混んでるとお一人様は並びにくい4
「いい? ニャニはビジュアルが地球人にとって怖いから、最初は遠く離れた場所でジッとしててあげてね」
ゆっくりと青い右前脚が動き、手を上げる。
「怖がってたら、近付かないであげてね」
そっと右前脚が下がる。
ゆっくりと青い左前脚が動き、手を上げる。
「くれぐれも、本気で走って近付いて怯えさせないようにね。くれぐれも。くれぐれも!」
そっと左前脚がさがる。
地面から浮いた鼻先から上顎が僅かに浮き、ニタァ……と鋭い牙を見せた。
「……あの、言いにくいけどその顔も割と怖いんだよね。ほんと申し訳ないけど」
パッカパッカと蹄が地面を蹴る音が重なって聞こえる。ルルさんが乗ったパステルピンクの馬パステルと、ムラサキのメルヘンが並走して周回するのを脇目に、私は3メートルの距離を保ってニャニと向き合っていた。
じっと縦長の瞳孔が走る金色の目で私を見つめて話を聞いていたような姿勢を保っていたニャニに、ニムルを投げる。バクンと音を立てて顎を閉めたニャニは、またニタ……と笑うように口を開けるとゆっくりと背中というか尻尾を向け、それからダバダバと勢いよく走っていった。交互に動く手脚と長い尻尾が砂埃を立てる。
「その走り方が怖いんだけど、ちゃんと話通じたかな……」
シーリースを発ったジュシスカさんと召喚された地球人が、そろそろ中央神殿に到着するらしい。
せめて少しでも心配要素が減るようにとニャニにお願いをしてみたけども、ダバダバとパステルたちの後ろを走る勢いを見ていると伝わったのか不安だ。
「ルイドー君、神獣ってどれくらい言葉を理解してると思う?」
「さあな。ニャニは知らないけど、バクは結構わかってると思うぜ。小神殿によく出てきてたバクは、食べていい皿とダメな皿を教えるとちゃんとわかってたし」
「え、皿……?」
「陶器が好きなバクだったんだよ。ほっとくと神殿中の皿を食うから、街の人から割れた食器を募ってた」
割と困った舌をお持ちの神獣もいるようだ。人間と同じ食べ物で満足しているヌーちゃんが可愛く思える。神獣だからお腹を壊す心配はないだろうけれど、それでも硬いかけらを食べる姿は見ていてハラハラしそうである。
「リオ」
パカパカと近付いてきたルルさんが、私の前で馬から下りる。ずんぐりした体型のパステルやメルヘンは、テレビなどで見たことのあるサラブレッドよりも足ががっしり太くて短い。それでも鞍の高さは私の肩くらいである。そこからサッと下りるの、ルルさんの動作を見てると簡単そうだけど実際やるとかなり怖いのを私は知っていた。
「今日も少し乗ってみますか?」
「うん」
私に近付くやいなや、歩いてきた勢いのままでズボッと鼻先を私の脇に突っ込んでいたメルヘンも、相変わらずイチゴの香りかぐわしく元気である。私はその背中に乗れるように練習中で、メルヘンは人を乗せて歩く練習中である。
ルルさんに補助してもらいながら鞍へと跨ると、メルヘンがムヒヒヒと鳴いた。母馬であるパステルがそっと歩き出し、その後ろをメルヘンが続く。その手綱はルルさんが握っていて、私の隣を歩いていた。
馬、めっちゃ揺れるし、姿勢を保つのがかなりツラい。普段使わない筋肉が鍛えられる感じがするので、数日ごとに練習するようにしていた。というか、そうじゃないと筋肉痛で死ぬ。
「メルヘン、今日は大人しく走ってたね。いつも勝手に爆走したりするのに」
「訓練しているということをわかってきたのでしょう。パステルも賢い馬でしたから」
連日の暑さに厩舎ではでれーんと寝転んでいたり、人の腕をモヒモヒし続けてイチゴくさくしたりとお茶目なところのあるメルヘンだけれど、私が背中に乗っていると心なしかキリッとしている気がする。
わたしにも馬を操る才能があるのかもしれない。このまえルイドー君にそう言うと「お前が頼りないから馬が責任感じるんだろ」と言われたけども。
「随分と姿勢も良くなってきましたね。速さを出す練習を始めてもいいかもしれません」
「走るとものすごい揺れるんだよね……落ちないかな」
「少しずつ様子を見ましょう」
もっと上達したら、ルルさんもパステルに乗って一緒に走ったりできる。馬で草原を走るとかなんかかっこよさそうなので、密かに楽しみにしていた。
練習を終えると、メルヘンは心なしかドヤ顔で私に顔を近付けてくる。
「よしよし、メルヘンは頼もしくていい馬だねえ。ほっぺのところが丸くて可愛いよね。これからもいい感じに乗せてね」
長い鼻面を撫でると、ムヒッとメルヘンが返事をした。人の話をわかっているかのように相槌を打つのが面白い。
パステルも撫でて、それから厩舎へと戻ったころ、休憩を取っていたはずのフィデジアさんが早足で歩いてきた。
「フィデジアさん、どうしたの?」
「リオ様。ジュシスカらしき影が東の空に。戻ってきたようです」
いよいよだ。
思わずルルさんと目を合わせる。
ルルさんは安心させるように私の背中に手を置いた。
「出迎えの準備をしましょう」
落ち着いた、いつも通りの微笑みを浮かべたルルさんにつられて、動揺した心が静まった。頷いて、歩き出す。
砂埃まみれのニャニが、意気揚々と私たちの後ろに付いてきていた。




