14話 蟲籠の回廊
地平で大樹の枝先に撫でられるように浮かぶ満ちた月が、夜闇に揺れる二つの影を細く長く引き伸ばしていた。
仕組みの狂った時計のようだ、とふと思う。
それぞれ干し草用のピッチフォークを逆さに持ち、中央の打ち込んだ杭に結んだロープで距離を測りながら、黙々と地面に正確な陣を描いていく。
夜露で湿りつつあるベンチに腰掛けながら、背中から抱きついているコノコ、両脇のリビィとニッキーの体温で俺の体は少しばかり汗ばんでいた。
「二人とも〜、ちょっと休憩しな〜い?」
沈黙を破ったのは母さんだった。
家の裏口ドアが開くとほぼ同時、ちょっとした料理と菓子を載せた皿を片手に、二つの影に向かって大きく手を振る。
「ジョカ姉」
「ふむ、ありがたいの。キリのいいところでご相伴にあずかるとしよう」
小声で話す二人の声も、夜はここまで聞こえるほどよく響く。
「綺麗な月ねぇ、今夜はお外でお酒飲もうかしら」
反省会以来、母さんはことあるごとにお酒が飲めないかとちらちら小突いてくるようになった。ただし、一人飲みはしたがらない。ジョカ姉に期待しているのだろう。
「お母さん、夜更かしする?」
「僕たち早起き?」
「はやおきー?」
首を傾げて見上げる兄妹とコノコに、思わずにやける母さん。
「ふふふ、冗談よ。はい、あーん」
皿から一口大の焼き菓子をつまんで三人の口の中にそれぞれ押し込み、エプロンで手をはたいてそっと頭を撫でた。
「そういえば、今日はブランジェちゃんは一緒じゃないのね」
影を見つめながら思い出したように言う。
「ああ、ブランジェさんは……」
言いかけたところで、シルヴィアとジョカさんがピッチフォークを地面に刺し、こちらに向かってきた。
「あやつは臭いにあてられたのがぶり返して今更にダウンじゃ。鼻が利くのも考えものじゃの」
「いただきまーす」
「どうぞ〜♪」
「ぞ〜♪」
皿を差し出すと、ちょっと形の崩れた焼き菓子を取って口に放り込む。
「美味しい!」
「あらやだ、最初にそれ取っちゃうの?」
ちょっと不満気な母をよそに喜ぶシルヴィア。
「わらわも頂こうかの」
「はいはーい」
ちょっと腰を落としてジョカさんにも皿を差し出す。
迷わず一番綺麗な焼き菓子を取った。
「ほう、これは。店が開けるぞえ」
「あら、嬉しい♪」
もぐもぐと口を動かす様子をキラキラした目で見つめる母さん。
「そうだ、ニッキー。飲み水を持ってきてくれる?」
「はーい」
「わたしもいくー」
ベンチから飛び降りて去っていく二人を目で追いかけて、コノコもついて行った。ふっと触れる夜風が、三人分の余熱をさらっていく。
「今日は急にすまぬの」
「いいのよ〜気にしないで。放牧場は夜使わないし」
放牧場で月に照らされ浮かび上がる緻密な魔法陣。
「ところでこれって何してるんですか?」
いつのまにか口いっぱいに焼き菓子を頬張っていたジョカさんが、ちょっと待ってと言わんばかりに片手でこちらを制し、必死に顎を動かし始める。
「遺跡で捕まえた青い炎があったでしょ?あれを『起こす』とかなんとか言ってたわよ」
「んー!んー!」
拳を握りしめて顔の近くで小さく回しながら何かを訴えるジョカさん。
多分、自分で説明したかったのだろう。
唸りながらポケットに手を突っ込み、手のひら大の透き通った長方形のガラス板のようなものを取り出してこちらに見せた。月の光を虹色に乱反射している。
「何これ?」
シルヴィアも説明を受けていなかったものらしい。
「はい、おみず!」
いつの間にか戻ってきたリビィがジョカさんにコップ一杯の水を差し出す。
水を少し口に含んで数回もぐもぐ。一瞬背筋を伸ばしたかと思うと、ごくりと一際大きな音を立てて焼き菓子を飲み込み、大きく息をついた。
「うむ、よい仕事をしたの」
「えへへ〜」
頭を撫でられて上機嫌のリビィをみて満足気なジョカさんと、そんな二人を見てうっとりしている母さん。
「さて」
改めてこちらに向き直る。
「これは毎日せっせとナナビの結晶を削って作った魔道具じゃ」
ふふん、と自慢気に裏表を返して見せてくる。不思議そうに覗き込むリビィ。
「毎晩、毎晩、隣の部屋で、ゴリゴリ、ゴリゴリ、うるさかったの、これね…………」
最近悩んでたらしい原因が判明してげんなりするシルヴィア。
「原石は隙間……気泡が多くての、気泡がない所を精査し削って整形した上でいくらか魔術回路を施してやった所、原石以上の魔力効率が発揮できたというわけじゃな。即席魔導書に代わる品としての試作品じゃ」
知らん顔して説明を続ける。
「コノコに渡したネックレスも似た性質の魔石を使用しておるが、この結晶は周囲の魔力を吸収する効率が桁違いじゃ。また、放出を嫌わない性質もある。原石の状態でナナビを形成、維持ができたとんでもない代物じゃの」
ポケットにしまう。
「それで、じゃ。この結晶の板……ふむ、まだ魔術は殆ど入れておらぬが、便宜上『結晶魔本』とするかの。ショマホじゃ」
「ショマホ」
「最近名前つける時遊んでない?」
「このショマホに青い炎を定着させて反応を見てみようという実験をするところじゃ。保護こそしたものの、あのままではいつ消滅するかわからぬゆえな、実験は機を逃してはならぬ」
シルヴィアのツッコミなどどこ吹く風で続ける。ケンカでもしたのだろうか。
「でもあれって大丈夫なんですか?魔物とかそういうのじゃないんですかね」
おおよそ危険な要素しか思いつかないのだが、顔の前で手を振って否定される。
「大丈夫じゃ。何かあったらなんとかするから気にせんでよい」
ものすごくふわっとした対策だった。
「さて、ぼちぼち作業に戻るとしようかの。すまんがフレッド、入口の外に水溶魔晶を置いてきたゆえ、こっちまで運んでくれるかの」
「わかりました」
「お母さん、お菓子とお料理ありがとうございました。今度作り方教えてください!」
「あらやだお母さんだなんて♪うふふ、いずれ全部覚えないといけないものね」
「あはは……」
苦笑いとうすら笑いをそれぞれ浮かべながら、二つの影が再び放牧場へと向かっていくのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
保護装具なしで運ぶ大量の瓶はなかなか腰にきた。
ついでに頼まれた水溶魔晶の敷設を外周から埋めていく。
「量ってこんな感じでいいんですかね?」
ちょうどジョカさんとすれ違うタイミングで具合を確かめる。
「魔力を通した時に多少均一になるでの。もっと雑にどぼどぼ流し込むのじゃ」
足りなくならないのか気になったが、当人がそういうのだから大丈夫なのだろう。
「シルヴィ、残りはわらわが描くゆえそろそろ敷設に回るとよいじゃろう」
「了解」
杭からロープを外し、敷設済みの部分を避けながらピッチフォークとロープを外に運び出して水溶魔晶の瓶を取りに行く。
「これ全部でいくらぐらいかかるんだ?」
山となった空き瓶。
「今ちょっと値段上がってきてるんだけど、確か小金貨8枚で端数切り捨ててくれたかしら」
「なるほど……」
五人家族の約ひと月分の生活費。魔石より割安とはいえ、少し前なら飛び上がるようなかなり大掛かりな実験だ。
「失敗すると怖いなぁ……」
そんなことを呟く。
「ジョカ姉が実験に失敗して金貨五百枚の請求書がギルドに来た話聞く?」
「うわぁすっごい聞きたい」
「あの時はクレア姉とガチャコ姉が泡吹いて気絶してね」
「なーにをこそこそしゃべっておる。全部聞こえておるぞ」
振り向くと、すでに魔法陣は描き終わったのか水溶魔晶を敷設しているジョカさんがいた。
「あの生意気下流貴族のポンスケの話は舌にたこができるぐらい説明したのじゃ。まったく、絶対に違うものを混ぜるなというたのに……っと長くなる話じゃ、また今度にしようぞ」
自分が思っていたよりはるかな雑さで流し込んでいく様子に考えを改め、瓶を逆さにしてやや駆け足で敷設していく。
「おお、最後の最後でコツを掴んだようじゃな。ほれほれ、もうすぐ完成じゃ」
やり方を変えてからはあっという間に敷設が完了し、中央にジョカさんを残して俺たちは陣の外に出ることになった。
「おお、そうじゃそうじゃ。リビィ、ニッキー、オリヴィエ殿。これだけ大きな魔法陣を一般人に見せることは余りないからの。ちょっとした見世物じゃ、楽しむがよいのじゃ!」
ベンチに向かって大きく手を振る。
「だってさ。ほら、二人とも起きて起きて」
眠りかけているリビィとニッキーを揺り起こす母さん。
「あれ、コノコはどこに……あ、ここにいたの」
気づくと後ろに立っていた。
「ふれっどぉ……ねむい……?」
言葉が合っているか確かめるように、人差し指を口にくわえながらぼんやりした目を向ける。
「コノコはもう眠いんだね」
「うん……」
「ほらおいで」
両腕を広げると首に手を回してきたのでそのまま抱き上げた。
「完全にパパねぇ」
「実感はないけどね」
正直歳の離れた妹のようである。
「さてさて、細工は流々、仕掛けは上々。稀代の魔法使いメージョス・フラッカー、最新にして渾身の一夜限りの彩光躍星、とくとご覧じろ!」
夜空に響き渡るような口上を上機嫌に終えると同時、それは始まった。
「わぁ……!」
ジョカさんの足元から空へ向かって一筋の光が立ち昇る。光は徐々にその明るさと大きさを増し、奔流となって闇夜を二つに分けた。
『此方に最古の我は在り』
中央から一つ目の円から強く青い光が湧き上がる。
『彼方に追果の我は在り』
今度は外周の最大円から茜色の光が湧き上がった。
『大地よ我に跪け』
右手人差し指を地面に向けると、残る魔法陣の線に紫色の光が宿る。
『天よ我に刮目せよ』
左手人差し指を空に向けると、中空に光体が生成された。
『六片の真理は我を央に背を向け』
両腕を広げ一回転すると、六色の光体が魔法陣の上に均等に配置される。
『二極は我を境に荒れ狂う』
踊るように右手で地面を、左手で空を掻くと、頭上の光体が紅茶に溶けるミルクのように渦を巻いた。
『ここに理外の実は熟れ種は零れる』
胸の前で、両手で何かを包むような仕草をすると、そこに黄金に輝く種のようなものが現れる。
『芽吹け銀環の理想郷』
種を地面に落とすと、紫色だった魔法陣が一瞬で銀色に変わった。
『虚構領域!』
六色の光体がジョカさんを中心に地面を滑るように回転し始め、段々と速度を上げ、溶け、混ざり合っていく。
気づけば幾重にも重なる虹色の渦が互い違いにゆったりと周回し、周囲を昼のように明るく照らしていたのだった。
「すっごーい!きれーい!」
「かっこいいーー!」
「こんなの大樹祭でも見たことないわ〜!」
家族から拍手が起こる。
「楽しんでもらえたようじゃな。まぁ、わらわとしてはここからが本番じゃが」
杭の上に羊皮紙の箱を置き、ゆっくりと封印の紐を解く。
蓋を外すと、中から小さな青い炎が浮き出て、ジョカさんの顔の前で止まった。
「ふむ、やはり自我を持っておるな。どれどれ、お主の在るべき姿、わらわに──」
ジョカさんが高々と右手を挙げると、虹の層がそこに吸い込まれていくように流れ、光の球を形作る。
「見せるがよい!」
青い炎に右手の光を当てると、瞬時に光の球が取り込まれた。
やがて弱々しかった炎が膨らみ、次第に形を成していく。
「え、あれって……」
「蛇女……!?でもちょっと違うような……?」
それは、青の濃淡だけで形作られた、角を持つ少し幼い女性の上半身と、魚のような下半身を持っていた。
「そうだ、塔の最上階にあった像とそっくりだ!」
「ああ〜!」
シルヴィアもピンと来る。大きさこそ人と同じだが、それはまさに地下の塔で見たそれと瓜二つであった。
「ふむ、話ぐらいはできそうじゃが……」
必死に『それ』は口をぱくぱくさせるが、声はまったく聞こえない。
「声の再現は準備しておらなかったが、どの道わらわたちの言葉は通じそうにないの。恐らく古代語で喋ろうとしておる」
口の動きから言葉を探そうと試みたのか、すぐさま違う言語であると見抜いてみせた。
「シルヴィ、わらわの鞄を持ってくるのじゃ」
「入って大丈夫なの?」
「気にするでない」
柵にかけてあったジョカさんの鞄を取り、おっかなびっくり陣の中に入っていくシルヴィア。
「ふーむ、どうしたものか。共通の言語といえば身振り手振りじゃが、こちらから歩み寄るのが手っ取り早いかの」
鞄を持たせたまま、中から紙束を取り出してパラパラとめくる。
「『やだ大変!急に古代人と会った時の指差しブック』?」
「お主は口に出さぬと読めぬのか」
そういいつつも、紙を見せながら指差しでの会話を試みるジョカさん。
すると、紙に書かれている文字を見るや否や、すぐさま『それ』は同じように紙を指差し返していた。
「いやぁ、ほんと、作っててよかったのう……」
いつになく染み染みとした表情で『それ』を見つめる。
「『できる』『問う』『答える』『ここ』『なに』?」
「えーっと確かこの辺に……」
違う紙を出したり引っ込めたりしながら会話を進める二人。
「俺もそっち行っていいですか?」
指差し会話のため内容が気になってしまう。
「おお、フレッドも来るがよい!歴史的瞬間じゃ!」
コノコを抱えたまま、虹の陣の中に入っていく。
湧き上がる光はほんのりと暖かく、体の奥底に力が満たされていくような感覚があった。
「『された』『私』『根源』『蟲』」
「蟲……?」
首を捻りつつも、メモを取りながら指差し会話を続ける。
「『建物』『支配』『根源』『蟲』『箱』」
「蟲の箱……蟲籠……?」
「根源の蟲にされた?どういうこと?」
「あの塔は根源の蟲を支配する為の箱ということか」
もはや推測祭りだが、当たらずとも遠からずといった手応えは感じた。
「『穴』『道』『違う』『5』『私』『繋がる』」
「道と穴は通路ってことかしら?」
「違う5の私……他にもこれ?が五ついるってこと?」
何せこちらの言葉が通じないので、『それ』は疑問符を投げかけてもきょとんとした表情を返すばかりである。
「えーっと、つまり通路は他の五人?に繋がってるってことか」
「恐らく同じ状況のはずじゃな。これがおった塔と同じものがあと五つ。通路が繋がっておるとなればすなわちそれは回廊で、こやつは塔を蟲籠と称したな。となれば、お主たち二人が落ちたあの場所は……」
なんとなくまとまりつつある結論。
「蟲籠の──」
「──回廊?」
「ふむ」
紙束をめくりっていると、ひらりと落ちた一枚が足元を滑り、虹の層に巻き上げられて宙を舞う。
「そうじゃ、音はわからぬが口の動きならできるじゃろう」
紙を掴むと、別の紙を一度指差してから、再びその紙の一部分を指差す。
すると、『それ』は指差された文字を口にするように動かした。
「『オ』?」
ぶんぶんと顔を左右に振り、少し怒ったような表情で口を少し開けて突き出す仕草をする。
「えーっと……『ド』?」
俺がそういうと、パッと明るい顔になり何度も頷いた。正解らしい。
「じゃあ次の文字は……」
指差すと、今度は大きく口を開けて見せる。
「『ア』?」
これも首を横に振った。
何度か仕草を見ていると、舌が巻いているように一瞬見えた。
「『ラ』?」
頷いた。正解だ。
「えっと、『ド』『ラ』ときて次の文字は……」
指差した文字を見ると、再び最初の文字の時と同じような仕草をする。
「ちょっと違う?」
「なんだかさっきよりちょっと強い感じかしら。じゃあ、『ゴ』とか?」
頷いた。
「やった!」
「なんじゃと」
二人で喜んでいると、ジョカさんが静かに驚いた声をこぼす。
「まさか──『ドラゴン』じゃと!?」
大きく『それ』が頷いた。
「『ドラゴン』?」
「ジョカ姉、何か知ってるの?」
意味がよくわかっていない俺たち二人をよそに、目を見開いて俺の肩に頭を預けて眠るコノコの顔を覗き込む。
「ドラゴンを、知らぬじゃと……?」
今度は交互に俺とシルヴィアの顔を見た。
「そうか、知らぬのか」
そして考え込むように顎に手を当てて俯く。
「いや、そうじゃな、知る由もない。『二百年以上前の文献がない』のじゃから、そのまま忘れ去られたのじゃ」
ぶつぶつと呟く。
「ならば、ならばこれはどうじゃ」
不意に帽子を取り、おもむろに耳の周りを覆うように編み込まれた髪をかきあげて見せた。
「……へぇ、ジョカ姉って……」
「耳、すごく長かったんですね」
「そりゃあ耳がいいわ……l
俺たちの暢気な言葉に、ただただ目を丸くして項垂れるジョカさん。
「どうかしたんですか?」
そして、丸くした目から一筋の雫が頬を伝い、虹色に輝く大地へと落ちていった。
「わらわの耳を見ても何も思わぬか……?」
何のことを言っているのだろうか。
「えっと、長いなぁとしか……」
「右に同じね」
それを聞いて、ジョカさんはかきあげていた手でそっと頬を拭い、今までで見たこともない優しい顔で笑った。
「そうか、そうじゃな。いや、気にするでない。忘れてもよいぞ。今後、この耳のことはわらわたちだけの秘密じゃ。あやつにも……ブランジェにも言うてはならぬぞ」
「?」
二人で顔を見合わせる。
帽子を深々と被り直してジョカさんが振り返ると、不安そうな顔で『それ』が紙束を指さしていた。
「なんじゃ、何か言いたいことがあるのかの」
紙束を適当にめくって見せると、『それ』がいくつかの文字を首を捻りながら指差す。
「『私』『廃棄』『この先』『短い』?」
「ああ、そうじゃった!」
慌ててポケットを探り、結晶魔本を取り出して羊皮紙の箱の上に置く。
「うっかりこのまま消滅させるところじゃった。そろそろ魔法陣も保たぬ。成功するかわからぬが、意思疎通はできたのじゃ、互いに協力できればうまくいくはずじゃ」
紙束から文字列を探し、急いで説明を始めた。
「すまぬが二人とも一旦外に出るのじゃ。定着実験は初めてじゃからの、なるべく失敗の要因は弾いておきたい」
「わかりました」
「わかったわ」
促されて、こちらも急いでその場を離れる。
困り顔でなんとか説明を読み解こうとする『それ』と身振り手振りで必死に結晶魔本を指差すジョカさん。
「ちゃんと離れたかの!?早速始めるぞえ!」
「はーい!」
「大丈夫よ〜!」
手を振るジョカさんにこちらも手を振って返すと、虹色の渦の中、箱の上の結晶魔本に右手を翳した。
「できるはずじゃ。いくぞ、まだ何者とも知れぬ消えかけの存在よ」
身を正し、眼を閉じて左手の人差し指を天に向けて詠唱を始める。
『我は与える
──汝に仮初の肉体を
──汝に仮初の自我を
──汝に仮初の心を
──されど、汝に唯一無二の理あり
我はそれにすら名を与えよう
メージョス・フラッカーの名の下に
汝を汝たらしめん理をこの御座に刻む
その理の名は──』
ゆっくりと眼を開く。
『──魂』
魔法陣から急激に噴き上がる虹色の奔流が、激しい嵐となって吹き荒れた。
渦を成し、竜巻となって辺りを巻き込み、虹色の奔流は魔法陣の外まで膨れ上がる。
思わず腕で顔を覆い、僅かに開いた目で見えたのは、凄まじい勢いでジョカさんの手元に吸い込まれていく虹色の奔流。
それはまるで、この世界の全てから命をかき集めているような。
とても、美しい光景だった。
「たましい……」
シルヴィアの呟きが轟音の隙間から耳に届く。
何がしかの詠唱を続けているジョカさんだが、その内容は聞き取れない。
いつまで続くのだろうと思われた虹色の奔流も徐々に和らいでいき、最後はジョカさんの手が届く程度の広さまで収束して大人しくなった。
気づけば、『それ』はもう消えている。
「終わった?」
「うむ」
こちらを振り向かず、短い返事だけ。その顔は、いつもの自信満々の表情に戻っていた。
「成功したっぽいかな……?」
呟きが聞こえたのか、翳していた右手をこちらに向けて、こっちに来るよう合図を送る。
さっきまでとはうってかわって静けさに包まれる放牧場。
二人で駆け寄ると、結晶魔本には先ほど見た時にはなかった緻密な紋様が浮かび上がっていた。
「かなりごり押した内容だったがの。余裕を見た準備が功を奏したと言えるじゃろう。当初予定しておったより五割ほど追加で魔力を要したのじゃ」
とんとん、と結晶魔本の表面に触れるジョカさん。
すると、盤面から小さな光の球が幾つも飛び出して合体し、先ほどの『それ』が手のひら二つぐらいの大きさで空中に形作られた。
「後で擬似的に声がだせるように改良するとして、ひとまずは定着に成功じゃ。ゆっくり話す余裕もできたところで、何か……結構おしゃべりじゃなこいつ」
紙束を指差す『それ』。
せっつかれるように開くと、文字列を指差した。
「えーっと……『私』」
次の文字列を指差すのかと思いきや、『それ』は自分を指差している。
口を動かす仕草をした。
「『イイネ』?」
惜しい!と言わんばかりに身をよじる『それ』。
「もうちょっとこう……『ディーネ』とか?」
それ!と言わんばかりにシルヴィアに向けて指を差して笑う。
「もしかして名前を教えてくれたのかしら?」
「あ、そういうこと」
合点がいったところで、改めて自己紹介をすることに。
「フレッド」
「シルヴィア」
「ジョカ」
それぞれ自分を指差しながら簡単に名前を告げると、復唱するように口を動かすディーネ。
両手で拳を握り、なぜか気合を入れたような仕草をしてから、シルヴィアの名を呼ぶような仕草と共に右手が結晶魔本の上に来るよう促した。
「なんかこう、触られてないような触られてるような不思議な感じね」
「お主の手の魔力には当たっておるからの、若干感触はあるじゃろうな。さて、何が目的じゃろうか」
「大丈夫かな?」
頑張って引っ張ろうとしているが、なかなか動かせずやきもきしている。
「悪い顔はしておらんな」
「じゃあ」
促されるまま、結晶魔本の上に手をかざすシルヴィア。
すると、ディーネが手の甲に指を這わせ、魔力で紋様を描き始めた。
「え、何?何!?」
「ほう……なんじゃこれは……?」
あっという間に三つの水滴のような紋様を描くと、両手を組んで祈るような仕草。
ディーネの額に、同じ紋様が浮かび上がった。
「あ、なんか入ってくる感じ……!」
そして、最後に手の甲に口付けをし、シルヴィアに笑顔を向ける。
「……」
沈黙。
「あっ」
虚空を見つめていたかと思うと、何かに気づいたように拳を握り、俯いた。
「ねぇ、ジョカ姉」
「なんじゃ」
表情は見えない。
「私、今まで水の精製魔法、自力で成功したことないんだけど」
「まぁ、そうじゃな。向いておらんかったからの」
ジョカさんに語りかけておきながら、その様は自分に言い聞かせるよう。
すると、いきなりシルヴィアが奪うように結晶魔本を持って走り出し、少し離れたところでこちらを振り返って手のひらを空に向けた。
「私……っ!」
手を閉じる。
「──なっ!?」
「──うわっ!?」
彼女が笑った。
「──もう、なんでもできちゃいそう!」
音はなく。
予備動作もない。
魔力さえ感知できない。
そう、彼女はただ手を閉じただけ。
異様とも思える光景に、はち切れんばかりの笑顔。
解けた髪が宙を舞い、星を絡め取り、きらきらと輝いて見えた。
あまりに単純ながら、それゆえに壮絶さを感じざるを得ない、圧倒的な能力。
彼女の手の先には、家ほどの大きさの巨大な水塊が、満ちた月と並んで静かに浮かんでいたのだった。
第三章 蟲籠の回廊 完
第三章、長らくお付き合いいただきありがとうございました。
相変わらず遅筆で申し訳ないですが、第四章へと着実に物語は進んでいきます。
未来は果たして彼らをどこへ導こうとするのか。
次章、王都編(仮)。
それでは、またそのうちに。




