ノリノリで歌いたいのにドア窓が気になってしまう11
そうやって連れて来られたのは、動物王国だった。
「……えっと……アニマルセラピー……? 的な?」
ピスクさんが開けてくれたドアの向こうで、黒い小動物がうろちょろしている。白くて広々とした部屋にはカーペットが敷かれ、ブランケットやクッションが転がっていて、その中で小動物がクッションを噛んで引っ張り回していたり、追いかけっこをしたり、仰向けになって寝ていたりしている。そしてたまに人も寝ている。
カーペットやソファで寝た人にブランケットを掛けて回っている女性は、白いエプロンドレス姿というのだろうか。髪も低めのお団子にしてバンダナのような布を巻いていた。ナースっぽいその人がこちらに気が付いて、ブランケットを抱えたまま歩いてくる。
おっとり顔の金髪碧眼エルフナース、一部の人に深く刺さる属性である。好き。
「救世主様ですね。大ばば様がお待ちです」
「個室を用意するように」
「調えていますよ」
にこやかに私たちを迎えたナースさんが、ルルさんにお姫様抱っこされたままの私の顔を覗き込んで微笑んだ。
「はじめまして、私はリルリスと申します。救世主様、お名前は?」
かわいい。好き。
「リオです……」
「リオさまですね。お辛いですか? すぐに楽になりますからね〜頑張りましょうね〜」
型通りの慰めだとわかっていても、その無限の包容力に「うんがんばる……」という気持ちにさせる優しさだった。甘えたいような頑張りたいような絶妙な匙加減である。萌え。
「どうぞこちらへ、あ、お付きの人はこちらでお待ちください」
ピスクさんは、黙って部屋に入ってすぐのところで直立した。鎧は着てないけど、ムキムキなので鎧の置物みたいである。見ていると、ピスクさんはそっと大きな手を振ってくれた。布団に巻かれているせいで振り返せないのが残念である。バイバイを念じていると、ルルさんに「リオ、落ちますよ」と注意されてしまった。
「大ばば様! 救世主様がいらっしゃいましたよ!!」
大きな部屋の隅にあったドアを通って狭い廊下を行った突き当たりの部屋は、ドアを開けるとすぐに布の暖簾のようなものがかけられていた。そこをくぐると、少し甘いようなお香の匂いが鼻に届く。低い小さなテーブルの上に四つ足の香炉が置かれていて、そこから細い煙がゆっくりと登っていた。
部屋はとても狭く、6畳もないくらい。テーブルとソファがあるのでぎゅうぎゅうだった。ただし、壁をくりぬいたベッドがある。片側だけカーテンを結んで開けてあるそこは私がいつも寝ているところより狭く、セミダブルくらいのサイズのようだ。クッションがいっぱい置かれている。
壁にはたっぷりとした布が付けられていて、天井にも同じように布が張られている。そのせいか、部屋はさらに小さく見えた。天井の四隅によく見る丸い灯りがあったけれど、点いているのは対角の2つだけだった。
小さめの2人掛けソファに座るのは、とても小柄なお婆さんである。お婆さんは見たところかなりお年を召した人のようで、目が開いているかどうかわかりにくいほど皺のある顔、曲がった背、筋張った手は僅かに震えている。その手が撫でているのは、さっきもいた黒い小動物だった。お婆さんの小さな膝の上に1匹、乗りそびれて頭だけ伸ばして撫でてもらっているのが1匹、お婆さんにくっついているのが見える限り3匹。
他にもソファの座面でくつろいでいるのや、お婆さんの足元を嗅いでいるのもいる。合計で20匹くらいがこの狭い空間でひしめいていた。
「あれが神獣バクです」
「へえ」
ルルさんがそっと私に教えてくれた。
小型犬くらいのサイズのバクは、黒いハリネズミっぽいシルエットで、でも毛は柔らかそうだった。体にはなぜか黒い羽がつんつん生えている。生えているのか、刺しているのかわからないけれども。
バクたちは思い思いに過ごしていた。よく見ると目がつぶらで、鼻先は濡れているらしい。小さいテーブルに乗ったバクがその濡れた鼻先で香炉をひっくり返したけれど、リルリスさんは怒ることなく香炉を起こして灰を集め、ポケットのタオルでバクの鼻先や足に付いた汚れを拭き取ってあげている。他のバクが、撫でて欲しそうにリルリスさんの足にじゃれついていた。
自由だな、神獣バク。
「大ばば様!! 救世主様!! リオさんって言うんですって!」
「ええ、ええ」
片付けをしたリルリスさんが、大ばば様と呼んだお婆さんの耳元で大きな声を出す。するとお婆さんが、プルプルしながら歯の少ない口を動かして小さい声で頷いた。なんだか、ちょっと目を離した隙に昇天されていても違和感がなさそうなお婆さんである。大丈夫なのか。私よりお婆さんが休んだほうがいいのでは。
簀巻きのまま心配していると、リルリスさんが私たちに手招きをした。促されて、ルルさんが大ばば様の前に屈んで私を見せるようにする。
お婆さんがあい、あいと言いながらしょぼしょぼと瞬きをして、それからぷるぷる手を伸ばした。リルリスさんがその動きを助けるように掛け布団を手でかき分け、私の手を引っ張り出してお婆さんに見せる。
皺々の手は、思っていたよりも温かかった。
「えぃ、ええ……」
「ヌーちゃん? そうだねー、ヌーちゃんがいいかもねー!」
よく聞こえない大ばば様の声も、リルリスさんには聞き取れるようだ。ぷるぷると頷いた大ばば様の背中を撫でてから、リルリスさんは顔を上げて部屋を見回した。
「ヌーちゃん、あ、いたいた。よいしょっ、と」
リルリスさんが、壁から垂れた布にしがみつきながら噛んでいるバクを抱き上げる。
もしかして、このバク全部に名前が付いていて、しかもそれを見分けられているのだろうか。すごい。
なすがままに抱き上げられたヌーちゃんと、駆け寄ってきて前足を上げたもう1匹をリルリスさんが片手で抱き上げる。それから、テーブルのフチでキュイッと鳴いたもう1匹、さっき香炉を倒していたやんちゃ坊主を抱えてリルリスさんが私たちに近付き、そのまま私の上に全部のバクを乗せた。やや重い。
「ヌーちゃんは優しくていい子だから大丈夫。よかったらこの子たちも連れて行ってあげてね〜」
「……え、何が?」
「そこ使っていいから。またお茶を運ぶわね」
「だから何が?」
私の体の上で大人しくなったバク3匹を見てニコニコ頷いたリルリスさんは、そのまままた大声で大ばば様を促した。よろよろ歩く大ばば様を介助しながらそのまま部屋を出て、扉も閉めてしまう。残されたのは私とルルさんと、私の上に乗るバク3匹と、大ばば様たちについていかずにくつろいでいるバク5匹ほどだ。
「ルルさん、何この状況」
「こういった治療は初めてですか?」
「初めても何もわからないくらいに初めて」
ルルさんはすべて心得ているようで、いつもの微笑みで頷いていた。いや頷かれても。癒されろってか? この黒い小動物と戯れることによって心労を減らせってか?
戸惑う私を抱えて、ルルさんがベッドへと腰掛けた。私を寝かせるのではなく、ヘッドボードへと腰掛けるようにして私を膝に乗せている。片足はベッドに乗せているので、靴を履いたままなのが気になる。日本人ですから。
「おや、リオは人気者ですね」
ルルさんが床に下ろしていた脚をあげると、そこにバクが1匹しがみついている。そのバクは上げられた脚を伝って登り、私の上に登ってきた。手足には小さい爪がついているようだ。わりと重い。
「これどうするの?」
「どうも。リオはどうぞお眠りください。神獣バクが癒してくれますから」
「え……なに? どゆこと?」
「力を抜いて、すぐに眠くなりますよ」
こんなに乗っかられた状態で寝れるか、というか本当にどういうことなの。
と思っていた私の意識は、バクのヌーちゃんが私の布団の中に潜り込んできた瞬間にすこーんと眠りに落ちた。




