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前編

九本の尾を持つ狐は、吉事をもたらす神獣だという。


「狐さま、木の実ですよ。食べて下さい」

そう言って祠に伸ばされた手は日に焼けて、まだ10歳と思えないほどたくましい。

少年は、先ほど道端で拾った木の実を祠の前に静かに供え、手を合わせた。

もうひとつき、毎日通っている。

少年の家は、村の外れのあたりだ。祠はそこから少し歩いたところにあるが、案の定、道はぬかるみ、今日も思ったより来るまでに時間がかかってしまった。

昼を食べてから家を出たのに、もう腹が減ってしまった。

狐さまも腹を空かせていたかな、と、祠を見る。昨日供えた木の実はすでに無くなっていた。

「狐さまが食べてくれたかな。それとも鳥かな」

本当なら米や粟などの穀物を供えたいところだが、自分たちの食いぶちを考えると、神様に我慢してもらうしかないのだ。


先だっての大雨で、植えたばかりの作物は根腐れたのも多い。

恵みの雨は有難いが、それは芽吹いて育つ頃の話だ。

逆に日照り続きだと、日に向かって伸びていたはずの花も葉も萎しおれ、実が膨らむ前に、あっという間に枯れてしまう。


今年は、どうだろうか。

かろうじて無事だったいくばくかの若い苗をやっと植え替えたところだが、この先の天気次第では収穫は望めない。

それはすなわち、村と、村人の命に関わる。

「狐さま。雨はしばらくお休みして頂けると、有難いです。もう少し育ったら、ささっと降らせてもらえれば」

少年はそう言って、ちらと狐の像を見る。

狐、といっても、そう見えなくはない程度の石像だ。

そもそも、これは何十年も前に、村の誰かが慰みに建てた祠だ。

ここの村人が商いに出掛けた大きな町で立派な神社を見かけ、村にも祠があれば神様が来てくれると思ったらしい。

境内の石を頼んで譲ってもらい、それを狐に見立てて御神体にした。

それでも村人は有り難がって、お供え物を携え手を合わせにくる。


もちろん、そのために豊作になるわけでもないし、不作のときも、狐さまのせいにするわけではない。

ただただ、自分が変わらず歩いて来て、祠に手を合わせられるということが、村人たちのよりどころとなっているのだった。




ぱらっと、鼻先に水滴を感じた。

雨だ。

「なんだ、また降ってきたのかよ。狐さまってば、全然聞いてくれねえでやんの」

膨れっ面をして石の狐を睨む。

ご利益なんて、ないじゃないか。そう言いながら祠の台座を蹴ったとき、背後で声がした。

「木の実くらいで願いが聞けるか、あほう」

少年が驚いて振り向くと、いつの間にか男の子が立っていた。


少年と同じくらいの背格好だが、見たことがない顔である。細い、垂れ気味の目が大人びていて印象的だ。

「なんだよお前」

少年が訝しげに聞くと、男の子は胸を張った。

「俺は、狐さまだ。お前たちがいつも手を合わせてる神様だ」

得意満面だ。

「狐じゃないじゃないか」

少年は男の子から離れ、さっさと歩き始める。

「こら!話の途中でいくな!失礼だな!」

男の子は慌てて追いかけてくる。

「なんだよ。俺だって忙しいんだよ」

面倒くさそうに振り向く少年に、男の子は息を切らしながら話しかける。

「…忙しいのは、わかってる。だが、1ヶ月毎日来たことは、褒めてやる…っ」

そこまで言い、咳き込んで座り込んだ。

村の子供はそんなにやわではない。ますます怪しい、と少年は男の子を見ていたが、そうこうしているうちに、雨足が強くなってきた。

「うわ…早く帰らないと母ちゃんが」

心配性の母親を思い、少年の足がさらに早まった。

狐、と名乗った男の子のことはすでに眼中にない。

「こらこら、待て!」

息を切らして、やっと追い付いた男の子のほうをゆっくり振り向き、少年は冷ややかな視線を向ける。

「…ねえ、本当に狐さまなの?なんか胡散臭いよね?なんでそんな息切らしてんの?」

男の子は、膝に手をつきながら、途切れ途切れに返事をする。

「あほうっ…。木の実ばかりで体力が持つか…。俺だってあまり食べてないんだ…が、お前が毎日願掛けにきたから、ちょっとくらい言うことを聞いてやっても、と…」

うう、と、唸る。白い顔が気のせいがさらに白くなったようだ。

「じゃあさ」

少年は、立ち止まって男の子に向き直った。

「この雨雲、消してみてよ。狐さまなら簡単だろう」

男の子は、中腰のまま少年を見つめる。少年は一瞬、射竦められた。目が、獣のように明るい色をしているのだ。

その目を静かに閉じ、見てろよ、と、長い息を吐き、呼吸を整える。そして、姿勢を正して空に向かい何か唱えた。

男の子の周りの空気が、凛とした。


風が吹いた。

直後、雲が不自然に流れる。

少年が、あっ、と小さく叫んだ。空は明るく、虹が見えた。

「どうだ」

日の光を浴びて、再び息を切らしながら男の子は胸を張る。その直後、小さな竜巻が起こった。

あっ。

再び少年が声を上げたとき、目の前にいたのは男の子ではなく、金色の尾を9本持つ狐であった。



挿絵(By みてみん)




寒い、寒い。


記憶の彼方で声がする。



少年が家に帰ったとき、ちょうど母親は夕飯の支度をしていた。

父親は農作業の合間に藁をない、草鞋を編む。ちょうど何足かたまったので、数日前から町へ売りに出かけていて留守だ。

母親は、雨が降ってきたので早めに畑から戻ったのだが、長く続くと思った雨がふいに止み、おかしいと思っていたところ、尾が9本もある狐を抱いて息子が走り込んできたのだ。

そして、狐さまが、雨を止ませたら、狐に、と、脈絡のないことを言っている。

普通なら幻でも見たのだと終わりにするところだが、さすがに狐の尾を見て合点がいった。

すぐに、作っていた汁を冷まし、狐に与える。

山菜ばかりの質素なものだが、獣にはちょうどよかったのか、一口含むとたちまち自ら食べ始め、あっという間に平らげてしまった。

耳がぴんと元気に立っているのを見て、親子は安心したように笑う。

「良かった。元気になった?」

少年が語りかけると、狐は頷いた。

説明を、と思い母のほうを見ると、母は狐に頭を垂れている。

「狐さまの、お口に合いましたか」

え?と少年は目を丸くした。

「母ちゃん、この狐が狐さまって、なんでわかるの?」

「だって、尾が9本だろう」

なに当たり前のことを、というような口振りだ。

狐は、くくっと笑う。

「母親は随分ものわかりがいいな」

祠の前で会ったときの、男の子の声とは違う。父親くらいの、大人の男の人の声だ。

「このあたりの者は、みな小さな頃から聞かされてますから。むかし、町の神社の九尾様の力を分けてもらい、祠を建てたこと。そして、狐さまは尾の力で、恵みの雨を下さると」

まあ、子供たちは半信半疑のものもいますけど、と、ちらと自分の息子を見る。

だって、と少年は狐を見る。

「なんで俺と同じくらいの人間の格好なんだよ。狐さまなら、もっと大きい、大人に化けるんじゃないのか」

「子供の姿のほうが体力を使わなくて済むからな」

狐の姿のまま、面白くなさそうに言う。

「まったく、無駄な体力を使ったせいで、いよいよこの姿な戻っちまった…」

だってさあ、と、少年がぶつぶつ言うのを母親がたしなめる。

「どうせ、狐さまに向かって偽物じゃないかとでも言ったんでしょう。狐さまも子供の言うことにむきにならなくても」

母はなんでもお見通しのようだ。

狐も心なしか居心地悪そうに見える。


「ところで、お体はもう大丈夫ですか?」

母親の問いに、ああ、と短く答えて体を揺する。

すると、小さな竜巻とともに狐は消え、代わりに少年が祠の前で出会った男の子が現れた。

「大丈夫だ」

声も、先ほどとは違う子供の声だ。

へえ、と少年は感心した。

「ほんとに狐さまなんだな!化けるのがすごく上手だ!なあなあ、他にも化けられるのか?」

興奮して寄ってくる少年を、九尾の化身である男の子はうるさい、と押し退ける。それを見て母親は笑った。


「兄弟みたいですね」

ええ?!と九尾はいやそうだが、少年は満更でもなさそうだ。

「いいなあ、おれ、神様と兄弟になりたい」

簡単にそんなことを言う少年を、母親は微笑ましく見ている。

「神と兄弟になって、何が楽しいんだ?」

心底わからないというような九尾の言葉に、少年はううん、と首をふった。

「神様と兄弟になれば、神様の力を使えたら、皆のために雨を降らせたり、たくさん役に立てるじゃないか」

然さも良いことをおもいついたというような、屈託のない笑顔だ。

力があったら、あれもできる、これもできる、と無邪気に想像を巡らせている。無邪気ゆえ、少年の言葉に嘘や裏はない。


少年は、1ヶ月祠へ願掛けに来ていた。

毎日山道沿いの祠まで通い続けるというのは、狭い村とはいえ容易ではない。ましてや、子供の足でだ。作物をだめにするくらいの大雨の時も、少年は親や村人を思い足を運んだ。

男の子は、黙って少年を見つめる。母親が涙をぬぐったのは気配でわかった。

「普段は、1人で過ごしているのか」

男の子は静かに言った。

「この村は子供が少ないので、兄弟のように年の近い遊び相手も、なかなか」

そう言った母親を、九尾の化身はじっと見る。

「流行り病が続いたからな」

はい、と母親は答えた。

何かあれば弱い者が真っ先に犠牲になる。

幼子の成長を願う者、病の平癒を懇願する者が村の守り神のもとへ足繁く通う光景は、何十年経とうが変わらない。


山のほうから、狐の鳴き声がこだました。


九尾は、そうか、と静かに頷き言葉を継いだ。

「じゃあ、俺たちは今日から兄弟だ。よろしくな」

少年は、一瞬何のことかわからなかったのか、きょとんとしたが、意味を理解すると、すぐに嬉しさで顔をくしゃくしゃにした。


神様の化身から差し出された手を、少年の、日に焼けた手が力強く握り返した。




次の日は、朝から晴れた。

雨に浸かった田畑からはようやく水がひき、泥のようになった地表は少し乾き始めている。

このまま晴れの日が続けば、作物も息を吹き返すかもしれない。

「九尾様!」

祠の前で佇む男の子に向かって、少年が手を振り駆けてくる。

男の子の格好をした九尾と少年は、祠の前で落ち合う約束をしたのだ。

「遅い!」

初日から遅刻とは。しかも神を待たせるとは。

わざとらしく怒ったふりをした九尾は、少年の後ろから男性が付いてくるのを見つけて一旦黙った。

「おれの父ちゃん。思ったより早く草鞋が売れたって、ゆうべ遅くに帰ってきたんだ」

痩身の男性は、優しそうな表情を浮かべて男の子を見ている。

「あなたが九尾様ですか。息子から話は聞きました。仲良くして頂けるとは、有難いことで」

そう言い、深々と頭を下げる。

この地域の者たちの信心深さは知っていたはずだが、面と向かって話す機会などそうそう無い上、自分がいま男の子の姿で特に威厳もないのも相まって、なんとなく面映ゆい。

「…そいつと母親には、飯をご馳走になった。礼だ」

嘘ではないが、半分は照れ隠しだ。

さあいくぞ、と少年を促す。少年は父親に手を振り、男の子に付いてきた。


「父親は、畑にいくのか」

「うん、大雨でだめになったところを、母ちゃんと2人で見に行くんだって」

いくら出稼ぎも大事とはいえ、男手がないと不便なこともあるだろう。

あの母親と先ほどの父親とでは性格はまるっきり違うような感じだが、並んだところを想像したら不思議としっくりくる。

「おれは、九尾様に《じんつうりき》を習うんだって言ってあるから大丈夫!」

少年が張り切っている姿は、ほほえましい。

「言っておくが、普通の人間はそう簡単には神通力を使えるようにならないんだ。それでも付いてきたいなら良い、ということだぞ」

「わかってるよ」

笑顔で隣を歩く少年を見て、こいつは本当にわかってるのかと九尾は苦笑した。

まあ、人間が呆れるくらい長く生きているのだから、少しの間、こういうやつに付き合うのも悪くない。


少年は、両親や村人の役に立ちたいという。

作物がきちんと育つように。流行り病が起こらないように。

皆が幸せに暮らせるように。




もうじき日が真上にこようかという時分、少年は山道に落ちた枝や枯れ葉を掃除していた。

「ほんとにこんなことで、じんつうりきが使えるようになるのか?」

半信半疑ながらも、九尾の言うとおり、律儀に作業を続けている。

「つべこべ言わず、黙ってやれ」

九尾はというと、折れた枝のささくれを石でしごいたり、木の根本にたまった土を掻き出している。

そんなの力を使えばいいのに。少年はそう思ったが、黙々と手を動かす九尾の真剣な顔を見て、自分も枝を拾う手を早めた。

昼どきをやや過ぎた頃には、二人で拾った枝は山のようになっていた。

「よし、今日はこれを持ち帰れ」

九尾は、どこからともなく縄を取り出した。

きゅっと縛ると、少年が背負うのに丁度よい大きさになる。

「ええ、これで終わりか?」

少年は不服そうだが、九尾はうむ、と頷いた。

「大きな力はすぐには身につかん。最初はまず地道な努力からだ」

そう言い終わると、ささ、と手を出された。

「…なんですか」

「めし」

早く、と手を上下させて催促する。神様のくせに、意地汚いなあ、と少年は思ったが、両親にはきちんと、九尾の分も弁当を作ってもらっている。

わ、と思わず声をあげた。

包みを開いたら、おにぎりが4つ。しかも海苔で巻いてある。

「父ちゃん、頑張ったんだな」

行商に出ても、売り先が見つからないことには捌けない。しかし、持ち帰るのも骨だから、結局は二束三文で売らなければいけないこともしばしばある。

今回、思ったより早く帰ってきたから、ちゃんと売れたとは思っていたが、案外高値もついたようだ。

「狐さまのご利益かなあ」

うん?何のことだ?

男の子はきょとんとしている。手にはおにぎりがそのまま握られていた。


「あれ、九尾様はおにぎりはあまり好きじゃないのか?」

ちょっと驚いたような、申し訳なさそうな少年に、いやいや、と九尾は手を振った。

「ほら、俺は狐の姿で食べるから。あまり見られたくないんだ」

「昨日見たからもうわかってるよ」

「それはそうでも、な。俺も神だから」

こほん、とわざとらしい咳払いをする。

変な神様だな。そう思ったが、ともかくおにぎり2つは九尾の分だ。丁寧に包み直し、袂に入れてあげた。

九尾は、ふくらんだ袂をぽんぽん、と叩く。

少年はよいしょ、と薪の束を背負った。

「うわ!」

尻餅をついた。

見かけより重いのだ。

「そのまま町に行けば、宿屋や商家でいくらかで売れるだろう。ためておいて、今度父親が草鞋を売りにいくときに、一緒に行けばいい」

そういうことか。九尾様、と向き直った。

「おれも、役に立てるのか?」

ああ、と九尾は短く頷いた。

「今できることをきちんとやるんだ。そうすればいつかきっと、村中を助ける力がつく」

少年の頬が紅潮した。

嬉しいのと、興奮で。

「ありがとう!」

九尾は微笑む。

「明日は少し向こうの木のあたりにいくぞ。なん束も背負える体力もつけないとな」

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