大体お店出てから歌いたい曲を思い出す10
今日は朝から騒がしい。
「リオ、今日は食べ終わって少し休憩をしたらまず体を清め、それから三姉妹が着替えを手伝いに来ます。長老への挨拶が終わってから儀式に移りますが……リオ?」
地味に焦っている私に気付いて、ルルさんが背中を撫でながら顔を覗き込んできた。たむたむを狙ってニャニが近付いてきているのが視界の端に見える。
「ルルさん……」
「ええ、どうかしましたか?」
「なんか……早くない?」
青い目が瞬く。
そう。なんか早かった。この一年間。
「リオ、まだ実感がないのですか?」
「う、うん……」
「今日もう酒を交わすというのに?」
「う、うん……」
どんだけぼーっとしてたんだって話である。
いや、準備が進んでいたのはわかる。ルルさんが芸術家なレベルの酒精石を量産し、酒を仕込み、新居を探し、花嫁衣装や家具を手配し、招待客を考えつつシーリースの情勢まで様子見したりしていたのはなんか覚えている。
でもなんか、「式の日取りが決まりました」と告げられたときから今日まであっという間過ぎた。
「どうしようルルさん。何したらいいの?」
「儀式の手順は何度かおさらいしたでしょう? あれさえ覚えていれば大丈夫ですよ」
「覚え……てるかな。何か忘れてないかな。てかほんとに今日やるの? 早くない?」
「槍が降ろうと地が裂けようと今日やります」
「流石に槍が降ったら延期したほうがいいんじゃない?」
「やります」
ルルさんの四文字がいつになく力強い。
「でも……なんか……何もしてないし……」
「していましたよ。招待状の手配も新しい家具もリオが選んだでしょう?」
「そうだっけ……やったような気もする……夢?」
「緊張してるんですね、リオ」
ニャニにたむたむたむたむされると、いつもはなんかイラッときてひっくり返した後にタムタム仕返してからの落書きをしたくなるのに、今はどうでもいいレベルで気にならない。目の前のテーブルには私が半分食べたパンが置かれているけれど、どんな味だったか思い出せない。なにこれ。夢?
「う」
「う?」
「歌いたい……」
「いいですよ」
「エッ?!」
今日はなんだかんだ忙しいみたいなことを言っていたのに、ルルさんは私の呟きにアッサリ頷いてしまった。そして「今から行きましょうか」とか言いつつ、まだほとんど食べてない朝食の中から簡単につまめるものを布に包んでカゴに入れていた。
「ルルさん、いいの?」
「はい。リオが心を落ち着かせるのに、きっと歌いたいと言うだろうと思って予定を組みましたから。ここ数日特にぼうっとしていたので、そろそろ衝動的に言い出すんじゃないかと」
私の思考をしっかり把握しているルルさんに促されて部屋を出る。扉前で護衛をしてくれているピスクさんは、何も言わずピシッと礼をしてくれた。それから片手を上げつつ通り過ぎようとしたニャニをすかさずキャッチしてくれる。お礼を言いながら通り過ぎて、私とルルさんは奥神殿へ向かった。
「なんか……実感なくてね」
「そのようですね」
「いや頭ではわかってるんだけどね……嫌なわけじゃないんだよ」
「わかっていますよ」
「なんかどうしたらいいかわかんなくてね」
日々流されるままに今日まで来たせいだろうか。急性のマリッジブルーのようである。土壇場すぎて自分でもどうかと思うし、ルルさんにも迷惑をかけているようで申し訳なくなってきた。
渡り廊下を歩きながら手を繋いでいるルルさんを見上げると、青い目が細められてこちらを見ているのに気付いた。いつも通りの微笑みである。
「歌い足りないなら儀式を遅らせてもいいですし、終わった後でまた来ても構いませんよ。明日でも構いませんし」
「明日も? そんなことしていいの?」
「儀式があるからといって歌ってはいけない祈ってはいけないという決まりはありませんから」
今日、私は儀式をすると謎の仕組みで寿命が延びる。ルルさんと寿命をシェアすることになるので、ルルさんは縮むわけだけれども。魂を捧げ合うのである。
私が言うのもなんだけどそんなときにカラオケなんかしてていいのか。
悶々と悩みつつ奥神殿へ入り、階段を上って祈りの間へと到達した。ルルさんが持っていた朝食入りバスケットを持たされ、そっと頬を撫でられてからぎゅっと抱きしめられ、額に口付けされて送り出される。
中に入るとヌーちゃんが私の袖の中からスポーンと飛び出て、カラオケルームのソファを足場にテーブルへと到達する。ポテチを待ちかねてくるくると回っていた。
いつも通りの光景である。
私は棚からポテチを取り出してヌーちゃんにあげ、ソファに座り、立ち上がり、今来た道を戻って扉を開けた。
「なんかいつも通りすぎない?」
「え?」
秒で戻ってきた私にルルさんが首を傾げている。
「なんか……いつも通りすぎない?」
「リオ?」
「いつも通りでいいの? 今日儀式なのに」
言ってから、何言ってんだ私と混乱した。私の慌てっぷりとは正反対に、ルルさんは大地のように落ち着いている。
「いつも通りでかまいませんよ。今日は儀式をしてお祝いもしますが、移動が遅くなると困るので夜も神殿で眠りますし。家に移動するのは3日後くらいでもいいでしょうし」
「……もしかして明日もいつも通り?」
「もちろん」
そう頷いてから、ルルさんは近寄ってきて私を抱き寄せた。そして子供のように優しく頭を撫でてくる。
「儀式をしても、結婚をしても、いつも通りでいいんですよ。暮らしも少し変わるでしょうが、そうやって身構えるほどのことはありません。この一年もそうだったでしょう?」
そうだったっけ。そうだった気もする。
結婚が決まってから、今まではやっていなかったような予定も色々入っていた。ルルさんに頼まれてあれこれ手伝っていたけれど、私は基本カラオケしてご飯食べて暮らしていた。
これからもそんな感じでいいのだろうか。
「実際にやってみるとわかるでしょうが、儀式をしても特に体調や心境が大きく変わるようなことはないと言われていますから。リオが心配するほど怖いものではありません」
「そうかな」
「はい。何も変わりませんよ。ただ私と一緒にいる時間が長くなるだけです」
ルルさんに言われて、私はなんかビビっているのかもしれないと思った。
結婚だの儀式だのの実感が今更きたというか。
でもルルさんによると、そんなにビビるほどのことでもないようだ。
「ルルさんもいつも通り」
「そうですよ。リオもいつも通りですから」
「そっかー。なんか落ち着いた。さすがルルさん」
ぎゅーっと抱き着くと、ルルさんが背中を撫でた。
ルルさんは、ちゃんと「幸せにしたい」を有言実行していた。あれこれ準備した上に、私のメンタルケアもこなすとは大変な仕事である。
「落ち着きましたか」
「うん。でも1曲……3曲だけ歌ってきてもいい?」
ルルさんは微笑んで「もちろん」と頷いてくれた。




