飛ばないハト
最近書いたものです。
ササッと書いたのでもうちょっと考えればよかったかなーと少し思います。
学校へ向かう道。
道路に面した道を歩く。
左手にはさまざまなお店が並んでいる。
雑貨屋、酒屋、美容室、飲食店、お弁当屋さんなど。
歩いていると目に留まりやすい外観の店しか覚えていないもので、人間の記憶力の無さを感じる。
右手にはもちろん道路がある。
よく見ると、その道路をハトが横断していた。
遠くから車が近づいてきている。
今のハトの歩くスピードだと轢かれてしまいそうだ。
どうなることかと緊張しながらそのハトを見る。
ハトは近づいてくる車に気づいたようで、早歩きになった。
なんとも不格好である。
ギリギリのところでハトは車をかわした。
「飛べよ。」
気づくと少し笑い混じりにそう呟いていた。
だってそうでしょう?
ハトは上手に歩けるように進化してきたからといって飛べないわけではない。
むしろ今のはどう考えても飛んだ方がよかった。
それなのになぜ飛ぼうとしなかったのか?
わざわざあんなに頑張って首を振りながら歩いた理由がわからない。
まさか歩くのに慣れすぎて飛び方を忘れてしまったなんてことはあるまい。
現代人と同じで疲れているのか?
なんてことを思いながら再び前を向いて歩く。
ふと店側を見た。
商品をディスプレイするための大きなガラス。
そこに見えたのは商品よりもガラスにぼんやりと映った自分だった。
「飛べよ。」
さっき呟いた自分の言葉が頭の中で反響する。まるでヤマビコのように。
未来に向かって挑戦する気のない私に宛てた言葉のようだ。
私は歌を歌うのが人より上手だ。
だから周りの友達は
「これだけ上手かったらきっと歌手になれるよ!」
と簡単に言ってくる。
しかし、学校の成績も悪くないため、親は普通に就職することを望んでいる。
それは私も同じで、就職して安定した人生を送りたいと願っている。
一度歌手になる方法を調べたことがあった。
歌手の世界は厳しい。
しかし、今では誰でも動画をインターネット上に簡単に上げることができ、有名になれる人はなれる時代だ。
それなのに動き出さないのはなぜなのか。
私には、私より少し歌が上手い友達がいる。
練習すればきっと追いつけるレベルだ。
ある日、親戚のおばさんにそういう友達がいることを話題にした。
おばさんは
「そういう子こそ歌手とか目指すべきだよね!サインとか今のうちにもらっときな!」
と言った。
やはりそのおばさんも私には普通の安定した就職を望んでいる。
わかっている。
歌手の世界は甘くない。
売れないとダメなんだから。
自分の思い通りにはさせてもらえないだろうし、やりたくないこともしないといけないだろう。
本当に厳しい世界だ。
だからそんな世界に入るのを身内の子を勧めたくないんでしょう?
親も同じ。
知っている。
わかっている。
だから趣味でしかやってないの。
外にも出してないの。
期待を持たないように。
希望を持たないように。
そう自分に言い聞かせてはっと我に返った。
さっきに言葉はハトに言ったわけで。
自分に言ったわけじゃない。
だからこんなに考える必要なないのだ。
学校に向かう足は止まっていない。
時は進む。
未来の自分はさっきのハトのように道路を歩いているのかもしれない。
飛べるのに、歩くしかないと思い込んで・・・。