雨に唄えば1
「雨だねえ……」
「そうですね」
「ずっと、雨だねえ……」
「そうですね」
もうここから出入りできるんじゃないか、って思うサイズの窓の前に並び、私とルルさんは窓を眺めた。
雨である。
豪雨である。
雨音がなんかもはやドザーとかそういう連続音になっているこの大雨は、私たちがこの街に到着するくらいから降り始め、そして3日目の今も降り続いている。
「こんなに降って大丈夫なの?」
「この時期の雨としてはそう珍しくありませんよ。なんといっても水の都というくらいですから」
この街の名前はキピルトー。エルフの古代語で「あふれる水」という意味があるそうだ。ずーっと昔から雨が多い地方だというのが伝わってくるド直球なネーミングである。少し離れた場所ににめちゃくちゃでかい湖があるらしく、年間を通して雨が多い。なかでも雨季と呼ばれる今の時期は、晴れの日のほうが珍しいくらいなんだそうだ。
それでもキピルトーは歴史ある土地で、寿命と気の長いエルフがコツコツと快適に暮らせるように土地を整備してきた。
街にある道は細長くて硬い石を並べて作られていて、隙間から排水できるようになっている。排水のための溝は道の両端にあるのはもちろん、一定間隔で道を横切るように大きな溝があって、そこに石の蓋がされているのが日本の側溝に似ていた。
しかし大雨が降るとその排水設備だけでは間に合わないことがあるらしく、その溝が溢れても大丈夫なように、建物はその道路よりさらに階段5段分くらい石を敷いた上に建てられていた。だからこの街の建物はみんなちょっと高い位置にある。
湿度も高いから、木材で家を建てたらすぐダメになる。だから床も柱も屋根も、ついでにベッドの土台まで石造り。そのかわり、風通しのために開けた窓に垂らすスダレやジャバラ状に畳めるドア、食材を保管するカゴなんかは細い植物を編んだもので作られていて涼しげだ。そうやって編まれたものにカラフルなペイントがされていることが多いのは、最低でも3年に1度は取り替えるかららしい。家の基礎の色が変えられないから、こういうところで模様替えをしているのだろう。
「やはり少し蒸しますね。風が吹いてくれるといいんですが」
「この雨で風吹いたら部屋がビッチャビチャになると思うよ」
「そういうときに雨除けを立てるんですよ。ほら、家の外に立てかけてたでしょう?」
「あのデッカい屏風か……」
お邪魔している建物の外に、アヴァンギャルドな抽象画が描かれた大きな屏風があった。風向きによってそれを窓の前に立てて雨を防ぐようだ。でもアレが窓の外からずっと見えていると、なんか落ち着かない気がする。
まだ真夏という時期ではないけれど、キピルトーは大陸でも南部にあるのでちょっと気温が高い。
でも家全体が大理石みたいな石で作られているおかげで暑いというほどではなかった。特に床がひんやりした石なのが気持ちいい。神殿で暮らしていたときのように裸足でぺたぺた歩いていると、それだけで涼しくなるのだ。
ずっと同じ場所に立っていると床がぬるくなるので、まめに位置をずらすとなお涼しい。
私はぺたりとルルさんから一歩離れる。そして視界の端に青いものを見つけて、さらに一歩後ろに下がった。
私が踏んでいた床を、たむと青い前足が踏む。
「ニャニ、なんか濡れてない? 外出てたの?」
踏みしめた床を見つめるように数秒止まっていた青いワニが、ずるりとこちらを振り向きながら頭を持ち上げた。ニタァと開いた口から鋭利な牙が覗き見えて猟奇的である。
挨拶をするようにまた前足を上げたニャニは、ズリズリと移動してその前足を私の足の甲に乗せようと企む。私が足を引くと、5本の爪があるその青い前足がまたたむと床を踏みしめた。
「ニャニは水が好きですから、これくらいの雨はいい天気に感じるのかもしれません」
「あー、だからここに神殿が建てられたのかな」
「そうかもしれませんね」
私たちがこのキピルトーへと旅行にやってきたのは、ただ夏のバカンスを楽しみにきただけではなかった。
ここキピルトーにはニャニを祀る神殿があり、そしてその神殿の大神官たちがわざわざ中央神殿に使者としてやってきたのである。そして私たちが呼び出され、行ってみるとなんか偉い感じのおじいさん神官一行に土下座された。
「どうか神獣ニャニを伴い我らが神殿へお越しいただきたい」と。
旅費支給、宿泊食事付き、観光無料。
どこか旅行行こうかと話していたところだった私とルルさんにとって、好条件のお誘いだった。
「先ほど祈りの音が聞こえていましたから、ニャニラトテフ神殿へ行っていたのかもしれません」
「ニャニラリルレ……」
「ニャニラトテフ、ですよ」
めちゃくちゃ噛みやすい、かつ、なんか地球でそんな感じの神様がいたようないないようなそんな感じの名前の神殿だ。エジプトっぽい気がする。
そのニャニナントカ神殿は、ちょうどこの建物の隣に建っている。そしてちょうど今頃、いつもそこから神官がこっちにやってくるのだ。
「救世主リオ様、フィアルルー様、いらっしゃいますでしょうか」
「はーい」
噂をすれば。
ドアのジャバラを開けると、白くゆったりした布を纏った若い神官の男性が深々と頭を下げた。
ニャニが片手を上げると、感激したように表情を変えて「神獣ニャニよ……」と呟き、そしてさらに深々と頭を下げる。
「リオ様、どうぞ神獣ニャニを神殿へお導きくださいますようお願いいたします……」
「わかりましたー」
どうやらニャニは神殿に遊びに行ってなかったようだ。ルルさんに目配せすると、同じことを思ったらしいルルさんが微笑んだ。
その辺に出てくるニャニを1日1回、ニャニを祀る神殿へ連れていくこと。
至れり尽くせりな旅行の中、唯一頼まれた仕事がこれである。




