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中編

それは遠い昔の記憶だ。

思えば俺は、非力だったのだ。

寒い、寒い。

声がする。


か細く、切なく、いとおしい。



「九尾様?」

呼ばれて、目を開けた。

少年が覗きこんでいる。手にしているのは包んだままの弁当だ。

「なんだ…もう昼か」

「いいや、夕方だ。昼も食べずに寝てたんだよ。うなされてたけど、具合でも悪いのか?」

どうやら、作業の手を休めて一眠りするつもりが、思ったよりも寝入ってしまったらしい。

大丈夫だ、と起き上がった。


少年を山に連れてくるようになってから、作物が新芽から子供の背くらいに伸びるほどの日が過ぎた。

今日は、山の中でも少し上のほうにいる。 目の前に置いてある籠には、少年が1人で集めた山菜や蔓、枝がほぼ満杯に入っていた。

よく働くな。九尾は目を細めた。

「九尾様、あっち」

促されるままに木立を抜けて、風を感じられる場所に出た。

眼下に、集落と田畑が広がっている。

「綺麗な色だ。野菜や稲が育っていく、この緑色の景色を見るのが、父ちゃんも母ちゃんも好きだと言ってた。おれも大好きだ」

うん、と、九尾も静かにうなずいた。



少年が、九尾が化けた男の子と過ごすようになり、またしばし経った。

枝を拾い花の匂いを嗅ぎ、動物たちの気配を感じる。束ねた薪は村人に分け、残った数束を背負い、先日初めて父と町へ出掛けた。

九尾様、おれの薪が売れたよ。

行商の帰り道、夜更けに祠に向かって興奮しながら報告してくれた少年を、九尾は自分の寝床から目を細めて見ていた。

良かったな。会った時にそう声をかけると、少年はありがとう!と大声で言う。

「いや」

九尾は首を振る。

「お前の力だ。お前が頑張って集めた薪が、家族の食べ物を買う金になったんだぞ」

少年はくすぐったそうに笑った。

田畑で親の手伝いをするのとは違い、自分一人で成し遂げたことは、たとえ微々たることでも自信に繋がる。

そうしたことを、ゆっくりと、しかし着実に繰り返しているうちに、少年は確かにたくましくなっていった。



稲は、青々と、そして真っ直ぐに伸びていった。

これがそのうちに実をつけて、自然と頭を垂れる。

金色の、稲穂の海が視界いっぱいに広がるさまを見るのは、この土地に住む狐にとっても至福の時だ。

「九尾さまは、稲穂みたいな色だな」

おにぎりを頬張りながら、少年がそんなことを言った。

「馬鹿をいうな。稲穂が俺に似てるんだ」

同じようにおにぎりにかじりつきながら、男の子も、そう、笑って返す。

実りの色は、豊かさを想起させる。その先にある幸せな日々も。



山でも、少しずつできることが増えていった。

枝を拾い、木々を切り、その木で壊れた鉈や包丁の柄くらいなら直せるようになった。

九尾がくれた小さなのみと小刀は、手によく馴染む。

元々、手先は器用なのだろう。

父に習って草鞋を編み、薪と一緒に町へ売りに行く。そこで見かけた細工物を、見よう見まねで掘ってみると、なかなかな物が出来上がった。

「はい」

いつものお昼時、少年が出した手のひらに乗っているのは、弁当ではなく、木彫りの狐だ。

尾は、9本。

「…くれるのか」

うん、と笑顔で頷く。

小さいが、よく出来ている。

「俺が山にいる時は、祠にこれを置いておこうか」

はは、と2人で笑った。



「そういえば」

少年が、なにか思い出したように言った。

「九尾様は、最近は一緒に弁当を食べるようになったな。前はほら、持ち帰っていたのに」

ああ、と言葉を濁す。

「それに、前ほど昼寝をしなくなった。元気になったんだな」

良かった、と無邪気に笑う少年にたいし、九尾はばつが悪そうな、何か言いたげな表情をしている。不穏なものではないが、いつもと違う九尾の様子を伺う少年の視界に、獣の尾が見えた。


狐だ。

尾は、3本。しかし、1匹のものではない。

少年をみると、3匹のこぎつねはわらわらと駆け寄ってきた。

「あ、ちょっと待て…!」

九尾が慌てたように言う。だが、我先にと狐たちは少年にまとわりついた。

「だめだってば…ほら」

狐たちを制し、九尾は少年のほうに向き直った。

「…礼が言いたいようだ」

「礼?」

なんのことだろう。

「弁当と、木と、枝と…」

九尾がぽつぽつと言うが、よくわからない。

少年が首を傾げていると、九尾は、うーん、と腕を組み、体を軽く揺する。

「うわっ…!」

小さな竜巻が起き、そこに現れたのは、すらりと、しかしたくましい体つきをした着物姿の青年だった。

「おかげで俺も」

柔和な表情で、わざとらしく咳払いをする。

「大人の姿に化ける体力が戻った。礼を言うぞ」

驚いた少年に向かって、やや恥ずかしそうに話しかけたその声は、家で粥を食べた時に聞いた九尾本来のものだ。

「…かっこいいなあ!」

町で見かける、芝居のちらしに描いてある役者のようだ。

しかし、やや長めの髪色と垂れ気味の目は、九尾が男の子に扮しているときの面影を残している。


聞けば、弁当をその場で食べなかったのは、こぎつね達に持ち帰るためだったらしい。

気候のせいで木の実や山菜も充分には採れず、野鼠の姿も見えない。狐たちも、人間同様ひもじい思いをしていたのだ。

もちろん供え物も少ないが、少ない分をこぎつねに与えていたのだから、九尾といえど化ける力すら無くなるのも無理からぬことだった。

「お前達がくれた飯と、お前が山を綺麗にしてくれたおかげで、食べられる草木がまた生えるようになったからな」

それで、九尾自身も安心して弁当を食べられるようになったわけだ。

なんだ、言ってくれたらいいのに。

遠慮されていたことに、ちょっと不満げな少年に向かって、九尾は静かに言った。

「お前は、自分の分を渡そうとするだろう」

神として、それはできないからな。ちょっとおどけたように付け加えた九尾を、少年はじっと見上げた。

「なんだ」

ううん、と首を振る。

「やっぱり神様だな」

少年は嬉しそうに言った。

狐たちの綺麗な毛並みを撫で、可愛いなあ、と笑っている。

そんな様子を見て、九尾は独り言のようにぽつりと呟いた。


「…本当の神なら、どれだけ良かっただろうにな」




祠に置かれた木彫りの狐は村人からも好評だ。

9つに分かれた尾が生き生きとしており、まるで見てきたようだと言う老人もいる。

「だって、見たもんなあ」

祠の裏側、狐たちがいつも休んでいる木陰の切り株に座り、へへ、と少年が笑う。

隣にいる九尾の化身は苦笑した。最初に出会ってから3ヶ月あまり、稲はすくすくと伸びて、村人はお盆の準備でいそがしくしている。


しかし相変わらず、九尾は男の子の格好をしている。

どうして?また疲れたのか?と少年が心配して聞くと、同じ目線のほうが話しやすいから、と、垂れたまなじりを更に下げて笑った。

「ところで、どうして普通の狐を彫ったんだ?俺の姿のほうが有り難みがあるだろう」

九尾はちょっと不満そうだ。

少年は、九尾にすすめられるがままに、木の狐を数体彫ってみた。こぎつねたちを思い浮かべて、心を込めて彫ったそれらは、行商に行った先の小間物屋の目に止まり、そのまま買い取ってもらえた。

買い叩かれた、と九尾が呆れるくらいの値だったが、それでも少年と父親にとっては大金で、驚きと喜びの勢いのままに、買えるだけの食材を買って帰ってきたのだ。

その時の嬉しそうな母親の顔を思い出しながら、少年は言う。

「九尾様は、おれたちの村の神様だから」

母は言った。

良かったね、と。

そのひとことの中に、様々な気持ちが込められているのがわかった。

そしてそれは、自分の息子に沢山のことを教え、導き、自信を付けさせてくれた自分たちの神への感謝に直結する。


確かに物珍しい木彫りの九尾は、売れるだろう。

だが、信仰心が無いものには気軽に渡したくないものなのだ。

九尾は、頭を掻いた。

照れ臭いのだ。



少年はそのあとも、畑仕事や行商が無いときは、九尾とともに過ごしていた。

「あの」

少年がおもむろに言った。

「九尾様は、もとは町にいたんだってな」

そうなのだ。

この祠は元々、町にあった神社からいただいた石を御神体にしたものだ。

まあな、と九尾がそっけなく言うと、少年はじっと見つめた。

「…なんだよ」

「町で、九尾の狐の伝説を聞いた」

九尾の体が強張る。何を、と問うまでもない。

「怖いか」

ううん、と少年は首を振った。

「今の九尾様は、怖くない。だから、九尾様から本当のことを知りたい」

本当のこと?と、静かに九尾が聞き返すと、少年は一度ごくりと唾を飲み込み、言葉を絞り出した。

「九尾の狐が、町の人達を呪い殺した、と。だから町では稲荷を建てたんだと」

怒りを鎮め、力を抑制するために。

しばし沈黙したまま見つめあったあと、九尾が口を開いた。

「本当だ」

そんな、と少年が小さく言った。

眉間に皺がより、苦しそうな、切なそうな顔。

それを見て、九尾は苦笑した。

「ありがとうな」



九尾は、その場に座り直した。

少年も居住まいを正す。

あれは、何十年前のことかな、いや、百年位は昔のことなのか。

とにかく、いつのことか覚えていないほど前のことだ。

しかし、情景ははっきり思い出せる。

普段は蓋をしている辛い記憶を思い起こして、九尾は少年に語り始めた。



そもそも、俺はただの狐だったんだ。

けれど、ともに暮らす狐たちの中に、変化を会得しているものがいたんだ。

山の神気のせいなのか、人里でまじないを覚えた同胞がいたからか、それは見事な変化の術でな。すぐに仲間達は魅了されたよ。

その中でも素質があったのか、俺はあっという間に変化を体得し、加えて人語や素養を身につけていったんだ。

人に紛れて暮らしたり、あるいは山の中でも、他の獣を従えるほどになってな。


とにかく、自然の摂理に逆らい、淘汰から逃れ、気づけば何十年何百年と生きながらえていた。


親きょうだいはすでにいなかったが、そのうちに尾は裂け、獣として暮らす他の狐の仲間ともいえない姿に変わっていたから、町に出たり、遠くの山に行ったり、たまにいたずらが過ぎて山の神に怒られたり、まあ好き勝手に暮らしていたんだ。

俺の変化は自分で言うのもなんだがかなり上等だから、町にいるときは、娘に化けたり役人に化けたり、適当にいたずらをしながら過ごしていたよ。

でな、変化っていうのは、要は相手に目眩ましをかけることだから、ちょっと工夫すれば人を惑わせることなんて簡単だ。

あの時も、暇潰しにちょっと引っ掻き回した程度だったんだが、その時に町の庄屋に見つかっちまってな。

逃げようとしたんだが、どうやら、まじないを扱う奴を抱えていたらしくてな、不覚にも捕まっちまった。

だが、庄屋は別に、俺を使って人心を操ろうとしたわけじゃあなかったんだ。

俺は狐の姿に戻ったまましょっぴかれて、庄屋の奥座敷に連れていかれたが、そこに先客がいたんだ。


「先客?」

少年が首を傾げた。

ああ、と九尾が答えた。少し、悲しげに。

「そこの、跡取り息子だ」




布団から半身を起こした姿で、誰、とあちらから声をかけてきた。

年は、12だというが、とてもそうは見えなかった。

行灯のあかりに照らされた色は白く、手足は細い。

その息子に、父親である庄屋の主人は、居丈高にこう言ったのさ。

これは、妖力を持つ狐だ。

これの肉を食えば、病気は平癒する、と。

俺自身は、そんなことは聞いたことがなかったが、どうやら大陸の商人から広まった噂らしくてな。

たまたま俺が町で騒動を起こしたのを聞き、これ幸いと思ったらしい。これを食わせれば、息子の病が治るはずだ、と。

そしてまんまと、庄屋に連れてこられたわけだ、不老長寿の薬としてな。


「だが」

俺は言葉を切る。

一度話し出すと、次から次へと鮮明に思い出される。

彼かの息子は、聡明だった。

「俺を、狐を食べるのは良くないと。狐は神の遣いだからと」


それも、大陸の商人から聞いたんだそうな。

どっちも俺は聞いたことがなかったが、食われるよりは、神さま扱いのほうが「まし」っちゃあ「まし」だからな。

俺もちょっと芝居がかったようにさ、乗ってみたよ。

俺を食べると神罰が下るぞ、と。


そこですぐさま、俺の首を落とせるほど、庄屋にもまじない師にも度胸は無かった。

とりあえず俺は生かされ、息子の話し相手をさせられることになった。ほら、人に化けるのは知られていたから、同じ年頃の子どもになれ、と。

ちょうど、今くらいの格好に、な。

息子は肺だか心臓だか、とにかく医者の薬じゃあすぐには治らないらしい。

しかし安静にしていれば、すぐにどうにかなるわけでもなくてな。

そのまま数ヵ月、俺は息子と寝食をともにした。

いま、お前と過ごしているように、兄弟のように。

毎日、話をしていたよ。

父親は婿養子であること、母親はすでに病死していること、姉が1人いること。

町のこと、人間の日々のくらしぶりを聞くのも楽しかったよ。息子は外に出ることはないが、女中や奉公人からは慕われていたから、そいつらが色々な話を聞かせてくれるらしい。

俺も息子と話す日々は楽しかった。



そのまま数ヵ月、俺は息子と寝食をともにした。

いま、少年と過ごしているように、兄弟のように。


「だがな」

うん、と少年は相づちを打つ。

「2つ上の姉に、婿とりの話が舞い込んできた」

え、と少年が驚いた顔をする。田舎の村の子どもでも、その意味はわかる。

姉が婿を貰うなら、病気の息子はどうなるか。

そうだ、と九尾は肩をすくめた。

「息子は、用無しになった」

そして続けた。俺も、と。

「俺も、用無しになったはずだったんだかな」


まじない師は、娘婿に取り入ることで、自身の出世と富を得ようとしたらしい。妄言は、金に目がくらんだ余所者にはよく効くからな、娘婿は、俺の肉を欲した。

不老長寿になるために。


息子は、そんな俺を庇ってくれたよ。

だがしかし、それがいけなかったんだ。


狐憑きって、知ってるか?

まあなんとも良くない響きだけどな。気が狂ったような振る舞いをするやつを、そう呼ぶんだ。たとえ本当に狐が憑いていなくてもな。

俺を殺すことを止めた息子は、狐憑きだ、狐に騙されているんだ、と罵られた。そして、このままこの家をとり潰すに違いない、と、蔵に閉じ込められたんだ。

昔からの常套手段てやつさ。

憑き者つきは、蔵に幽閉するべきとな。

で、俺も一緒に放りこまれたよ。まじないの札と縄でぐるぐる巻きにされて、狐の姿でな。情けないけど。



季節はもう、冬に差し掛かっていた。

日が射さない土蔵は寒かった。俺は毛皮があるし、そうはいっても化け狐だから、寒さくらいではくたばらない。

でも人間の、しかも病気の息子に耐えられるものじゃないことぐらい、俺もわかる。

たまに食事が運ばれてきたが、息子は食べなかった。

そして、どんどん衰弱していった。


ある時、食事を運んできた女中に、うまいことを言って蝋燭の火を借りたんだ。書物を読みたいとか何とか言って。

同情していた女中は火を灯してくれたよ。

明かりに照らされた息子の顔は、前にも増して白くなっていたのを覚えている。


女中がいなくなったあと、俺の縄に火を点けたんだ。

縄と、まじないの札が見事に焼き切れ、俺は解放された。

逃げて。

そう言った。

俺は一緒に逃げようと言ったんだ。だが、息子は首を横に振った。

自分は、もう長くない。ごめんな。悲しい笑顔だった。

外は雪が降りだしたらしく、土蔵の中は冷えきっていた。

これが数日続けば、ただでさえ痩せ細った体は凍えてしまうだろう。

俺は、言った。


俺の肉を食え、と。


そう言って腕を突き出したが、勿論、息子は拒否したさ。

そのまま、その晩遅く、静かに死んでいった。

あたためようとしたが、狐のままの小さな体ではそれほど助けにはならなかったが、気にしないで、と笑われたよ。

しかし。


「寒い、と、呟いて死んでいったんだ」

裕福な家に生まれたのに、寒さに震えたままこの世を去った。


優しかった彼が、なぜこんな仕打ちを受けなければならなかったのか。俺は怒りに任せ、力の限りに土蔵の壁を破り、そのまま母屋に向かった。



婿、姉、父親を噛み殺し、まじない師の家に向かい、その命も奪ったところで、自分自身も力尽きて、倒れてしまったんだ。

そこに駆けつけ、俺を神社に連れていったのは、食事を差し入れてくれていた女中だった。

雪を避けられる場所に俺を寝かせ、上っ張りをかけてくれた。温かかったよ。

目が覚めた時には雪は止んでいて、何やら頭の中に語りかける声がしたんだ。その神社の、神だった。

俺はなじった。神をだ。どうして善良なあいつが苦しんで死ななければならなかったんだ、と。

しかし、もう誰に何を言ってもせんないことだ。

その後、庄屋は親戚筋の者に引き継がれ、立て直され繁栄していった。

主人や娘がいなくとも、善良な他者が働き手と力を合わせれば再興は可能だ。

その時に、あの女中が神社に稲荷を建ててくれたんだ。

俺と、病弱な跡取りへの慰みだったんだろう。

俺はそのまま、神の遣いとして祀られることになった。

庄屋が狐を粗末に扱ってたたり殺されたと、しかし祀れば

富と幸を与えるだろうと。

人間てのは、都合よく考えるもんだよな。

そして、なんの縁かこの村の者が分社を望んでここに祠を建てたわけだ。

神は、今更ながら俺に祭神としての力をくれた。

雨風を操る、神の力だ。


俺は、この村で九尾の神となったのだ。


日が暮れて、集落のあちこちに、灯りが点り始めるのが見える。

家の外で焚かれている火は、迎え火だ。

遠くにいってしまった大切な人たちに、1年に1度、ここに帰ってきてと願いながら火を焚く。

少年とは、数日会っていない。盆の準備で忙しいのだ。


九尾の話を聞いたあと、少年はしばらく黙っていた。

目の前の、自分と同じくらいの男の子は、やはり獣が化けたものなのだ。

一息に人間たちを殺す力のあるもの。

「怖いか」

九尾は聞いた。

ううん、と少年は首をふる。

「今の九尾様は、怖くない」

そうか。九尾がゆっくり頷くと、うん、と少年が続けた。

「怖いのは、人の欲だ」



九尾は村を見る。

この村に来て、祀られるようになり、村人は様々な願いをかけにきた。

大半は、作物の成長、子どもの成長、家族の病気平癒で、九尾は気が向いた時だけ手助けをしてきた。

雨を降らせ、子どもが迷えば道を指した。病気は治せないが、食べ物や薬草のありかを示した。

だが、ごくまれに己1人の欲を満たそうとする者がいる。

他人を呪い、失脚を望む、愚かな者たち。

そうした私欲に溺れた行為は、必ず自分に返ってくる。


「俺も、そうだ」


俺は、神ではない。

罪滅ぼしのためにここにいる、ただの獣だ。


九尾の周りに、ゆらゆらといくつもの灯が浮かんでいる。

狐火だ。

小さな狐たちが、足元にまとわりついてきた。

「そうか、お前たちも一緒に迎えるか」

神の遣いが、盆に死者に会いたいと願うのは滑稽だろうか。

いや、会えなくても構わない。


せめて、この灯が、

あの子を温めてくれますように。






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