ノリノリで歌いたいのにドア窓が気になってしまう4
広い寝室に入って右手側にあるテーブルは、普段お風呂上がりの一杯(お茶)を飲む場所である。そこへ座るように促したあと、ルルさんは一旦部屋を出てお盆を持って戻ってきた。
青色のお茶は黒っぽい花びらを抽出したもので、スッキリとした味わいをしている。お茶請けに黒糖のような甘くて固い塊が付いている。それを少しだけ齧ってからお茶を飲み、私はルルさんの言葉を待った。
私の視線を受けて、ルルさんがカップを置く。
「神殿内で騒いだ者がいたため、安全を確保するために予定を変更しました。申し訳ありません」
「別に謝らなくてもいいんだけど、なんで暴れてたの? 酔っ払い?」
「いえ、そういった類では……」
ルルさんは少し考えるように迷ってから、私を見つめる。
「これは話すべきか、迷ったのですが」
「話しちゃいなよ」
「ええ、知らなければ警戒もできませんから。……実は、人間の中にリオをここから連れ出そうと企んでいる集団がいるようです」
「なにそれこわい」
「申し訳ありません、怯えさせたいわけではないのですが」
「いやごめん、そんなに怖くはないから。どっちかというとびっくりしたというか何というか」
ルルさんが思いのほか真面目に気遣ってきたので逆に私が申し訳ない気持ちになってしまった。連れ出すも何も、私は昨日まで毎日ほぼルルさんとしか会話しないという引きこもり具合だったので実感が湧かないのだ。
「以前、はじめにリオを喚び出そうとしたのが人間だと言いましたね」
「うん」
「それを実行したのが人間の国、正確にいうとシーリースという国です」
「国が色々あるんだ」
「ええ、人間は数が多いので……、シーリースは中でも最も大きな国です」
土地が広いので、昔はいっぱい国があったらしい。そこをシーリースという国が征服していって、人間がいる場所の半分くらいはシーリースという王国なのだそうだ。その他にシーリースの半分くらいのサイズで、新ヘキ国というのがあるらしい。他は民族単位で暮らしている小さい国がいくつかあるような状態だとルルさんが解説してくれた。
「エルフの国も他にあるの?」
「いえ、我々は全土を含めてひとつの国としています。一族としてまとまって暮らす者もいますが、基本的には敵対したり土地を征服しようとはしません。教えに反しますので」
「エルフの人たちってえらいですよねえ……」
地球の歴史を鑑みてもまあ人間の土地争いはあるあるな状況だけれど、エルフの人々がめっちゃまともなせいでかなり修行不足に感じてしまう。なんかごめんなさい。
「で、シーリースの人たちが、私を人間の国へ持っていこうとしていると」
「そうです。シーリースは我々の土地に最も近い国のひとつですから、リオが来る前はこちらへの侵略も試みていました」
「そうなの?」
「こちら側の方がまだ災いに蝕まれていませんでしたから」
日照りなどでの不作により飢饉に陥ったシーリースの人々は、周囲に侵略することによって食べ物を得ようとしていたらしい。気持ちはわからんでもないけど、戦争するくらいなら話し合いした方が消費カロリーが低いと思う。
「ってことは、今もここと争ってるの? 戦争中?」
「残念ながら、国境の街では今でも襲われることがあるようです」
「えっ、それヤバくない? 私ここでのんびりしてる場合じゃなくない?」
未だに襲ってくるということは、シーリースはまだまだ食べ物や水が足りてないのだろう。伝達の都合上、神様の力はこの奥神殿を中心に広がっていっているので、まだその辺りには十分に力が行き届いていないのかもしれない。
「落ち着いてください、リオが心配するほど危険な状態ではありません。生身で国境を越えることは容易ではありませんし、こちらは襲撃に十分備えていますから」
「国と国の間に川でも流れてるとか?」
「いいえ。そういえば、この世界についてのことをあまり話していませんでしたね」
ルルさんが立ち上がり、壁際の棚から物をとって戻ってくる。巻かれた紙とペンとインクだった。そんなとこに文房具が。住んでる私より物の所在に詳しいなルルさん。
丸まっていた紙を広げたルルさんは、一辺をインクのボトルで抑え、対角を左手で抑えた。そしてペンで紙に大きく十字を描く。
「大まかな図ですが、こうやって区切ると、ここがエルフの国です。我々はただ国と呼んでいますが、他の国からはマキルカと呼ばれています」
マキルカというのは、エルフのとても古い言葉で「豊かな場所」という意味らしい。
ルルさんはそう言ってペン先で十字に区切ったうちの一箇所、ルルさんから見て左下の部分を指した。その中のほぼ中心に位置するのが、この中央神殿のあるランキルカという街なのだそうだ。
それからルルさんのペンはその隣、右下へと移る。
「ここが人間が住む国。シーリースはこの境目に接し、膨らんだような形をしています。反対に、マキルカとこちら側で接しているのが獣の民の国」
ルルさんは右下のエリアにいびつな楕円形を書き込んでから、ペンをインクに浸けて左上へと移動させた。しかしペン先はとんとんと左上のエリアを叩いただけで、何かを書き込む様子はない。
「獣の民は、ほとんど他の国との交流を持ちません。他国の者が訪れても追い出しはしませんが、土地に住み着くことは拒んでいますね。独自の信仰があり、それに従って暮らしています」
「獣の民ってどんなの?」
「言葉の通りです。人と獣を混ぜたような一族ですね」
猫耳か。猫耳なのか。俄然異世界事情が楽しくなってきたぞ。
しかし残念ながら、獣の民は外国に行くことがほとんどないとのことだった。ルルさんも旅の途中で少し寄ったときに見かけたくらいで、この国で獣の民を見たことはないらしい。まことに残念。
「そして、獣の民の土地と人間の土地それぞれと隣り合っているのが、暗き森の土地です。ここは非常に危険な土地で、我々エルフ、人間、獣の民のどれもが生きていくに適さない場所です。ここへ渡って生きて戻った者はほとんどいません」
「へえ」
「そしてこれら4つの場所を区切っているのが深く広い大地の裂け目です」
ものすごく幅のある、底の見えない亀裂が国境に走っているらしい。人間の土地とエルフの土地の間には大きな橋がいくつか掛けられているものの、丸2日ほど歩かなくてはいけないほど長い橋なのだそうだ。想像しただけで怖い。夜寝相が悪くて落ちたらどうするのそれ。
亀裂は吹き上げる風が強く、実際に渡っている途中で落ちて死んだりすることもあるらしく、亀裂を渡る人はそんなに多くはないそうだ。そうだよね。怖いもん。
「ですから、襲撃といっても備えていれば対処できるほどのものです」
「そっか……そうだね。橋しか使えないんだったら待ち伏せできるもんね」
もし大軍が橋を渡ってきたとしても、いざとなればこっち側の橋を焼くとか落とすとかすると全滅させられるわけだ。切羽詰まっているとはいえ、よくそんな位置にある国を攻めようと思ったなあ。
「はい。ですから、基本的に人間の国が脅威になることはありません」
「じゃあ安心だね」
それにしても。
私はルルさんの描いた世界地図を見下ろしながら思った。
この世界作った神様、大雑把すぎない?
4等分て。わかりやすくてとても助かるけれども4等分て。




