蟲のルピテスと杭
続きです、よろしくお願いいたします。
『ササササササササササササササササササササササササ』
下水道の天井を、よく分からないナニカ――とりあえず『ゴカデ』としよう――が、はいずりまわっている。
非常に僕の怖気を刺激してくる『ゴカデ』に対して数匹。いや、数十匹の『ムゥズ』たちが飛び掛かっていく。
『チューーーーーーーーーーー』
そしてそんな『ゴカデ』と『ムゥズ』の真下。下水道の地面にもまた、もう一匹。『ゴカデ』がその口を震わせて、鳴いている。
『ササササササササササササササササササ』
こちらの『ゴカデ』に対しても。やはり数十匹の『ムゥズ』が飛び掛かっていってる。
『チュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュ!』
僕の目の前ではいま。虫対獣の激戦が繰り広げられている。
『ゴカデ』の姿や動き、それに鳴き声は、ことごとく僕の心を折ろうとしてくる。いまや僕は、『ムゥズ』たちの声をアフレコする余裕すらない。
そんな僕に対して――
『ちゅちゅ? ちゅーちゅっ!』
――僕と最初に出会った『ムゥズ』であるちゃとらが、ずっと何かを訴えかけて来ていた……。
『ちゅちゅちゅ!』
ちゃとらがなにを言いたいのか……。もちろん、なんとなくではあるけれど、予想はついている。
ちゃとらは――いや、『ムゥズ』たちは……。
『ササササササササササササササササササ』
『チュチュっ!』
きっと……。僕をこの場から。虫対獣の戦場から逃がそうとしてくれている。たぶん……。
『ちゅぅ……』
ちゃとらの愁いを帯びた瞳は、僕の顔と、緊急避難用なのか洞窟に空いた穴とを、行ったり来たりと忙しない。
「ちゃとら……」
僕がこの場から動かないことを……。その理由を察したのか、ちゃとらは少しずつ。グイグイと僕の体を、そのバスケットボールほどの体で、出口に向けて押し込もうとしてくる。
その表情は『はやく、はやく逃げて!』と言っているみたいで……。おかげで僕は確信できた。やはり『ムゥズ』たちが僕を逃がそうとしてくれていると……。
するとどうだろう――
『ササササササササササササササササササ』
『チュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュ!』
――いつのまにか、ちゃとらたち。『ムゥズ』たちの背中が広く見えてきた。
『ヂュオー!』
『――サッ?』
地面をはいずり回る『ゴカデ』に、『ムゥズ』たちのボス――たぶん――が、その身をギュルギュルと回転させて突撃していく。
『ササササッ!』
『――ヂュッ!』
しかしその必殺の一撃は、『ゴカデ』の腹部を多少えぐるだけで終わってしまった。それでも『ゴカデ』にとっては痛かったのか、『ゴカデ』はその尾でボスをなぎ払い、下水の壁へとたたき付けてしまった。
「――ボスっ!」
目の前でボスが傷付き。そして――
『サーッ』
『チュクッ!』
「――クロっ!」
――その真上では、クロが『ゴカデ』に頭から食いつかれて、ちょっと融けかけている。
これはもしかしたら、『ゴカデ』と『ムゥズ』の縄張り争いなのかもしれない……。もしかしたら、これで勝った方が人を襲う。そんな可能性も、あるのかもしれない……。
でも……。
『チュフッ……』
『ササササ!』
それでも僕に――
『ちゅちゅ? ちゅうぅ!』
――いまもこうして……。僕の身を案じてくれるちゃとらを……。
『ヂュゥゥゥ!』
『時間は稼いでやらぁ!』と言わんばかりに、こちらを見てはにかむボスたちをっ!
『ちゅっ?』
「――そう簡単に見捨てられるわけがないでしょっ! ――『スルスゥマ』!」
僕は、グイグイと僕のひざを押してくるちゃとらの頭をそっとなでる。そしてそのまま立ち上がると、右腕に装着した『白い腕輪』に意識を集中させ、『紋章力』を流し込み、叫ぶ!
その瞬間。腕輪は白く、淡く輝き始める。
「ふぅ……。ゴキ……ゴキ……。ゴキには火……。もっと強めに炎……かなぁ? ――『マウリス・フラーマ・シールド』!」
そして輝きとともに腕輪が形状を変え始めると、僕はそれに合わせるように『替紋の武器化』を行う。正直、『定紋の武器化』でも良かったかもしれない……。けれど、一斉射撃に近いあちらよりも、せまい下水道なら、一本ずつだせるこちらの方が合っていると……思う。
――正解はあとでエスケやスェバさんに聞いてみよう……。
『ササッ!』
『サササッ!』
僕を中心とした『紋章』の輝きに、『ゴカデ』たちが一斉にこちらをにらみ付けてきた。
「心底気持ち悪いなぁ……。けどっ! ――『フラーマ・サギッタ』!」
僕の手に『炎矢』が一本。それに合わせるように、腕輪の変形が終わる。
そしていま。僕の右手にはシンプルな紅色の『炎矢』が。左手には白地の本体に金色の蔓が巻き付くようにデザインされた弓が、それぞれ握られている。
『――ちゅっ?』
「待っててよ……?」
突然現れた弓矢に驚いた感じのちゃとらに笑い掛ける。
『ササササササ――』
そして僕が弓に矢を番えると、それを脅威と感じたのか……。地面側の『ゴカデ』が、僕を目掛けてはいずってきた。
『ヂュヂュヂュ……』
しかしその突進は長続きしなかった。何度も繰り返し『ゴカデ』に吹き飛ばされて慣れてきたのか、ボスがその行く手を阻む。
『サッサ――』
それを見た天井側の『ゴカデ』が、地面側の意図を理解したかのように、クロやほかの『ムゥズ』たちを吹き飛ばして、こちらに向かってくる。
「でも……。お前一匹になった方がっ!」
真正面から僕を目指してくる『ゴカデ』に向かって。僕は番えた『炎矢』を引き絞り。そして……射る。
――トンッ。
『――サッ』
拍子抜けするほど、小さな音とともに、『炎矢』は『ゴカデ』の額に突き刺さった。
「――『フラーマ・サギッタ』!」
そして僕が追加でもう一本。『炎矢』を生み出したその瞬間――
『サァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――』
――断末魔の鳴き声を上げて、天井側の『ゴカデ』が燃え上がり、灰になっていく。
「これで……。あと、一匹っ」
僕は灰になっていった『ゴカデ』のさらに奥。地面側の『ゴカデ』に向けて、もう一度『炎矢』を番える。
『ササササササ――』
『ヂュブッ!』
「――ボスっ! それに皆、こっちに来るんだ!」
百をこえていたはずの『ムゥズ』たちは、すでにその数を指で数えられるほどに減っていた。
僕は足元の、干からびてしまった『ムゥズ』たちを見る。たぶん、これはきっと……。そうしてはいけないんだろう……。でも。それでも……。
「ごめん……。そして、ありがとう。君たちが引きつけてくれたおかげで、一匹は倒せたし……。もう一匹も、満身創痍って感じだ……。この恩は絶対に……。絶対に返すから!」
僕は視線を残った『ゴカデ』へと戻すと、『炎矢』を番えた弓をさらに引き絞る。
そして、全身を駆け抜ける力が頂点に達した時――
「さあ……。さよなら……だ――」
――ポキンッ。
そんな音とともに……。『腕輪の弓』がポッキリと折れて。そして……消えた。
「――へ?」
『ちゅ?』
『ヂュ?』
『チュブ……』
間の抜けた僕の声に続くように。ちゃとら、ボス、クロ――生きてた――が、小首をかしげて、僕を見る。
僕はと言えば……。弓が消えてしまったせいで、射法のうち『引き分け』の格好のまま、『炎矢』を持っていると言う状態です……。
僕、『ムゥズ』たち、『ゴカデ』の間に、なんだか妙な空気が流れていく。
「あ……。そうか、使用回数……」
さっきの一発が最後? まさかこんなタイミングで? 感触としてはもう少しいけると思ってたんだけど……?
そんな疑問が次々と、僕の頭に浮かんでは……。うん。浮かびっぱなしでパンパンになっていく。
こうなってしまうと……。
『ササササササササササササササササササササササササ!』
当然ですが、脅威がなくなったと感じたのか『ゴカデ』がふたたび、動き始めた。
「み、皆! 逃げるよ!」
やぶれかぶれで手に持った『炎矢』を投げ付けてみるけど……。
『ササササササササササササササササササササササササ』
「あああっ! かわされた!」
僕が投げた『炎矢』を、『ゴカデ』は小馬鹿にするかのように、ちょっとしたトレインダンスを踊るかのように、上体をグルリと回して避けてしまった。
『ちゅちゅぅ?』
『ヂュヂュヂュ?』
『チュフンチュ!』
その様子を見ていた三匹から次々に。僕に対する微妙な視線が投げ付けられる。
『ササササササササササササササササササササササササ』
そしてそんな僕たちに、いよいよ『ゴカデ』が大口を開けて――
「やっははぁっ! 間に合いやしたぜ、アックスのだんなっ! お願いしやっす!」
「ふん……。状況が分からんが仕方ない……。――『インジェンス・スルスゥマ』!」
――「いよいよ終わりだ」と思ったその時。数時間ぶりぐらいではあるけれど。懐かしい声が響き渡る。
そして直後。僕たちを飲み込もうとする『ゴカデ』の背中に、いつか見た『巨大紋』が浮かび上がっているのが見える。
「やはっ! ――『マウリス・フラーマ・シールド』、『フラーマ・クンジェレ』!」
そしてその『巨大紋』を、さらし一丁のプエッラ姐さんが、バチンっと音がするほどに力強くたたき、そのまま『武器化』を発動させた。
そして次の瞬間。
『――サッ!』
巨大な『ゴカデ』の体を、これまた巨大な『炎の杭』が貫いていた。『炎杭』はその周囲に、渦を巻くように炎がまとわりついていて、そこからジワジワと『ゴカデ』の体を焦がしていたけど……。
「――成敗っ! やはっ!」
プエッラ姐さんが指をパチンと鳴らしたと同時に……『炎杭』は『ゴカデ』の全てを引きこむように渦を巻き、その後、『ボフンッ』と言う音とともに爆発した。
すぐ目の前にいた僕や『ムゥズ』たちは、当然ながら、その体液を全身に浴びることになってしまった。しかし、それでも!
「助かった……?」
『ちゅう……?』
僕と『ムゥズ』たちはぼう然としながら、『生きてる』と声をそろえてつぶやいた。
「や、やったっ!」
『ちゅ、ちゅぅぅんッ!』
そんな風に僕たちがはしゃいでいると。僕たちの元に、救いの女神と、ふくよかな男神がやってきた。
「やはぁん……。踊ってやす……」
「ふむ……」
「あ……。エスケ……、プエッラ姐さん……。どうもあ――」
そして例によって――
「さてタケル。なにがどうなって、お前は『ムゥズ』とハイタッチなんぞしてるんだ……?」
――エスケからの事情聴取――と言う名のお説教が、始まった。




