分厚い曲集めくって探した時代が懐かしい5
周囲を見回すと、木製の小さな机と椅子が置いてあった。壁際には何も入っていない小さめの本棚が置いてあって、向かいの壁には小さなベッドが埋め込まれている。それらと私が座っているフカフカな2人用ソファでもう部屋はいっぱいだった。壁や床は白っぽい石で作られている。窓は高い位置に小さな正方形のものがあったけれど、木の鎧戸で閉じられていた。
私は、こちらに背を向けて扉の方を見ているルルさんに声を掛けた。
「ルルさんルルさん、ここって神殿?」
「はい」
「神殿に戻ったらダメって誰か言ってなかった? 広場に行ったほうが良いって」
馬上で揺れまくる状況の中だったのでよくは覚えていないけれど、あの人はとても真剣な目をしていたように思う。
ルルさんは振り向いて私を見ると、腰の剣を鞘ごと外して手で持ち、それから私の隣に座った。ソファがフカフカなので、ルルさんの重みでちょっとバランスを崩しかける。
「リオは、そう叫んだ者の姿を覚えていますか?」
「えっ……はっきりは覚えてないけど……男の人で、目が紺色っぽかったような」
「ええ、髪も目も紺。そして、紺の瞳はシーリースに多い」
「……ってことは、あの人がシーリースの人で、嘘ついてるってルルさんは思ったと」
「罠に掛けようと誘導した可能性もあります」
「そうかなぁ」
私には一瞬で人の嘘を見抜けるような特殊技能はないけれど、あの人は本当のことを言っていたような気がする。
「リオは広場へ行ったほうが良いと思いましたか?」
「うーん……ルルさんが嘘だと思ったなら、そうだったのかもしれないし」
「少なくとも、広場が安全だと信じるに足る証拠があの時にはありませんでした。といっても、引き返すことで彼の言う通り狙われる可能性も否定できない。ですから、私はどちらも選ばないことにしたのです」
「エッ? ここ、神殿じゃないの?」
「神殿ですよ。ただし中央神殿ではなく、街の外れにある小神殿ですが」
ルルさんは微笑んで頷いた。
「小神殿」
「西側にある神殿ですね。これでも地方のものよりは大きいですが。私はここで長く仕えていたので知り合いも多いので、人の出入りが激しい中央神殿よりもここの方が警戒しやすいと思い行き先を変えました」
元々は、何かあった場合は中央神殿へ戻る手筈になっていたらしい。中央神殿は神殿騎士もいるし、奥神殿まで行けば私は誰も開けられない扉の中に隠れてしまえるからだ。でもルルさんはあの人の言葉を聞いて、どっちもナシだと判断してその場で行き先を変えてしまった。
「それは……他の神殿騎士の人たちも慌ててそうだね」
「彼らの混乱より、リオの身を守ることが大事ですから。それに、予定通りでないほうがよかった」
「なんで?」
ルルさんは扉の方に目をやってから、再び顔を私の方へと戻した。少し黙ってから口を開く。
「あの男は『中央神殿には戻るな』と言いました。有事の際にはリオを戻らせると決めていたことを、何らかの手段によって知っていたのかもしれません」
言い終わったルルさんはじっと私を見つめた。夏の日の晴れた青空のような濃い青色の瞳が、私の様子を観察している。
「それはつまり、中央神殿にスパイがいると?」
「ええ、しかも内通者は神殿騎士もしくはそれに近い可能性があります」
「それはそれは……それはそれは」
物騒な話だ。中央神殿はものすごく広いし人も多い。その上私の住んでいるエリアは部外者立ち入り禁止的な場所なのでそのスパイっぽい人と鉢合わせる可能性は少ないかもしれないけど、やっぱり暮らしている場所なのでそんな人がいるのはちょっと。
「怯えさせてしまいましたか?」
「怯えるというかなんというか、困るよね。主にルルさんが」
「私は今まで通り、リオをお守りするつもりです。しかし、私の力が及ばないこともあるかもしれません。どうか、中央神殿にいる誰をも信じ過ぎませんよう」
「誰をも?」
「誰をもです」
「でもルルさんは信じてもいいでしょ?」
誰も彼もだと、ルルさんもそのなかに入ってしまうし。ていうか私自身も。
そう訊くと、ルルさんは一瞬きょとんとした顔をして、それから青い目を細めた。
「ええ、私だけを信じるリオというのもいいかもしれませんね」
「いや、ルルさんだけ信じてるわけじゃないよ? 信じ過ぎないって話だよね?」
「私にしか心を許さなくても構いませんよ」
「いや構うでしょそれは。どんだけ心閉ざした人間だよ」
思わず私が隣に座るルルさんにビシッと裏手でツッコミを入れると、ルルさんはその手をキャッチして握り、そのまま自分の足の上に手を置いた。掴まれたままなので
私の手も自然とルルさんの太ももの上に乗っている。
ルルさんの大腿筋ってとっても固〜い。じゃなくて何この体勢。私がキャバクラでおねえちゃんにセクハラするオッサンみたいじゃないか。
脱オッサンを目指し手を引き抜こうとしても、ルルさんの握力が強すぎて全然取り戻せない。
「ちょ……手……」
「しばらくゆっくりしていましょうか」
「いやそんな状況じゃなくない?」
グギギ……とルルさんの握力と戦って、勝ち目がないので諦めた。手汗でベッタベタになっても知らないからな。
「そういえば、あの人混みの中でよく動けたよね。引き返すのも大変そうだったのに」
「ああ、ニャニが先導してくれましたので。神獣が牙を剥いて走っていれば、流石に誰もが道を開けていました」
「そりゃそうでしょうな。てかみんなやっぱりニャニ怖いんじゃん」
まあ、今回は助かったといえるけれども。
そう思った瞬間、ズッ……と視界の端に青い生き物が現れた。ニャニが机の下からこちらをじっと見ている。影になっている場所で金色の目だけが光っていた。
うん。怖い。あんなのがダバダバ走っている場面は後ろから見てもきっと怖い。見えてなくてよかった。助かったけども。
「えーっと、ニャニ、ありがとう……待って来ないで!! 近寄らないで! おやつあげるから!!」
スッとニャニが体を持ち上げて右手と左足を上げたので、私は慌てて両手を突き出した。その状態でニャニは数秒固まってから、ゆっくりと手足を下ろして口を開ける。持っていたカゴに残っていたニムルを2つ投げると、また器用にバクンバクンとキャッチする。
まあ、遠目に見てる分には、餌を上手にキャッチするところはほんの少し可愛いかもしれなくもないかな。
と思った瞬間、ニャニが尻尾を振り回した。右に振ってはバチィンと壁が大きな音を立て、左に振ってはガタァンと机がズレる。それを何度か繰り返して、ニャニはニタリと笑うように口を開けた。
「……」
いや、うん。気のせいだった。




