予言の矢
続きです、よろしくお願いいたします。
「…………ぐぅ」
にらまれている……。なんだかよく分からないけれど、すっごいにらまれている。
僕たちは現在、『術式研究室』の担当である『ラックス=ニクエアスタ』教授の案内によって、とある部屋に案内されている。そこには来年度、僕やニムちゃんと同期になるはずの女生徒がいる、と言う話だったんだけれど……。
対面したその女生徒『リィナ』ちゃんは、僕を見るなり目を丸くして驚き、そのままコテンといすから転がり落ちてしまった。
リィナちゃんは、肩の部分が若干角ばった、秘書っぽいタイトミニスカートのドレスに、身を包んでいる。背たけはバラちゃんと同じくらい、十歳前後と思われる少女だ。
そんなリィナちゃんは、いまも地べたにペタンと座り込んで、僕をギッとにらんでいる。どうしてそうなっているのかは分からないけれど、かなり動揺しているらしく、その心を現すかのように、彼女の髪――黒いリボンで括られた左右に三本ずつの金髪ドリル――が、ぴょこぴょことせわしなく動き始めている。――どう言う仕組みなんだろう?
「…………ついに、来た……ですの」
「来た?」
リィナちゃんは、ドリルをふよふよ動かしながら、悔しげにつぶやく。来た? いったいなにがだろう? オヤジ? どうにも言葉が少なくて、言いたいことがよく分からない。
「…………存じ上げ……ない?」
僕の首が自然と傾いていく。するとリィナちゃんは、そんな僕の首の角度に合わせるように、徐々に目を大きく開いていく。
「えっ? いや、ちょっと待って! 泣かないで!」
そしてどうやら、僕の反応はリィナちゃんにとっては、かなりショッキングであったらしく、口をへの字に曲げて、目に涙をためている。
――まずい。これはまずい、どうしたら良いのさ、鞆音ちゃん! 女の子に泣かれた時の対処法なんて、知らないよっ!
「…………やっぱり、知らない……です……の?」
あぁ……。そっちも確かに知らないけど……。さすがに「はい、そうです」……とは言えない。
「あぁぁっ! 大丈夫、僕、記憶力がないだけだから! ねっ? ちょっと待って!」
途方に暮れてしまった僕が頭を抱えていると、僕の肩をポンとたたいて、エスケが助け船を出してくれた。
「あぁ、タケル……。彼女の名前は『リィナ=アルクス』。『アルクス』だ、聞き覚えがあるだろう?」
「りぃな……あるくす? うーん……どっかで……」
なにか、忘れている気がする……。なんだっけ? あぁ……、また泣こうとしている。
「タケル様、腕輪ですわ……」
見かねたフィーが、さらに情報をつけたしてくれ……る? ――あっ!
「そうかっ! 『白い腕輪』――弓の!」
そうだった! アルクスって、そうだった! セチェ爺経由で、僕に『白い腕輪』をくれた! おまけに『エクゥス・ルピテス』のプゥちゃんをくれた、あの『アルクス卿』!
そうと気がついた僕は、改めてリィナちゃんを見る。
「…………?」
キョトンとした表情のリィナちゃんは、どうやら涙は止まったみたいだった。だけど、なぜだか僕の一挙手一投足を見逃すまいと言った感じで、僕を凝視している。これは、なんだろう? どこか覚えがある種類の視線だけど……。
「う……ん? ――ぁ」
確かに、その視線の意味は分からないけれど、僕はここにいたって、ようやくひとつだけ思い出した……。
――僕、『アルクス卿』にもろもろのお礼を、まったくしていないや……。
「…………」
リィナちゃんに、そんなつもりはないんだろうけど、どこか責められているかのような視線に、気まずさを感じる。そうか、やっぱりにらんでいたのも、この視線の種類も、怒っているって意思表示なのか。
「えっと……」
とりあえず……こういう時は、うん……。まずはあいさつだよ……ね?
「その……初めまして? タケル=イタクラです。えぇっと、その、お父様にはいろいろとお世話になっております」
精いっぱいの笑顔を浮かべて、僕は地べたに座り込んだままのリィナちゃんに、手を差し伸べる。さすがに女の子がいつまでも、床に座りっぱなしってのもね……。見えちゃってるし……。
「……あぅ……。…………え……ぅ?」
リィナちゃんは、僕の手を取ろうか取るまいかと悩んでいるみたいで、僕の手に自分の手を乗せては引っ込めるということを繰り返し、も一度、ギッと僕をにらむ。
「――なっ、お義父……さま? いえ、まだ……認めるには…………早い」
なんどか手を往復させて、ようやく僕の手を取ってくれたリィナちゃんは、なにかをぼそぼそっとつぶやくと、不機嫌そうにプイッと顔を背けてしまった。
「? 早い? なにが……ですか?」
「――っ、なんっでも……ござい……ません」
かろうじて聞き取れた単語を拾い上げて、なんのことかと尋ねてみると、さらに不機嫌そうに、風船みたく頬っぺたを膨らませてしまった。
「? と、とりあえず、引っ張りますよ? 踏ん張ってくださいね?」
「…………よしなに」
どこかいじけたままのリィナちゃんを、グッと力を入れて引き上げる。その際に、小さく「ほぁ」と、滑りそうになって動転していたのは、やっぱり見ないふりをした方が良いんだろうね。
「…………あらためまして、『リィナ=アルクス』……ですの。姫さま、そしてアックス卿、お久しぶり……です……の」
そしてようやく立ち上がったリィナちゃんは、二度ほど深呼吸をすると、ドレスのすそを摘み上げて、恭しく、お嬢さまらしく、頭を下げる。しかしその時、悲劇が起こってしまったんだ。
――ビリッ……。
突如聞こえてきたその音に、室内が静まり返ってしまう。そして、その場にいる者の表情が、ピシリと固まってしまった。ただひとり――リィナちゃんを除いて……。
「――っ! ん……む。久しぶりだな、リィナ嬢? その、なんだ……。随分と、お美しく……なられた……な?」
エスケは『久々の再会で、なんだか照れるな』――と言う感じで、自然に視線を斜め上に向けながら、リィナちゃんに声をかけている。もしかして、この手の状況に慣れていたりする?
「間に失礼いたしますわ、アックス卿。お久しぶりですわね、リィナさん。その……お元気そうで、なによりですわ?」
そして、あいさつを交わしたエスケとリィナちゃんの間に、にこやかにフィーが立ちふさがり、リィナちゃんと握手を交わす。
「……? ……ありがとう……存じます?」
「――っ! い、いえ、そのままで結構ですわ? 何度も頭を下げる必要はございませんわ!」
フィーに声をかけられたリィナちゃんが、またもやツィっとスカートを摘まみ、頭を下げようとするのを、フィーが必死で止める。そして、その様子に思わず見入ってしまった僕を、キッとにらみ付ける。
――あぁ……。動くと、また裂け目が……。そして僕は、このあと怒られるんだろうか……?
それにしても、どうしたら良いんだろう? さっきからこのお嬢さま、なにか行動を起こすたびに、不幸……と言うか、うかつ……と言うか、無防備……と言うか……。
この様子だと、いまのところ、なにかが裂けたような音には、まだ気が付いていないみたいだけれど……。気がついてしまうのも、時間の問題だよね。いや、もしかしたらずっと気が付かないかも。
「え、えぇっと……。初めましてかな? 俺はシーヴァ=リンニューマ、リンニューマ家の『定紋』継承者です。どうぞ……よろしく」
なんだか異様に緊張した空気に、誰ともなく息を飲む。すると、変に流れを止めてはいけないと思ったのか、シーヴァ君が自然な形で、ニッコリと目を細め――たかのように閉じて、自己紹介をする。――紳士だ……。
「私は、オルディニス=エクエス。姫様の近衛です。どうぞ……よろしく」
そしてそんなシーヴァ君に続くように、オルディがさりげなくシーヴァ君の視界を遮るように立ち、リィナちゃんに握手を求めて手を差し出す。
リィナちゃんは、パッと見、男装の麗人っぽいオルディにほほを染めていたが、なんとかその手を握り、つぶやく。
「……あぅ。よろしく……です……の?」
順々に、そして巧妙に、男性陣の視線を遮るようなフォーメーションを取りながら、自己紹介を終えていく。見事なフォーメーションを見せる皆に驚いたのか、リィナちゃんは、キョトンとした表情のまま、かなり戸惑っているみたいだ。
そして最後に、ニムちゃんがリィナちゃんに右手を差し出して、左手を腰の横でパタパタと動かしながら自己紹介を行う。
「あんな~……。ウチ、ニムファイ=コンソラミーニっち言うんよ~。来年度、『術式研究室』に入る予定やけん、仲よくしちょくれね~?」
もじもじしながら、それでもニムちゃんは、さりげなく僕とリィナちゃんの間に立つ。おぉ……。助かった……。これで目のやりどころに困らないよ。
「…………よろし……く?」
どこか恥ずかしげに、ニムちゃんと同じくもじもじしながら。リィナちゃんは、ニムちゃんの手を握りはにかむ。そこまでは……良かった。
「あ、あ、いけんよ~?」
リィナちゃんは、ニムちゃんと互いにもじもじしながら握手を交わすと、ニムちゃんによって姿が見えなくなってしまった僕が気になるのか、後ろに立っている僕を見ようと、体を傾け始めた。
当然、ニムちゃんはそんなリィナちゃんの傾きに合わせて、体を動かす。もちろん、リィナちゃんを辱めから守るためにだ。
「? ……どして……ですの?」
視界を遮ろうとするニムちゃんに、彼女の優しさに気が付かないリィナちゃん。リィナちゃんは、少しムッとした表情でニムちゃんを見上げながら尋ねる。
――クッ……。この優しさを伝えられないのが、悲しい……。
「……どい……て? 見せ……てくださいの?」
リィナちゃんは、指で僕を指しながら、ニムちゃんにお願いし、体を反対側へと傾ける。それをあわてて追いかけるニムちゃん。
「いけんっちゃ~! フィーちゃん、なんとかしちょくれ~?」
いつのまにやら、ニムちゃんとリィナちゃんは、バスケの選手みたいに、上半身を左右に振り乱している。若干、ニムちゃんの反応が遅いけれど、それでもなんとか食い下がっている。
「そうは言いましても……ねぇ?」
「そうだね。僕にも、どうしたら良いのか分からないよ……」
――正直、僕にとっては、飛び跳ねるニムちゃんも、目の毒なんだけどなぁ……。
そしてふたりの攻防は、ついに決着の時を迎える――
「い~け~ん! ――あっ」
「? なにか……? スースー……しますの?」
――そう。ふたたび聞こえてきた、布が裂けるような音と一緒に、リィナちゃんのタイトミニに、腰までのスリットが入るという形で……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「初めまして…………『リィナ=アルクス』……ですの」
――アレから十分後。
女性陣によって会議スペースへと追いやられてしまった、ラックス教授を含む僕たち男性陣の前に、紫色のふわふわしたロングスカートのドレスに着替えたリィナちゃんが、女性陣に連れられてやって来た。
「…………どうぞ、よろしく……ですの」
そして『これが初対面デスヨー』と言わんばかりに、チョンとスカートを摘み上げて、にこやかにあいさつをしてくる。どうやら、彼女は先ほどまでの一連の出来事を、なかったことにするつもりらしい。
もちろん、僕たちもそれに対して野暮なことを言わず、何事もなかったかのように、自己紹介を続けていく。
そうして、ひと通り自己紹介が終わると、僕たち男性陣はホッとひと息つく。
「ふむ。ようやく、落ち着いたな」
「そうだねぇ……。俺、ルーちゃんに殺されるかと思ったよ……」
「あぁ、僕もあとでフィーに怒られるっぽい……」
悲しいことに、リィナちゃんを除く女性陣のなかでは、アレはなかったことにはなっておらず、シーヴァ君は後ほどオルディのご機嫌取り、僕は後日、フィーとニムちゃんのふたりがかりで説教されてしまうらしい。
「クッ……。あとで、トゥにも知らせてやる!」
「おい、タケル……やめろ? ボキュはなにも見ていない、知らない!」
「あはは……。今回ばかりは、俺もイタクラ君に協力したいなぁ……」
――思わぬところでエスケの弱みを手に入れてしまったので、これは有効活用しようと思います。
僕たち男性陣が、互いの足を引っ張っていると、オルディが軽くせき払いをして、僕たちの注意を引きつける。そして僕たちが、そろってオルディを見ると、オルディは人差し指で会議スペースの片隅を指す。
「三人とも、そろそろよろしいですか? ラックス教授が放置され過ぎていじけております」
そこには膝を抱えて宙を見上げる、やつれた三つ編みの男性――ラックス教授がいた。
「――あっ」
すっかり忘れていた。そう言えばいたね、ラックス教授……。
「その、申し訳ない」
「あはは……。俺たち、そろそろお暇しますから、あとはニムちゃんと、イタクラ君は置いていきますから……ねっ?」
エスケとシーヴァ君が気まずそうにそう言うけれど、虚ろな目をしたラックス教授は、僕たちと目線を合わせることはなく、顔の横でひらひらと手を振っている。
「いや……いいんだ。どうせ、自分なんて……」
そうして、僕とフィー、ニムちゃんを残して、エスケたちはそそくさと『術式研究室』を立ち去ってしまった……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さて、と。タケル様、ニムちゃん、わたくしたちもそろそろ……」
エスケたちを見送ってからそう時間がたたないうちに、フィーがお茶が入っていたカップを机に静かに置いて、僕たちを見渡す。
「そうだね。今日は……その、さすがにいろいろ聞けそうにないし……」
「そうやんな~……」
僕が、いまだにいじけたままのラックス教授を見下ろしてつぶやくと、ニムちゃんも苦笑しながらうなずく。
すると、フィーの前に座って、同じようにお茶を飲んでいたリィナちゃん、もといリィナさん――どうやら僕の一歳下、十五歳らしい。『ちゃん』付けは失礼と言われた――がスッと目を開けて、立ち上がった。
「教授のことはリナに任せて欲しいですの。ですからお三方も、暗くなる前にどうぞご帰宅なさいませ……。それと――」
リィナさんはそう言うと、つかつかと僕のそばに来てまたもやギッとにらんで来た……。そしてグッとつま先を伸ばして、僕のあご先まで目線を近付けると、そのまま――
「えぇっと………………『ずっと……お待ち申し上げておりました、わが一族が求め……望みし、預言の矢よ』……? ――チッ」
うろ覚え、棒読み、舌打ちの三連続で僕に告げる。
「……………………ふぇ?」
「は?」
「あ~、帰りになんか甘いもん、食べたいっち思わ~ん?」
そして突然の言葉に呆ける僕と、フィー、そしてそんなことは知らない、と言った感じのニムちゃんをそろって研究室から押し出すと、リィナさんは最後にもう一度、僕をギッとにらみ付けると――
「…………認めないですの。ふぁっきゅぅ!」
そう言って右手の甲を僕に向けて、その右手が形づくっているであろう、不適切なサインを隠すように左手で覆うと、バタンと勢いよく扉を閉めてしまった。
「なに……いまの?」
「さあ?」
「そげんこつより、早く行こうえ~?」
いつになく力強いニムちゃんに引きずられ、甘味屋に到着するまで……。僕とフィーは固まったままだった……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――どこか遠くの地――
わずかばかりの光で照らされた部屋。その部屋の光は、黄、青、白、桃の光が手をつなぐように混じり合っていた。
そこに新たにひとつ――赤い光が加わり、激しく点滅を始めていた。その赤い光は、部屋の中央に、円を描くように置かれた水晶のひとつから放たれている。
「……む?」
赤い光が室内を満たし始めた直後、その部屋と外界をつなぐであろう扉から、風呂上がりなのか、体中から湯気を立ちのぼらせ、胸もとにバスタオルを巻いた人物が入って来て、ピクリと片眉をつり上げた。
「………………もう、五人目……なんだわ? 『邂逅』だけとは言え、少し早いだわね。いくらなんでも、固まり過ぎ……集まり過ぎだわね~。どんだけ好きなんだわ……?」
あきれたように、嘆息しながらつぶやくと、その人物は頬をポリポリとかきながら、赤い光が収まってきた水晶を見る。
水晶は先ほどまでとは違い、安定した、ぼんやりと柔らかい光を放っている。水晶の数は全部で八つ。八つの水晶には、それぞれ『喜』『怒』『哀』『楽』『愛』『悪』『欲』『怨』の漢字が一文字ずつ刻まれ、そのうち五つが淡く光を放っている。
バスタオルの人物は、それらの光を見渡すと、もう一度大きく嘆息し、誰かに向けるように、自分を奮い立たせるかのように、口を開く。
「………………そろそろ、見ておくべきだわにゃ」
――『噛んだ?』と指摘する者はいない。その人物は、自らの失態を誤魔化すかのように、ポリポリと、恥ずかしげに、そして寂しげに頬をかく。そして最後にひと言、視線を上げてつぶやく。
「………………なぁ?」
それは誰への呼びかけなのか……。やはり答える者はいない。その人物はその事実に、ただ苦笑し、光る水晶を眺めていた……。




