声出しは得意な音域で3
「あの」
「ひわっ?!」
闇が深くて孤独な中でいきなり背後から声を掛けられたら、死ぬほど驚く。
しかもノリノリで歌っていた状況である。カラオケでも店員さんが歌っている間に入ってくることすら受け入れがたいため、注文制のお店では品物を持って来られるまで黙って待っているほどのヒトカラ過激派には辛い状況だった。
「驚かせてしまいまして申し訳ありません」
「いえ……」
コバエの飛ぶ音くらいの小さい声でなんとか反応すると、丁寧にお辞儀をしていたその人はゆっくりと顔を上げた。その手にはランタンっぽいものが握られている。
随分イケメンだけど、そろそろ冥土の遣いが迎えにきたのか。延長お願いします。
「私は異界より狭間に迷い込みしあなた様を迎えにきた者です」
「は? なんて?」
イケメンがなんか厨二っぽいことを言い始めたので、私はつい素で返してしまった。ランタンを自分と私の間に掲げて明るい空間を作り出したイケメンが少し困ったように眉尻を下げながら笑う。
「あなた様は、お生まれになった世界から喚び出され、そしてこの狭間へと落ちてしまったのです」
「……別に喚び出されたとかそういうことはなかったのですが」
「しかし、ここへと迷い込んだのでは? ここは人の生きていける場所ではありませんから」
「え怖っ!! そうです! いきなりここに落ちたんです!!」
何がどうなって人が生きていけなくなる場所なのかはわからないけれど、呑気に歌ってる場合じゃなかった怖い。そうとわかれば、この人がもし人違いをしていたとしても助けてもらわなくてはいけない。
「では、我々の世界へとご案内いたします。私の名はフィアルルー。神殿よりあなたを守るように命じられて参りました」
名前がやけにメルヘンな響きだ。いや金髪碧眼で流石に日本人だとは思ってないけども。あと神殿って何。神殿て。
「私は嶺端 梨音です」
ちなみに逆さから読むと「おり、はいれ」である。よく小学校の頃にからかわれたものだ。今は檻じゃなくて闇に入ってるけども。
「なんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「えっ別に何でも……? 嶺端が苗字で、梨音が名前です」
「リオとお呼びしてもよろしいですか?」
「よろしいですけど」
いきなり馴れ馴れしいな、このイケメン。それとも名前で呼び合うのがデフォなのだろうか、神殿というところは。
距離感に戸惑う私とは反対に、イケメンは落ち着き払った態度で私に手を差し出した。
「では、リオ。私の国へと行きましょう」
「はい……」
2秒迷って差し出された手に私の手を重ねると、フィアルルー氏は私の手を乗せたまま握り、それから歩き始めた。手を乗せるで合っていたらしい。
暗闇の中をフィアルルー氏は迷いなく歩いている。わたしには相変わらず闇深い場所にしか見えていないのだけれど、彼には何が見えているのだろうか。可視光線の領域が全く違う人だったらどうしよう。
「あのー……」
「どうかしましたか、リオ」
無言で黙々と歩くのも若干気まずいので声を掛けると、フィアルルー氏はにこやかに私の方に顔を向けた。ランタンの光が下から顔を照らしているというのに、全く不気味な感じになっていない。イケメンの顔ってすごいな。
「私はそのー、あなたのことを何て呼べばよろしいでしょうか?」
「私の名はフィアルルー、姓は捨てておりますが、どのようにでも。リオのお好きなようにお呼びください」
「どのようにでも?」
「ええ、どのようにでも」
イケメンは笑顔を崩さない。
本当にどのようにでもいいというのだろうか。パンナコッタ三世とか呼んでも本当に怒らないのだろうか。
「じゃあ、ルルさんって呼んでもいいんですか」
「どうぞお呼びください」
「ほんとに?」
「ええ。そう呼ばれたのは初めてですが、良い響きのように思います」
マジかよ。流石にやめろとか言われるかと思ったのに、若干喜ばれてしまった。さてはこいつ聖人属性か。
ちょっと悩んだけれど、私はイケメンをそのままルルさん呼びすることにした。背が高く体格も良く、そしてイケメンなのでやや近寄りがたい雰囲気が上手いこと中和される気がする。フィアルルー氏って呼ぶのも微妙に長いし。
「リオ、今度私とお酒を飲みませんか?」
「すみません、私まだ19なんで未成年なんですよ。来年でよかったら」
「それは失礼いたしました。来年が楽しみですね。私はこう見えてお酒の生成が得意なのです」
「エッ酒作れんですか? そういう仕事の人?」
「そういうわけではありませんが」
ルルさんは私の気持ちをほぐそうとしてか、闇の道中であれこれ話しかけてくれた。
世間話に紛れさせてさりげなく、かなりさりげなく私の歌声を聴いたか尋ねてみたけれど、どうやらルルさんはちょうど曲が途切れたときに私を見つけたらしく聴いていないらしい。それを聞いてかなり安心した私は心のつかえも取れ、彼の世界へと到着する頃にはかなりルルさんに対しての警戒心が薄れ、隙のないイケメン具合の欠点をいつか見つけてやろうと思えるほどの余裕が生まれていた。