時間余るかも〜とか言ってても最終的に歌い足りなくなる18
ハチさんの家の裏側には、洗濯物を干すためのちょっとしたスペースがある。許可をもらって私はその端っこにフコを植えた。
「よし。じゃあニャニ、ちょっと姿消しててくれる?」
ゆっくりとした動作で植えたところをポンポンと叩いていたニャニが、ピタリと片手を上げた状態で止まりジッと私を見た。
そのまま黙っていると、微妙に口を開けてしゃー……と小さく文句のようなものを言っている。
「いや怖いし……私が歌聞かれるの嫌いって知ってるでしょ。いや知らないか? 可能な限り人に聞かれたくないんだよね。ニャニは人じゃないけど、まあできたら家の中にいるとか、神獣パワーで姿消すとかやってほしいんだけど」
よく考えるとニャニには川原で歌を聞かれているのだけれど、あれは気付いていなかった。実際目の前にいる中で歌うのは、たとえワニだろうと気が引ける。
頼み込むと、ニャニは渋々といった様子で尻尾を引きずりながら家の方へと歩いていった。数歩に一回くらいの頻度でこっちを振り向くので、かなり長い間手を振って見送りをすることになってしまったけれど仕方ない。
他にも人気がないことを確認してから、私は両手で口に囲いを作り、ヒョロッとしたフコの木に話しかけるようにそっと歌いはじめた。
最初は童謡。子供たちが歌うことを前提にしている歌は大体メロディが歌いやすい。それから女性バラードをいくつか。久しぶりに歌うのでここは魂を揺さぶるロックにいきたいところだけれど、流石に誰か気付いてしまうと思うので大人しめな選曲に終始した。
夕方に近付いた晴れ空に、キラキラと雨が降る。
引っこ抜かれて根っこが切れ、川の流れにザブザブ洗われ、移動されて植えられた若いフコの木は、最初は少ししおれかけていたけれど歌うにつれて徐々に勢いを取り戻していった。
葉っぱがみずみずしく広がり、小さな新芽を出しながら成長し幹も太くなる。根っこが成長してわずかに土が盛り上がり、枝の先には花が咲いてそれが枯れ、そして実がなった。
明るい曲に合わせて、フコの実が大きくなる。鈴なりのそれがよく熟れたところで、私は歌うのをやめた。
マキルカでよく見るラグビーボール大まではいかなかったけれど、グレープフルーツくらいにはなったんじゃないだろうか。
やり遂げた気持ちで額をぬぐい、ふと後ろを振り向くと観客がいた。
「……!!!」
まだらの毛皮に水滴がキラキラ光っている。
アオ、アカ、ミドリそれぞれのスカーフを巻いた子ネコ三兄弟が、私のすぐ後ろに座って目を細め、グルグルと喉を鳴らしていた。
「い、いつの間に……あっニャニー!」
家の物陰から青い鼻先も見えている。怒ると俊敏に消えた。
じっと座っていた子ネコたちは、立ち上がってプルプルと体を震わせる。水滴を飛ばすと、ゴロゴロ喉を鳴らしながら私を囲むように3人で抱きついてきた。
「ラーラーよろこんでるねえ」
「ラーラーいいねえ」
「ラーラー!」
「いやあのね、私は歌を聞かれたくない病を患っていてね……ねえ聞いてる?」
子ネコたちはラーラーと口々に言いつつゴロゴロと喉を鳴らし、ピンクのお鼻で擦り寄ってぐりぐりと額の柔らかい毛皮で攻撃をしてきた。さらにプニプニの肉球をふにふにと当ててきて、私はもはや戦闘不能である。
「いや……うん……今日だけはもう……撫でさせてくれたら今日だけは気にしないことにするけども……!!」
「ラーラー」
「ラーラーねー」
「ラァーラァー」
いや違うんですよ。向こうが誘惑してきたんですよ。
私は擦り寄る子ネコたちを存分に撫でた。もう随分仲良しになっていたし、子ネコたちも嬉しそうだったし、いいよね。大丈夫だよね。
子ネコたちの喉を撫で、耳の間をなぞり、肉球をぷにぷにしながら気が付いた。
もしかしたら、ラーラーという響きは歌に関係しているのかもしれない。
少なくともこの世界を守る神様が交代してからは、歌や踊りによって神様の力をこの世界に伝えてきた。エルフの巫女たちも、私が知っている歌や踊りとはかなり違っていたけれど、伝統的にその手法を取ってきたのだ。
ここに神様を崇拝する風習はないけれど、この世界そのものが歌によって活性化されるということがどういう形かで伝わったのかもしれない。
なんだか民俗学っぽいな。
地球にいる頃は全然そういうの知らなかったけども、世界の仕組みが様々な形で暮らしに組み込まれているというのはなんだか面白いなと思った。
「あ、おおおかあさん」
「おおおかあさんー」
「ラーラー!」
「あっ?! お、大お母さん……!!」
のしのしと、しかし音を立てずに歩いてくるのは大きなネコの大お母さんである。
ヤバイ。お子さん撫で回したの怒られるかも。
殺られる覚悟でやってくるのを見守っていると、ネコの大お母さんは私の前で立ち止まり、すっと大きな籠を差し出した。それからフコの木をまるっとした猫の手で指す。
「あ、フコの実を収穫する用の……」
ツンと釣り上がった大きな目に促されているような気がして、私は熟れたフコの実を収穫していく。大お母さんが持ってくれている籠に次々とフコを入れて収穫を終えると、大お母さんは今度は私を指し、それからハチさんの家を指差した。
「えっと、私は帰っていいってことですか? あの、そのフコ、村長さんとこにいるルルさん……エルフに食べさせてあげたいんですけど……余ったら残りは皆さんで食べてください」
大お母さんは、ヒゲをそよがせながらこっくりと頷いた。
どうやら大お母さんがやってくれるらしい。
私がお礼を言うとグルグルと喉を鳴らした大お母さんは、その辺にいた子ネコたちを順番に持ち上げ、半分ほどまでフコの入った籠の中に順番に放り入れた。
「えっ」
アーと声を上げながら投げ入れられた子ネコたちは、大お母さんが背負った籠の中で体制を整えるとピョコっと並んで顔を出した。
ちょっと焦ったけどどうやらなんともないようでよかった。
「リーオー」
「またねー」
「ラーラー」
「またねー、おやすみー」
肉球に手を振り返して、ネコ親子を見送る。
今日も色々あった。ルルさんがフコを口に入れるところを見届けたい気持ちもあったけれど、昨日以上に体がヘトヘトだ。
ハチさんと一緒に夕食を準備して食べ終わると、私はすぐさま眠気に抗えなくなった。




