声出しは得意な音域で5
私の前に異世界から誰かが来たのは、もう1500年も前なのだそうだ。そのため、ルルさんたちは「祈り」の手順やら具体的な作法やらについてはよく知らないらしい。
「大丈夫かなぁ……失敗したらやばくないですか? 労災とかある?」
「口伝では、救世主は奥神殿で祈りを捧げ、災いを鎮めたと」
「すっごいふわっふわした話ですね」
口伝ってかなり正確性に難があるのではないだろうか。短い文章を数人に伝えるだけの伝言ゲームでも面白おかしいことになるというのに。1500年て。文明が発達するわ。
引け腰の私をルルさんが建物の奥へと連れて行った。階段を4階分登り、それから扉をいくつか抜ける。
ひときわ頑丈そうな扉をルルさんが開けると、むわっと熱い風が吹いてくる。
そこには床から屋根まで全てが真っ白な石で作られた渡り廊下があった。日差しを受けて、柱が廊下の床に斜めのシマシマを作っている。
「リオ、風が強いのでお気を付けて。どうぞお手を」
「うわー、結構高いなー」
廊下には私の腰くらいの高さまである手すりがあり、下を覗き込むと青い水面が風に細かく波立っていた。
水の流れる川は細長い塔のような奥神殿を囲うように湾曲している。奥神殿は小さな島のようなところに建っていて、その周囲を水が覆っているようだ。お堀のようなものかもしれない。
水面の上にあるこの渡り廊下が50メートルはないくらいなので、川幅もそれほど大きくはなさそうだった。
「あっ、あそこ何か花咲いてる」
「奥神殿のあるこの聖なる湖は、この国で最も災いから遠い聖域です。以前は木々もありましたが、周囲の土地が災いに蝕まれるにつれてここの植物にも影響が」
塔の周囲にほんの気持ち程度ある地面には、所々に黄色い花を付けた芝生のような草が生えている。けれどルルさんが言った通り、そこに生えている木は一枚の葉っぱも付けてはいなかった。
奥神殿のある小島と川の外側には、今までいた建物がぐるっと囲うように建てられている。だからこの位置からは奥神殿の周囲しか見ることはできないけれど、外はもっと植物が枯れていて大変なんだそうだ。砂漠化によって強風や温暖化などの問題も出ているらしい。
「砂で目をやられないよう気をつけて」
ルルさんが風上に立ってマントで覆ってくれたので、私は風の影響をさほど受けずに廊下を渡りきった。
真っ白な石の扉を開けると、窓のない室内は丸い照明で明るかった。入ってすぐのところには六畳くらいの空間があって、そこから左右に道が伸びている。右側が上の方へ、左側が下の方へと段差の小さい階段が壁に沿って螺旋状に伸びていた。
ルルさんは私を連れて、上へ向かう階段を登る。
「奥神殿の間はこの先にあります」
螺旋を一周してちょうど入り口の上くらいに来ると、階段ではなく平たい廊下になった。その先には行き止まりがあり、小さな台があって、その上にはガラスで作られた大きな壺のようなものがあった。中で炎が燃えているので、巨大なランプなのかもしれない。
その壺の少し手前、塔の中央側に巨大な扉がある。ルルさんはその前で立ち止まり、私に向き合って視線を合わせるように少し背を屈めた。
「リオ、この扉の向こうへは、私は入ることが許されていません」
「えっそうなんですか」
「この先は神の間。神が許可した者、もしくはその者が同行を許した者しか入ることができないのです」
「へえー」
ルルさんは真面目な顔をして神が実在するのを疑っていないようだった。まあ、エルフがいるんだし神がいてもおかしくはないか。
「ここ、私は入れるんですか?」
「ええ」
「ほんとに?」
「私をお信じください」
意気揚々と入ろうとして怒られたらルルさんのせいにしよう。
現状、この先の部屋には私しか入れないらしいので、あとで私がルルさんも入ってもいいと許可することで、ルルさんもここに入ることができるようになるらしい。
「部屋に入ってから許可するって言えばいいんですかね」
「リオの判断に任せますが、ここは最も聖なる間です。どうか軽々しく他の者に許可を与えませんよう」
ルルさんは私をじっと見つめてから頭を下げた。
聖地なので、おいそれと人をいれるのはよくないらしい。わかったと頷くと、ルルさんは頭を上げて微笑む。それから私を廊下の突き当たり、謎のガラス壺のところまで案内した。
中で赤い炎がちらちらと揺れている壺の表面にルルさんが手のひらを当てる。
「リオも触れてください」
「熱くない?」
「少しも」
めっちゃ燃えてるのが見える状態で手を近付けるの、かなり勇気がいるんですけど。私はためらいつつ、そーっと手を近付けた。熱くないので思い切って手を当てると、ツルツルした表面はひんやりしている。
しばらくそのままでいると、炎が青く変わった。
「おおー」
「これと同じものが、この扉の先にあるはずです。私たちの力を混ぜましたから、これに色を念じれば炎を変えることができます」
「え、すごくないですかそれ?」
試しに緑と念じると、青い炎が揺らめいて緑色へと変化した。見た目化学反応かマジックっぽいけれど、これも私には見えない力が何か関係しているらしい。
「扉を隔てると、私には向こう側の様子がわからず、こちらからリオへ何かを知らせることもできません。2つの炎は連動しているため、これを使って簡単な合図を送り合いましょう」
「なるほど」
それからルルさんと相談して、色ごとにメッセージを決めた。
基本の色と決めた青は問題なし。ルルさんが念じて色を変える場合、赤は危険だから絶対出て来ちゃダメ、黄色は危険だから早く出てこい、緑は安全だけど外に出て来るように、紫は安全だけど中で待機というメッセージである。
私の場合、ルルさんに入室許可を与えない場合は自分でしか外に出られないし誰も入ってこられない。そのため、何かあればとりあえず外に出てくればルルさんが対応してくれるので合図はあんまり必要なさそうだ。万が一出られない状況になった場合、白っぽい色に変えることで緊急事態を知らせることになった。
「赤と紫は出たらダメ、黄色と緑は出ろね」
「赤や黄の合図を使うことのないよう、この命を懸けてここは守り抜きます」
ルルさんが腰に付けた剣をぐっと握って力強く頷いた。強そうである。
「じゃ行ってきますー」
「どうかお気を付けて」
頭を下げるルルさんに手を振って、扉を押してみる。
白く巨大な扉は、その見た目からすると呆気ないほど簡単に開いた。