雨に唄えば2
「ニャニ、ほら行くよ」
ニャニが右の前足を上げる。
「救世主リオ様、大神官の話では、神獣ニャニの御身体を持ち上げて運ぶということが可能だというのですが……本当でしょうか」
「うん。私は持ったことないけど、よく邪魔なとこにいるニャニはルルさんとか神殿騎士の人たちに運ばれてるよ。そんなに重くないみたい」
ね、と見上げると、ルルさんははいと頷いた。そして神官に「普通の動物よりはやや軽い」と教えている。普通の動物でもこのサイズを持ち上げたことがない私にはよくわからない話だ。普通のワニとニャニを並べたら、ニャニの方が軽いらしい。ダバダバ走ってるせいだろうか。
「もし、もし許されるならば、僭越ながら私がその役目を賜りたいのですが」
「どうぞ……って私が言うのもおかしいけど。大体大人しく運ばれてるし、ビタビタ暴れててもしっかり持ってたら大丈夫」
「暴れている神獣ニャニに無理強いをするわけにはいきません!」
中央神殿でピスクさんに抱えられながらビタビタ動いているニャニは特に珍しくはない光景だということを教えたら、この神官、めっちゃビックリしそう。膝をついて視線を下げうやうやしくニャニに話しかけている神官の男性を眺めつつ私はそう思った。
エルフが住むこの大陸では、一般的に神殿といえば神に祈りを捧げる施設のことだ。しかしこのニャニを祀る神殿では神は祀らず、ひたすらにニャニを祀っている。つまりニャニはここでは現人神というか、現ワニ神なのである。
中央神殿や街でだってニャニは大事にされているけれど、ちょっと神聖なマスコットキャラ的な扱いだ。気軽に挨拶されているし、おやつをあげたりしているし、稀に撫でている人もいる。
しかしこのニャルラトテフ神殿では、ニャニの姿を見た神官は平伏したり拝んだりし始める。廊下を歩くにもニャニファースト。お供えは全てニャニに捧げられ、ニャニが食べなかったものを神官がありがたくいただき、ニャニを讃え、そしてニャニのために祈りを捧げるのだ。マニアックな世界である。
「神獣ニャニ、どうか御身を運ばせてください!」
腕を伸ばした土下座みたいな状態で、神官の男性が頭を下げて動かなくなった。
ニャニを運ぶときのコツというか方法は、普通に胴体の下に腕を入れて持ち上げる、それだけである。ニャニが自ら運ばれにくることはないので、この状態だといつまでも運べないような。
「……ニャニ、ほら、乗ってあげて」
ニャニが上げていた右前足を下ろす。
「ほら。あとでタムタムしてあげるから」
ニャニが左前足を上げる。そして下ろす。次にまた右手を上げてまた下ろし、順番に四肢を動かしてのたのたと動き始めた。前足で神官の腕をぎゅむっと踏みながらも、両腕の上に乗っかるように移動する。
上半身を伏せていた神官の男性は、腕を前に出したまま恐る恐る顔を上げ、そしてゆっくりと起き上がった。
「おお……!! 神獣ニャニが我が手に!」
ニタァ……と口を開けるニャニを間近で見た神官の男性は、感激したように目を潤ませている。私だったら恐怖で目を潤ませる状況だ。信仰の力ってすごい。
感動しながらもゆっくり歩き出した彼の後ろを、私とルルさんはついていくことにした。雨で暇なので、崇め讃えられるニャニの見物だって立派なイベントになるのだ。
私たちがお邪魔しているのは神殿参拝客の宿泊施設みたいなところで、屋根付きの渡り廊下を渡ってそのまま神殿へと移動することができる。
ザバザバと降り続く雨に両側を挟まれつつ、ニャニ・オン・ザ・神官と私とルルさんはしっとりした空気の中を歩いた。湿度が高いのでお肌がしっとりするのは嬉しい。
「救世主リオ様……この度は我らが神殿へおいでくださり、本当にありがとうございます」
「いえいえ」
「神官トーディカ、リオは救世主の役目を終え、普通に暮らしている身です。救世主と呼ぶのは控えていただきたい」
私はちょっと前まで、救世主サマと呼ばれてちやほやされていた。実際に神様とコンタクトを取って荒れていたこの世界を元の状態に戻したので救世主といえば救世主だけど、やったことといえば貸切カラオケで歌いまくるというむしろ私にメリットしかないことだけである。なので現役? の頃から救世主サマと呼ばれるのはちょっと居心地悪かったし、この世界がほぼ元通りになった今は救世主業務もしていない。いやちょっとはしてるけれど、ただ純粋に楽しみたいからカラオケしているだけだ。
ルルさんは長い付き合いなのでその辺のことをよくわかっていてくれて、こういう改まった態度をしてくる人に対してはやんわり注意してくれるのだ。私本人から言うと「いえいえそんなわけには」とか言われることも多いので、ルルさんがフォローしてくれると助かる。
ここへ来たときの挨拶から「救世主様」と呼ばれていたので、そろそろ訂正しとこうと思ってくれたらしい。
神官の男性は軽くこちらを振り向いたあと、また前を向いてニャニを運びながらやや苦悩した声を出した。
「それは申し訳ありませんでした……しかし、我らが神殿では、ここのところ神獣ニャニの姿を見ることがなく……長らく神獣ニャニを拝見できなかった我々にとって、神獣ニャニを自由に従えることができるリオ様は類稀なるお方。今回こちらへ神獣ニャニをお連れいただき神官一同がニャニを長く眺められているのもリオ様のおかげと考えると、我々にとってリオ様は救世主であるという気持ちが強く」
「あーそっかーそっちかー。そっちの意味での救世主かー。それは初めてだなー」
救世主は救世主でも、(このいろんな大陸を含む)世界を救ったという意味ではなかった。(ニャニを愛する我々の)世界を救ったとかそんな意味だった。そんなピンポイントな意味で救世主呼びされた経験はなかった。
「でも私、別にニャニは従えてないのでその辺は誤解のないようにしていただけると」
「いえ、救世主リオ様にニャニが付き従っているという話は随分前からこの地にも伝わっておりましたので」
「それこんな遠くまで届けるにはいらない情報すぎない? 大丈夫? 私の好物とか睡眠時間とかも噂で広まってたりする?」
ゴシップ誌的な感じで色々な情報が広まってたらどうしようと悩んだら、ルルさんが私の肩をポンと叩いた。
「リオ、ニャニとリオの仲については、あちこちで目撃されているので広まったのでしょう。好物については市場の人々は知っているかもしれませんが、リオの睡眠時間は私だけの秘密ですよ」
「いや中央神殿で暮らしてたし神殿の人たちも知ってるんじゃ」
「いえ、その頃とは生活が変わっていますから。今のリオの生活は、私だけが知る秘密です」
「そ……そうですか」
にっこり微笑まれたので、とりあえず頷いておいた。
家の中でぐーたらしていたり、ぼーっとしてて家具に足の指をぶつけてたりしている情報はルルさんが封印してくれているらしい。よかった。
ルルさんと手を繋ぐと、前を歩いている神官の男性がくすりと笑った音がした。
「お二方はとても仲が良いのですね」
「新婚ですから」
「結婚してからもうだいぶ経ったけどね」
「まだまだ新婚のうちですよ」
「そうかな」
へへへと笑い合っていると、神官の男性がこちらを振り向く。捧げ持っているニャニもこちらを向いてニタァした。
「誰もが恐れる『神殿の剣』として大陸を越えて名を馳せたフィアルルー様も、これほどお優しい方だったとは。結婚とはとても素敵なものなのですね」
「……ルルさん……昔何やってたの?」
「特に変なことはしていませんが、旅をしていたせいでしょうか」
めちゃくちゃ強くて怖そうな二つ名を付けられていたとは。
普通に旅をするだけでは名を馳せるとか無理だろうし、やっぱりルルさんは昔ブイブイいわせてたタイプなのかもしれない。
私はこの旅行から帰ったら放浪中のルルさん情報について聞き込みすることにした。




