真夏の夜の夢19
「ルルさん、神殿行こう!」
「今日もですか?」
ここのところ毎日繰り返されている質問に、私はまた頷いた。
「だって子バクちゃんが日に日に大きくなってるんだよ。見逃したら悔やんでも悔やみ切れないよ! なんだったら泊まりで観察したいくら」
「ダメですよ」
「いえ夜はウチで寝ます」
ルルさん微笑みが般若を背負いそうだったので私は素早く前言撤回した。
神殿で前に私が使っていた部屋は今でも泊まれるようになっているし、何度か泊まったこともある。だけどルルさんが厳しい目をしたのは、子バクちゃんたちが特定の部屋に住み着いているからだ。
親子バクが住居として選んだ部屋。それがルイドーくんの部屋だからである。
「お前また来たのかよ」
「ルイドーくんおはよー。ちゃんとお土産持ってきたから」
「フィアルルーさまをモノ扱いすんな!」
ルルさんの背中を押してハイどうぞと差し出すと、ルイドーくんがムキッと怒った。でもあの怒り顔は作った表情だ。その証拠に怒り顔は2秒で消えてニコニコ顔に変わり、嬉しそうにルルさんに話しかけている。
「リオ、あなたの夫を土産物にしないでください」
「ごめんルルさん。子バクちゃんを見てる間だけのレンタルだから。代わりにお風呂掃除するから!」
「フィアルルー様お手合わせ願います!!」
私とルイドーくんによる左右からの懇願で、ルルさんは仕方ないと頷いてくれた。ルルさんが相手をしてくれるとわかって、ルイドーくんは上機嫌で子バクとのふれあいを許してくれた。
素早く部屋に戻ったルイドーくんは剣と大きなカゴを持って戻ってきた。鍛錬用の中庭が見える位置の小部屋に入り、カゴをそっと置く。それから私にポケットに入っていた袋を手渡した。
「ほらよ」
「ありがとう!」
「リオ、窓から見える位置にいてください」
「はーい。がんばってねー」
見送りもそこそこに、私はカゴの中を覗き込んだ。もぞもぞ動いていた小さな黒いふわふわが、私に気付いてチーチーと鳴き声をあげる。最初に比べると、子バクたちの鳴き声も力強くなった。
「子バクちゃんたちー、かわいいねえ」
指を近付けると、まだ歯のない口でムイムイとかじりついてくるのがとてもかわいい。黒くてうるうるな目が開いた子バクたちは、私のことをエサ係として覚えてくれたようだ。
ルイドーくんから貰った袋に入っていたのは、薄くて軽いクッキーだ。割れているけれど、その割れたごく小さい粉が子バクちゃんの離乳食にピッタリなのである。袋の中の欠片に指を押し付けて取ると、チーチーと鳴きながら子バクたちが指に手を伸ばす。食べやすいように指を下げてあげると、顔を突き合わせるようにしてクッキーの粉を食べるのだ。
かわいい。かわいいしかない。
親バクものそっと起きてきて、私にキ、と鳴く。お子さんを触らせてくれる寛大なお母さんには、持参したフコを献上することになっている。薄切りで乾かしたものがお気に入りのようで、あぐっと欲張って頬張るのでハムスターみたいになっている。
親子バクのごはん風景を眺めていると、袖のあたりがモゾモゾしてヌーちゃんが顔を出した。
「ヌーちゃんも食べる?」
セミドライフコをチラつかせると、ヌーちゃんがフンフンと鼻先を近付ける。すると親バクが近寄ってきて、フコを持っていない方の手でヌーちゃんの顔をぐいーと押しのけた。まだ頬張ったままの口で私の手からフコを奪う。私がもう一枚フコを出すとさらに無理をして頬張り、カゴに敷いてある布の下に隠しに行った。なんとしてもヌーちゃんに渡したくないようだ。
食い意地、張ってるなあ。
ヌーちゃんはそれほどお腹が空いていなかったようで、子バク用のクッキーをちょっと齧ったあと、私の指をムイムイ舐めている子バクたちをベロベロと舐め始めた。舐める圧が強すぎてたまに子バクが転んでいる。どの子バクも均等に舐めるように、あちこち動いてはせっせと可愛がっている姿は、いつものお昼寝姿からは想像できないほど甲斐甲斐しい。
「……この子バクちゃんたちの父親ってヌーちゃんなの?」
産んだのはもちろん、いつも一緒にいる親バクだろう。バクは哺乳動物だったようで、子バクがお腹のあたりをチムチム吸っているのを見たから間違いない。
しかし、ママがいるならパパもいるはずなわけで。
「ヌーちゃんが見つけて助けたし、ここに来るときはいつも出てきて可愛がってるし……ヌーちゃん、この子がお嫁さんなの?」
ポテチと昼寝と水浴びだけをこよなく愛している神獣だと思っていたら、いつの間にかいいお相手を見つけていた(かもしれない)とは。
どこで知り合ったの、何がキッカケだったのと尋ねてみても、ヌーちゃんはおやつがないかフンフン鼻を動かすばかりだ。
「ヌーちゃんも一緒に暮らしてるのかな」
「それは違います……」
「うわっ!!」
ヌッと入ってきたのはジュシスカさんだ。ゆらりと音もなく現れたので幽霊かと思った。夏だしそういうの怖いからやめてほしい。私の叫び声にルルさんが声を掛けてきたので、大丈夫と返事をしておいた。
「ジュシスカさんなんでそんな隅っこに立ってるの?」
「世話をしたいのですが……あまり近付くと親バクが噛み付くようになってしまいまして……」
「えぇ……」
ジュシスカさんの手にはお手製らしい小さいブラシが握られていた。ブラッシングしたそうにジュシスカさんが一歩を踏み出すと、親バクがカーと口を開ける。
ジュシスカさんはルイドーくんと同じく神殿暮らし。何かにつけて顔を出していたら、親御さんから「ジャマ」と怒られるようになったらしい。ジュシスカさんが愛のあまりお世話をしすぎたようだ。ドンマイ。
「えーと、なんだっけ」
「子バクのところへ顔を出すバクは、ヌーちゃん以外にもいます。むしろ頻度でいうとヌーちゃんは少ない方です」
「あ、そうなんだ。他のバクも見に来てるんだね」
「はい。親バクが怒るので一度に1匹ずつですが」
「めっちゃ舐めるもんね」
やたらと世話を焼こうとするジュシスカさんを追い払い、やたらと舐めようとするバクたちを追い払い。親バクも大変だ。
「じゃあ、子バクたちのパパはヌーちゃんじゃないの? 施療院のバク?」
「わかりにくいながらも統計を取ってみました。1番訪問頻度が高いバクが父親ではないかと仮説を立てたのですが」
「が?」
「同率1位が4匹いまして」
「多い」
「さらに施療院で聞いてみると、どうもバクの繁殖については不明なことだらけらしく、父親がいない可能性もあるとか」
「謎も多い」
単性生殖してる説、父親は複数いる説、そもそも産んでない説とか色々あるそうだ。神獣だけあって、謎に満ち満ちている。
訪問してこないバクも、目の前に子バクがいたらやっぱりベロベロ舐めるらしい。子バクはみんなの子バクとして愛されているようだ。
ヌーちゃんがパパなのかパパじゃないのか、それはヌーちゃんのみぞ知るようだ。
「……ということらしいよ!」
「なるほど。バクは成体同士も仲がいいですからね」
夜、スープを作りながらルルさんに「ヌーちゃんパパかもしれないけどわからない説」を話すと、ルルさんは野菜炒めを作りながら頷いた。当のヌーちゃんはテーブルの上で料理を待ち侘びている。
「ヌーちゃんもオスとかメスとかわかってないんだって」
「ヌーちゃんが子を産めばうちで育てることになりそうですね」
「うん……なるかな? ルイドーくんのとこに行きそうな気がする」
当初は施療院でお世話するという話だったのだけれども、ルイドーくんが部屋に帰ろうとすると子バクをくっつけたままの親バクが歩いてついてきたのだそうだ。そしてベッドによじ登り、我が物顔でくつろいだらしい。死ぬほど羨ましい……けど、親バクもルイドーくんのテキパキお世話を見て決断したのだろう。
ヌーちゃんにもし子供ができても、同じことになりそうな気がする。
「リオ? 私も世話をするのには慣れていますよ」
「そういえばそうだね」
「ルイドーのような赤ん坊はもちろん、馬から小鳥からひと通りは世話してきましたから」
「頼もしいねえ」
スープを器に入れてテーブルへと運ぶ。ヌーちゃん用に冷めやすい小皿を用意していると、ルルさんがにっこり微笑んだ。
「リオ、いつ家族が増えても大丈夫ですよ」
「…………そうだねえ……」
ルルさんの笑顔がニッコニコすぎて、子バクの話のはずなのにそうじゃないような気がしてしまったのは私の勘繰りすぎだろうか。
なんか照れたのでそっと視線を逸らすと、テーブルの下でニャニがお腹を床に付けたり離したりと謎の上下運動をしていた。
ニャニにはあとで落書きしまくることにした。




