1:あと5年。「であい」(1)
青い空に、わたあめみたいな雲がぷかぷかと浮かんでいる。遠くに見える山の頭は白く、周囲の木々は冬の寒さに凍えるように葉を落としていた。
そんな冬の景色が広がっている田舎の片隅。古いけれど、大きくて立派な屋敷が堂々と建っていた。庭も広く、ふかふかの芝生がきちんと整えられている。その芝生の上で、小さなひとりの竜がそわそわと歩き回っていた。
「まだかな、まだかなー」
わくわくした声で呟くその竜の体は、固い鱗などではなく、柔らかいもふもふの毛で覆われていた。明るい桃色をしたその毛は、風に揺れてふわふわと揺れる。大きさは小型犬くらい。まだまだ子どもの竜だった。
額には小さな角があるけれど、今はもふもふの毛の下に隠れている。耳はぴんと立っており、周囲の音を拾うたび、ぴこぴこと動く。背中には鳥の翼みたいな、小さな可愛らしい羽が生えていた。
この小さな桃色の竜の名前はキャロル。十歳になったばかりの、少し甘えっこな女の子だ。
「……あっ! 帰ってきた!」
木の柵の向こう側。長く続く小道の先に、一人の少年が現れた。
キャロルはその少年に向かって、もふもふの手をぶんぶん振った。すると、その少年も片手を上げて、それに応えてくれる。
短い黒髪に青い瞳を持つその少年は、まっすぐにキャロルのところへ歩いてくる。そして、キャロルに向けて笑顔で両手を広げた。
キャロルはぱあっと顔を輝かせ、ぴょんと跳ねて、少年の腕の中に飛び込んだ。
「おかえりなさーい!」
「ただいま、キャロル」
少年はキャロルをぎゅっと抱き締めると、くすくす笑った。キャロルも釣られて、にこにこ笑う。
「キャロル、良い子にしてたか?」
少年がキャロルの紅い瞳を見つめて聞いてくる。キャロルはこくこくと頷いた。
そんなキャロルを蕩けそうなほど甘い視線で絡めとり、少年はキャロルの頭を撫でる。それから、キャロルの鼻の頭に小さくキスを落とした。
「本当、可愛いなあ、キャロルは」
そう言って、少年はもう一度、キャロルをぎゅっと抱き締めた。
キャロルにひたすら甘いこの少年の名前はエドワード。愛称エディ。十二歳の、人間の男の子だ。
もふもふした動物を撫でるのがとても好きなのだけれど、残念ながら動物アレルギー持ち。犬や猫などのもふもふ動物を、なかなかもふもふできずに悲しんでいた。
ところが、なぜかもふもふの竜にはこのアレルギーが出なかった。思う存分、もふもふできることが判明した途端、彼はキャロルにメロメロになった。
キャロルの方も、一目見た時からエディのことが大好き。なので、二人は今や相思相愛の仲だった。
「ずっと外で待ってたのか? 寒かっただろ?」
「大丈夫! エディに早く会いたかったし、これくらいなんともないの!」
「キャロルはすぐに大丈夫っていうけどな……」
エディは心配そうに眉を顰めて、キャロルの額に自分の額をくっつけた。
「うーん、少し熱があるんじゃないか? 目も潤んでるみたいだし。体はだるくない?」
「平気なの。エディは心配性だねー」
くっついたままの額に嬉しくなり、キャロルはくすくす笑った。額の角がぐりぐりとエディの額に当たる。
「でも、キャロルは体が弱いんだろ。慎重にもなるよ」
キャロルの角のせいで、エディの額の真ん中が少し赤くなってしまった。けれど、エディはそんなことには気付かず、キャロルの心配を続ける。
そう。キャロルは生まれた時から体が弱かった。すぐに熱を出して寝込み、生死の境を彷徨ってしまう。命の危機に陥ったことも、一度や二度ではなかった。
あまりの弱さに、お医者さんにも「この子は大人になれずに命を落とすだろう」と、さじを投げられたくらいだ。
純血種の竜であれば、ここまで病弱にはならないという。ただ、キャロルは竜と人間の間に生まれたハーフだった。人の血が混じったせいなのか、本来竜が持っているはずの強い生命力がほとんどない。
もちろん、ハーフがみんな体が弱いというわけではない。現に、キャロルと一緒に生まれてきた双子の姉シェリルは健康優良児だ。
「とにかく、部屋に入ろう。それから、温かい飲み物でも飲もうか」
「うん!」
エディがキャロルをしっかりと抱き直して、屋敷の方へと歩きだした。キャロルはエディにべったりとくっついて、ご機嫌に体を揺らす。
屋敷の中に入ると、ふわりと温かい空気に包まれた。
廊下を抜けて、キャロルにあてがわれた部屋に着く。扉を開けると、女の子らしい空間が現れた。
白いカーテン。丸い木のテーブル。ピンク色のふかふか絨毯。戸棚には小さな花の細工がなされている。お姫様が使っているみたいな天蓋付きの可愛らしいベッドには、手触りの良いクッションが数個並んでいた。
キャロルはテーブルの前に置いてある柔らかい毛布の上に下ろされた。
「待ってて。今、飲み物を持ってくるから」
エディがそう言いつつ、キャロルの体を毛布でくるんでくれる。もふもふの体が、ふわふわの毛布にすっぽりとおさまった。ふんわりとした温かさに包まれて、キャロルはへにゃりと頬を緩める。
そんなキャロルに甘い微笑みを残し、エディが部屋を出ていく。キャロルはその背中をちょっぴり切ない気持ちで見送った。
(もっと、エディと一緒にいられたら良いのにな……)
キャロルは目を瞑り、大きくため息をついた。
体の弱いキャロルと違って、エディは元気な普通の男の子。いろいろとやらなければならないことが多いようだ。学校にも行かなくてはならないみたいだし、屋敷に帰ってからも忙しくしている。
本当はもっともっとエディの傍で、ずっとずっとくっついていたいのだけれど。
そんなことを言ったら、きっとエディに我が儘な子だと思われてしまう。エディには嫌われたくない。キャロルは、とにかく良い子で待つしかなかった。
ほどなくして、エディが戻ってきた。
「ほら、ココアだよ。まだ熱いから、少し冷ましてから飲もうな」
ココアの入ったカップをテーブルに置く。ココアの甘い香りが部屋中に広がった。
キャロルはエディが帰ってきてくれたことが嬉しくて、ふわふわのしっぽをぶんぶんと振る。
「……キャロル、可愛すぎ」
エディは困ったように微笑みながら、キャロルを抱き上げた。体を包んでいた毛布が、ぱさりと床に落ちる。
キャロルはエディに擦り寄って甘えた。エディもそんなキャロルをぎゅっと抱き締めて応えてくれる。
「……キャロルのこと、誰にも渡したくないな」
「私もエディと離れたくないの。でも……」
「分かってる。番が見つかるまで、なんだよな」
エディが悔しそうに呟いた。キャロルは何も言えず、エディの肩に顔を埋める。
竜は生涯ひとりの相手しか愛せない。その運命の相手のことを「番」という。番に出逢った竜は他の誰も見えなくなるくらい、その番のことを愛してしまうらしい。
キャロルもいつか番に出逢うのだろう。そして、きっと、その相手を愛してしまう。
その相手は、悲しいけれど、エディではない。
切ない恋心を抱き、キャロルは瞳を潤ませた。