歌ってる途中でドリンクは勘弁してください8
細長く伸びた口に、時折はみ出ている三角形の歯。ちょんと上に乗った目はキロキロと動いてこっちを見つめている。でこぼこした鱗が尻尾まで続いている長い胴体、オマケのように付いている手足には爪もある。
「ワワワワワニー!!!!」
なーにが小石に注意だよ! もっと気を付けるべきものがこっちを睨んでるんですけど?!
異世界だけあってサファイアみたいにキレーな青色だな知りたくなかった! お目目は金色に縦長瞳孔でまるでタイガーアイですね! 死!!!
「ルルさん死ぬ!!」
「リオ?」
呑気に背を曲げて花を観察していたルルさんの手をひっ掴み、今来た道を爆走する。
なんて怖いところなんだ異世界。中庭でワニ飼うな!! よしんば飼うとしても書いとけ注意書き!!
「ワニィー!!」
「リオ、落ち着いて」
状況がわかっていないのか、ルルさんの走りがいまいち遅い。そもそも私短距離とか苦手だからほんと足引っ張るのだけはやめて。いざとなったら置いていくよ。
おそらく本気で走ったらルルさんの方が私より何倍も速いはずだ。足長いし。なので私は走りながら説明を試みる。
腕を引っ張りながら、ルルさんの方を向いて、今いた場所にワニがいたって。
「めっちゃ走ってるんですけどもー?!」
「リオ、前を向かないと転びます!」
ワニってあんな短い足なのにお腹浮かして歩けるんだね。異世界だけかな。
ワニってギャロップで軽快に走れるんだね。異世界だけだよね?
「こわッ!!」
必死に走る私とルルさんの後ろを、青いワニがどったんばったんしながら付いてきている。しかも結構速い。追いつかれそう。
「リオ、落ち着いて! 止まってください!」
「この状況で落ち着けるかー!」
どれだけ修行を積めば大きなワニに追いかけられた状態で平静を保てるのかむしろ教えてほしい。
中庭の端まで辿り着き、ルルさんを置いて私は等間隔で並んでいる柱の後ろに回り込む。柱は結構太いので、人ひとりくらいは隠れることができる。ルルさんは隣の柱を使ってくれ。できたらワニ退治してくれ。
息切れで苦しみつつ、見失ってくれたかとそっと柱から覗こうとした瞬間、私の足元に青い口先がぬっ……と生えた。
「頭いいなワニ!! ルルさん助けて!!」
柱を回ると、ワニもドタドタ歩いて付いてくる。なんでや。なんで私なんや。
ずっと私の後ろに張り付いてきているので、いくら柱の周りを走っても引き離せない。そして追いつかれそうで止まることもどこかへ走り出すこともできなくなった。
しかもこのワニ、尻尾が長いので回ってると私の前方に尻尾が残っている。尻尾踏みそうだし勢いつけるとワニを追い抜かしそうだし、もう詰んだ。
「ちょっ助け……ルルさんンンー!!」
柱周回を続けながら、ちょいちょい視界に入るルルさんに助けを求める。しかしルルさんはそのいつも腰に下げている剣を使うでもなくじっと見つめていた。見つめていたというか、こっちを見て笑っている。拳で口を隠して肩を震わせている。
「こらー! 助けてー!!」
「も、申し訳ありませんリオ。……神獣ニャニ、どうぞお止まりください。救世主様が怯えていらっしゃいます」
「うおっ」
ルルさんが両膝を突き、非常に丁寧な態度で話しかけるとワニはまるで話がわかるかのように走るのをやめた。片手片足を上げたままビタッと止まったので、周回で追い抜かしてしまった怖い。
「ルルさんー!!」
ようやく周回地獄から抜け出し、私は膝をついて座っているルルさんの背中にしがみつく。恐怖感からついしがみついてしまっただけであって、決して盾にしようと思ったわけではない。決して。
「リオ、どうぞ落ち着いてください。危険はありません」
「どう見てもあるでしょ! 見てあの牙!!」
なぜかワニが口を開けている。なぜそのヤバそうな歯列を見せつけようと思ったのか。そして口の中は意外にきれいなピンクだ。
「この生き物はニャニという神獣で、人を害することはありません」
「いや何じゃないでしょワニでしょ! どう見てもワニ!!」
「リオのいた世界にもニャニがいたんですか。それは良いことです」
落ち着き払ったルルさんの説明によると、この青ワニは動物ではなく神獣で、文字通り神様が遣わせた生き物なのだそうだ。非常に強い力を持ち、好みの場所へと現れて、奇跡を呼ぶといわれているらしい。奇跡の前にレスキュー隊を呼びたい。
「ニャニは神獣の中でも非常に賢いといわれ、人語も解すようでこの神殿でも人と上手く共存しています」
「いや今見てた? 私めっちゃハンティングされそうだったんだけども?」
ルルさんはこのワニならぬニャニに親しみを抱いているらしく、アーとギザギザの並ぶ口を開けたままゆったり歩いているその背を撫でている。コミュ強か。
「どうやら神獣ニャニはリオのことをお気に召しているようですね。今までも何度か部屋の前まで来ていたのですが、今日面と向かって会えたことが余程嬉しかったのでしょう」
「何いま聞き捨てならないことあったんですけど?」
知りたくなかった事実。私がグースカ寝てるところに、何度かこの青ワニが訪問したことがあるらしい。その度にルルさんが丁寧に帰るように促してくれていたようだ。そんな怖い状況に出くわしてたら速攻ここから脱出してたな。
「なに怖い私もう奥神殿で暮らす」
「ぜひおやめくださいますように。ニャニは本来、あらゆる場所に出ることができますが、遠慮して部屋の外に出ている辺りとても気を遣っておられるのだと思いますよ」
「それ気遣いじゃなくて一般常識だから! あと逃げ場ないとか無理やっぱ奥神殿に住みたい」
「やめてくださいリオ。ほらニャニはとても大人しい神獣ですよ」
どれだけ大人しかろうが実は乙女が中に入っていようがワニはワニ。怖い。
「ほらリオ、撫でてほしそうですよ」
「…………」
先程とは違い、ニャニは非常にスローペースでこちらへとにじり寄ってくる。お腹もズリズリと引きずっていた。青い体に2つ乗った目がじっとこっちを見てる気がする。
私はルルさんの後ろに隠れながらそれをじっと見つめ返した。
「……いや、無理!!」
ルルさんの背中を離脱し、しがみつき先を柱へと変える。
いくらルルさんに言われようとも怖いものは怖いし、地球上で植え付けられたイメージはなくならない。私が走って距離をとったためか、ニャニは動きを止めてゆっくりと瞬きをした。縦長の瞳孔がじっとこっちに向いている。
「神獣ニャニ、申し訳ありません。リオはあなたが恐ろしいようです。どうか彼女を怯えさせないでくださいませんか」
ルルさんが丁寧にお願いすると、しばらく固まったように動かなかったニャニが、ゆっくりと短い手足を動かして体をくねらせ、ズリズリと音を立てながらUターンした。そして一旦こちらを見るように止まったあと、中庭の茂みの中へとまた帰っていく。
「もうお帰りになりましたよ。中庭からも気配が消えています」
ルルさんが立ち上がって私の方に近寄り、そっと手を差し出した。しばらく迷ってから、私は柱にしがみついていた手をそこに乗せる。
ニャニが消えた茂みを眺める。尻尾を引きずって帰った後ろ姿が、ちょっと可哀想とも思えなくもなかったかもしれない。
「誰にでも苦手なものはあるというものです。神獣ニャニもお気持ちを汲んでくださるでしょう」
「うん……」
せめて猫とか犬とかだったらな。もしくは、分厚い水槽越しだったら何とか近付けたかもしれない。
ここで暮らしていたら、そのうちあの青いワニのビジュアルにも慣れる日が来るのだろうか。そういう日が来たらいい、かもしれない。
と思った数時間後、食事中のテーブルの下から生えてきた青い鼻先に絶叫した私はすかさずその気持ちを撤回したのだった。
ワニ放し飼い反対。断固反対。




