12話 酒と乙女心と状況整理と
「カンパーイ!」
『カンパーイ!』
なみなみと注いだ木のカップ同士が派手にぶつかり、テーブルに並べられた豪快な料理にお酒やジュースのしぶきが舞った。
「で」
「なんじゃ?」
「どうかなされたか?」
乾杯で使用した酒は既に空になり、二杯目をとくとくと互いに注ぎ合っているジョカさんとブランジェさんが、きょとんとした目でこちらを見る。
「いえ、なんでお二人もいるんですか……?」
「水臭いのう、宴会するならわらわたちも参加するに決まっておろう」
「右に同じであるぞ」
今の会話中にすでに一杯飲みほしている。
ついさっきのこと。家族とシルヴィア、合わせて6人分の皿を準備していたところ、母さんの声がして台所からテーブルのほうを覗き込んだら、次々と大量に並んでいく店屋物の料理と肉の塊。
その後、なだれ込むようにジョカさんとブランジェさんが運んできたのは……
「あとこれなんですか」
自分の後ろの構造物。
「ああ、それはだな」
パッと見ただけで30本は酒瓶の並んでいる車輪付きの棚。
「このあいだの宴会でフレッド殿が都度裏にお酒を取りに行くのが不便そうであったのでな。私の手作りだ、ぜひ受け取ってくれないか」
「最近ギルドの裏でこそこそ何か作ってると思えば……」
「ふふふ、自信作であるぞ!」
高々とカップを掲げてにっこり笑うブランジェさん。
「積んである酒はわらわ達からの気持ちじゃ。それも取っておくがよい」
「いやもう、ここまでやっちゃったらお店ですよこれ」
「おや、お気に召さなかったかな?」
カラカラカラと心地よい音を立てて動く棚をニッキーとリビィ、コノコが目を輝かせて見つめている。
「いえ、子供たちが大喜びなのでとてもありがたいです」
「それはよかった!」
満足したのか、一気に酒をあおった。
「なんだか急に悪いわねぇ、広場でばったり会っちゃっただけなのに」
「いえいえ、母上殿。我々も近々お伺いしようと思っていたところでちょうどよかったのだ」
「だってほら、このお肉も結構上等品じゃないかしら」
口ぶりからして、肉も酒もほとんどがローゼンクォーツから持ってきたものらしい。
「クレアの奴が大量に貯蔵しておったからいくつかくすねて来ただけじゃ、遠慮せず食べるがよい」
しれっと言う。
「クレア姉ってなんでいつもあんなに肉ばっかりもらうのかしら。肉食べない日がないぐらい常備してあるんだけど」
問題なさそうだった。
「まぁ、それなら遠慮なく。ほら、あなたたちもこっちにきて一緒に食べましょ……ってなにしてるの?」
母さんの不思議そうな視線につられて3人の方を見ると、酒棚の前でリビィとコノコが揃って両手を合わせて体をクネクネさせていた。
「わぁ♪わぁ♪」
「あのね、コノコちゃんが面白いことしてたから真似してたの!」
あの動き気に入っちゃったかぁ。
「ですわぁん!」
「ですわぁん!」
両手を頬に当ててフィニッシュ。
「ねぇ、フレッド。コノコちゃんに何があったの?」
「説明がすごくめんどくさいけど聞く?」
「じゃあ1本空けてからお願い」
「聞く気ないじゃん」
破顔一笑。
親子のやり取りに場の空気が和む中、5本目の酒瓶の蓋が開く音がしたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ニッキーとリビィは母から明日の朝起きてこない宣言を受けて早めに床に就いた。
コノコは俺の膝の上で、飲み込むタイミングを失った肉をずっと噛み続けている。
話題は自然と広場を覆った巨大な葉のことに移っていった。
「大方見当はついておろうが、あれは大樹の葉じゃの」
フォークをふりふりしながら、珍しく結論から語るジョカさん。
「あんなに大きいんですね」
「わらわも近くで見たのは生まれて初めてじゃ。望遠鏡で覗いたところで正確な大きさも形状もぼやけておったからの。警備隊がおらねば少しばかり切り落として持ち帰りたかったところじゃ」
残念そうに口を尖らせる。
「フレッドもあの場にいたのじゃったな。何か気付いことはあったかの」
「気づいたこと……」
状況を振り返る。
「特に嫌な感じはしなかったけど、独特の匂いがしたような」
「ほう、嗅覚か」
「そういえばコノコがおいしそうな匂いって言ってましたね」
「……なんじゃと」
パンに噛り付いた口を止めるジョカさん。
「フレッド殿、嗅覚は五感の中でも特に本能的な感覚であるぞ。おいしそう、と感じたのならば、おそらく体にとって必要な栄養を含んでいると先祖代々から受け継がれた本能が反応しているのだろう」
ブランジェさんが淡く染まった頬ととろけるような流し目をこちらに向ける。今日はなんだか酔いが回るのが早そうだ。
「そうじゃ、コノコと言えば石碑の解読の件じゃ。日記帳の情報と合わせて解読率は7割といったところじゃが、おおざっぱに内容を理解するには十分じゃろう。なにより中心から右回りに読むというのが分かっただけでも大進歩じゃ」
「何かわかったの!?」
テーブルに両手をついて食いつくシルヴィアに頷いて返すジョカさん。
「あの石碑には、ふむ、虫食いのまま直訳するとこうじゃ。『願いをここに。すごく長い時間の最後に願いは殻を割り、■■■■は太陽の世界■■■■を■■し、私たちは新しい■■と繁栄に辿り着く』」
さらっと唱えられた文言に、シルヴィアが喉を鳴らす。
「コノコが古代人にとって最重要、かつ最後の切り札だったのは明白じゃな。太陽の世界というのも比喩なのかそのままの意味なのか。とりあえず分かったのはそこまでじゃ。古代語の発音が分かれば残りの文字も解読できるじゃろうて」
「コノコちゃんってなんだかすごい子なの?」
母さんが椅子の向きを逆にして背もたれに抱きついた格好でお酒を飲んでいる。
「さっきの大樹の葉の匂いについても調べたいことが増えたからの。じゃが、どうにもコノコに嫌われておるのでな、詳しいことはまだ先になるかもしれぬ」
「ふーーん。ま、かわいいからいいんだけどー。ほら、コノコちゃんこっちおいでー」
「はーい」
俺の膝の上からぴょんと飛び降りて母さんに抱きつくコノコ。
「あーんかわいい~♪」
「い~♪」
「今はそれでよいじゃろうな」
複雑そうな表情で二人を眺めるジョカさん。
「解読で思い出した。お主たちが会ったというグリッチのことじゃ」
椅子の下の鞄から日記帳を取り出して適当に広げた。
「これを見る限りあの男の筆跡に違いなかったのじゃが、わらわは引き上げられたあやつの遺体をしっかり見ておるうえ、なんなら葬儀にも参列したのじゃ。生きておるはずがないのじゃ」
「それが……」
「おじいちゃん、なんだか体が変だったの」
両腕をテーブルについて、シルヴィアが答える。
「変だったとは?」
姿勢を変えながらブランジェさんが身を乗り出す。
「最後に巨大な蛇女から俺たちを守ってくれる時に、グリッチさんは透き通った緑色の体になってて、その中からナナビの結晶みたいなのを取り出したんです」
「ナナビの結晶じゃと……?」
「それを蛇女の口に突っ込んで、大爆発が起きて……そこからはほとんど覚えてないわ」
「ふむ、なるほど」
顎に親指を当てて首をかしげるブランジェさん。
「なにかと混ざったのじゃな。グリッチ本人かもしれぬし、違うかもしれぬ。じゃが、限りなく本人に近い存在。ナナビの結晶が関わっているとなれば、まだ知らぬ古代人の技術が作用したと考えるのが妥当じゃろう」
ぶつぶつとつぶやきながら、いつの間に取り出したのか紙の切れ端にメモを取っていく。
「……」
シルヴィアが腕を組んで険しい顔でテーブルの上の肉を見つめている。
「切り分けようか?」
「……?あ、違う違う!食べたいけど食べたいわけじゃない!じゃなくて!」
慌てて両手を振る。
「グリッチさんと最初に会ったとき、確か『自分だけ軽傷で他はほとんどが即死だった』みたいなこと言ってなかったっけって思って」
「あー、そういえば」
言われてみれば、と自分も記憶をさかのぼって考えてみる。
「救助も来なかったって言ってたような」
「ふむ?それもおかしいのじゃ。崩落の直後すぐさまわらわが救助に降りたぞえ。数人は即死じゃったが、まだ息のあった数人はその場で治療を施し、引き上げて命はとりとめたのじゃ」
眉をひそめながら当時の状況を整理。
「そのあとのことは聞いたかの」
「確か出口を探してうろうろしてたとか。日記帳だけはちゃんとつけてたって」
「ふむ、引き上げた遺品の中に日記帳はなかったのう」
メモを取るのに区切りをつけたのか、ペンを置く。
「ジョカさん、ちょっと気になったんですけど」
「言ってみるがよい」
「崩落事故の時の穴の深さってどれぐらいだったんですか?」
「ほう、確か────そうじゃ!そもそもの話じゃ!なぜこんな基本中の基本のことに気づかなかったのじゃ!よいところに気が付いたのうフレッド!」
「え?」
急に大きな声を出して立ち上がったジョカさん。
「わらわの開けた穴は深かった。じゃが、お主たちが落ちた穴に比べれば大した深さではない。上から強い光を当てて覗き込めば人の顔がわかる程度の深さじゃ」
天井に向けて人差し指を向けて円を描くようにくるくる回し、かと思えばテーブルの周囲を回りながら手のひらを開いて上下に振り出す。母さんにおんぶされた形のコノコが目で追いかけていた。
「それに出口を探しておったのじゃろう?仮に生きていて引き上げられなかったとしても、見上げればわらわたちがいる穴の底から勝手に動いて探索にでるなど……やりかねんが、あやつも冒険者じゃ。限度はわきまえておるはずじゃの」
右手で玄関を指差し、左手で台所を指差し、それを交差させて否定するように振る。
「その上での結論じゃ。お主たちが地下で会ったのはグリッチ本人じゃろう」
「え!?この流れで!?」
シルヴィアが素っ頓狂な声を上げた。
「ただし、と前置きがつくがの。本人ではあったが、すでに人間ではなかったのじゃ」
「どういうこと?」
移動式酒棚を背にして両腕を広げて見せる。
「グリッチは崩落の時点で死んでおった。緑色の透ける体、ナナビの結晶。おおよそ推測できるのは、死んだ直後の拍子になんらかの奇跡が重なり、グリッチの人格と記憶が遥か地下のナナビの結晶と結びついて肉体のようなものを形成し、彷徨い続けていたということじゃ」
俺の横からテーブルに手を伸ばして日記帳を取る。
「さっきまで半信半疑じゃったが、この日記帳は質感、使い古した感触からして本物じゃろう。以前わらわがちらりと見たページもあったからの。内容もおかしなところはない」
ついでに自分のカップも取り、棚から酒瓶を一本。器用に片手で蓋を外して手酌して一口なめた。
「自分が人間でなくなったことには気づいておったのじゃな。ナナビの結晶を使った大爆発も、それが感覚で可能だとわかったのかもしれぬ。爆発の仕組みはわらわもまだ研究中じゃ」
なんだか静かだなと思ったらブランジェさんはテーブルに突っ伏して静かな寝息を立てていた。
「推測ばかりでわからぬことが多すぎるのう。救助だけでわらわたちは完全に降りておらぬし、近いうちに再調査するのがよかろう」
「掃討作戦前に?」
「まぁそうじゃな。痕跡が消える前に……まぁ言うても地下じゃ。急激な変化はないと思うがの」
近日中になにかあったような気がして、ふと思い出す。
「あ!そうだ、王都へしょうへいがなんとかって話が」
「招聘?」
「へーい♪」
ここぞとばかりにシルヴィアに続くコノコ。
先ほどのリミカさんに会ったときのいきさつを説明する。
「ほむ、支局長め、良かれと思ってやったのか、ここぞとばかりに仕掛けたつもりなのか」
「王都……お父さんといったのが最後だなぁ……」
遠い目をするシルヴィア。
「正式な通達までまだ少し時間はあろうが、公人は決まってからの動きは早いからの。わらわたちは掃討作戦前に王宮に参じねばなるまい。移動しっぱなしでも王都へは丸三日じゃ。そうじゃな、バントマール領あたりがよかろう、途中で一泊宿を取るとして、長めに見て五日間ほど。となると……」
「バントマール!歓楽街が一晩中キラキラしててすごく奇麗なところよ!」
急に母さんが会話に割り込んできた。
「うふふ、若い子には毒よぉ、あの街は~。ふらふらっとどっか行っちゃわないようにしっかりつかまえときなさいよ?」
ニヤニヤとシルヴィアの方を見つめる母さん。
「が、がんばります……!」
なんで?
「ま、それより。いつまで向こうにいるのかしら。移動だけで往復十日以上でしょう?コノコちゃん寂しがっちゃうわ」
「当日は他にも要人を招いての立食パーティとかあるはずって言ってたけど、その後の予定は不明かなぁ。次の日すぐ帰れるかも」
コノコの頭を肩越しにわしゃわしゃと撫でる母さん。
「なーにを言っておる。遠方からわざわざ呼び出した冒険者をさっさと帰すわけがなかろう」
空になった瓶を足元に置きながらジョカさんが一笑した。
「あやつらのことじゃ、『別に断ってもいいけど?』と言わんばかりの圧で最前線に連れ出すに決まっておる。まぁ羽振り自体は悪くない連中じゃ、タダ働きにはならんじゃろうがの」
「じゃあ、一仕事してくるのね」
「そう思っておいた方がよいじゃろうな。魔道伝書ならば一両日中には届くからの、向こうで進展があり次第一筆取らせようではないか」
片手を腰に当てて胸を張った。
「ああ、可愛い……じゃ、お願いしていいかしら。フレッド、そういうの忘れそうだから」
「心得た。安心して任せるがよい」
「あ、うん、大丈夫。ジョカ姉が忘れても私がやっとくから」
「シルヴィ!」
容赦ない横槍がジョカさんの尊厳を抉る。
「だってしょっちゅう忘れるじゃないジョカ姉……」
「うぬぬぬ……!」
「可愛い……♪」
反論できない過去があるのか、空になったコップをぶんぶん振るだけで黙るジョカさんをうっとりした目で見つめる母さん。
「コノコちゃん、大丈夫かしら。2、3日でもフレッドを探してうろちょろしてたのだけど」
「連れて行くわけにもいかないしなぁ」
「まぁ、こればっかりはしょうがないわよね。一緒にお留守番しましょうね~」
「ね~?」
肩越しに見つめ合う母さんとコノコ。
それを横目に、ジョカさんがこちらに向き直った。
「さて、再調査の件じゃ。お主ら疲れておるじゃろうが、いつ正式な通達が入るかわからぬゆえ、早速明日、朝食を取り次第出発じゃ。午前中で縦穴に到着後、休憩を挟んで、簡易の昇降手段確保としてわらわが一定間隔で壁に穴を開けながら降り、お主らを確保した塔の最上階とやらに向かう手順でどうじゃ」
「了解です」
「いいとおもうー」
「すぅ、すぅ……」
ブランジェさんが完全に寝ている。
「なんだか珍しいですね」
「こんな早い時間にラジ姉がお酒の席で寝てるの初めて見たかも」
ジョカさんが深々と大きなため息を吐いた。
「やれやれ、まったく。素振りを見せんのがこやつの美点で欠点じゃ。誰かさんのおかげで心底疲れ切っておったのじゃろうな。明日置いて行って恨まれるのは御免被る。こやつの支度はわらわがやっておくゆえ、すまぬが今夜はここに寝かせてやってもらえんかの」
「あ、じゃあ俺がソファに寝ますよ」
「ほう、こやつをフレッドのベッドに。よいのかシルヴィ?」
「え、なんであたし?」
きょとんとするシルヴィア。
「だそうじゃ」
「何の確認ですか?」
ニヤニヤと笑いながら自分の席に戻るジョカさん。
「さて、方針も決まったことじゃ。もう少しばかり酒を堪能したらおいとまさせてもらうとしようかのう」
「えーもう帰っちゃうのー?」
「母さん話聞いてなかったの……?」
「えへへー」
「えへへ~♪」
ゆらゆらと背中のコノコと一緒に揺れながら出来上がっている母さん。
「話は尽きぬが、またの機会じゃな。どれ、クレアからくすねてきた肉ぐらいは平らげてしまおうぞ」
「……全部?」
宣言通り瞬く間にジョカさんに吸い込まれていく肉と酒を眺めながら、急遽決まった明日の再調査に向けて思考を巡らすのであった。




