声出しは得意な音域で6
結論からいうと、神様は実在した。
「おじゃましまーす……」
広い空間の中を、そっと歩いていく。扉の外と同じ白い石で作られていたけれど、ここには丸い照明は付いていない。それなのに蛍光灯でも付けているのかと思うくらい部屋の中はどこも明るかった。
扉の脇には外側で見たのと同じ炎の入った壺がある。その他には、かなり広い間隔で大きな柱がぽつぽつと立っていた。等間隔のそれが遠くに行くにつれて地平線に近くなっていく……のが見えるくらいに広い。
円柱の形をした塔は、どう見てもこれより狭かった。壁がだまし絵になっているのでもなければ、ここはカラオケの個室に繋がっていたような謎の空間なのかもしれない。
扉から30メートルほどのところ、壁面に祭壇のようなものがある。
壁には縦長で複雑な模様に編み込まれたタペストリーが付けられていて、その下部が壁に付けるように置かれたテーブルへ乗せられ、手前へと垂れていた。テーブルには金色の盃や楕円形の大きなお皿、高さが50センチほどある蝋燭台のようなものもある。しかしどれも綺麗なままで何が乗っているわけでもない。
ここで祈るわけですかね。せめてヒントがほしい。
祭壇っぽいものをあれこれ眺めていると、テーブルの下に小さな荷物入れのような段差があることに気がついた。タペストリーを捲って覗いてみると、古い紙束のようなものがあった。取り出して広げてみる。
「……いや〜……何語?」
さっぱりわからん。
紙束は色んな人が書いたものを纏めたものらしく、言語も文字の大きさも字の書き方も様々だった。10枚くらいあったそれらは、もしかしたら1500年前までにここに来た異世界人達が残したものなのかもしれない。
そう思ったのは、英語っぽいものがあったからである。全然読めないけど。
「筆記体だからな〜筆記体じゃなければな〜ワンチャンあったかもだけどな〜」
ちなみに、筆で書いた日本語のようなものもあったけれど、英語よりも読めなかった。漢数字とカタカナを合わせたようなものだったからである。ナニコレ。
さらに捲っていくと、楽譜のようなものもあった。手書きの五線譜にト音記号。私が知っている楽譜と同じである。
ただ残念なことに、私は特に楽譜に詳しくない。今まで通り文字は何書いてあるかわからないし。これは英語というよりも、ドイツ語とかフランス語とかイタリア語なのかもしれない。
「ふーん……ふんふ〜ん? ……いやわからんわ」
楽譜からメロディを思い浮かべる才能とかなかった。異世界転移といえばチートなのに、私にはそういう特典はないらしい。悲しい。
「いや待てよ? 歌詞がついてるから、これは歌なのでは?」
祈るための部屋にわざわざ残しておいたということは、これは聖歌かなにかなのかもしれない。我ながら天才的なひらめきである。あとひとりでこの広い空間にいるのがなんか落ち着かないので独り言が増える。
「聖歌か……」
私の中で聖歌といえば、クリスマスの時期にあちこちで流れる「もろびとこぞりて」である。
楽譜と照らし合わせると、多分これはもろびとこぞりてのリズムではない。とはいえ、私が読めないなら他の記録を残した人も別にこの楽譜を読めたわけではないのでは。
教会といえば聖歌。日本でもお神楽とかでなんかリズムを付けて読み上げたりしてる気がする。仏教でも歌うやつがあるとかなんかはるか昔に授業で聞いたような。
「歌……歌うか」
祈りの作法と歌であれば、どっちかというと歌に親しみがある。カラオケは好きだ。
他にやることもないので、とりあえず私はもろびとこぞりてを歌い……歌詞をほとんど知らないことに気がついて鼻歌で歌い、ついでにクリスマスっぽい、聖歌っぽい感じの洋楽をいくつか歌い、私の中でもはや聖歌といってもいいくらいに好きな曲を歌い、なんか楽しくなってきたので蝋燭台を一台拝借してマイク代わりにあれこれ歌った。
そのあとである。神様が姿を現したのは。
「ホッホッホッ、上手い上手い」
気付いたら近くに、白くてふわふわの髭を長くたくわえ、小さい丸メガネをかけ、赤い服を着たおじいさんが出現した。
「いやいやお嬢さん、なかなかの祈りっぷりだった。いいねー」
サンタリスペクトのおじいさんは、ホッホッホッと笑いながら大きなお腹を揺らし、どこからか取り出した椅子によっこいしょと座る。
この広い空間で気配もなかったのにいきなり現れた存在に、私は、とりあえずテンションがすっと冷えた。
「わしが神様じゃよー、あとこの姿はおぬしがなんとなく思い浮かべた神様像を借りとるだけで、本当は姿とかないんじゃよ」
何か言っているけれど、私は自らを省みることで忙しい。
握りしめていた蝋燭台をテーブルに戻し、私は片手で目を覆って大きく溜息を吐いた。
「お嬢さんが今の巫女のようじゃの……お嬢さん? おーい? 聴いてる? なんで落ち込んでんの? わし神様じゃよー? なんで? お嬢さん結構歌上手かったと思っとるよ? おーい?」
「そういう問題じゃないから……」
カラオケを人に聞かれることほど、私にダメージを喰らわせることは他にない。
こういう瞬間こそ、もっとも歌いたくなる瞬間かもしれなかった。誰もいないひとりの空間で。