6話 水の塔-2-
み、水がぁ!
「『来たれ原初の記憶!暗き底より光明を仰いだ命の始まりよ、今我に再び宿りてあぷぶぶぐぷ……!』」
赤い光に染まる水に飲みこまれる中、シルヴィアが即席魔導書を読み上げるが、詠唱が間に合わない。
一瞬だけ俺に目配せして、あっという間に三人とも完全に水没してしまった。
――
――――
――――――まったく浮く気がしない。
上がっていく水面に対し、腕を掻いて追いかけようにも、ベルトにきつく結んだ腰の鞄にはかなりの数の魔石。これだけで相当の重さがあり、浮くどころか床から一切足が離れない。
というかそもそも。
俺は、泳げない。
「(やばい……やばい!)」
慌てて禮鞘を手放し、ベルトを外しにかかるが、バックルが外れてもベルトが滑ってくれない。何か引っかかったか。
「(くそっ)」
力任せにベルトを引っ張ると、胸の保護装具の魔石が青く光を放つ。すると、鈍い音とともにいともたやすくベルトループの一つがちぎれた。
「(禮鞘……!)」
床に落ちる直前に拾いなおそうとするが、今度は手を伸ばした反動で腰が水中に浮く。
思い通りに体が動かせない。
何度かやり直して辛うじて禮鞘を握り顔を上げる。
と。
「(!?)」
青い双眸が目の前にあった。
慌てて仰け反ると、自分の顔があった場所を細かな水泡がかすめていく。
「(……熱っ!?)」
晴れた視界に見えたのは赤黒く光を放つ三本の大きなかぎ爪。
とかげのような胴体と魚の尾がくっついたような姿の魔物がこちらをじっと見つめている。
かぎ爪からは絶えず水泡が上がっており、かなりの温度を持っているようだ。
「(空気が……!)」
よけた拍子にかなりの空気を吐き出してしまった。
先ほど発動した魔導剣も手を離したときに解除。
とっさに出せるものがない。
あれこれと逡巡する間を、反応を楽しむように左右に首をかしげて魔物が様子をうかがっている。
「(何かなかったっけ!?ジョカさん!?)」
禮鞘を右手で握りしめて構えた。
それを合図と思ったのか、魔物が尾をひとはたき、一度縦に翻って距離をとる。
「(なにか……!)」
勢いをつけて魔物が迫るその瞬間、保護装具の魔石が虹色にまばゆく光り、体が勝手に動いた。
すれ違いざまに体を斜めに引き裂くような振り下ろしのかぎ爪の腕を右足で蹴って軌道をずらし、紙一重でかわしつつ水中で横に回転、禮鞘が光の剣を伸ばし、そのまま魔物の胴体を真っ二つに切り裂いた。
「(え?)」
一瞬の動きに頭が追い付かない。視界の向こうでは赤い光に照らされて水中に広がっていく黒い染みが、二つに分かれた魔物の体からあふれていた。
何が起こったのかはわからないが、とにかく助かった。今襲ってきたのは先ほど石の台座から殻を破って出てきた魔物のうちの一体。
であれば、ほかの魔物も襲ってくる。
「(空気……)」
禮鞘をズボンに差し、必死に腕と足を掻く。水面はフロアの半分ほどの高さまで上がっていた。
慣れないながら少しずつ水面に近づいていくものの、すでに意識は朦朧としてきている。
「(あと、半分……!)」
しかし、その瞬間はあっけなかった。
「ごぼぉっ!?」
唐突に全身に力が入らなくなり、最後までしがみついていた空気は無情にも口から吐き出された。
思わず伸ばした手をすり抜けて、泡は水面へと遠のいていく。
容赦なく水が口から入ってくる。
視界がぼやけていく。
耳鳴りがする。
意識が遠のいていく。
水面が、遠く――――
――――
――
――――光が。
太陽のような光が、迫る。
それがなんであるかはわからない。
その光に、何も、できない。
「(…………?)」
溶け出していく意識が何かに抱きしめられた。
優しく、力強く。
「(……シルヴィア)」
わずかに押しとどまった意識が、彼女を捉えた。
ぼんやりとした視線が彼女と合うと、彼女は一度だけうなずいて。
目を瞑り、迷わずに、俺に口づけをした。
「(――――――――――!?!?!?!?!?!?)」
一瞬で意識が現実に戻ってくる。
動くはずがなかった体が慌ててじたばたと手足を動かす。しかし、彼女は暴れる俺にかまわず、動かないようにしっかりと抱きしめていた。
いや。
むしろ、もっと強く。
何秒経ったのか。
5秒?
10秒?
それとも、5分?
ぽんぽんと、背中を彼女がたたく。
まるで、催促されているようで。
俺は彼女を抱きしめ返した。
「(…………あれ)」
意識がはっきりとしてきた。
それどころか、呼吸できない苦しさが薄らいでいく。
いや、苦しさがなくなったのではない。
――――息ができている
「(これって)」
そう思ったとき、彼女がそっと口を離して俺の顔を覗き込む。俺の意識を確認したのか、一度頷いて、水面に視線を促した。
そして、片手で俺を抱え、水面目指して泳ぎ始めた。
「っぷはぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
みるみるうちに近づく水面を破り、何分かぶりの空気に顔を出す。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息を整えながら、隣の彼女を見やる。
「フレッド、大丈夫!?」
息切れ一つ見せず、開口一番に叫ぶ彼女にやっとの思いで2度頷く。
「よかった!でもまだよ!おじいちゃん!?」
「ほっほぉ、あと三匹じゃぁ~」
ざぱん、と顔を出したグリッチさんが事も無げに返事する。
「げほっ、ごめん、俺泳げなくて……!」
「これ、使って!読み上げて!多分禮鞘に入ってる魔石で使える!」
俺の言葉に間髪入れずに即席魔導書のページを開いて渡す。
「え、ええっと!?」
受け取り、赤い光にかすかに浮かぶ小さい文字が並んだページに目を凝らす。
「『来たれ原初の記憶、暗き底より光明を仰いだ命の始まりよ、今我に再び宿りて太古の遺産へと導け』」
たどたどしくも、読み上げるたびに腰の禮鞘から放たれる光が強くなっていく。
そして。
「『水心』」
魔法発動文を口にしたとたん、唐突に呼吸が苦しくなる。
「水飲んで!いっぱい!っていうか水の中に入って!」
そう言い切るのが早いか、シルヴィアが即席魔導書を取り上げて俺の後頭部を乱暴につかみ、再び水の中に押し込まれた。
「(ちょ、だから泳げないって!)」
そう思うのもつかの間、準備もなく水の中に突っ込まれたせいですぐに口の中に水が入ってくる。
「(うえ、ちょ、頭出させて……あれ?)」
体に入ってきた水が、むしろ心地よい。
胸の中に広がり、新鮮な空気で満たされていくような感覚。
そんなことを思っていると、口から空気が大きくこぼれ出た。
「(……?魚と同じわけじゃない……?)」
疑問符が浮かんだ矢先、隣のシルヴィアも水の中に入ってくる。
赤い光の揺らめく水中に目を光らせ、光を放つ即席魔導書を構えた。
その後方、暗い水底に小さな二つの青い光。
「(!!!!)」
身振り手振りで彼女に後方への注意を促す。
しかし、むしろ彼女は眼を見開き、俺のほうに向かって即席魔導書を構えなおす。
「(これは……!)」
振り向かない。
俺は腰の禮鞘を引き抜き、柄の紋様の一か所に親指を合わせ、刀身に人差し指と中指をかける。
「(無詠唱起動、確かこれで合ってる!)」
手と禮鞘の中を魔力が循環するよう念じる。
禮鞘は応えた。
「(間に合え!)」
勢いよく、そしてまっすぐにシルヴィアに向かって突進してくる魔物に狙いを定め、半身になり腕を引く。
「(いっ――――)」
そして、シルヴィアの横をかすめるように、禮鞘を突き出した。
「(けぇぇぇぇぇぇぇぇ!)」
同時、シルヴィアの即席魔導書がまばゆい光を放つ。
それは俺の肩口をかすめ、続いて俺の後方から鈍い振動が返ってくる。
俺の突き出した禮鞘はシルヴィアに迫る寸前で魔物を光の槍で貫き、その動きを止めた。
お互いに目配せをして後方を振り返る。
俺の後ろには水中でばらばらにちぎれ舞っている魔物だったものが漂っていた。
確認して視線を戻すと、シルヴィアは何か慌てた様子で、もっといえば泣きそうな顔で魔物の顔を蹴飛ばし、一目散に水面へと泳いで去って行ってしまった。
呆然とその姿を見送り、自分も水面へと向かって手足をばたつかせる。水中で息ができるというだけで、こんなにも落ち着いて体を動かすことができるのか、と感心しきりだった。
「っぷへぇぇー」
水面から顔を出すと、先ほどの魔法発動後の息苦しさはなくなり、通常の呼吸に戻っている。
「シルヴィア!大丈夫?」
慌てて水面に上がった彼女に声をかけると、なぜか死にそうな涙目の顔でカタカタと震えていた。
「な、なんでもなぃぃぃ……」
あんまりにもあんまりな表情で絞り出す声には悲壮感すらあった。
「ほーっほぉ、フレッド君、そういう時はそっと抱きしめてあげるのが紳士じゃぞぉ。わしも妻にはそうしておったぁ」
残り一体を撃破したのか、遠くからグリッチさんの声が聞こえたかと思うと、フロアを照らしていた赤い光が再び青い光に戻り、徐々に水面が下がっていくのが見える。
「いやいや、グリッチさん、いくらなんでもそれは……」
「躊躇なくキスができるんじゃぁ。それぐらいしてやらねば、愛想をつかされるぞぃ」
「うぉぉおおっ!?」
どこにいるかよくわからないため見回しながらつぶやくと、いつの間にか耳打ちできるほどに密着されていた。
「あ、あの、シルヴィア、さっきのは……」
「あー!だめ!言わない!聞かない!思い出さない!さっきのは数えなーい!!!!」
恥ずかしそうに水面をバシャバシャ叩いて俺の顔に水をかけるシルヴィア。
俺は苦笑いをしながら、その様子を見守っていた。
すると。
ずん、と地鳴りのようなものがした。
その直後、水面の下がる速度が急激に上がる。
「なぁ、この水ってさ、どこに流れていってるんだ……?」
「え?」
「ほ?」
間抜けな返事とともに三人で明るくなった水底を覗く。
と、そこでは魔物たちの残骸が水の中で大きく渦を巻くように舞い始めていた。
「――――やばくない?」
自分たちも水面上で円を描き始めたのは、その直後のことであった。
シルヴィア的にはノーカンです。




