ノリノリで歌いたいのにドア窓が気になってしまう3
階段を下りると、廊下が左右に伸びている。その左側の方を透視しているかのように眺めていたルルさんは、私を見下ろして微笑んだ。
「リオ。大変申し訳ないのですが、本日の予定は後日に改めさせていただけませんか?」
「え? 全部?」
「申し訳ありません」
階段の途中なのに深々と頭を下げられては選択肢はない。動物ふれあい祭りと昼間の贅沢風呂は今日どうしてもやらなければ死ぬような用事でもないし。
頷くとルルさんは持っていた私の右手を素早く額で触れ、それから私を促すように背中に手を回してUターンさせた。ニャニが一段下りようと左手を挙げたまま、私たちを見て動きを停止させた。なんでその瞬間で止まるのか謎。
「どうぞ一旦お部屋に」
「待って待ってワニいる! ワニが階段占領してるから!」
今下りてきたばかりの階段を上るように背中を優しく押されるけれど、その先に立ちはだかる青い大きなワニが見えていないのだろうか。ニャニはわずかに体を斜めにしながら、器用に階段を下りる私たちをストーキングしていたのである。
尻尾まで入れると2メートルはあるニャニはどっしり幅広で、胴体が私の肩幅くらいはある。そんな巨体が塞ぐ階段をどうやって上るというのか。
「まずこれどうにかするとか、別の階段使うとか」
「失礼」
「ニャニィ?!」
背中に添えられていたルルさんの手が胴体に巻きついたと思うと、ぐっと持ち上げられた。私が上体のバランスを崩してルルさんの肩にしがみついた間に、その勢いのままルルさんは固まっているニャニの脚や尻尾を踏まないように階段を上り始める。私の体はわずかに鼻先を上げているニャニを飛び越すように移動した。青い胴体を下に見て、思わず膝を曲げる。
「怖っ!!」
「歩けますか?」
ルルさんは階段が折り返す踊り場で私をそっと下ろした。こやつ、いきなり人間一人を持ち上げて階段登っておいて息を少しも乱しておらぬ……。むしろ私が何故か息切れしている。しかしルルさんは私を立たせてなお先を促していた。仕方ないので靴を鳴らしながら今きたルート戻る。振り向くと、ニャニがまだ固まっていた。
「ルルさん、なんでいきなり中止にしたの? 何かあったの?」
歩きながら訊くと、ルルさんは目を瞬かせた。
「リオには聞こえませんでしたか?」
「え、何が」
「いえ、それなら良かった。ここではなんですから、部屋でご説明いたします」
ルルさんには何が聞こえていたの。まさかこの神殿に住み着く伝説の怨霊が廊下の先で日本刀を振り回していたとかじゃないだろうな。いや日本刀はないか。
階段を上りきり、廊下を部屋に向かって歩く。この辺はほとんど部屋がなく、白い廊下が続いているだけだ。殺風景だからか、たまに配置されているタペストリーの柄もなんとなく覚えてきた。
「フィアルルー!」
見慣れたドアをルルさんが開けようとしたとき、今歩いてきた廊下の先から男の人の声が聞こえてきた。安定感があってやたらと張った声に振り向くと、向こうから大柄な男の人が2人大股で歩いてきている。服装がルルさんと似ていた。
「リオ、先に中へ。まだ奥へは行かずに、入ってすぐの椅子に座っていてください」
「え、うん」
その2人がこっちに来る前に、私はほいっと中に入れられてドアが閉められた。しっかりしたドア越しにさっきの大声が近付いてきたのがわかったけれど、内容はあまり聞き取れない。
私は盗み聞きを諦めて椅子に座っておくことにした。
私の部屋は二重構造になっていて、廊下からドアを開けるとまずこの小さめの部屋に入る。小さめといっても8畳は越しているだろうか。左右両側の壁には布が掛けられていて、右側にはその手前に花瓶の飾ってある小さい棚っぽいものと、長椅子というかカウチソファというか、そんな感じの椅子が置かれている。
入ってきたドアがある壁と向かい側にもうひとつドアがあって、その先が私の寝室へと繋がっていた。いつもこの部屋は大体スルーしているので、この椅子に座るのは初めてだった。意外とフカフカ。
座って、向かいの壁一面に掛けられているタペストリーを眺める。落ち着いた臙脂っぽい色をメインに、白色で大きな円形の模様のような呪文のようなものが編み込まれている。魔法陣とか、曼荼羅とかそんな感じの雰囲気だけれど、細かいそれが絵なのか文字なのかわからなかった。私は謎の力でこの世界の文字を読めるので、ただの模様なのかもしれない。
立ち上がって振り返った壁に掛かっているタペストリーは紺色に白。同じような丸い絵柄が付いているけれど、まったく同じ模様ではないようだ。そっくりな模様のところもあるけれど、よく見ると違う部分もある。
暇つぶしがてらタペストリーで間違い探しをしていると、カウチソファの下からヌッと青いのが出てきた。
「うわニャニ!!」
私が飛びのくと、ニャニがノタノタ歩いて出てくる。そのゆっくりした動作を見張りつつ壁沿いに動いて、尻尾まで姿を現したニャニの隙をついて私はカウチソファに飛び乗った。靴を脱いで足まで座面に上げておく。食べられたらイヤだし。
「いつのまに……手品……?」
ニャニの体は、カウチソファに潜り込むと尻尾やら手足やらがはみ出すサイズだ。そしてさっき階段で置いてきたのに、先回りしていたというのは考えづらい。この奥の寝室は行き止まりで窓もないし。
これが好きな場所に現れるという神獣パワーなのか。怖い。いつか夜中に寝室に現れるとかそういう暴挙に出ませんように。そうなったら奥神殿で引きこもるしかない。
部屋の真ん中に出てきたニャニは、そのまま動きを止めた。微妙に片手片足を上げた歩き途中みたいなポーズが気になる。
じっとしているけれど、目だけがキロキロと動いていた。横方向に瞬きして、じっと私を見ている。怖っ。
「…………」
私がガマガエルだったら、油がいっぱい採れてそう。靴とヒザを抱え込んでニャニの挙動を見張っていると、アハ体験レベルのゆっくりさでニャニが動きはじめた。
こっちを向こうとしている。
「……こ、これ以上近付いたらあの、あれだから。怒るからね。本当に。マジで。やめてくださいお願いします」
一歩を踏み出そうと上げられた脚がビタッと止まった。ニャニって、やっぱり言葉がわかっているのだろうか。見た目完全にワニなのに。
睨み合い、というか一方的に睨まれている状態で硬直していると、ドアが開いてようやくルルさんが入ってきた。私たちの様子を見ておやと微笑む。
「神獣ニャニ、リオをお守りくださっていたのですね」
「違うよルルさん、そいつが脅かしてたんだよ」
「今日は花石が入ったと聞いています。厨房で召し上がっては?」
膝をついたルルさんが話しかけると、一時停止していたニャニが動き出した。近付いてきたのでカウチソファの上で立ち上がった私を近くで見上げてから、またその下へと入っていく。ズリズリお腹を引きずる音は、しばらくすると消えた。
「お待たせいたしました、リオ」
「う、うん」
無事危機から脱した私は、カウチに座り直して靴を履き直して立ち上がる。ルルさんはいつも通りの態度で、私を部屋の中へと案内した。




