、ブラッシングが終わった後はしばらく痛みに耐えなくてはならない。
「逃げても無駄ですよ、キャロルお嬢様。はい、お腹を出して!」
「いやー!」
あっさりと捕まったキャロルは、ブラシでガシガシと梳かれた。やはり雑だ。痛い。
エディのブラッシングが懐かしい。エディはいつも、すごく丁寧だった。ブラッシングのコツだって、よく分かってくれていた。
キャロルの毛は長めだ。だから、長めの毛に適したブラシを適切な順番で使わなくてはならない。
まず、少し太めのピンがついたブラシで全体を梳かし、その後は鋭いピンが無数についたブラシで丁寧に抜け毛を取り除く。毛玉になりかけているところはコームで確認しながら梳かし、優しくほぐしていく。
毛の根元を押さえて、毛先を梳かしてもらうと痛みは出ない。足の付け根や胸の下、わきの下といった毛玉のできやすい箇所もちゃんと把握して、チェックしていく。
エディはそういう細かいコツまできちんと踏まえた上で、ブラッシングをしてくれていた。
侍女のブラッシングとは雲泥の差だ。エディが恋しい。
「はい、終わり。頑張りましたね、キャロルお嬢様!」
キャロルはぐったりとして、満足そうな笑みを浮かべる侍女を見上げた。この竜、悪い竜ではないのだけれど、相性が悪い気がする。
「疲れたの。寝るの」
キャロルはクッションの上に寝そべると、いつもの癖でエディのシャツを探してしまう。そういえば、洗濯されたのだったと思い出し、しょんぼりと項垂れる。
お昼寝から目が覚めたら、エディのシャツは返ってきているだろうか。くすんと鼻を鳴らし、キャロルは目を瞑った。
翌日、キャロルは熱を出して寝込んだ。
冷たい水に浸かったのが悪かったのか、ぶるぶると寒気が止まらず震える。
「キャロルお嬢様。お洗濯が終わったこのシャツと、王子の服と。どちらが良いですか?」
侍女が心配そうに眉を下げて、キャロルの前に服を二つ出してくる。キャロルは迷わずエディのシャツをもふもふの手で掴んだ。
エディのシャツからはせっけんの良い匂いがした。もう、エディの優しい香りはどこにも残っていない。
なんだか悲しくなって、きゅーんと鳴いてしまう。その声に侍女が慌ててキャロルのご機嫌をとろうとする。
「ああ、そういえば! キャロルお嬢様にお手紙が来ていましたよ! お父様とお母様、そしてお姉様から!」
「おてがみ……」
侍女はいそいそとポケットから手紙を取り出すと、広げて読み始めた。
「えっとですね。『キャロル、元気にしていますか? パパもママもシェリルも、みんな元気です。番が見つかって本当に良かった、安心した、と伯父様たちも言ってくれています。ところで、王都では魔物がたくさん出てきているようです。キャロルなら大丈夫だと思いますが、魔物には気を付けてくださいね』……だそうです」
魔物。
王都。
キャロルは嫌な予感がした。




