時間余るかも〜とか言ってても最終的に歌い足りなくなる28
ニャニは顔が怖い。
何しろ青色をしたワニである。目も物騒だし、ギザギザのある鱗もなんか攻撃力たかそうだし、捕食者としての貫禄がある。
ニャニの口はもっと怖い。
尖った牙が並んでいる。しかも口が細長いだけに歯が多い。雑食のくせになんでそんなに獲物に噛み付くことに特化しているのか。逆に食べにくいのではないのか。
長い尻尾は筋肉質で振るとすごい力が出るし、なんか手の形も怖い。というか全身鱗というのが割と哺乳類にはキツい。
そんな怖さポテンシャルの高いニャニだけれど、しかしルルさんには少しも効かなかったようだった。
私が勢いよく閉めた寝室の引き戸、それは最後まで閉まる前になぜか勢いを止めた。3センチほどの隙間を残し、ビクともしなくなる。
戸の奥側を持って力を込めているのになぜ。
ふと見ると、上の方の隙間から指が生えていた。最初新手のキノコかと思った。
じわじわと隙間から入ってきた指が伸びて、それに合わせるようにじわじわと隙間が開いていく。
私は両手を戸の反対側に引っ掛け、腰を落として足で踏ん張り全力で戸を閉めにかかった。早く抜かないと指が挟まれてケガするレベルである。そのレベルのはずなのに、なぜか戸がピクリとも動かない。それどころか、なんの負荷も感じていないかのように戸はじりじり開いているではないか。
どう考えても、向こう側でじわじわ戸を開けにかかっているのはルルさんである。
ハチさんの手はこんなに白くないし、戸の隙間から窺うようなシャー……? というニャニの声が聞こえてきている。いや後ろから付いてきて威嚇する暇があったら最初からちゃんと堰き止めておいてほしかった。なんなら今からでもいい。ちょっとルルさんの足を咥えて引きずっていってくれないか。
そんな私の願いも虚しく隙間はもはや30センチほどに広がり、戸には指だけではなく手のひらが掛けられ、そして腕が見えてきた。
もはや閉じることは不可能。開かないようにしているのも無駄な抵抗といったところである。
私は現状を鑑みて、籠城作戦を諦めた。周囲を確認してから、ぐっと最後に戸に力を込めたのち、パッと戸から手を離してベッドの上に走る。負荷が消えた反動で、戸がスパーンと開いた音が背後に聞こえたけれど気にしてはいけない。靴も脱ぎ散らかしたまま、私は素早くブランケットを被った。土下座に割と近い格好もものともせず念じる。
私は石です。
ブランケット越しに、カラカラと今度は緩やかに閉じられていく戸の音が聞こえる。ニャニのシャー……が遠くなり、そして足音が近付いてきた。しっかりブランケットという殻を抱き込む私が鎮座するベッド、その足の方がゆっくり沈む。
殻の中で、自分の呼吸と心臓の音だけがやかましい。もはや何も言ってほしくない気持ちと何か言ってほしい気持ちとの区別がつかないような気持ちを抱えつつ、私は引き続きじっと身を固めていた。
そっと背中に重みがかかる。
ブランケットは厚みがない。頼りない殻はその向こうから回された腕の感覚をそのまま伝えてきた。ルルさんが土下座で篭る私を上体で覆うように抱きしめている。
なんであのタイミングでルルさんが帰ってきてしまったのか。というか、私はなんであんなことを口に出してしまったのか。というか、ハチさんは耳がいいのだからルルさんの帰りを教えてくれてもよかったのではないだろうか。というか、ニャニはもっと仕事して。
私が恥ずかしさゆえに心の中で全方位へ八つ当たりをしていると、回されていた腕がそっとブランケットを引っ張った。
これは私の最後の砦である。これと私とで石である。石は剥がしてはいけない。可哀想だから。
しっかりと握って剥がされることを拒否していると、引っ張る力はそれを無視しようとはしなかった。しばらくつんつんと引っ張っていた力は、私がブランケットと一心同体であるとわかるとそれもやめ、そっと頭の部分を撫でる。しばらく優しく撫でていた手は、もう一度私を覆うように抱きしめると、そっと離れていった。
ベッドを凹ませていた重みがなくなり、足音が離れていって、戸が開いて閉じられる音がする。まだシャー……? と鳴いていたニャニも、爪の音混じりの足音を立てながら遠ざかっていった。
部屋がしんと静まりかえる。
「…………」
しばらく待ってみても、再び戸が開かれる気配はない。
どうやら危機は去ったようだ。
恥ずかしさが収まるまでしばらく殻にこもった状態で私は引き続き石になっていた。しばらくじっとしていると、今度はホッとした気持ちの代わりに不安が顔を出す。
ルルさんへの気持ちを聞かれたのは恥ずかしかったけれど、私が知っている限り、ルルさんも割と、その、私のことがそのアレなわけで。
あの時も顔を赤くしていたわけで。
だから入ってきたときには、神殿仕込みの腕力でブランケットという名の石を剥がしてしまうと思ったのだけれども。
ルルさん、行ってしまったな。
そっとしておいてくれるつもりなのか。
それはそれでなんか寂しいと思ってしまい、我ながら身勝手さに呆れた。
いい加減息苦しかったので、ブランケットを被ったまま体を起こす。
ニャニでも呼んで偵察してもらうか、と思いながら顔を上げたら。
なぜか、本当になぜか、ベッドのそばに去ったはずのルルさんが立っていた。
「……?」
どゆこと???
人間、混乱すると動きが止まるものである。
私がポカンとしている間に、ルルさんはそれはそれは嬉しそうな顔で私を抱きしめた。




