ルルさんの苦悩
「ひんやり! すごい!」
特注だという夏用シーツを触って、私はその気持ちよさに感動した。
真っ白なシーツは少し光沢があり、すべすべしていて触るとひんやりする。夏になるとお店に売っていたひんやりシーツと似た感触のそれは、夏の暑い夜にぴったりな触感だ。
「ルルさんほら見て! 触って! これすごいひんやり!」
「お気に召しましたか?」
「うん。この世界にもこういうのがあるって知らなかった。注文してくれてありがとうルルさん」
しゃらしゃらと小さく音が鳴るシーツを抱きしめながら言うと、ルルさんはにっこりと笑ってそれを受け取った。
「早速洗って乾かしましょう。この日差しなら夜までに間に合うでしょうから」
「そうだね! ニャニ! 洗濯板して!」
立てかけていた大桶がガコーンと音を立てる。勢いよく出てきたニャニが頭に大桶を被せたまま、ゆっくりと片手を上げた。
中央神殿は大きくて石でできた建物だったので、窓のない部屋にいると暑さとはほとんど無縁だった。石の壁をくり抜いたようなベッドはひんやりしているので、上等なおふとんでぬくぬく寝るとちょうどいいくらいだったのである。
しかし、街に下りると事情は変わる。いくら高級取りかつ貯金数百年というルルさんが建てたマイホームでも、ほどほどの広さの一軒家だとやっぱり暑さは侵入してくるのだ。風通しを重視したせいもあって夕暮れ時なんかは心地いいけれど、風のない夜はやっぱり暑い。
けれどそこはルルさん。寝苦しい夜を見越して某地方名産のひんやり素材でシーツ一式を仕立てるよう注文していたのだった。さすがルルさん。気遣いナンバーワン騎士。ルルさんがいればカギのかけ忘れもランプの消し忘れも買いそびれもまったく心配ない。
「ちょっとニャニ、これ新品シーツだからさ……なんか高いっぽいし……ちょっと背中はチクチクすぎだから……そうそう。うん顔怖いから口閉じて」
泡風呂となった大桶で仰向けになったニャニのお腹を使い、新しいシーツを洗う。
まだ朝の早い時間だけど、もう夜が楽しみだった。
「……今日も気持ちよく寝れたー!!」
朝。
ひんやりしたシーツで気持ちよく目が覚めるのがもはや習慣と化してきた。
伸びをして、またシーツにダイブしてみる。ああひんやり。ヌーちゃんも気に入ったようで、今日も私の枕の下でうつ伏せ大の字になってフコフコ寝ていた。枕カバーもひんやりなので、上下ひんやりが気持ちいいらしい。
「ルルさんおはよう! このシーツほんとに気持ちいいね」
「それはよかった」
隣に寝ているルルさんに話しかけると、にっこり笑顔が返ってきた。ちなみにルルさんは私が起きる前に一度起きて朝ごはんの下準備をしている。2ヶ月に1回くらいの低頻度で私が先に起きるけれど、今日はそのラッキーデーではなかったようだ。
「ルルさんも気持ちよく寝れた?」
「はい」
「……なんかハイって顔じゃなくない? 大丈夫? なんかあった?」
ルルさんのにっこりが心なしかぎこちない気がして問いかけると、ルルさんが少し視線を伏せた。
「いえ、リオが心地よく過ごせていて何よりです」
「えっどうしたの? ルルさんこのシーツ気持ちよくない? ひんやり感足りない? むしろ冷えすぎてるとか?」
ルルさんは騎士をしているだけあって、あちこちに筋肉がモリモリだし体幹もヤバい。筋肉量が多いと体温が上がるとか聞いたことがあるし、腹筋5回でプルプルする私とは暑さの基準が違うのかもしれない。
心配して訊くと、ルルさんは「そういうわけではありませんが」と呟いた。
「ただ……」
「ただ? 何? 言ってよルルさん。私たち夫婦じゃん。悩みがあるなら一緒に考えようよ」
私が手を握ると、ルルさんがギュッと握り返してきた。その手はあったかいので少なくとも冷え過ぎたということはなさそうだ。
しばらく迷っていたルルさんは、深刻そうな顔で打ち明けた。
「実は、ここ数日リオを抱きしめられないのが苦しくて」
「……ハイ?」
私が眉を寄せると、ヌーちゃんがキッと文句を言ってから枕の下へと潜っていった。
「あのー、私昨日もルルさんに抱きしめられまくってるんですけど。暑いくらいに」
「昼間はそうですが、夜に……寝ているときに抱きしめられないのです」
「ハイィ?」
ルルさんいわく。
「この寝具を初めて使った夜、リオが気持ちよさそうに眠ったので私も安心して眠りに就こうとしました。しかししばらくするとリオは眉を寄せて唸り始めました。それで」
「それで?」
「寝言で暑いと言いながら、私を拒絶し両手で押しやったのです」
「……」
「そしてひとり寝具に包まるとまたすやすやと」
「…………」
未曾有の苦しみみたいな顔してるルルさんには申し訳ないんだけど。
そんな顔して話す内容だろうか、これ。
「あー、うん。えーっとルルさん?」
「寝具が気持ちいいのかリオはとても幸せそうな顔で眠っているのですが……その幸せそうなリオを抱きしめると途端に苦しそうな顔になってしまうのです」
「寝苦しそうな顔ね」
「私はあなたの幸せを奪うことしかできないのかと」
「奪ってるのはひんやり感だね。ルルさん体温高いから」
自らの幸せと私の幸せを天秤にかけた結果、ルルさんはルルさんなのでもちろん私の幸せを優先してくれた。しかしそれはそれでつらい、ということらしい。
何言ってんだこの人、とちょっと思ったのは許していただきたい。
「えー、うーん、なんかごめんねルルさん。私が何も知らずぐーすか寝てる間にそんな葛藤を抱えていただなんて」
「いえ、リオが幸せになることは嬉しいのです。ただ私を拒絶するのが悲しくて」
「ルルさんを拒絶してたわけじゃないから。寝苦しさに対してノーだっただけだから」
ルルさん、普段はめちゃくちゃデキる人なのに、たまにものすごいことを言う。
とりあえずルルさんをハグしながら私はそう思った。
「じゃあ、寝る前にぎゅっとしとくことにしない? ちょっと私は寝てる間の行動については責任持てないからさ。あと涼しく寝るとめちゃくちゃ気持ちいいし」
「ぜひそうしてください。昼間も」
「昼間は昼間で暑いからねえ……あ、じゃあ神殿で寝ようよ。そしたら肌寒いからくっついても寝れるし」
「いえふたりきりがいいので神殿はちょっと」
「わがままだ!」
「リオは神殿でも寝ているときは寝具を蹴りがちですし」
「わがままなのは寝てる私だった!」
どうやら私は就寝中、人よりちょっと暑がりなようだ。
「えーと、じゃあ週1くらいでぎゅっとしながら寝てもいいよ。ただし押しやるかもしれないけど」
「嬉しいですが、嫌がられるのを見るのも心苦しいですね……」
どっちやねん。私が心の中でツッコミを入れるのと同時に、ベッドの下からのそのそと出てきたニャニがニタリと笑う。
長引く夏の暑さとともに、ルルさんの葛藤はまだまだ続きそうだ。




