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霙小路物語  作者: K-RYO
前篇 夜想曲
2/8



 乾と歩く帰り道。

「学校なんてつまんないし、まさに義務教育だよね」

 中学生の人権なんてこの国では一人前に扱わないし守ってもくれない。だから教師や親に代表される汚い大人に対しては、とりあえずでも逆らってみたり反抗的な態度をとるのが私たち青少年に与えられた一種の任務だという。くだらない。大人だから反抗するなんて青臭い話だ。だって、大人でも子供でも人間には変わりないじゃない。まして、大人でも子供でもない思春期の私たちなのだ。大人だけが汚いなんて絵空に描いた綺麗事。大人だけじゃなくて子供も汚れているじゃない。気づいてないとは誰にも言わせない。

「そうでしょ?」

 でも、乾は私の言葉に同意を示そうとはしない。いつものことだ。そんな態度にはすっかり慣れっこの私だから、いつものようにむきになったふりをして乾の真意を促そうとする。そうすると、乾は面倒くさそうに言葉を繋げる。

「誰だって綺麗な部分と醜い箇所がごちゃ混ぜになんだ」

 そんなものをいちいちゴミみたいに丁寧に分別していたら、それだけで人生の大半を消費してしまう。ミックスジュースの中身をバラバラにして元の原材料に戻すなんて無理な話だろう。

「だから、どうだっていいじゃんか」

 それが乾の言い分。

 傍目には頭がよさそうにも見えるけれど、本当は根拠の一つもない馬鹿丸出しな机上の空論に過ぎないのだ。乾は聖人でも天才でもなんでもない。私と同じ、ただの中学生なのだ。本当は何も知らないくせに、それでもいいから世界を傍観しようとしているだけ。だけど乾の言葉には不思議な説得力が満ちていることは確かだ。本当に馬鹿なだけの私など感心するより他にない一言を口にする。

 だって乾は言葉の魔術師だから。

 ただの言葉を歌に変えてしまう、特別な力を持っているから。

 そう、乾はよく歌を唄う。特に巧いわけではないけれど、下手ではないから黙って聴いていられる。カラオケに行って憶えたての最新曲を歌うのはもちろん、自分で作った歌も唄う。一切の楽器を扱えないからと、鼻歌に毛の生えた程度の歌だけど。

 でも、それは乾にしか唄えないとても素敵な歌なのだ。


 乾と歩く帰り道。私は乾の背が伸びたことにふと気づく。

 今まで、私は自分がクラスの誰よりも身長が高いものだと思っていた。女の子よりも、男の子よりも。私は幼い頃から身長だけは高かった。小学生の間も、中学生になっても、列の一番後が定位置だったのだ。時には身長の高さが原因でクラスメイトに揶揄されることもあった。無神経な奴らにデカ女呼ばわりされ、それをコンプレックスに感じていた時期もある。子供は残酷だから。人が本気で傷つく姿を見ると楽しくて仕方なくなるのだ。

 コンプレックスが解消されたのは、ファッション雑誌を彩る女性モデルに憧れた時だ。彼女たちは皆、私よりももっと背が高い。その利点を生かしたスタイルで様々な衣装に身を包み、自分と着ている服の両方を美しく見せている。

「まさしく長所だもんな」

 乾はそう言って笑っていた。そうだ。これは長所なのだ。周りのずんぐりむっくりな女の子に比べれば、私の背の高さは短所ではない。

 そんな私の身長よりも、乾は少しだけ高くなっていた。

 教室を見渡すと、何人かの男の子たちが同じように背が伸びていた。

 それは、なんだかとても不思議な気分だった。


 乾と歩く帰り道。寄り道をするのはいつもの公園。ブランコと滑り台と朽ちかけたベンチがあるだけの小さな小さな公園。

 私たちが暮らすのは霙小路から北に外れた白井と呼ばれる地区だった。そこは田塚市の中心部であることに間違いないけれど、繁華街とは一線を画した下町だ。つまり、住宅が密集しているだけでこれといった特徴もない。寄り道するにも活気のない市場があるだけで、他にはこれといって何もない。

 だからというわけでもないが、私たちはいつものように隣り合ったブランコに座っていた。漕ぐでもなく、止まっているでもなく、自然と揺れながら座っていた。何か思いついたら口にして、それが下らなかったらまた次の話題を思いつくまで口を噤む。通りがかった人が見れば思春期のカップルの面映い姿に見えるかもしれない。でも、実際は違う。私たちにそんな色気めいたものなど欠片もない。

「そういや最近は見ないけど」

 乾が口を開く。

「俺らが小学生だった頃、この辺にうーうー唸って杖ついてる浮浪者いなかったっけ?」

 確かにいた。私も思い出す。

 その男性は名前も年齢も存在意義も不詳で、彼は私たちの小学校の校区内が主な生息地だったらしく、他の地域での目撃情報はなかった。盲目なのだろう白く濁りきった目で世界と向き合って、いつだってぼろぼろの袈裟めいた服を着て、体から異臭を放ち、杖をついてはよたよたと歩いていた。たまに道端に座ってあんぱんを齧っていたこともある。そういえば、寒くなると分厚いカーペットのようなコートも着ていたはずだ。

「最近見ないよね」

 いつから見なくなったのだろう?

 昔は、クラスの悪がきが彼によく悪戯をしていたものだ。縁日で買った火薬玉を投げつけたり、臭いだとか気味が悪いだとかと揶揄したり。そのたびに、彼は手にしていた杖を武器に変えて、がーがーと怒りの声をあげながら追い掛け回していた。

 でも、中学生になってから見た憶えはない。

 噂によると、彼はこの地区に古くから続く裕福な家庭の跡取り息子だったらしい。それが或る日、不幸にも家が火災に遭って焼け落ちてしまう。難を逃れて生き残った彼は、崩れ落ちる家の中で焼け死んでいく弟の姿を見て気が狂ってしまったそうだ。

 噂が本当ならばとても可哀想な人だった。

「最近見ないよね」


 乾と歩く帰り道。毎日のように繰り返す、二人だけの時間。

 だからといって、私たちは他に友達がいないわけではない。学校にいる時はそれぞれが別々のクラスメイトとじゃれあっている。いじめっ子といじめられっ子は日替わりに変わっていくから、特定の誰かを孤立させるほど酷くもない。不良も不登校児もいるにはいるけれど、私は彼らが嫌いではない。教師や学校のシステムには不満を感じることがあっても、我慢ができないほど悪くもない。たぶん、恵まれているのだろうと思う。それでも下校するこの時間だけは二人きりになる。他のクラスメイトたちは誰も一緒に帰ろうとは言わない。自然と私が乾を誘い、乾が私の誘いを拒むことなく一緒に帰路につく。家に帰ってしまえば、それぞれが別々の友達と出かけるにしてもだ。

 乾は、私が少し踵の高い靴を履いても届かない身長になっていた。隣に寄り添うと、自然に見上げられる角度に乾の顔が存在する。だからなのかもしれない。私たちはお似合いのカップルだとよくからかわれる。そのたびに素直に拒めない自分に気づく。私は乾が好きだったから。特別な感情を抜きにしてもそれは事実だから。

 だけど私たち二人の共通認識はいつだって親友に過ぎない。

 別に付き合っているわけではないのだ。


 乾と歩く帰り道。本当のところ、乾は私をどう思っているのだろう。

 不安に思ったところで、そんなことが聞けるはずもない。逆に乾から同じ質問をされたら間違いなく答えに窮するだろう。むずがゆくももどかしい感情を抱きながら、私たちの関係は変わらずに続いていた。

 高校受験が目前になっても、隔週ぐらいのペースでお互いの家を行き来する。勉強もキスもセックスも、年頃の私たちがするようなことなんて何もしない。二人きりになれば乾が作った歌を思う存分に聴くだけ。乾にそんな才能があることは二人だけの秘密だ。互いの両親もパパラッチも知らない、私たちだけのトップシークレット。

 中学生になるまでは普通のクラスメイトに過ぎなかった私たちが親密になったのも、きっかけは乾の歌だった。

 人付き合いが悪いわけでもないのに、乾は時々、教室の中で一人きりになっていることがあった。休み時間なのにトイレに行くわけでも運動場で遊ぶわけでもなく、自分の机でおとなしく座っていたり、窓の珊に寄りかかって外の景色を眺めていたり。そうやって自分だけの空間を作るのだ。そんな乾の行動を、不思議なことに私以外の誰も気づいていなかった。クラスの誰に聞いてみても、へえそうなんだと言うばかり。昔から乾はクラスの中でも目立つ方ではなかったし、教室でひっそりと佇むことはごく自然な光景だったのだろう。誰の目にも止まらぬように、決して目立たぬように。乾の作戦は見事にはまっていた。クラスの皆は乾の作った見えない煙幕に騙され、乾がどんな人間なのかと興味を抱くことすらできなかった。

 けれど、私は違う。乾に興味を抱いた。一人きりの空間で乾が何をしているのかが気になって仕方なかった。できるだけ自然を装って近づいてみると、乾は何かを呟いていた。呟きは歌だった。聴こえるか聴こえないかぎりぎりの音量で乾は歌を唄っていた。

「何の歌なの?」

 話しかけると乾は面食らった顔で私を見た。

「何でもないよ。つまんないこと気にする奴だなあ」

 この会話をきっかけに、私と乾の距離は急速に縮まった。それまでもずっと変な奴だとは思っていたけれど、言葉を交わせば交わすほど、乾はもっと変な奴だとわかった。

 お互い様かもしれないけどね。


 乾と歩く帰り道。高校に進学しても変わらずに続いていた。

「クラスの奴にバンドに誘われたんだ」

 飲み会の時に、酒の勢いでぺらぺら喋っちゃったんだ。自分で歌を作るとかね。俺って馬鹿だよなあ。でも、断ろうと思ってる。誰かと一緒にやりたいわけじゃないし、人前で自分の歌を披露するなんて御免だし、そいつ凄くつまんない奴だから。つまんない奴と組むのは疲れるし、疲れることに興味はないし、興味のないことに首を突っ込むのは愚の骨頂だもんな。はあ、やだやだ。

「誰なの、そのつまんない奴って?」

 同じ高校に進学したものの、私たちは別々のクラスに編入された。お互いに知らない世界が広がったことで、二人の関係は少しずつではあったけれど、変化していた。知らない人と言葉を交わす乾の姿に違和感を覚える、そんな私がどこかにいた。

「森瀬って奴。知ってる?」

 やっぱり私の知らない人だった。


 乾と歩く帰り道。今日で最後の帰り道。

 季節は夏。じりじりと肌に照りつける太陽と蝉の声。川沿いの道には、とても沢山の桜の木が植わっている。春には爛漫と咲く花。今は緑色の葉を謳歌するだけ。冬を迎える頃には、きっと枯れ果てて寒々しい枝を露出するのだろう。

「つまんないから」

 私は乾に学校を辞める理由を告げた。

 昼休みに出した退学届けは明日にでも受理されてそれでおしまい。両親にもまだ伝えていない。誰にも相談せずに決めたことだから。もちろん乾にも。乾と言葉を交わすのは何日ぶりのことだろうか。久しぶりの会話がこれでは申し訳ないとも思ったけれど、仕方がない。乾ならわかってくれるだろう。

「そっか。それじゃあ仕方ないよな」

 でも、乾は辞めないと言った。今学校を辞めても他にすることがないからと。

「そっか」

 今度は私が寂しくなった。乾なら同調してくれると思っていたのに、どうやら違うみたいだ。

「川合がいなくなるんだったら、バンドでも組もうかな」

 そう言って意地悪く微笑む。

「いいね、それ。ライブが決まったら絶対に観に行くからね」

 葉桜が風に靡いた。

「まだ組んでもいねえっての」

 太陽の光よりも温かく、乾は笑顔を見せてくれた。

 


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