ソナチネ
しゅんしゅんという音を立てて、やかんが水蒸気を吐き出している。
ある晴れた冬のプラットホーム。閉め切られた待合室はそこそこ広く、だが閑散としていた。電車(いや、ここはいまだ汽車であるが)は、三時間に一本しかない。何をするともなく、時間を潰す。外には暖かい陽光とは逆の、冷たい風が吹いている。時折、待合室のガラスをがたがた揺らしていく。これからの不安を胸に抱き、少年と少女が並んで座っていた。
固く握り合った手。そろいのマフラーを首に巻き、それに顎をうずめている。うつろな瞳は、ただやかんをだけ見つめていた。ベンチの足元に置かれたかばんは、いびつに形をとっていた。細い足が、ズボンとスカートから無造作に伸びていた。ぶらぶらと揺れることなく。決して瞳を合わせようともせず、子どもは手だけを固く固くつないでいた。
一輪挿しの花瓶に挿された一輪の花は、ずいぶんと前に枯れ果て、乾いた茶色のオブジェとなっていた。おそらくは、あまり水も貰っていなかったのであろう。少女の瞳が揺れた。それを合図にするかのように、少年が少女を見やった。瞳にたっぷりと溜められた涙は、長い睫毛により零れようとはしない。身を寄せ合い、互いが互いを慰めあう姿の、何といじらしいことか。寒さに打ち震える子どもの、何と儚いことか。
なるほど、確かに暖かな光景も、漂う悲壮感も、どこかこのプラットホームの存在そのものに似ていた。やがてはなくなるであろうもの。何が夢で、何が現かも分からぬもの。
少女が、少年の頬に頭を摺り寄せる。少年はそれを受け、優しく頬で頭をなぜる。一連の動作は猫のそれに似てもいた。だがまったく似てもいなかった。”どこにも行きたくないよ。” まるでそう言っているかのようで。
再び二人はやかんをだけ見つめ、じっと見つめ、ぴくりとも動かなくなった。口が真一文字に引き締められ、何を思っているのだろう。暖かな室内、どちらともなく、まぶたを落とすまいとしている。目を閉じれば、今生の別れでも待っているのだろうか。より一層、握る手に力を込め。足元の大きな二つのかばんは、子どもたちを圧迫しているようにも見える。少年が、かばんをちらりと認めては、怯えたように目をそらす。少女にいたっては、もはや視界に入れようともしていない。陽だまりの下、そこにだけ夜の闇があるように、少年と少女の表情は暗い。星にも似たはずの瞳に、光はない。
汽笛を鳴らし、汽車がホームに入ってきた。たった一両しかない列車。しゅーという音がして、汽車が停まり、ドアが開く。少年と少女は初めて互いの顔を見、ベンチから降りた。それぞれ小さな手に、不似合いなくらい大きなかばんを持ち、よたよたと待合室から出て行く。いったんかばんを置き、扉に手をかけ、そっと押し開く。その隙間から順に出、少女が振り返って扉を閉める。その瞬間の表情は、”泣いても良いのだよ。”と言ってやりたくなるものだった。
またふらふらと重い足取りで汽車に歩み寄り、一段高い汽車に乗り込む。待合室の中以上に不安げな顔をし、二人は車内に消えた。が、やがて窓際の席に決めたらしく、子どもたちは外を眺めだした。この旅立ちの景色を記憶しようというのか。故郷の風景を脳裏に焼き付けようというのか。焦点の定まらぬ瞳が、窓枠いっぱいに周囲を見ていた。
汽笛が鳴り、汽車はがたんと前置いてから、ゆるゆると滑り出していった。少女が窓に手を当て、口を動かした。少年もまた、窓に手をあて、……
あとに残ったものは、静かなプラットホームに、誰もいなくなった待合室。暖かい陽光に、冷たい風。ストーブにかけられたやかんに、茶色になった一輪の花。
情景描写が大好きです。
内容よりも情景の方に力を入れています。