第二話 月鎮祭
悪臭を引き連れた八人の男たちが村へと続く林道を歩く。槍、短剣、短弓など各人様々な武器を背負い、本日の狩猟の成果である動物が入った荷袋を引き摺っている。男たちは疲労感と達成感が混じった顔で、今晩の酒の話やそれぞれの妻の愚痴などで盛り上がっている。狩猟の後で気分が高揚しているのでそもそも皆声が大きいのだが、特にやかましく言い争っている2人組がいた。
「俺の方が多く狩ってるっつーの!」
「はっ!兎やら狸やら狩って数稼いでも自慢になりゃしねえぜ。見てみろ俺の狩った猪の大きさを!」
「てめーも前回の狩りは似たようなもんだったろうが!」
「ああん!?てめーと違ってこちとら日々成長してんだよ!」
ただでさえ疲れているところに至極どうでもいい言い争いを聞かされ、先頭を歩いていた男が遂に怒りを露わにする。その男はこめかみに青筋を浮かべゆっくりと振り返り、2人組に告げた。
「うるせーぞ、カルラ、イザドラ。これ以上騒いだらお前らの股ぐら引きちぎって狐に食わす」
男としての処刑宣告を受けたカルラ、イザドラ兄弟はその恐怖映像を脳裏に浮かべ、2つの意味で縮みあがりそっと股間を手で押さえた。
「「すんませんした、シュザさん」」
ぴったりと声をそろえ、二人は先頭を歩く男シュザに謝る。
「ったく……お、篝火がついたな。酋長と……ありゃミネじゃねえか!うおーい!ミネー!ミーネー!」
シュザは先ほどまでの怒りをたたえた顔を途端にだらしない笑顔に変え、篝火が灯った村の方へ駆け出した。
「シュザさん……ミネさんが絡まなきゃ最高にかっこいいのに……」
「てかどこにあんな体力残ってんだ……鹿二頭抱えてんだぞあの人」
カルラとイザドラの力ない呟きに、2歩後ろを歩いていた大男が笑う。
「ま、そう言ってやんなカルラ。ミネは俺やシュザの同世代じゃ気前良し顔良し体良しの抜群にいい女だったし、あいつは俺含む多くの恋敵に打ち勝ってミネを手に入れたんだ。しかもミネの奴は年ごとに美人になってく気さえするしな。そりゃああもなるさ」
遠く昔を懐かしむように大男は目を細める。そういえばちょうどコイツらくらいの頃だっけ、と在りし日の思い出を回想する。腕っぷしでは負けなしだった俺と、いつも皆の先頭に立ってたシュザ。最後は決闘で根負けしたんだっけか
「ドウさん……あんましミネさん褒めるとマウラさんが暴れますよ」
「……余計な事思い出させやがって。いやマウラもいい女なんだが……気性と乳がな……」
ドウは目を細めたまま苦虫を嚙み潰したような顔になった。はぁー、と深いため息をつき、俯きながら独り言つ。
「気性は教育で何とか穏やかになったが……乳はどうもしてやれん……。すまん、ヤヤ」
「はくちん!」
「どったのヤヤちゃん」
「なんか……むずっと来た……」
「誰か噂でもしてるのかな」
「多分……お父さん」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、勘の鋭さを見せるヤヤ。調理場では下準備が完全に終わり、後は主役となる食材が登場するのを待つばかりである。
「あ、皆帰ってきたよ!」
「本当だ……シュザさん……ミネさん持ち上げて踊ってる……あ……怒られてる」
「お父さんはお母さんがいるとすぐ子供みたいになるんだよねえ」
「うちと……逆。うちは……お父さんいると……お母さん……上機嫌……」
「仲良しだねぇ」
「でもたまに……お父さん……震えてる」
ヒナとヤヤが四方山話をしていると、妙齢の女性が手を叩きながら激しく指示を出す。
「はいはい!狩猟士の皆お疲れさん!さっさと水浴びしといで!食料役は獲物を捌いて今日食べる分は取り分けてあとは干物にする準備!手の空いた女性で調理して見習いたちは狩猟道具の手入れと男物の洗濯!行った行った行った!」
男達の帰還で浮かれていた村が、一声で各々すべきことへ向かう。
「今日は……ダナおばさまの『行った』……3回だったね」
「やった!私、的中よ!ヒナ、ヤヤ、荷運びよろしくね!」
「ちぇー。この前もイオちゃんの勝ちじゃなかったっけー……」
ヒナとヤヤ、それに同世代の少女イオの3人で小川で汚れた衣類を洗濯する。泥だらけの衣類を、一枚一枚手で洗いで汚れを落としていく。
ヒナ、ヤヤ、イオの3人が食事場へと向かう。男達もつい先ほど水浴びから帰って来たらしく、篝火に近寄り濡れた髪や体を乾かしている。
隣の調理場からも獣の肉と香草が焼ける良い匂いが漂い、ヒルコの人々の空腹を刺激した。
この日はヒルコで行われる祭事の一つ「月鎮祭」が催される日であった。「月鎮祭」は積もった雪が解けきってから2度目の満月に合わせ催され、冬眠を終えた獣を狩って集落一同でその命を頂く代わりに果実や稲などの収穫物や酒を桶に積み、月の神が棲むと言われる湖へ浮かべるという祭りである。山の動物たちは、ヒルコで崇められる二大神のうち夜の神である「月の神・カヤ」の所有物とされており、所有物を奪われた月神が怒りを鎮めるために農作物を月神に捧げる、という祭りだ。
因みにこの「月鎮祭」ヒルコの子供たちの間では珍しく人気の祭事である。久々の新鮮な獣の肉が食べることができ、集落の皆で楽しく食事が出来るからだ。ヒナも例に漏れず「月鎮祭」を楽しみにしていた。
「では湖へ向かうぞ。女子らは白籠を持て」
装束を改め髪飾りをしたヒナ、ヤヤ、イオを含む8人の女の子たちが供物の入った桶を抱えて酋長の後をついて歩く。普段は立ち入りが禁じられている道、3本の「神霊回廊」のうちの一つ、湖へと続く「月歩道」。小さな頃から度々歩いているとはいえ、ヒナは緊張してしまう。
しばらく歩くと行列は湖に行き当たり、その列は淵に沿うように横に広がる。子供たちはしゃがんで「白籠」と呼ばれる農作物や酒などが入った籠を凪いだ湖面に浮かべ、そっと押して中心へ向かって滑らせた。酋長は少し咳をして喉を整え、厳かに祝詞を唱える。
ヒナは祝詞を聞きながらぼんやり「お腹すいたなぁ」と、村の女性が用意しているであろう食事に思いをはせた。
村に帰って来た酋長たちを迎えて、篝火を囲んで集落一同で酒宴が催された。男衆はそれぞれ飲み比べや相撲を始めており、女子供はそれを笑いながら見ている。神事が催されつつも、今日も平和なヒルコであった。
「ではこれにて消灯とする。わかっているとは思うが、今夜は月の神・カヤ様の御眼に触れぬよう一切の外出は禁止である。」
宴の盛り上がりは泥酔や食事がなくなったことで次第に収束し、終わりを迎える。締めの口上を述べる酋長は、集落の全員の注目を浴びながら固く言い聞かせた。これも「月鎮祭」の習わしであり、月の神の怒りを買うため日没後は太陽の分身とされている篝火の周囲でしか行動できないしきたりである。
言いつけ通り、大人も子供も宴に上機嫌になりわらわらと各々の自宅に向かう。ヒナも、ほろ酔いのミネと千鳥足のシュザに挟まれて楽しげに歩いている。ヒナはちらちらと後ろを振り返って酋長の家の方を見ている。
「どうしたの?ヒナ。」
ミネは優しくヒナに問う。んー、とヒナは少し考えて不思議そうにつぶやいた。
「なんか酋長、そわそわしてたような……?」