3話 最低ランク付与試験-1-
今回から本格的にお話が始まります。
(どうしてこんな…)
腹の底から上がってくるような焼けつくような息をつきながら、フレッドは目の前に転がっている巨大なネズミの死骸をにらみつけた。左腕と左わき腹から呼吸のたびに激痛が走る。壁にもたれかかりながら、右手でショートソードを杖代わりに身体を支えていた。
(血はでてないけど、変な方向に行ってるから左腕は折れてる…あばらは折れてるかヒビが入ってるかも)
必死に冷静に考えた。パニックになってはいけない。落ち着きをなくせば、たとえこんな浅い階層でさえ命を落とす。それは、ギルドに入る前からいやというほど冒険者から聞いた話だ。
落ち着け、落ち着け、落ち着くんだ…――やっと冒険者の仲間入りだっていうのに、最低ランク付与試験で死ぬなんてことは、あっちゃいけない。不運は恨むな、けれど打開するんだ。
(不運か…)
――― 昨日 ―――
「冒険者ランクっていうのはわかりやすくいや資格みたいなもんだ」
おやっさんがテーブルにホットミルクのカップを置きながら説明する。
「よほどな犯罪歴でもなければ剥奪されない、実力の証明になるもんだ。さまざまな依頼をどんな形で終わらせたか、その実績をギルドが査定し、その内容を国に報告して通れば公式なランクが決まる。ランクが上がれば低ランクの依頼を引き受けてもいくらかの補助金が上乗せされるようになるが、適性ランクの仕事がある場合は低ランクの依頼は同ランク帯の冒険者に回されるようになるから覚えとけよ。こいつは、本来の『組合』って意味のギルドの方針だ。仕事がなくなって生活できなくなるやつがでてきたら困るからな」
白い文字で『試験中』と書かれた赤い布をおやっさんがテーブルの上に投げた。
「明日の試験だが、こいつをこないだ渡したギルド腕章と一緒に腕に巻いて試験場に行くんだ。試験場つっても本物の遺跡だから気を抜くなよ?試験内容は入口に立ってる試験官兼任の兵士に聞けばいい。毎回若干内容が変わるからアドバイスはできないが、採掘も調査も終わって行き止まりって判断がされた遺跡だから魔物が出たりとかいったことはないはずだ。これからランク付きの冒険者になるって人間に雰囲気に慣れてもらうようなところがある。わかってるとは思うが食糧は絶対忘れるなよ。不合格はねえから、半分食っちまったり状況がやばいと思ったら引き返すんだぞ」
人差し指を立てながら力強く念を押された。
――― 10分前 ―――
(真っ暗だけど燭台に火をつけていけばだいぶ見渡せるな)
試験内容は、遺跡の中に先に入って行った人間がいつまで経っても帰ってこないからその安否を確認してくる、というものだった。制限時間もなく、どこまで潜ればいいかというヒントもない、完全手探りの内容で、実際の遺跡探索を想定しているようだ。
(本やギルドの人たちから聞いてた内容の通りだけど、実際に内部を見てみれば想像と全然違う)
魔物たちは遺跡の闇に潜み、常に喉元に食らいつくタイミングを窺っている。本来遺跡に一人で挑むようなことはないにしろ、パーティを組んでいても壊滅し一人で脱出しなければならない状況もあるという。魔物が掃討され試験場となるような遺跡でさえ、先が見渡せない状況はそれだけで緊張感を煽った。
あくまでも実戦想定として持ってきただけだが、暗闇の向こうに臆してしまい、右手は自然と腰のショートソードに伸び、たいまつを持つ左腕のバックラーを体に引き寄せていた。
「…ふーぅ」
これではいけない、と緊張を解くため大きく息を吐いた。遺跡に入ってどれぐらい経ったか。胸ポケットから懐中時計を取りだし、現在時間を確認する。日の光の入らない遺跡内部では時間の感覚が狂うため、懐中時計を持参するのが当たり前となっているらしい。場合によっては日誌を持ち込み、定期的に現状を記録する方法を取る冒険者もいる。遺跡の最終的な目標は開拓であり、マッピングも重要な仕事だからだ。
「3時間と少し…」
おやっさんの言葉を思い出す。今回は遺跡内に泊る道具は持ってきていない。そもそも一人で仮眠をとるためには結界石等の安全を確保する道具が必要になるが、大ベテランでもあるまいし、まして自分で魔力補充できないので使うことができない。試験合格は後回しになるが、あと1時間程度探索したらおとなしく戻るのがよさそうだ。あくまで今回は試験で、本当に先に入った冒険者が危険にさらされているというわけではないのだ。
そう考えた矢先―――
『キィッ――』
木のドアが開くような鳴き声が聞こえたかと思うと同時、暗闇から胸元目掛けて何かが飛び出してきた。
「―――ッ!?」
とっさにバックラーで身を守るが、不意の衝撃に足元がおぼつかず吹き飛ばされてしまう。そのまま地面に倒され左手からたいまつがこぼれおちた。
『キィィ…』
バックラーに弾き返され体勢を立て直したそれがぼんやりとたいまつの明かりに浮かび上がった。赤い目にひざの高さぐらいの丸いフォルム、左右にチロチロと揺れる細い尻尾――
(大ネズミ――こいつがよく聞くウェアラットか!?)
もちろん動く実物をみるのは初めてだ。大体は冒険者が退治しても遺跡内で食肉にされるため現物をみることはほぼない。なおとても臭みが強く、しっかり血抜きしさばいた後はよく塩もみして臭みをとったうえでよく焼いて食べる。
(いやいや今はそんなことを考えてる場合じゃ――!?)
すばやく上体を起こしたが、すぐに顔をしかめた。左腕がうまく動かないうえ、強烈な激痛が襲ったのだ。そして、口の端からつうとよだれのようなものが滴り落ちた。確認はできないが、おそらく口の中を切ったのか血が流れたのだろう。
『キィ、キィ』
ウェアラットとおぼしき大ネズミが頭を垂れこちらを見据えた。また突進してくる気だ。
(ウェアラットの弱点は、確か――)
ショートソードの柄に手を伸ばし、タイミングを窺う。ウェアラットならば、牙にはそこまで強くはないものの毒がある。万全の状態ならば多少は受けても数分痺れるだけで問題ないはずだが、負傷している今その毒を食らえば死は免れない。
つまり、次の一撃を捌ききって仕留めなければ、死ぬ。
「……っ」
『キキッ』
その瞬間はすぐだった。先ほどの突進スピードと変わらず、まっすぐに顔をめがけて飛び込んでくる。
倒れながら頭上をかすめる大ネズミの腹をショートソードで振りぬいた。
『ギイイイイイイイイイイ!』
自分の後方に血しぶきを撒き散らしながら転がって行く大ネズミを横目に、肩から息を吐いた。そして、力を振り絞って立ち上がる。
『キィ…キィ…』
横向きに倒れ細かく息をしている大ネズミに近寄る。
「はぁ…はぁ…せいっ……っ!」
『キィッ』
ショートソードを首元に突き立て、止めを刺した。
――― 現在に至る ―――
荒く息を吐けば痛みが走る。なるべく小さく呼吸しながら、状況を整理する。
魔物は掃討されたはずの遺跡だった。にもかかわらず、魔物がいた。実戦想定だからこそ、試験という形で数匹放たれていたのかもしれないと思ったが、それにしては緊急事態が起きた場合の対処法などは特に知らされてなかったし、そもそもそれならばそれで魔物の存在があり、危険があることを前もって通達するはずだ。なんせ、試験官の兵士が「まぁ、転んでけがとかが一番怖いから気を付けなよ」って言っていたぐらいだ。
他にも魔物がいるのかもしれない。消えずに燃え続けてくれているたいまつを拾いに歩き出す。さっきまでは他の痛みに隠れていたのか、吹き飛ばされたときに腰も強く打ったらしい、ずきりと痛みが走った。
(不意打ちだったとはいえ、たった大ネズミ一匹に満身創痍だなんて冒険者としては恥ずかしすぎるな)
笑うしかない。そして、自分の甘さが身に染みる。魔物はいないと言われつつも頭と体はしっかり警戒していたのに、いないんだから落ち着け、と警戒を解いてしまった。その瞬間を狙われたのだ。
痛みに耐えながらちりちりと石の床で燃え続けるたいまつに手を伸ばす――
(……しまっ――)
ぐらり、と体勢を崩し、その場に倒れこんでしまった。
そしてここまでの緊張感と戦闘での疲労と疲弊で、そのまま意識を失ってしまった。
試験でまさかの大ピンチです。