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声出しは得意な音域で2

 事の始まりは3ヶ月くらい前に遡る。

 私はその時、軽く絶望していた。

 勤めていた会社が朝行くと跡形もなく消えていたからである。


 ヤバい会社だなというのは薄々わかっていた。

 高卒で事務として入ったはずなのに、明らかに事務じゃないことまでやらされる。受付や電話応対はもちろん、社員のスケジュール管理、営業のパシリ、社長のご機嫌伺いから空調の掃除まで。気付いたら月給16万円で14時間週6勤務がデフォになり、上司に怒鳴られたりしながらも転職する暇も元気もなく、そのうち記録でも取って労基署にぶっ込んでやるなどと思いつつその日も元気に出社したのである。


 会社が入っていたフロアががらんどうになっている。

 微妙に垢抜けないロゴの社名も、私の席も、社長室へのドアも何もない。

 文字通り何もなかった。


 とりあえず誰かに連絡を、と思っても、会社の連絡先は見た通り電話がないので通じない。社長の携帯に電話しても繋がらず、上司も電源を切っているようだった。何度電話しても通じない。


 会社は消えてもいいけれど、この状態だと未払いのお給料も消えたのでは。


 今時社長のこだわりで手渡しだった給料は、なぜかじわじわと渡す日にちがズレていた。もともと説明された給料日で計算すると、現在およそ2ヶ月分を貰っていない。

 2ヶ月分の無駄働き。流石にそろそろ支払われる頃だと思っていたけれど、一円も貰えなければ家賃の支払いが怪しくなってくる。


「……歌うしかない」


 歌うしかない。

 人生には、そんなときがある。

 そしてそれは間違いなく今だ。今以上の状況なんてむしろないくらいだ。


 とりあえず様々な懸案事項を吹き飛ばして、私は会社跡に背を向け、ビルから出て歩いた。繁華街の中にある見慣れたカラオケチェーン店へと飛び込む。


「ドリンクバー付きフリータイム、ひとりで」


 くたびれたスーツ姿の女が鬼気迫った様子でそう言っても、金髪の店員は何の反応もせずに機械を操作し、短いレシートを渡してきた。


 私の数少ない趣味がカラオケだった。

 ろくに時間が取れない中でも続けやすく、そして終電を逃したときに宿泊所がわりにも使える。特に道具もいらないし着替える必要もない。

 最近は疲れから休日は寝て過ごすことも多く、終電を逃しても漫喫で爆睡していてあまり来ていなかったけれど、今日は思いっきり歌える。


 フリータイム丸々使って歌いまくってやる。

 声が枯れるまで持ち歌をヘビロテしてやる。

 だれも私を止められるものはいない。


 そう思って飛び込んだ個室のドアの先がなぜか個室ではなくて、私は床を踏みしめることなく真っ暗闇に落っこちた。


 やばい。流石に死んだな。

 会社だけでなく、カラオケの部屋さえ消えているとは。

 これはもう「次はお前だ」状態だわ。私が消える番が来たようだわ。


 諦めの気持ちとは裏腹に、体はしっかりと鞄を握りしめ、落下の恐怖に叫んでいた。

 助けてとか死にたくないとか濁点多めで喚いていた気がする。


 気が付くと落下は終わり、私は上下左右もない暗闇の中で佇んでいた。


「えぇー……」


 確かに死にたくないと言ったのは私だ。

 だけどこんなに真っ暗のとこで何をすればいいというのか。ご飯もトイレもない状況で。


「いやいや……」


 気がついてみると、なんとなく足元に地面っぽいものはある。歩きやすさで惚れ込んだ黒パンプス(2代目)がしっかりと地面っぽい闇を踏みしめて、私は姿勢を保つことができるようになった。

 しかし見回しても闇。咳をしても闇。どうしようもない。肩にかかっている鞄すら見えないので、手探りでようやくスマホを掴んだ。光あれとスマホがやってくれたので鞄は見えるようになったけれど、相変わらず周囲は闇である。


「闇が深い」


 物理的な意味でこの言葉を呟く日が来るとは。

 スマホは当然のように圏外だったけれど、とりあえず操作は問題なくできた。

 アプリを立ち上げ、音量ボタンを最大にする。


「歌うしかない……」


 今度こそ、ベストオブ歌うしかない状況だと断言できる。

 会社が消えたとかもはやどうでもいいことに思えてきた。この闇の濃さに比べたら、あの会社のブラック度など薄い薄い。


 そんなわけで私はとりあえず歌った。

 体感的にはおよそ2時間ほど、歌いに歌った。


 そして一番最初に歌った曲をもう一回いっとくかと曲名を選んだところで、私は異世界人に保護されたのである。






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