24:あと1年。「ひみつ」(3)
訓練場を出て、人がいない灰色の廊下を進む。そして、廊下の端っこの薄暗い空間へとやって来た。
エディは辺りを見回して、誰も来ないことを確認すると、はあと大きく息を吐いた。
「……キャロル。俺、勝ったよ」
「うん。見てたよ」
「俺、ラスには勝てないって思ってた。でも、勝てたんだ」
「かっこよかったよ! さすがエディなの!」
「……ごほうび、くれる?」
エディの青い瞳が熱っぽく揺らめいた。キャロルの心臓がどきんと跳ねる。
こんなエディ、見たことない。
とん、とキャロルの背中が壁に当たる。すると、エディがキャロルの顔のすぐ横に手をついた。壁とエディの間に挟まれて、キャロルは逃げ場を失ってしまう。
今は人間の姿をしているので、エディとすごく顔が近い。キャロルの頬に熱が集まる。エディは真剣な瞳でキャロルを見つめ、そっとキャロルの頬に手を添えた。エディの手は、熱く優しく頬をなぞる。
「キャロル、好きだよ。愛してる」
そう言って微笑んだエディ。ゆっくりとキャロルに顔を近付けてくる。キャロルはドキドキと煩い心臓をなんとか宥め、目を閉じた。
いつもみたいに、額か鼻の頭にキスされるのかなと心の準備をする。もしかしたら、今日は特別にほっぺたにしてもらえるかも、とちょっと期待もする。エディの吐息が頬をかすめた。
そうして触れたのは、キャロルの予想もしていないところだった。
それは、唇。
柔らかくて熱い感触が、キャロルの唇に触れていた。驚いてびくりと体が跳ねたけれど、エディは唇を離してくれない。そのまましばらく甘い感触にキャロルは溺れた。
ふわふわと温かなものが、体中に巡っていく気がする。木漏れ日を思わせるような落ち着いた優しい香り。大好きな、エディの香りだ。不思議と、心と体が癒されていく。
そっと唇が離れた。キャロルは足の力が抜けて、ずるずると座り込んでしまう。
「キャロル、大丈夫?」
エディがさっと膝をつき、キャロルの顔を心配そうに窺ってくる。ぱちりと目が合うと、エディは急に真っ赤な顔になり、おろおろし始めた。
「え、あ、ごめん! そうだよな、びっくりしたよな。あー! 本当、ごめん。唇にする気はなかったんだけど……我慢できなくて」
「唇……我慢……?」
「だって、番でもないのに唇を奪うなんて、駄目だろ? ああ、今まで気を付けてたのに」
ガシガシと頭を掻いて項垂れるエディ。
でも、キャロルは嬉しかった。唇にキスしてもらえて、本当に嬉しかった。びっくりしてしまったけれど、とても、とても、幸せなキスだったから。
「あのね、エディ」
「……ん?」
「私、決めたことがあるの。生き延びるために、番さんと会う。だけど、私の心は番さんにはあげない。私の心はエディにあげる」
ひゅっとエディが息を呑む音がした。
「私はエディが好き。エディのことだけが大好きなの。……信じて」
エディは一瞬、痛みを堪えるように顔を歪めた。キャロルの言うことを信じたい。でも、番という運命の存在が、きっとそれを許してはくれない。そんな葛藤が見える表情だった。
キャロルはそっとエディの手を握る。すると、エディは指を絡めるようにして、その手を握り返してくれた。
「……キャロル、大好き」
掠れるような声で、エディが囁いた。そして、また顔が近付いてくる。
キャロルは微笑み、目を閉じた。
甘い感触に、再び、溺れる。
その試合の後から、エディは格段に強くなった。同期で一番強いラスに勝てたことで、自信がついたらしい。一回り大きく成長し、一気にトップクラスまで登り詰める。
実技訓練で模擬戦があるたび、キャロルはエディを応援した。そして、エディが勝利をおさめると、ごほうびをあげる。
エディはそのごほうびをキャロルからもらうと、いつもこう言った。
「番には内緒だよ。これは、俺とキャロルだけの秘密」
口の前に人差し指を立てて微笑むエディに、キャロルは何度も頷く。キャロルの心はエディのもの。そして、キャロルの唇もエディのもの。
ごほうびをあげているのか、逆にもらっているのか分からないくらい、幸せで。
キャロルとエディは何度も甘い感触に溺れ続けた。
「そろそろ、うろこ竜のところへ行かないと」
エディの元に来て一ヶ月。父が無情にもそう言った。
キャロルの体調もかなり良くなって、今なら無理なくうろこ竜のところに行けると判断したようだ。父は荷物をまとめ、旅立つ準備をする。
キャロルはエディと離れたくなくて、きゅーん、と鳴いた。その声を聞いたシェリルが、へにゃりと眉を下げて父を見る。
「パパ、どうしても行かないと駄目? キャロルはこんなに元気になったのに」
「元気だからこそ、今行くんだよ。また急に倒れたら大変だ」
この春、キャロルはお医者さんに「あと半年」と言われたことを思い出す。もう、秋が来ようとしている。残り時間は、あとわずかかもしれない。
「……行くの。行って、番さんを探すの」
キャロルは自分の小さなリュックを背負う。リュックの中には、まだ透明なままの竜石が入っている。この竜石が番を教えてくれるまで、キャロルは足掻かないといけない。
生きるために。
立ち上がったキャロルを、シェリルが眩しそうに見つめた。少し泣きそうになって、くしゃりと顔を歪ませる。そんな顔をしながらも、シェリルはキャロルの決意を認めてくれた。
「分かった。……頑張ろうね、キャロル」
「うん!」
いよいよ旅立つ、という時。
エディをはじめ、ラスやムキムキ先生など、たくさんの人がお見送りに来てくれた。
「いってきまーす!」
キャロルとシェリルが父の腕の中からもふもふの手を振ると、みんな笑顔で手を振り返してくれた。
騎士学校。とても素敵な人がいっぱいの、とても素敵な場所だった。
父がぶわりと羽をはばたかせ、空へと浮かび上がっていく。すいーっとまっすぐに、上へ、上へ。青く澄んだ大空へ。
キャロルはふと下を見る。こっちを見上げているエディと目が合った。
エディがキャロルに向けて、何かを言う。声は風に流されて聞こえなかったけれど、口の動きでその言葉が分かる。
――待ってる。
キャロルはこくりと頷いて、ぶんぶんと手を振った。
絶対に生きて、またエディと会うんだ。そう、強く心に誓って。




