7話 水の塔-3-
水だぁ!
水抜き。
咄嗟に頭によぎったのはそれだった。
ゆらりと円を描き始めた俺たちは、その速度を徐々に増していく。
どうする?とお互いに顔を見合わせるが、打開策はさっぱり思い浮かばない。
「あれは!?」
シルヴィアが慌てるように水の中から手を伸ばして飛沫が上がる。
彼女が指さした先。
「水が、吸い上げられてる……?」
太い柱のような管が螺旋状に内壁に張り巡らされ、その管の中を勢いよくはるか上階へ水が流れている様子が目に映った。
「ほぉほぉ、使った水は上に戻すんじゃな。効率的じゃのう」
「いやいやおじいちゃん!感心してる場合じゃない!」
円を描く速度はすでに人が走って追いつけないほどまでになっている。
「どこかつかまれるところは!?そうだ、さっきの台座……!!」
水の中に頭を突っ込んで、先ほど襲ってきた魔物たちが乗っていた台座を探す。
ない。
流れが速くなってきて判別しづらいが、台座のあった場所には何もなくなっていた。
顔を引き上げて片手で水を拭う。
「柱、柱!」
シルヴィアが屋内の柱を指さした。
「だめじゃ!中央に行けば引き込まれるぞ!」
いつになく厳しい声でグリッチさんが叫ぶ。
しかし、こちらの判断も行動も、大きく渦を作り始めた水の中ではすでに手遅れだった。
「……!いくしかない!」
禮鞘の柄を握りしめる。
「シルヴィア!さっきの呼吸の魔法を!」
禮鞘を突き出して詠唱の催促。
「え!?一体どうするつもり!?」
困惑する彼女に、やや焦りながら叫んだ。
「もう回避できない!流れに任せて突っ込む!」
「────!うん、わかった!」
俺の目を見て、覚悟を決めたように頷き、即席魔導書を取り出して掲げた。
「ほっほ、わしは自分でできるぞぉ」
その横で、先ほどの厳しい顔はどこへやら、随分と余裕そうにグリッチさんが笑う。
「『並列詠唱、魔導具同期【禮鞘】。来たれ原初の記憶、暗き底より光明を仰いだ命の始まりよ、今我に再び宿りて太古の遺産へと導け。水心!』」
差し出した禮鞘と即席魔導書が呼応するように光に包まれ、先ほどの通り呼吸が苦しくなった。
「『目次呼出、呼気圧縮式潜水魔法、発動』」
グリッチさんも小さな本を取り出し、短い詠唱とともに大きく息を吸い始めた。
って。
「(うお……──?おおおお吸い込まれる!!!???)」
正面にいた俺はまさかの吸引力でグリッチさんの口に吸い寄せられていく。
が、呼吸魔法を使ったせいか声が出ない。
「?……!」
じたばたと抵抗する俺に気づいたようで、眉を動かしてグリッチさんがそっぽを向いた。
吸引力から解放された俺はすぐさま水の中に頭を突っ込む。
魔物の残骸や瓦礫が流れていく中に深く潜り、水を吸い上げている入り口を探す。
「(あれか!)」
流されながら、4ヶ所に大きな穴が開いているのを確認できた。
おそらく、どの穴から入っても問題ないはずだ。
どこから行くか、タイミングを計っていると、隣にシルヴィアとグリッチさんが潜ってきた。
穴の大きさは人一人通るには十分だが、二人以上となると接触して危険かもしれない。
人差し指で自分を差し、一つの穴を指さす。続けて、シルヴィア、グリッチさんと指示を飛ばした。
理解したようで、二人とも頷いて返す。
「(俺から行く)」
禮鞘を腰に差し、水を掻いて一つの穴に吸い込まれていく瓦礫たちの流れに向かう。
振り向いて、二人に手を振った。
振り返す二人を確認して、向き直す。
吸い込まれていく流れは、そこだけが急だ。
水の中で、呑めない息を呑んで、手を伸ばす。
一瞬。
まるで竜巻のような細かい空気を含んで少しだけ白く見えるねじれに指をかけると、俺の体は瞬く間にその流れの中へ一気に吸い込まれたのだった。
上へ。
加速して吸い上げられていく様は、まるで真っ逆さまに落ちているような感覚さえあった。
しかし、重力とは真逆の方向に引っ張られているため、上下感覚だけはしっかりしている。
目の前を上から下へ高速に流れていく光景を目で追っていると、水の終点は唐突に訪れた。
「(?……!?!?!?)」
一瞬見えたのは、真正面の壁と左右に水の出続けている穴。
続く視界は、真っ白な床。
石だろうか?
「どぉわわわあああああ!あいだっ!」
暢気なことを考えていると強烈に床にたたきつけられてしまった。
「(保護装具がなければ即死だった)」
絶え間なく背中に打ち付けられる水に押さえつけられながら、首を左右に向けて状況を確認する。
部屋の中央に浮かぶ球体に向けて両手を広げている、二つの牛の角のようなものを頭から生やした女性の巨大な像が一対、内壁の中腹からそびえていた。
「……きゃあああああああ!」
「……っほー、なるほどのう!よいっせーっと」
左右の穴から、俺と同じように顔面から床に突っ込んだシルヴィアと、事も無げに空中で一回転して着地するグリッチさん。
「いたぁいぃー」
急いで立ち上がり、顔を両手でこすりながら慌てて打ち付ける水から逃れるように中央へと移動するシルヴィア。
「ふん、せっ!」
掛け声一つ、自分も水を押しのけて転がるように中央に移動。
水は、この部屋にたまることなく内壁の細かい網目のある溝へと逃がされているようだった。
「ん?あいてっ!」
水の勢いが落ち着いてきたころ、その中からこちらに何かが飛んできて頭を打った。
「……いっててて……あ」
がしゃっ!と音を立てて散らばったのは魔石。
水の中で切り離した鞄とベルトもまたここまで吸い上げられてきたのだ。
「フレッドー!大丈夫ー?」
幾度目かわからないシルヴィアの心配する声に自分の頭を掻いて、軽くたたく。
「今のところ大丈夫」
髪をねじって水を絞る彼女に、半身を起こして軽く手を挙げた。
服が水を含んで重い。
そう考えながら鞄の中を探る。
「……あ」
そこには、グリッチさんの日記帳が入っていた。
慌てて鞄から抜き出し、軽くたたいて水を落とす。
さすがは伝説の冒険者の持ち物、とでもいうべきか。
いわゆる木を透いて作った紙ではなく、限りなく延ばして一般の紙と変わりない薄さと柔らかさを持たせた、羊皮紙でできた日記帳であった。インクも特殊なものなのだろう。まるでびくともしていない。
「それ、おじいちゃんの?」
重そうに体の水を振り払いながら覗き込む。
「ここに入る前にもらったんだけど、水浸しになっててさ。でも羊皮紙の高級品だったから大丈夫だったよ」
「へぇー。日記帳に使う人もいるんだ」
遺跡探索ともなれば、持ち込む道具も過酷な環境に耐えられるものでなくてはいけない。
自分たちが持ち込んだマッピング用の紙はものの見事にぐちゃぐちゃになっており、黒鉛の塊を包んでいた袋からは黒い汁が滲み出ていた。
「あれ、そういえばグリッチさんは?」
二人してきょろきょろとあたりを見回す。
なんとなく嫌な予感がした。
「グリッチさーん!」
「おじいちゃーん!」
先ほど華麗に着地を決めたグリッチさんが見当たらない。
ますます嫌な予感がして立ち上がり、周囲を見渡す。
「おお、二人とも、こっちじゃぁ」
部屋の中央。
巨大な球体の陰から、グリッチさんが小声で呼びながら手をこまねいていた。
その姿に安堵しながら、ベルトと鞄を腰に巻きつけて駆け寄る。
「ほれほれ、そこになにかおるじゃろう」
宝物をみつけた少年のような表情で球体からこっそり顔を出して指をさす。
「……いぃっ────!」
「……うぇっ────!?」
促されてそっと覗いた先に見えたものに、二人して絶句した。
その上半身は人間の女性のようで、下半身はとぐろを巻いた蛇の尾。
自分たちの5倍はある巨躯がこちらに背を向け、くちゃり、くちゃりと気味の悪い音と立てて何かを咀嚼していた。
思わず目を背けるシルヴィアを横目に、その巨大な影が貪っているものに目を凝らす。
「(あれは、さっきの……?もう少し近くに……)」
ぱき。
「あ」
慎重さに欠けていたのか、たまたま運が悪かったのか。
足元の瓦礫のかけらに気づかず踏み抜いた音を、その巨大な影は聞き逃さなかった。
『オオオウ……』
不気味な声とともにゆっくりと俺たちのほうに上半身を向ける。
露わになったその姿は、青白い肌に深い青の鱗のようなものがちりばめられた半身と巨大で鋭利な爪、そして双眸は赤い光の尾を引いていた。
「う……」
目が合う。
その向こう。
ちらりと見えたのは、先ほど自分たちが倒した魔物たちの残骸の、山と重なった肉の塊であった。
水だったぁ!




