17:あと2年。「おでかけ」(1)
竜の山に帰ってから、キャロルはぼんやりとすることが多くなった。調子も悪くて、なかなか上手く頭が働かない。
(あと何回、エディと会えるのかな……)
考えるのはエディのことばかりだ。キャロルは小さなベッドに横になり、時折、涙を零す。
人化できるようになっても。ブレスを吐けるようになっても。キャロルは全然強くなっていなかった。むしろ、弱くなったような気さえしてくる。
熱が出て寝込むと、苦しくて辛くて、このまま天に召されるのかもしれないと弱気になる。そんな弱ったキャロルを心配して、父が動いた。
あちこちに出掛け、まだ番が見つかっていない竜を家に招き始めた。キャロルと会わせ、竜石を確認する。
キャロルの命を繋ぐための、必死の番探しだった。
けれど、番は現れない。春が過ぎても、夏が終わっても、キャロルの竜石は透明なまま、色を変えることがなかった。
家の周りの木々が紅や黄色に染まる頃。父は姉シェリルを連れて、遠くの大陸へ行くことにした。竜がいる里をいくつか巡り、キャロルの番候補を探すのだという。本当はキャロルも一緒に行くべきなのだけれど、体調がすぐれず、家でお留守番をすることになった。
母と並んで、空を飛んでいく父とシェリルを見送った。白い竜と小さな桃色の竜は、青空に吸い込まれるようにゆっくりと消えていく。
「さあ、キャロル。少しママとお散歩でもしましょうか」
母が優しくキャロルを抱っこしてくれた。キャロルは母にべったりとくっついて、こくりと頷く。
ひらり、と目の前を紅い落ち葉が横切った。
キャロルたちの家は、人間が立ち入ることなど到底無理な絶壁の上。人間である母と、まだ飛べないキャロルが行ける範囲は限られている。それでも母娘は楽しんで散歩をする。
カサカサと落ち葉を踏みしめる音。優しく頬を撫でる風。遠くには鮮やかな秋の装いをした森が広がっている。どこからか、水が跳ねる音がした。高く澄んだ音が耳に心地良い。
母と一緒に木の実を拾い、綺麗な形の落ち葉で遊ぶ。明るい桃色の毛が泥で汚れてしまったけれど、母はにこにこ笑って許してくれた。
「ねえ、キャロル」
「なあに? ママ」
散歩からの帰り道。母がキャロルに優しく問い掛ける。
「キャロルは番さんのこと、どう思ってる?」
「番さん?」
「うん。会いたい? それとも、会いたくない?」
どきりと心臓が音を立てた。
周りのみんなが、キャロルの番が見つかることを望んでいる。そうしなければ、キャロルはあと二年しか生きられないから。時は止まることなく、無情にも過ぎていく。早く、番に会わなければ。
父も母も姉も、キャロルのために番探しを頑張ってくれている。
だから、キャロルはきっと、こう言わないといけない。
「……会いたい、よ」
エディの微笑んだ顔が、キャロルの脳裏に甦った。その途端、キャロルの胸がぎゅっと強く掴まれたように苦しくなる。
番に会いたいなんて、嘘だ。できることなら番になんて会わずに、ずっとずっとエディと一緒にいたい。
しょんぼりと項垂れたキャロルを母はそっと抱き上げてくれる。そして、優しい手つきで頭をよしよしと撫でてくれた。
「ごめんね、キャロル。ママがもっとキャロルのことを丈夫に産んであげていたら、そんな顔させずに済んだのに……」
「ママ?」
「キャロルは、本当は番さんと会いたくないのよね。でも、番さんと会えなかったら命が助からない……だから、会わないといけないって思ってるんでしょう。ごめんね、キャロル。辛い思いをさせてしまっているわよね……」
キャロルはぶんぶんと首を振った。母が辛そうな顔をするのを見るのは嫌だった。
「ママは悪くないの。私、辛くなんてないの……」
「キャロル……」
母娘はしんみりとしながら、きゅっと抱き締め合った。キャロルは暗くなってしまった空気を、どうやって明るくしようかと悩む。元気の出る舞とか踊った方が良いだろうか。
けれど、母は強かった。ぱっと顔を上げると、にこりと笑う。
「うん。キャロルの気持ちはよく分かったわ。ママも覚悟を決めることにする!」
「……覚悟?」
「そう! 大体、番と会えば命が延びるとか眉唾物じゃないのって思ってたのよね。番に会わなくても生き延びる方法を探せば良いのよ!」
母はキャロルのほっぺたをつんつん突く。
「ほら、竜は溺愛されることで生命力が高まるって言うでしょう? あれって番じゃなくても多少は効果があるみたいよね。だから、ママがキャロルを全力で溺愛します!」
「ママ!」
「要は番以上に溺愛してしまえば良いと思うのよね。だから、パパにもシェリルにも溺愛してもらいましょう! みんなで協力して、番の愛を超えるのよ! ……もちろん、エディくんにも溺愛してもらうの! ね?」
ぱちりとウィンクする母に、キャロルはぱあっと顔を輝かせた。
番は見つからないし、キャロルの体もどんどん悪くなっているけれど。
問題は何も解決なんてしていないのだけれど。
でも、キャロルは安心した。
母がキャロルの気持ちをちゃんと分かってくれていたから。
「ママ、ありがとう。私、ママの娘で良かったの!」
「ふふ! ママも、キャロルのお母さんになれて、幸せよ」
仲の良い母娘の影が、庭に長く伸びる。秋の風はどこまでも爽やかで、その庭を吹き抜けていった。
二週間ほど経った頃。何人かの番候補の竜を連れて、父とシェリルが帰ってきた。残念ながら、その中にも番はいなかった。色を変えることのない、透明な竜石。でも、キャロルはもう落ち込んだりしなかった。そんなキャロルを見て、母が微笑んでくれる。
「というわけで! もういるかどうか分からない番さんに頼るのではなく、みんなでキャロルを助けましょう! 協力して溺愛すれば、なんとかなるんじゃないかしら!」
母は元気にそう言って、キャロルをむぎゅっと抱き締めた。父は微妙な顔をしていたけれど、番である母の言うことには逆らえなかったらしい。真っ白なもふもふ毛を揺らし、こくこくと頷いていた。
ただ、シェリルだけは半眼で呆れた顔を見せる。
「ママったら、本当に変なところで大雑把になるんだから。どんなに私たちがキャロルを溺愛しても、番の溺愛には勝てないのに……」
「まあ、シェリル! それはやってみないと分からないことよ! やる前から諦めてどうするの!」
母はやる気をみなぎらせ、キャロルの頭に可愛いリボンを結ぶ。そして、竜のキャロルにぴったりの小さな服まで着せてくれた。母の溺愛というのは、どうやらキャロルを着飾るところにあるらしい。
「キャロルのだけじゃないわよ! なんと! シェリルの服もあります!」
母はシェリルのこともしっかり溺愛したいようだ。お揃いの服を着せられる双子竜。シェリルはなんだかぐったりしながら「ママには勝てない……」と壁に寄りかかっていた。
後ろ姿が、とても哀れだった。
こうして、竜の山の日常は過ぎていく。冬はもうすぐそこまで来ていた。