4話 最低ランク付与試験-2-
大ピンチだったけどどうなったんでしょう。
『おーい兄さーん』
『お兄ちゃん、ごはん食べないの?』
『フレッド、早く起きてちょうだい。スープが煮詰まってしまうわ』
そんな声が聞こえた。
うすぼんやりと目を開くと、暖炉の火の揺らめきを感じた。パチパチと薪の爆ぜる音も相まって、再び眠気に誘う。
(…あれ、ここは家…のソファ…?)
高熱を出したときのように、頭の中がぐるぐると回る。確か、俺はランク試験に挑んでいて――
(――ああ…もしかして救助にきてもらえたのかな…)
そう思うと、身体の節々が痛むような気がした。
『フレッド。いつまでも母さんを困らせるんじゃない』
すこし低く、太い声が聞こえた。
(この声…父さん…?)
『言っただろう?これからはお前が、家族を守って行くんだって』
その言葉にはっとする。
『さっさと起きろ、お兄ちゃんだろう』
「とうさ…父さん!――――」
――――
目に最初に映ったのは揺れるオレンジ色の光にぼんやりと浮かぶ、苔むした石造りの天井。自分の荒い呼吸とともに心臓の拍動が外に漏れているのではないかと思うほど、動悸が激しくなっていた。
「はぁ…はぁ…―――え、あれ?」
左腕とわき腹の痛みがずいぶんと収まっている。腰はまだ少し痛むが、もともと尻もちをついた程度だったようだ。ゆっくり上半身を起こし、改めて右手で痛めた箇所を確認するが何ともなくなっていた。
『やっと目が覚めたみたいね』
声が反響して聞こえた。慌てて見回すと、焚火の傍で明後日の方向を向いたまま、頑丈そうな鞄に腰かけている、一つに束ねた長いみつあみの少女がいた。
「あ、えっと、えー…君は…?」
起きぬけに予想外のことが起こりすぎて何を言ったらいいかわからなかった。
「人に名前を聞くときは、自分からまず名乗ったら?」
ため息をつきながら、少女がこちらを向いた。
――どうしてこんなところにいるんだろう、というほど、綺麗な顔立ちだった。歳は同じぐらいだろうか。目にかかる前髪は髪留めで左右に分けていて、そこから覗く瞳は今は半目でにらんでいるが、とても大きい。
「初対面の男って大体失礼よね」
「ほわっ!?ごめん!俺はフレッド!」
ついつい頭のてっぺんから足の先までまじまじと舐めるように見てしまった。少女はより不機嫌そうな顔をして肩をすくめる。
「まぁいいわ、『いつまで待ってても来なくて逆に探しに来たら気絶して倒れてた』フレッドくん」
意地悪そうにそう言って、身体をこちらに向きなおした。
「私は、『先に入っていつまで経っても帰ってこない冒険者』のシルヴィアよ」
そこまで言って、少女――シルヴィアは、少し微笑んだ。
「そうそう、痛そうにしてた左腕とわき腹は私が応急処置の治癒魔法かけといたわ」
「見つけた時はびっくりしたわよ」
焚火と思っていたが、薪はなく、魔法の炎だということに気付いた。炎の下には複雑な鉄の輪っかのようなものが敷いてあり、緻密に刻まれた文字が一定間隔で周回するように青白く光っている。その中心には、石が置いてあった。これがこの『炎の魔法』の燃料となる魔力を貯蔵している魔石なのだろう。
「初心者でも一番奥まで4時間もあれば大体到達するのに、6時間待ってもこないから心配になって。帰るついでに探してみたら倒れてるんだもの」
ぱちぱち、と音が鳴っていたのは、どうやら床の石の中の水分が蒸発したときの破裂音だったらしい。今はほとんど聞こえなくなっていた。
「しかも近くには大きなウェアラットの死骸まであるし。あんなに大きいの初めてみたわ。というより―――」
ごそごそと鞄からなにやら道具を取り出していた手を止める。
「そもそもなんで、ここに魔物がいたのかってことよ」
そう言いながら、俺の目を見た。
「あれって、やっぱりウェアラットだったのか…」
どうやら、知識的には間違っていなかったらしい。今後、あれをみたらウェアラットだということが判断できる。
「やっぱり、って――ああ、そうよね。今日が試験だから、今まで本物をそのままの形で見ることなんてないものね。そうよ、あれが冒険者が遺跡の探索でたびたびお世話になるウェアラットよ。おもに食用だけれど」
でもね、と続けた。
「さっきも言ったけど、あんなに大きいのは初めて見たし、今は人間を見たら逃げ出すような魔物よ。ほとんど襲ってくることなんてないわ。多分だけど、ここ数年の探索で冒険者が食用に狩り始めたから逃げるようになったのね」
再び道具を取り出し、今度は並べ始めた。見たところ、魔道具の類である。
「じゃあ、俺が退治したのは、稀に見る大きさでしかも珍しく襲ってきたウェアラット?」
「そういうこと。魔物がいないはずの試験場でよっぽどの不運よね。普通はあの大きさの半分よ」
そして、並べた魔石に魔力をこめていく。
「ところで、何してるんだ?」
「お腹すいたでしょ?」
質問すると、予想していたようにすぐに答えが返ってきた。
「スパゲッティ作るのよ」
何を言ったのか、理解するまで数秒かかった。
「スパゲッティって、そんな水一杯使うような料理ここでできるのか?」
「まぁまぁ、安心してみてなさい」
シルヴィアは得意げに大きめのコップを床に置き、その口にロートのように紙をおく。
「まずは、必要分の水の生成よ」
ポケットからハンドブックのようなものを出し、折り目のついたページを慣れた手つきで開く。そこには円形の魔法陣が描かれており、四隅には文字が所狭しと書かれていた。
ハンドブックを片手で持ち、魔法陣の左上の文字を指でなぞる。すると、左上の文字が光り、描かれていた魔法陣と同じものがハンドブックの先の空中に映しだされる。それをコップの真上に来るように調整し、続けて右上、右下、左下と同じように文字をなぞっていくと、空中の魔法陣の中央の円の中に霧の渦のようなものができ始めた。次第に渦は回転を増し、今いる空間から吸い込むように大きくなっていく。
ぽたり、とその渦の先から水滴が落ちた。ぽたぽたぽた、と落ちていくペースが上がって行き、ちょろちょろと音を立ててコップに水がたまっていく。
「すごい」
「ふふーん。でっしょー」
腰に手を当て自慢げな顔をする。 時間にして15秒ぐらいだろうか。気づけばコップは水で満たされていた。
「さて、お次は麺をゆでるわよ」
ぱたん、とハンドブックを閉じ、今度は鞄から長方形の陶器の深皿を取りだした。
「水ってこれで足りるのか?」
「足りちゃうのよねー」
料理が好きなのだろうか。料理が始まってから、シルヴィアはとても楽しそうにしている。
先ほどの魔力をこめていた魔石たちの真ん中に陶器の深皿を置き、カップの水を入れる。鞄から乾麺を出して半分に折って中に入れ、コルク栓の小瓶から塩を少々ふり、別の小瓶から油のようなものを少量垂らした。
「今何時?」
唐突に聞かれて、懐中時計を見る。秒針が動いてる。よかった、壊れてない。
「6時23分」
「じゃあ、34分になったら教えてね」
そういうと、並べていた魔石の一つに指で触れた。すると、魔石が陶器を囲むように立体的に配置され、紫色の光の線でつながり、中で一瞬稲光のようなものが走った。その後はオレンジ色の光が中を包んでいる。
「さ、具を作りましょ」
てきぱきと、今度はナイフ、というには仰々しい、おそらくは槍の矛先と思われるものを取り出し、隅の方に歩きだす。
そういえば、あまり気にしていなかったが改めてみると今いるこの空間はそこそこ広い。端の方まで明かりが届いていないだけだったようだ。
「これは一体?」
ぐつぐつと水が沸騰し始めた陶器を指さす。
「それは簡易結界よ。その中で雷の魔法をすごく弱めに走らせると、なぜか加熱できるのよ」
なぜか、という言葉にひっかかりつつも、何となく納得する。
「ウェアラットの肉もらうわよ」
隅の暗がりから戻ってくるなり、てのひら大の肉の塊をひらひらと見せた。
食肉にするとは聞いていたが、生肉を見るのは初めてだ。ぎょっとして様子を見ていると、
「このままだと硬いのよねー」
小瓶の塩を満遍なくふりかけ、、腰からギザギザのついたハンマーのようなものを取り出して床で叩き始めた。
「さっきここ綺麗にしてたから大丈夫よ」
そんなことをいう。
1分ほど叩いただろうか。先ほどよりずいぶん薄く伸びた肉の塊を、先ほどの矛先でひと口大に切り分けていく。
「今何分?」
「30分」
返事はせず、先ほど振りかけた塩をはたいて落とし、鞄から四角い鉄の皿を取り出して乗せる。焚火の魔法の方に持っていくと、鉄の皿に取っ手をひっかけて油を挿し、別の小瓶から乾燥した何かを投げ込んだ。火の上にかけると、とても香ばしい匂いがあたりに広がる。
「にんにく?」
「そ。乾燥にんにく。この匂いが嫌いな魔物も多いから、結構魔よけにもなるのよ」
へぇー、と感心しながら時計を見ると、ちょうど34分になった。
「34分」
「我ながら完璧な立ち回りね」
楽しそうにそういうと、簡易結界の石の一つに指を触れる。力の抜けていくような音がしたかと思うと、石たちは床に落ちて光を失った。
「そこにトングがあるからこっちに移してくれる?」
「了解」
料理も終盤、さすがにここからは母親の手伝いでもよくやっていたことだ。
じゅう、と熱された油と麺の水分がぶつかり、香りが胃袋を刺激する。
「絡めて出来上がり、っと」
どう?とこちらの顔をみながら少し笑った。
「お見事」
そういうと、えへへ、と声に出して笑っていた。
フォークが一人分しかなく、取り皿なんてものはまず用意してないため、鉄の皿…というか組み立て式フライパンを交互に持って食べる。年頃の女の子は同じフォーク使ったりすることに抵抗がありそうだが、それを聞くと「パーティ組んでるときにそんなわがまま通らないわよ」と即答された。
空腹だったのもあるが、しばらく無言で食べていると、気も緩んできたのかどちらからともなく雑談が始まった。
「ギルドはグッドラックに入ったのね。小さいけど、登録してる冒険者の仕事が丁寧って結構有名よ」
「シルヴィアさんは――」
「シルヴィアでいいわよ。たいして歳変わらないでしょ」
「んじゃーシルヴィア、冒険者になって今どれぐらい?」
「半年ってところね。あなたと一緒で、誕生日の日にローゼンクォーツに申請したのよ」
きっと普通に試験が終われば、そのままお疲れ様で終わっただけで、こんなに話をしたりすることはなかっただっただろう。シルヴィアは、女性だけのギルドに入り、幾度か遺跡調査に参加しているとのこと。焚火の魔法で使っている輪っかや魔法のハンドブック、魔石の類はギルドの先輩から新人に代々引き継がれているもので、自分で10代目だということらしい。そこそこ稼げるようになって自分のものが買えるようになったら、次の新人に渡すそうだ。水の生成魔法には相性が悪いようで、ハンドブックを渡されるまでは結局一度も自力で成功したことがないとも。
魔法の火の揺らめきを眺めながら雑談を続けて、さて、遅くなるから帰ろうかというときだった。
おかしなことに気付く。
「なぁ、シルヴィア」
「何かしら」
荷物をまとめながら返事をする。
「この焚火の魔法の火ってさ」
自分もあごに手を当て、首をかしげながら問う。
「風がなくても揺れるのか?」
「―――え?」
ごくわずかにだが。
魔法の火は、ゆらゆらと、一方向に向かって傾いていた。
お腹が膨れました。