16:あと3年。「かくしごと」(5)
エディの怪我から一週間。少しずつ元気になってきたエディが、不意にキャロルの顔を覗き込んだ。
「キャロル、俺に隠しごと、してない?」
「し、し、してないよ! 私、竜だもん! 隠しごとなんて……」
「ブレス」
拗ねたような声でエディが口にした単語に、キャロルはぴゃっと飛び上がった。
「な、な、なんのこと?」
「ブレス、吐けるようになったんだろ? なんで隠すの?」
かなり傷も癒えてきて、体を動かすようになったエディ。どこからか、キャロルのブレスについての話を耳にしたらしい。じとっとした目でこちらを見てくる。
キャロルはもふもふの体を縮こまらせて、しょんぼりと項垂れる。
「……だって、恥ずかしかったから」
「なんで」
「お庭の芝生、パキパキになったの。それはそれは恐ろしい光景だったのよ? そんな恐ろしいブレスを吐く竜だって、エディには知られたくなかったの……」
じわりと目頭が熱くなって、視界が滲む。はあ、とエディが大きなため息をつくのが聞こえて、キャロルはびくりと体を震わせた。
(嫌われた、かな……)
足元のふかふか絨毯の複雑な模様を、目でなぞってしまう。エディの方を見る勇気はなかった。
凶悪なブレスを吐く竜だと知られてしまった。もう、きっと、エディは溺愛なんて止めてしまう。
もふもふの手で顔を覆う。すると、キャロルの体がひょいっと抱き上げられた。温かな手にびっくりして顔を上げると、エディの青い瞳と目が合った。
「キャロル」
エディはキャロルの名前を優しく呼んで、鼻の頭に唇を寄せた。いつもより少しだけ長く触れる唇。甘い温もり。
「俺は、キャロルのことなら何でも知りたいよ。隠しごとされるのは嫌だな。ブレスのことだって、俺が一番最初に知りたかった」
「ごめんなさい……」
「これからは、隠さないで何でも言って。それでキャロルのことを嫌いになんてならないから。俺が、どれだけキャロルのこと好きか、ちゃんと分かってる?」
こつん、と額と額がぶつかる。キャロルの角がぐりぐりとエディの額に当たっているけれど、エディは気にしていないようだった。それどころか、どこか楽しそうに微笑んでいる。
エディは、キャロルがブレスを吐けるようになったことを喜んでくれていた。
そして、嫌いになんてならないと、言ってくれた。
「エディ……」
胸の奥がきゅんとした。そっと目を閉じて、エディの温もりを堪能する。
「私、これからは隠さないようにするね。どんなことでも、ちゃんとエディに言う。だからエディも、エディのこと全部、私に教えてね。私もエディのこと、ちゃんと受け止めてみせるから」
エディが学校で辛い思いをしていたことを、キャロルはずっと知らなかった。それは、エディが隠していたから。隠されるということは、そんな風に痛みに気付けない原因になったりもするんだと、キャロルは思い知った。だから隠しごとなんてしない方が良いんだ、と。
「エディは、もう私に隠しごとなんてしてないよね?」
学校のこと、気付けなくてごめんね。そんな気持ちを込めて、エディを見上げた。すると、エディがふいっと視線を逸らした。
「……エディ?」
「し、し、してない。隠しごと、なんて……」
気まずそうな顔。泳ぐ視線。キャロルはピンときた。
「エディ。隠しごと、してるのね!」
膨れっ面になって、ぽかぽかとエディの肩を叩く。キャロルには隠しごとをするなと言っておきながら、エディは隠しごとをするだなんて。不公平だ。キャロルだってエディのことが大好きなのだから、少しくらい信用してもらいたい。
「学校でのことだって、教えてもらってなくてすごく驚いたのに! まだ何か隠してるの?」
じとっとした目でエディを見ると、エディは諦めたように笑った。
「ごめん、言うよ。……実は俺、騎士になりたくてさ」
「騎士?」
「うん。今のままじゃ、キャロルのこと守れるかどうか自信がなくてさ。だから、強くなりたくて。王都にある騎士学校に、四月から行くことにしたんだ」
エディはキャロルを抱き直し、ソファに腰掛ける。
「俺の生みの親も、騎士だったんだ。魔物から人々を守って……立派な最期だったって聞いてる。ずっと、その父さんのこと尊敬してたし、俺もそうなりたいって思ってたんだ……」
夢を語るエディの横顔は、とても大人びて見えた。凛々しく、かっこよく、どんどん大人になっていくエディ。
騎士になった大人のエディを想像する。きっと、優しくて素敵な騎士様になるだろう。キャロルの頬が、ぽっと熱を持つ。
「エディ、きっと騎士様になれるの! 絶対かっこいいの……」
ふにゃりと笑ってエディに擦り寄ると、エディが嬉しそうに頬擦りをしてくれる。キャロルの心がふわりと温かくなった。
「良かった。キャロルは反対するんじゃないかと思って、ちょっと不安だったんだ」
「どうして? 反対なんかしないよー?」
「……王都にある騎士学校だよ? ここからずっと遠くにある学校だ。来年の冬、キャロルがこの屋敷に来ても、俺はここにいない」
「えっ?」
キャロルはきょとんとしてエディを見上げた。エディは真剣な瞳で見つめてくる。
「騎士学校に入ったら、三年間は寮で暮らすことになるんだ。冬休みはあるって聞いてるけど、この屋敷に帰れるのは、たぶん一週間くらいしかないと思う。……次の冬からは、あまり会えなくなるんだよ」
「えっ? えっ?」
動揺するキャロルを、エディはぎゅっと抱き締める。
「キャロル。……早く、番が見つかると良いな。あと三年しかないんだろ?」
「そ、そうだけど……」
番と出逢えなければ、キャロルの命はあと三年。そろそろ本気で焦らないといけないのかもしれない。だけど、なんで今、急にそんなことを。
「……エディ?」
「俺は、騎士になるよ。それで、キャロルのこと守る。……キャロルとその番、両方守れるように、強くなる。キャロルにずっと生きていてほしいから。ずっと笑っていてほしいから。だからキャロル、早く番を見つけて?」
ずきん、と心が痛む。エディの言葉は、なんだかキャロルを突き放しているように聞こえた。キャロルのことを想ってくれている言葉のはずなのに、やけに冷たく響く。
「きっと、キャロルの番は俺なんかより、キャロルのことを愛してくれるよ。そしたら、俺も安心できるし、キャロルも幸せになれる。俺、キャロルが幸せにしていてくれたら、それだけで良いんだ」
頭の中が、真っ白になった。
どうしてエディが番ではないんだろう。こんなにキャロルのことを大切にしてくれているのに。
エディは少しずつ、キャロルから離れようとしている。離れたところから、キャロルとその番を見守っていく覚悟をしている。
はじめから、分かっていた。エディは番ではないのだから、いつかは離れなければならない時が来るということ。
分かって、いたのに。
冬が、過ぎていく。
――お別れの、春が来る。