13:あと3年。「かくしごと」(2)
エディのブラッシングはとても気持ちが良い。優しく毛並みに沿ってちょうど良い強さで梳いてくれるので、ほんわりと血行が良くなって心も体も温かくなる。エディはもふもふの達人なのではないだろうか。気持ち良すぎて小さくあくびをすると、エディにくすくす笑われた。
「キャロル、可愛い。眠かったら寝て良いよ」
「ううん、起きてる。エディとお話するの、大好きだから」
ごしごしを目を擦り、エディの膝の上でぴんと背筋を伸ばす。エディの顔を見上げてにこりと笑うと、エディはほんのりと頬を染めてキャロルの頭を撫でてくれた。
そんな風に、甘くて温かな時間を過ごしていた時。
キャロルたちのいる居間に、難しい顔をした伯父が入ってきた。
「どうしたの、伯父様?」
「ん? ……いや、実はこんな手紙が来てな」
遠い街から送られてきた手紙。そこには、「魔物」が街に現れて人々を襲っている、警戒しておくように、と書いてあった。「魔物」というのが何なのかよく分からなかったキャロルは、伯父に尋ねる。
「伯父様、魔物ってなあに?」
「人間を襲う真っ黒な怪物のことだよ。人間より少し大きくて、四本足で歩く獣みたいなものなんだ。最近その数が増えてきたらしくて、国もどう対処するべきか右往左往しているみたいだね。王都の騎士様が頑張ってやっつけてくれているから、なんとかなるとは思うけれど」
キャロルは怪物と聞いて、さあっと青くなった。恐くなってぷるぷる震えながら、エディにぺたりとはりつく。エディはくっついてきたキャロルを慰めるようにもふもふしてくれた。
いつもならのんびりとした団らんをしているはずの午後の時間。不穏な空気が漂う。
「まあ、この辺は大丈夫だよ。魔物も簡単には近寄ってこない田舎だし」
伯父が口髭を撫で付けながら言う。怯えるキャロルを安心させるためか、とても穏やかな声だった。
そこに、パトリックやシェリルもやって来て、一緒に魔物の話を聞き始めた。
「魔物って、いきなりやって来るの?」
「そうだな、急に湧いて出る感じだな」
「王都の騎士様がやっつけてくれるって言うけど……こんな田舎にも来てくれる?」
「……来ないだろうな」
あっさりと言う伯父に、みんな震えあがった。双子の小さな竜ががたがた震えるのを見て、伯父が困ったような顔で笑う。
「シェリル、キャロル。お前たちが恐がることはないよ。実は魔物というやつは、竜には弱いんだ」
「えっ」
キャロルも、シェリルも、パトリックも、エディも。みんなぽかんと口を開けて、一斉に伯父を見た。伯父はみんなの視線を受けて、戸惑う仕草をする。
「言ってなかったか? 昔、この辺りに魔物が出たことがあったんだが、シェリルとキャロルのパパがやっつけてくれたんだよ?」
「えー? パパがー?」
双子の可愛らしい声が揃った。あの白いもふもふ竜の父が、魔物をやっつけたことがあるなんて。いつも優しくて穏やかで、時々情けない姿を見せる父。戦うところなんて、まるで想像ができない。
「ほら、竜はブレスを吐くことができるだろう? 魔物はそのブレスが苦手なんだ。あっという間にやっつけていたよ」
「すごーい!」
キャロルはシェリルと顔を見合わせて、目をきらきら輝かせた。エディの腕の中で「すごい、すごーい」ともふもふの手を叩く。シェリルも床をくるくると歩き回りながらはしゃいでいた。
そんな双子竜を微笑みながら眺めていたパトリックが、「あ」と声を漏らした。
「シェリルとキャロルも竜だよね。ということは、二人がいれば魔物が出ても安心ってこと?」
「竜のブレスが吐けるなら、楽勝だろうな」
伯父とパトリックが期待の眼差しで双子竜を見つめる。
「……私たち、まだブレスは吐けないよ?」
シェリルが気まずそうに上目遣いになる。キャロルもしょぼんと項垂れた。
純血種の竜なら、十歳くらいでブレスを吐けるようになるという。でも、双子には半分人の血が入っている。そのせいなのか、上手くブレスが吐けなかった。
くたりと萎れた双子竜に、パトリックが励ましの声を掛ける。
「きっと、すぐにできるようになるよ。二人は可愛くて立派な竜だからね」
「パトリック兄様!」
ぱあっと双子竜の顔が輝く。信じてもらえることがとても嬉しかった。シェリルもキャロルも頑張ってブレスを吐けるようになろうと決意する。
「……駄目だよ」
そこに、静かな否定の言葉が放たれる。エディだった。
「竜のブレスなんて、吐けないままで良い。今のままで良いんだ」
「……エディ?」
居間が不意にしんとする。窓の外から、落ち葉が風に吹かれて流されていく音が聞こえてきた。
「わ、私、ちっちゃいけど竜だよ? 頼りないかもしれないけど、立派な竜なの! だから、エディを守ること、できるはずだよ! ……信じてくれないの?」
キャロルの視界がじわりと滲む。
体が弱くて、いつも役立たずなキャロル。人化もできなければ、翼で飛ぶこともできない落ちこぼれ。せっかく役に立てそうな予感がしたのに、と鼻の奥がツンとしてしまう。
キャロルの潤んだ瞳に気付いたシェリルが恐い顔をして、エディの足をぽふぽふ叩く。
「キャロルを泣かせるのは駄目なのー!」
「え、泣かせるつもりは……って、シェリル、痛いから! 爪! 爪立ってる!」
エディが困惑顔で、シェリルから逃げる。シェリルはふかふかしている草色の絨毯の上を転がるように走り、エディを追いかけた。伯父の足の下をくぐり、パトリックのつま先を盛大に踏みつけ、カーテンをひらりとはためかせる。
キャロルは逃げ続けるエディに抱っこされていた。しばらくきょとんとしていたけれど、エディの腕の中で揺らされて、だんだん気分が悪くなってくる。
「エディ、揺れるのー……。気持ち悪いー……」
「あ、ごめん、キャロル」
エディがぴたりと足を止める。するとシェリルがエディの足にぶつかって、その反動でころころと転がった。お腹丸出しで仰向けになるシェリル。「急に止まるとかひどい!」と、もふもふの手足をじたばたさせて悔しがる。
そんなシェリルは置いておいて、エディはキャロルの瞳をじっと見つめ、こほんとひとつ咳払いをする。
「キャロルのことを信じていないわけじゃなくて、ただ、心配なんだよ。キャロルは竜だから、確かに強いのかもしれない。魔物だってあっという間にやっつけられるのかもしれない。だけど、キャロルは女の子だろ? 可愛い、可愛い、小さな女の子。俺はキャロルに守られるよりも、キャロルを守りたいんだ」
そう言ったエディの瞳は、甘くて優しい色をしていた。
(可愛い女の子って! 守りたいって! きゃあー!)
キャロルの心に満開の花が咲く。全身を使ってエディにべったりとはりついた。ふわふわしっぽは千切れるかというほど全力で振り、喜びをアピールする。
「エディ! 私、エディのこと大好き!」
「うん、俺もキャロルのこと大好きだよ」
結局、いつも通りの甘い展開になり、みんな、ほっと息を吐いた。
エディのキスを額に受けて、今日もキャロルは幸せいっぱいになるのだった。