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宿業の子ら  作者: 荒石悠平
Ⅰ部 大神の花嫁  
1/3

前話 『戯れ』

 麻布の外套を纏った男達が、宮廷内部の細長い廊下を疾走している。宮廷の外では非常事態を知らせる甲高い鐘の音が響き渡り、夥しい数の松明が蠢いている。廊下を走る男達は8人。各人の体に矢や刀による傷が見られ、返り血も相まって白かったはずの外套は赤黒く染まっていた。全員、既にに肉体的な限界は越えているが、精神力でねじ伏せて身体を動かしている。その中で先頭を走る男・ツァンは後に続く者たちを一瞥し、


「突入時の半分しか残っていないではないか……!」


悔しさに満ちた声で吐き捨てた。標的を殺す動機がまた一つ増える。憎い。憎い。とにかく憎い。殺す。殺す。この手で殺す。頭蓋を砕き心臓を引きずり出してくれる。心の中で呪詛を唱え、頭の中を憎しみで満たす。


 長い間一直線だった廊下に曲り道が見えた。予測が正しければ玉座の間は近い――。ツァンは高揚を抑えつつ、後続へ右折の手信号を送る。しかし曲がろうとした直前で、帽子のような兜を被った槍兵4人の小隊と鉢合わせる。


「うぉッ!?チッ、新手だ!」

「っ、侵入者だ!構えろ!」


 突然の会敵にどちらの先陣も一瞬怯んだが、すぐさま後続に指示を出す。間合いを調節するため、兵士達は槍を構え半歩下がる。その隙を見逃さず、侵入者の後続の4人が大きく跳躍し、空中から拳ほどの大きさの石礫いしつぶて投擲とうてきした。


「ぶあっ」「ぼっ」「がっ!」


放られた4つの石は完全に兵士の不意を衝いた。1つは空を切ったものの、2つは後続2人の顔面にめり込み鼻と口を潰し、1つは先頭に居た兵士の兜に直撃し脳震盪を起こした。ツァンは逆手に持った短剣でよろめく先頭の兵士の喉元を掻き切り、流れるような動きで顔面が崩壊した兵士二人に止めを刺す。しかし、兵士側の残った一人もツァンとすれ違うようにして侵入者の一人を串刺しにした。


「ごぇぁっ」


串刺しにされた男は槍を抱え込むようにして倒れ、槍を戻しきれなかった兵士の体勢を崩す。そこへ矢を握りしめた侵入者の一人が一気に接近し、押し倒してやじりを何度も顔に叩きつける。6回目で兵士はびくびくと痙攣し、ぱたりと動かなくなった。侵入者たちは兵士の死体を乱雑に足で転がし道を開け、右へ曲がる。すぐ先では玉座の間へと通じる荘厳な装いの扉が侵入者たちを見下ろしている。――私と奴の間にある壁はもはやこの1枚のみ。そう思うとツァンは血が沸騰するようだった。


「待っていろ……!」


 ツァンが扉を睨みつけ、怒りを叩きつけるように蹴破った。だだっ広い部屋へと男たちが雪崩れ込む。正面を見据えると、部屋の最奥、壇上の煌びやかな玉座にでっぷりと肥えた男が鎮座していた。その玉座の足元に透けた衣装の若い女を数人侍らせ、いかにも不機嫌な表情を浮かべている。


「覚悟せよ!!」


声を張り上げるや否や、ツァン含む侵入者全員が一斉に短弓を構え、矢をつがえて玉座の男めがけて放つ。矢は空を裂き、玉座へ吸い込まれるように飛ぶ。このまま醜く肥えた男の頭に、腹に、心臓に突き刺さる――かのように思えた。


「ふむ……」


 玉座の男が、空中を泳ぐ矢を眺めながら退屈そうに鼻を鳴らす。彼に突き刺さるはずだった7条の矢は、空間ごと氷漬けになったかのように空中で完全に静止していた。目の前で起きたことが理解できず、ツァンは目を見開く。慣性を失った矢は、からんからん、と音を立てて垂直に床へ落下した。


「……で?」


小さく問いながら、玉座の男が虫を見るような眼差しをツァンへ向ける。ツァンは、先程まで蓄えていた怒りや憎しみが嘘のように恐怖へと塗り替えられる。あれほど熱かった胸の中が冷や水を浴びせられたように冷めていくのを感じた。しかしツァンは恐怖に呑まれる寸前、短剣で己の左手の甲を突き刺し咆哮する。


「う……ウオオオオオオオオオオッ!!」


半狂乱状態になることで恐怖を乗り越えた、否、乗り越えてしまったツァンが短剣を構えて玉座の男へ突進する。目算、壇の下の階段まで20歩。壇上への階段は7段。歩数にして2歩。22歩で、奴の喉元へ私の牙が届く!そう心に言い聞かせ、脚を動かす。あと14歩、13歩。12歩。11歩。あと半分。あと半分で――!!


ばしゃっ。


大量の水をこぼしたような音がした。その後、ツァンが先ほどまでいた場所に赤い水溜まりが出来て、ツァンの姿が消えた。そのように残された6人の認識が逆転してしまうほど刹那の出来事だった。ツァンが内側から爆ぜ、血溜まりとなったのだ。玉座の男が目配せしただけで。

 

「あ……あああ…」


残された侵入者の6人の恐怖が絶望へと昇華された。蒼白した顔で涙と鼻水を垂らし、失禁ている。その様子を見た玉座の男は、表情を変えずに順番に眼差しを送る。するとツァン同様、次々と人の体が血溜まりとなっていった。


ばしゃっ。ばしゃばしゃっ。ばしゃしゃっ。


5人を矢継ぎ早に消したところで、最後に残された一人が過呼吸になりながらも何かを訴えようとしていることに気づいた。泡を口の端に浮かべながら、懸命に顎を動かしている。


「うう、ぃえ、うあ、あい。ゆう、して、くだ、あい」


男が膝をつき両手を掲げ、降伏しながら命乞いを繰り返す。外套を脱ぎ捨て、髪を上下に振り乱しながら何度も何度も同じ言葉を繰り返した。


「う、る、して、ください!ゆぐ、ゆ、るして、くら、さい!」


過呼吸と過度の緊張でうまく発音できていないが、侵入者の男は必死に叫んでいる。その様子を見て玉座の男は少しだけ笑って告げた。


「その浅ましさ、中々に滑稽で愉快である。その調子で余を楽しませよ」


好反応を得た侵入者は、より動作を大きくし、より滑稽さを際立たせ土下座を繰り返す。


「ゆうしてくらさいっ!ゆるひてくださいっ!ゆるっ」


ばしゃっ。


「それしか出来ぬのか……ならば最初の走って来た猿の方が面白味があったぞ」


言いながら血溜まりを一つ増やし、玉座の男は再び不機嫌な顔に戻る。肘置きに頬杖をついて、何か面白いことはないものかと思案を巡らせる。しかし頭の中だけでは特に案が浮かばず、溜息をつきながら周りを見渡してみる。すると、足元に侍らせた女たちが腰を抜かして怯え、肌を寄せ合っていた。冷や汗で透けた衣装が肌に張り付き、潤んだ瞳が美しく光を揺らしている。その艶めかしい様子それを見た玉座の男はじゅるりと舌なめずりをし、


「ふむ……よいことを思いついたぞ」


不気味な笑みを浮かべたのであった。






 『ツァンの謀反』を引鉄に始まった、玉座の男・グェンフーの治世に於ける8度目の虐殺は3日間にわたって行われ、延べ78人が死亡したとされる。


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