まだ、死ぬには早すぎる
――――目覚めよ……――――
耳元で何かが鳴った。
薄れ始めたときとは反対に、急速に五感の感覚が蘇る。
あれ? 私……どうして……
目を開く。何も見えない。
埃っぽい匂い。辺りには音を立てるものはないようだ。
手探りで辺りを確かめる。
ん? この触り心地……机? 机が……一、二、三……三段以上積まれている。
ということは倉庫か何か。使われていない教室のどこかだろうか。
どうしてこんなとこに?
ふと思い出してみる。確か……紙パックのお茶を飲んだんだ。
それで、感想を言って……あ、あいつ! あの女生徒が私の頭に蹴りを!
それで……ここに放置されたってこと?
ま、いいや、とにかく、そろそろ目が慣れてきたし、外にでよう。
明日は慰謝料でも請求しに行くとして、今日は家に帰ろう。
喉渇いた。物凄くお茶が飲みたい。あの暖かくて苦味のある緑茶をずずいっと……
そうして歩きだした瞬間だった。
不意に生まれた違和感。
何がおかしいのか分からない。
でも、確実にさっきまでの部屋とは別の空間に投げ込まれたというか、何かがいる。それは分かる。
私以外に何かがこの部屋に入ってきた。
……あれ? 目の前のあれは……何?
暗闇の中はっきりと、くっきりと周りから切り離されたように、より漆黒の靄が漂っていた。
瞬きしても、目を擦っても消えない暗闇より暗い闇。
不意に掠める級友の会話。
増えた七不思議。黒い靄。
なら、この部屋は……まさか【融解の間】?!
冗談じゃない! 【融解の間】の不思議といえば一番危険な七不思議だ。
【融解の間】に入って小さな石を見つけた奴は体が溶けて死ぬ。
実際に何度か死者がでているらしい。
新聞にも載ったとまで噂される凶悪な七不思議の教室。
昔は2‐Dだったが、あまりにも死者が続発したために物置にされたとか聞いたことがある。
「あ、あの女、何てとこに置き去りにしてくれるかな……」
とにかく出よう。でも、出るにはあの靄を突っ切らないといけない。
けどあの靄は近づいちゃいけない気がするし。
じゃあどうする? どうすればいい?
「結論、小影ちゃんはお茶が呼んでいるので強制突破しちゃいますッ」
ダッと走り出した瞬間、背筋を悪寒が走り抜ける。
本能に身を任せ慌てて身を屈めた瞬間、私の上を何かが薙いだ。
ゆっくりと顔を上げる。目の前に誰かがいた。
いや、それは人なんて呼べるものじゃなかった。毛深い。毛深すぎる。
足には蹄があった。剛毛に覆われた下半身。
胸板の厚い上半身に鋭い爪と太い腕。顔を上げきる。
「あ……うぁ……何? こいつ」
それは……牛だった。牛の顔をした化け物。認識した瞬間、
「ふぐッ!?」
お腹を蹴り上げられて宙を舞う。
後ろの机の群れに叩きつけられた。
息が吐きだされる。
視覚の明滅。
思考が追いつかない。
なんだアレ?
これは夢?
幻覚?
でも……どうして痛みを伴う?
混乱する。逃げなきゃいけないのは分かってるのに、体が、頭が働かない。
麻痺した頭で何とか指令を送る。
ゆっくりと体が動く。
逃げて、動け、走り出せ……
助けなんて呼んでる暇ない、叫んでいるいとまも惜しい。
命のやり取りくらい何度もやったはずだ。
私は取り立て屋。危険なことも何度だって経験してる。その度に乗り越えたはずだ。
ようやく這いずるように距離をとる私、化け物の爪が振り下ろされた。
とっさに転がる。背中に数本の傷が走った。
「くぅっ……」
なにこの展開? 私、なんでこんな奴の目の前にいるの?
ただ日がな一日ぼぉっとして縁側でお茶飲んでいるだけでいいのに、こんなイベントいらないのに。母さんと二人幸せならそれで……
化け物の蹴り。避け切れない。
「グブッ!?」
空気と共に漏れだす液体。
吹き飛ばされて積まれた机にぶち当たる。
崩れだす机、派手な音を立てて私を襲う。
あ……れ……? 何この黒い液体……? 私からでて……る?
生温い……
「は……ぅ……ぐぇ……」
また吐いた。
黒い吐瀉物。胃液なんかじゃない。食べたものでもない。なら……それは……何?
血?
血を吐いた?
誰が? なんで? どうして?
頭がぼやける、
視界が霞む。
体の力が抜けていく……
結論……私が死にかけているから。
い、嫌だ……こんなの……こんな終わり方……
まだ、字川さんに1万円貸したままなのに。
まだ、本田さんに五万、喜多さんに七万、西條さんには二千万を貸したままだ。
それに、まだ……まだ、今日のお昼のティータイムをしきれてないッ!
唐突に、ポワリと手元に輝きが現れた。
それはまるで希望の光。手を伸ばして夢中で掴む。
石だ。小さな黄金。淡い光を放つ金色の石。
「結論。まだ……死ぬには早すぎ……」
藁をも掴む気持ちで、手をぐっと握り締める。
……声が、聞こえた。
登場人物
聖 小影
現在16歳、彼氏いない歴イコール年齢の少女。
基本金かお茶にしか興味がないので、金貸しの回収を行う以外は緑茶をすすってぽけっとしている。
特技に瞬間記憶を持ち、金貸し業の関係で覚えた指弾とデビルスマイルを得意とする。
座右の銘はお前の物は俺のモノ。貸したら返せ命を掛けて。
結城 杏奈
現在16歳、彼氏無し。
小影曰く、紫色に染めたけど、髪が伸びたせいで半分より下だけが紫色になっちゃったとっても可哀想な人らしい。
不良生徒になりかけていたが、小影に打ちのめされて以降小影のツッコミ役にされる。
姐御肌らしく悪態付きながらも手伝ったりする様が密かにクラスメイトから人気を集めている。