8話 水の塔-4-
「え?」
気づけば空中にいた。
あの長い尾で薙ぎ払われたのである。
吹き飛ばされながら、角ばった緑の光の枠で構成された瞬間防御壁の許容を超えて火花とともに盾の魔術回路にひびが入るのが一瞬見えた。
「フレッド!」
視界の端から届くシルヴィアの声。
空中で素早く体勢を立て直して壁に着地、その衝撃に壁は大きく陥没した。そのまま前方に一回転して床に着地。
「大丈夫!そっちは!?」
「おじいちゃん!」
「ほっと!ほいほいほい!」
本当にいい歳なのだろうか、尾撃に次ぐ爪撃を宙返りなどを交えながら軽やかに躱していく。
「『選択式詠唱省略・風』」
グリッチさんが回避に専念している間に、シルヴィアが槍を床に突き立てて魔術を構えた。風の渦が蛇女に向けて口を開くように急速に発達し、周囲に散らばる石の欠片を巻き込んでいく。
「『錐弾風』!」
両の手を突き出すような仕種に呼応するように、横向きの竜巻が石礫とともに蛇女に食らいつくように襲い掛かった。
『!!!????』
グリッチさんに意識が集中していた蛇女はとっさに爪で体を守るも、強力な石礫が全身に傷をつけていく。
『――!』
チャンス!
「『魔道回路連結、禮鞘!』」
保護装具を限界まで解放して隙のできた蛇女の頭上へと跳躍、禮鞘を両手で振りかぶる。
「『必殺剣』ァァァアアア!」
絶対切断の剣と化した光を纏う禮鞘を振り下ろす。
『!!』
だが、身体の芯を捉えたと思えた一撃は、蛇女の爪を数本短くしただけで空を切った。
「まじでっ――――」
巨体とは思えない動きで必殺剣を交わした蛇女の、顔と赤い瞳の真正面の宙で時間が一瞬止まった気がした。
『スゥゥゥゥ』
空気を吸うように口を膨らませる。
よくわからないまま、予感に任せて不安定なまま盾を翳す。
『フォオオオオオオオ』
「――っ!!!」
口から吹き出された圧倒的な量の水に、瞬間防御壁が発動し衝撃を緩和するも、盾に仕込まれた魔術回路があっけなく焼き切れた。
今度は体勢を直すこともできずに背中から壁に激突する。保護装具の魔石が限界ギリギリの赤色の光を放った。
「ごほっ」
壁にめり込むほどの威力の水の噴射を受けて思わずせき込み、意識が飛ぶ。何度も受けていい攻撃ではない。
「ほれお嬢ちゃん行ってあげなさい。『目次呼出!』」
「フレッド、フレッド!」
心配そうな声が近づいてきて俺の手を掴んで壁から引きはがした。
「大丈夫!?」
「あぁあぁあぁ!!」
肩を掴んでぐらぐらと揺すられ余計に意識が混濁する。
「だ、大丈夫だからーぁあばっ!ばばば!」
このままだと別の意味で意識が飛びそうだ。朦朧としながらシルヴィアの肩に手を置いて制止する。
「うぅ……グリッチさんは?」
「止めてくれてる!」
「わかった、急ごう。保護装具の石を取り替えたい」
そういうと、シルヴィアが鞄から魔石を取り出して手際よく取り替えてくれた。
「どこか痛いところはない!?」
「多分大丈夫」
「多分って!」
心配そうな顔をよそに、保護装具の動作を確認する。特に千切れた部分もなく、問題はなさそうだ。
「行かなきゃ」
「伏せるんじゃあ!!」
「!?」
立ち上がろうとしたその時、グリッチさんの声が響き渡る。
はっとして見上げて、振り返ろうとするシルヴィアの頭を抱えて床に伏せた。
頭上を掠めて壁に激突する巨大質量を感じたあと、すぐさまシルヴィアを両足で蹴り飛ばしてお互いに離れる。
「ちょ、ちょっとぉ!フレッド!」
足蹴にしたのが気に食わなかったのか、怒気のこもる声で呻くシルヴィアの声を、二人の間に落下してきたものが遮った。
大の大人数人分の大きさの瓦礫。
鼻先すれすれで回避が間に合ったが、状況は止まらない。
「グリッチさん!」
「良い判断じゃ!」
絶えず回避行動を繰り返しつつ、時折鞄から魔道具を取り出して投げつけては爆炎があがっていた。
「『単独起動禮鞘』!『魔導剣』!」
詠唱とともに禮鞘に光の剣が宿るのを確認して、蛇女のほうへと駆け出す。
「『魔導回路連結、踏空疾走靴』」
マントと保護装具、そして靴の魔法陣が浮かび上がって同調した。
複数の魔術展開は禮鞘内の魔石の消耗が著しい。先ほどの必殺剣は空振りだったものの半分は使い切ったとみて、残量が十分なもの3つ前後。あまり長期戦になってはジリ貧だ。
「フレッド!隙を作って!」
背中からシルヴィアの声が追ってきた。
「了解!」
振り向かずに答える。
「『完全詠唱宣言』!」
詠唱開始の合図とともに、力強く、それでいて優しい青い光が内壁を照らし尽くした。
》》―― 一条の閃きに縋る願いは知られることもなく ――《《
踏空疾走靴による靴裏の空気爆発を駆使して蛇行しつつ、蛇女の攻撃を躱しながら一気に詰め寄っていく。
「グリッチさん!」
『!!』
先ほどの必殺剣を警戒してか、蛇女は禮鞘の剣撃を忌避してその長い尾をよじった。
》》―― 影と影とを引き裂くべくその時は訪れる ――《《
「ほぉ、よほど爪を切られたのを根に持っておるようじゃあ!」
距離を置く蛇女にグリッチさんの魔術の光矢が追撃をかける。
『オオオオゥ!』
蛇女の雄叫びに呼応して複数の魔法陣が出現し巨大な水球を発生させた。
》》―― 果て無きに馳せる無辜なる旅人なれば ――《《
「あれは!?」
光矢が水球に吸収されて無力化したのを見届けると、蛇女の爪が赤黒く変色していく。
「下の階の魔物が使っておった高温の爪じゃな」
接近戦を嫌って離れたはずなのに?
》》―― 今 親愛なる唯一つの罪を以って ――《《
『ウウウ!』
様子を伺うこちらに構うことなく、その爪で宙に浮く水球を切り裂いた。
「しまった!」
その瞬間、急激に蒸発した水分が弾けながら空間に広がり、霧となって視界を埋め尽くす。
》》―― 我が指し示す極点を穿ち征け ――《《
「!?」
「ほべぇっ!?」
霧の向こうで巨大な影と赤い瞳が揺れたかと思うと、気づけば壁にたたきつけられていた。
死角からの床を薙ぐような尾撃。
「フレッド!おじいちゃん!大丈夫!?」
「ってぇ……」
不意打ちにも関わらず、保護装具はそのほとんどの威力を相殺していたが、左腕の感覚がなくなった。恐らく折れたうえで痛覚遮断が作動している。
「っ、俺は……生きてる!詠唱は!?」
「撃つだけ!」
安堵の混じる返事にもうひと踏ん張りと立ち上がる。
「グリッチさん!……グリッチさん!?」
返事がない。
「きゃっ!」
「ぐっ!」
悲鳴に急かされて踏空疾走靴を発動するが、体勢のままならない状態で使ったせいで派手に転がりながらシルヴィアの前にたどり着いた。
「シルヴィア、……っ、大丈夫か!?」
床に伏しながら右腕で上体を起こして蛇女がいるであろう方向を睨みつける。
「ちょ、ちょっとフレッド、その腕……!」
「解除しちゃ、だめだ!」
宙で静止する槍に祈りをささげるように跪くシルヴィアがその手を解こうとするのを制止した。
「っ!でも!」
ちらりと一瞥だけで意思を伝える。
装填された魔術は、彼女が今使える最大級のものだ。魔石の消費量と反動を考えれば一発、撃てて二発。解除してしまえば勝てる道筋がほぼ途絶える。
「よっ、と……」
禮鞘を杖代わりにして立ち上がった。
立ち込める霧が感覚を鈍らせて蛇女の位置がわからない。
「フレッド……」
神経を尖らせても何も気配は感じ取れない。
まさか。
「グリッチさんが危ない……かも」
「えっ」
こちらに攻撃が向かないのは。
「何か霧を晴らす方法は」
「え、えっと!」
シルヴィアの魔術は解除できない。禮鞘でもできるものでなければ。
「風じゃかき回すだけ、熱は焼け石に水だし……」
水――。
「それだ」
「!?」
禮鞘を頭上に掲げて唱える。
「『詠唱省略、水精製』」
簡易魔法。ゆえに、魔力はこめやすい。
「(全開で)」
握る手に力を入れる。
応えるように頭上で急速に巨大な霧の渦が形成されていく。
負荷にカタカタと震え始めた腕を気合で支える。
「すごい……!」
見る見るうちに視界が晴れていくのに、シルヴィアが思わず声を出した。
もう少しで。
「……いた」
それはこちらを見据えて静かに佇んでいた。
獲物を見る眼。
くる。
「狙いを」
「できてる」
こちらの小声でのやり取りを合図にするように、蛇女がその巨躯を斜めに傾けた。
「今だ!!」
「っ!!『星界通門』!!!」
轟。
魔法発動文の瞬間、光を纏ったシルヴィアの槍が空気の壁を破って射出された。
しならせた尾を真上から叩きつけようとした蛇女の体がその衝撃の余波で奥の内壁へと吹き飛び、巨大な亀裂を引き起こす。
「やった?……やった!?」
手応えはあった。
確信から力が抜けて禮鞘を床に落とすと、頭上に形成されていた水の塊が支えを失って降り注ぐ。
「わーーーーっぷ!っぷ!ぷーっ!」
再びびしょ濡れになったシルヴィアが騒ぐ横で、俺は崩れ落ちた。
「はっ!?フレッド!ちょ、ちょっとまってね!すぐ治癒魔法を……!」
視界の端で慌てて即席魔導書を広げるシルヴィア。
その手が止まった。
「うそ……」
反応だけでなんとなく予想がつきながら、力を振り絞って顔だけを上げる。
無傷ではなかった。
だが、致命傷までは少し足りなかった。
蛇女はその右肩と半分以上の尾を失いながらも、残った左腕で這うようにこちらに近づいてくる。
「フレッド!」
立ち上がれない俺の体を肩で抱え上げた。
怒り。
そうとしか判別できない形相で向かってくる。
相手も手負いだが、それでも動ける分だけ、あちらのほうが優勢だった。
「シルヴィア、逃げるんだ」
「いや!絶対いや!」
槍を射出してしまった以上、シルヴィアが使える武器は腰の短剣ぐらいだ。これでは、闘っても致命傷は与えられない。
彼女だけ逃がそうにも、振りほどくだけの力がない。
「また……」
絞り出すように呟く。
「またあなただけを置いて逃げるなんて、もう絶対いや……!」
蛇女が歩みを止めて左手を宙に泳がせ始めた。
「何……?」
咄嗟に跳躍で回避できるよう腰を少し落としながら様子を伺う。
『オオオオオオォォォォ…………』
風を切るような声が響いた。
「あれは」
下の階で見た魔法陣が、無秩序に空間に現れていく。
増えて。
増えて。
「そんな……」
増えて。 増えて。
増えて。 増えて。
増えて。 増えて。
増えて。 増えて。
「うそでしょ……」
増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。
「こんなの……」
増えて。 増えて。 増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。 増えて。 増えて。
増えて。 増えて。 増えて。 増えて。 増えて。 増えて。
「こんなの、逃げ場が……」
蛇女が引きつったように笑った気がした。
そして、その左手を握りこむ。
縦横無尽に生成された魔法陣が一斉に真っ赤に染まっていく。
魔法陣から湯気のようなものが立ち上り始めた。
爆発する。
そう直感が朦朧としていた頭を叩いた。
「きゃっ!?」
シルヴィアに覆いかぶさって押し倒し、床に転がっていた禮鞘に手を伸ばして掴む。
「『解放、守殻陣』」
思いついたのは、簡素な結界陣。
だが。
「あー、魔力切れかぁ」
力が完全に抜けて、思わず笑ってしまった。
「ごめん、ここまでかも」
鼻先が触れる距離で、シルヴィアの目を見つめる。
先ほどの水精製で装填していた魔力はすべて使い切ってしまっていた。
回らない頭なりに必死に打開策をめぐらせるが、何ももう思いつかない。
「ねぇフレッド」
じっと目を見つめて、シルヴィアの両腕がそっと俺の背中に回った。
「これはちゃんと、数えるんだからね」
そう言うと、少しだけ強く顔を引き寄せて、唇を重ねる。
「よかった、今度はちゃんと初めて」
唇を離して、すぐに抱き着いた。
「あーあ!もっと幸せになるつもりだったのになっ!」
抱きつく力を強める。
『そうじゃな、まだまだ君たちは幸せにならねば』
声が。
「グリッチさん……?」
振り返って見上げると、今にも発動しそうな魔法陣の群れの中に『それ』はいた。
「おじいちゃん、その体……!?」
「なぁに、気にするでない!老いぼれの死にぞこないがちょいとばかり余生をもらって遊んでいただけじゃあ」
濃い緑の透ける石鹸のような胴体から、人間の腕と脚と頭が生えた生き物。『それ』が、その透ける胴体の中で鈍く光る宝石のようなものを乱暴に取り出した。
「ナナビの結晶……」
「ほう!見覚えがあるとはやはりただの少年ではなかったか!だが語り合う時間はもうないようじゃあ!」
濃い緑だった体がだんだんと色を失ってどす黒く変色していく。
「それでもこれだけは伝えておこうぞ」
真剣な顔でこちらを見つめる。
「楽しかった。とても楽しかったぞ!この老いぼれの最期を飾る幸せな冒険じゃった。土産話にはもってこいじゃあ。たっぷり向こうで妻に自慢しておくからのう!」
にこりと笑う。
「さらばじゃ少年少女!君たちならばきっとたどり着けるはずじゃあ!」
『それ』が、へたり込んでいる蛇女へ向けて飛び込んでいく。
巨大な体をよじ登り。
力なく開いた口に、宝石を無理やりねじ込んで。
黒く変色していった胴体が一瞬強い光を放ち、収縮する。
最期に振り向いた。
「そうじゃ!サンドイッチはとてもおいしかったぞい!」
――――そして、激しい光と音を伴って、『それ』は大爆発を引き起こした。




