曲の合間に漏れ聞こえる歌を何と無く聴いちゃう26
「ニ……ニャニ〜、おやつ食べる?」
じりじり近寄ってくるニャニに、後ずさりながらニムルをあげる。大きな口に投げ込むたびにそれぞれの手を上げ、おすわりというか伏せたり起きたりを繰り返しているのは喜びの表れというのだろうか。獲物に飛びかかる前の準備運動のようで怖いけども本人的には喜んでいるようで何よりである。
「リオ、失礼します」
「あ」
麻のような布袋に入れた焼き菓子をエンドレスで投げることによって気まずさを解消していると、ルルさんがその麻袋を私から取り上げてしまった。中に入っていたニムルを、次々にニャニへと投げていく。ぽいぽいぽいバクバクバクとニムルが牙の間に消え、ルルさんは空になった麻の袋を畳みながらにっこりした。
「ニムルがなくなってしまいましたね」
「いやなくなったじゃなくてルルさんが投げたからじゃ」
「明日またニムルを貰ってきましょう。さ、リオはこちらへ」
私の話は聞いてないらしい。
ニャニにオヤツはもうありませんよと言い聞かせたルルさんが、私の手を繋いで部屋を移動しはじめた。
「……なんでベッド?」
「今日は絶好の昼寝日和ですから」
「いやいやいやいや」
私の寝室には窓がない。確かに奥神殿に繋がる渡り廊下ではいい感じの晴れと風だった気がするけれど、日光も風も入らないここでは別に昼寝日和とか関係ないのでは。あと私は幼稚園児でもないので眠くないし。
「昨日も一昨日も、喉の調子を診せてくださいませんでしたから」
「いや……だから……それも誰か他の人にやってもらってもいいんだよね? 誰か巫女さんとかに頼みたいなー」
「イヤです」
「え?!」
ものすごいキッパリ断られた。
なんでそんなに清々しい顔で微笑んでいるのか。顔がいいと得だな。
「とりあえず、早く寝転んでください」
「とりあえずもクソもなくない? ……待ってわかった。自分で靴脱ぐから、自分でできるから」
跪いて靴を脱がそうとするルルさんの手から逃れてベッドに上がりこむと、ルルさんがおしぼりをくれた。スッキリするハーブの香りがついたそれで顔を拭い、手を拭い、足を拭う。本格的に昼寝させるつもりらしい。
「あの、何度も言ってるけど、喉本当に大丈夫だから。なんか毎日歌ってて鍛えられたのか、別に声枯れそうな感じもしないから」
「そうですか、はい、もう少し奥に横になってください」
「聞いてる? ねえ? ルルさん?」
せめて昼寝するだけならと言い募ってみたけれど、どうみてもスルーされた。仕方ないので寝転がると、ルルさんがベッドの脇に腰掛けた。と思ったら、そのまま自分も靴を脱ぎ、ささっと足を拭って私の隣に寝転んだ。
「いやなにやってんの?!」
「リオ、起き上がってはダメですよ」
「人の話を聞こう!」
「聞いています。ここのところリオは落ち着いて眠れていないようですので、見張っていようかと」
「余計寝れないから」
誰のせいだと思ってるんだ。このしれっと心配している表情のお綺麗な顔、一度でいいから両手で潰して変顔にしてみたい。
ルルさんはしれっとした顔をして見せているだけではなく、腕の力で上半身を起こしている私の肘をかくっと押して再び布団に沈めさせた。すかさず枕を差し込んで、仰向けの状態にさせるのも抜かりはない。こんなところで能力の高さを証明しなくていいのに。
私の横で頬杖をついて横になったルルさんがこっちを見ている。空いた手で喉に触れられたので、私は目を閉じて現実逃避をすることにした。
こんな時は円周率を思い出すに限る。
「リオが慣れない状況に戸惑っているのを見るのも楽しいのですが」
ほぼ3。
しかし思い出す前にルルさんが先制攻撃。
「楽しまないで」
「ええ、気まずそうに避けられる状況が続くのは私としても思うところがありますので」
じゃあそっとしておいてくれたらいいのに。
触れられたところからじんわりと温かくなっていく感覚に集中しようと頑張りながら、私は黙ったまま思った。ルルさんの手から伝わる温度が、ふわっと体の中に入って喉がほんの少しだけちくちくする。
「リオ、もし私があなたの恋人となっても、生涯の伴侶となっても、何も変わりません。あなたが特別何かをする必要もありませんし、今までの関係がまったく違うものになることもありません」
「……」
「何も身構える必要もありません。今までも、これからも、私はまったく変わっていません。今まで通り同じだとわかってほしいのです」
そんなわけないやん。
脳内のツッコミは、ルルさんに伝わることなく消えていった。
恋愛なんてものになったら、何かが変わってしまう。その変化に対面することも、慣れることも怖かった。それはつまり今までのルルさんとの関係が消える感じがしていたからかもしれない。
私が信じていたルルさんの感情が間違いだったとしても、ルルさん自体が別人になったわけでもない。そういう感情で思われていたとしても、私がそれに対して何か変わらなければいけないということもない、らしい。
確かに、私は身構えすぎていた。なんか強大で怖いものに思えていたといっても過言ではないかもしれない。事実、怖かったのだ。ルルさんがすごく近いところに来ようとしているのが。
「今までもこれからもあなたをお守りします、リオ。どうかそれをお許しください」
ルルさんの声が、温もりのようにふんわりと染み込んできた。
優しい声は、今まで聞いていたものとおなじだ。ルルさんは優しくて、まあたまに意地悪だけど、それは出会った頃からずっと変わっていない。
だったら、ちょっと怖くないかもしれない。
そう思うとなんだかホッとして、温かさもあって、私は順調に眠くなっていった。




