最終話 その国の名は ☆
大地は偉大なり。
超高度高速飛行による絶叫すら上げられぬ恐怖の旅路を終え、ダンジョンの前に降り立った。
生命は大地と共に生きるべきなのだと痛感する。ふと横を見れば地面にしがみ付くかのように倒れこむゲイツが見えた。
「そ、空があんなに怖いとは思わなかった。もう二度と、鳥になりたいとは思わない」
鳥になりたかったのか? 空を飛べれば自由になれるとでも勘違いしたのか。少なくとも鳥人は首領悪鬼にこき使われ、今は俺の配下で自由とは程遠い存在だぞ。
いや、頭の出来だけは自由かもしれない。手の施しようもないし。
「ゲイツ、早く立て。空に戻りたいならそのままでも良いが?」
「失礼しました。問題ありません!」
余程怖かったのか、ゲイツはすぐに立ち上がった。
それから少ししてようやく自分がオワの大森林に来たことに気付いたのか、辺りを見回し始め、最後にはダンジョンの扉に目を向ける。
「何か珍しいものでもあったか?」
「いえ、あの。本当にオワの大森林に来たんだな、と思いまして。てっきり町を譲る際に僕も町と共に移動するものだと思っていたので」
見たことのない世界に来たことによる困惑、そして新たな世界に来たことへの期待か複雑な感情を抱えたまま言葉を出しているせいか、あまりに考えが甘い。
「町の件はおまけだ。すぐにどうこう出来ることではないし、その間ゲイツが帝国に居ても邪魔なだけだ。出来ることがない帝国より、こちらで無茶をやらせた方が経験になる」
無茶、と聞いてゲイツは鳥人に目を向ける。
それも一種の無茶に入るかもしれないが、そういう意味ではない。ある意味、もっと面倒なことだ。
「入るぞ、付いてこい。ホウ、鳥人達はご苦労だったな。もう休んで良いぞ」
こちらが怖い思いをしたとはいえ、鳥人たちが頑張ったのは事実。労ってからダンジョンに入る。
本当なら俺も今すぐ玉座の間に行き寝室に飛び込みたいが、今はまだギルの友人という見栄を張らなければならない。
ダンジョンに入れば、そこは以前と変わらない光景が広がっていた。
エルフが攻めて来たのではないのか? いや、エルフが来ただけだったか?
「誰かいるか?」
事情はここにいる者に聞くのが手っ取り早い。だから声を上げ、近くにいるであろう見張りを呼んでみれば、焦った様子で頭を出す蛇人がいた。
……基本ここの見張りは群犬か蜥蜴人だ。慣れていないというのは分かるが、油断してどこかで休んでいたのだろう。
「ノ、ノブナガサマ!」
「エルフの一件を聞いて急いで戻ってきた。マツを、いや事情を理解している者なら誰でも良い。誰かいないか?」
一度蛇人は見張りの引き継ぎのためだろうか頭を引っ込めるも、すぐに姿を現した。
「ゴアンナイシマス!」
今回の一件を知る者。おそらく族長のマツなどだろうと予想していたが、案内されたのは意外な所だった。
「ライルの家?」
正確にはライルの他にスズリやトドンなども寝泊まりしている共同住居と言うべきか。しかしここの住人は全員未だに帝国にいるはずだが?
誰がいるのかと扉を開けて、中の様子を伺えば。
「セルガン?」
何故ここに? ……そうだ、確か粘液生物をダンジョンに連れて帰る際に同行させたんだった。
今の今まで忘れていたが。
「え? あ、ノブナガ殿? ノブナガ殿! ああ、良かった。忘れられていたのかと!」
「はは、何を言う」
今思い出したから覚えているぞ。今は忘れていない。
読んでいた本を捨てて俺の両手を握るセルガン。俺も力強く握り返してその場を誤魔化すことに全力を注ぐ。
帝国であったことを話すか、それとも投げ捨てられた本について聞くか? いや、それよりも良い手があった。
「ゲイツ、紹介しよう。彼はセルガン。ファース辺境伯の息子だ」
場をゲイツに譲って逃げるとしよう。
俺の背に隠れていたゲイツを前に押しやり、セルガンと無理矢理対面させる。
両者共に困惑するが、種類が異なる。ゲイツは突然の対面になんと声をかけるか戸惑い、セルガンは目の前の人物に見覚えがあるが思い出せないがための困惑。
しばらく見守っているとセルガンはゲイツが誰なのか思い出したのか、驚いた顔でゲイツと俺の顔を交互に見て。
「……え? えっと、ギルゲイツ、殿下ですか? な、何故? は!? 殿下の救出に成功したが帝都の奪還は失敗――」
「いや、帝都の奪還も成功し兄のギルガルもいない。ファース辺境伯のおかげだ。僕がここに居るのは能力のなさ故だ。はは、実感するよ。忠臣、ファース辺境伯の息子の名前すら知らなかったのだから」
「いえ、私の名など父の名に隠れてしまいますので覚えておられなくて当然です。それに少し前までは帝都で騎士をしておりましたので、私の名が広まるはずがありません」
事態の状況も理解できないまま目の前でゲイツに落ち込まれ、セルガンは何とか慰めようとするも。
「はは。帝都騎士団に所属していたのに知らないのか僕は」
逆に悪化した。むしろ厄介な思考になっている。
助けを求めるようにセルガンがこちらに視線を向けてきたので、俺は堂々と頷き。
「エルフについて聞きに来たのだが、何か知らないか?」
逃げ場を作ってやる。残念ながらこのめんどくさいゲイツの対処方法は知らない。ファース辺境伯の息子の名は覚えておくべきとは思うが、帝都騎士団に所属している者の名を全て覚えておく必要はないだろう。少なくとも落ち込む理由にはならないはずだ。
一発叩いて治るのであればそうするが、それはアリスやイフリーナなどが相手の時であり、脆く繊細そうなゲイツにそれを行うのは躊躇われる。
色々と面倒になったら叩くし蹴るだろうが。
「は、はい! 少し前に来て捕らえたエルフですね。二階層で蛇長人が見張っているはずです」
……捕らえている? そして蛇長人のマツが二階層で見張っている。攻めてきたのを撃退して捕らえた? それとも迷い込んだエルフを捕まえた? 駄目だ、まるで分からない。
「ああ、セルガン。実はな、報告に来た鳥人はエルフが来た以外に覚えておらず詳しい状況を把握していないのだ。エルフは何をしに来たんだ?」
「オワの大森林に入ってきた意図は口を閉ざしているので分かりませんが、推測ならいくつか。二階層に行く道中でお話しします。ああ、ちょっと待ってください」
そのまま案内に出ようとしたセルガンだったが、何かを思い出したように家に戻ると先ほど捨てた本を抱えて戻ってきた。
「失礼しました。父上に貰った魔族語の通訳本がないと会話もままならないもので」
確かに必須品だな。配下の魔族の中でも人語を扱える者が少しずつ増えているがまだまだ少ない。しかし魔族語を扱える人族も少ない。そして今はどちらも帝国にいる。
慣れない環境で言葉も通じず、さぞや心細かったであろう。家に引きこもり、久しぶりに知っている顔に出会えば喜びの余り手を握りしめる程度は理解できる。
そして理解しているだろうか? ゲイツはこれからセルガンが味わった心細さを味わうことになることに。自分の今までの行いに目を向けるのは決して悪いことではないが、自分のこれからについても目を向けることを覚えた方が良いぞ。
二階層へ向かう道中、セルガンは知っている限りのことを話してくれた。
ただ魔族からの聞いた部分に関しては聞き間違いの可能性もあるとも言われたが。
オワの大森林に侵入したのは五人のエルフ。主に周囲の警戒を行っていた群犬、鳥人が共に帝国に行っていたため、通常よりもダンジョン周辺に密集気味に配置していた木人が発見し報告。大事を考えその時点で俺に緊急連絡のために残しておいた鳥人を飛ばし、その後にエルフの対策を講じた。
そして対策とは非常に簡単。エルフが進むであろう進路に大量の木人を配置するだけ。
しかし木人の足はそれこそ根であり、非常に遅い。そのためダンジョンに残っている者全員で木人を運搬したそうだ。
そのかいもあり、エルフは木人の密集地に誘い込むことに成功し、四方八方から奇襲。損害を出さずにエルフ全員を捕縛することに成功した。
そして今は二階層で監視していると。
「話はしなかったのか? 魔族たちは無理でもお前なら出来るだろう」
「蛇長人に似たようなことを言われエルフたちに話しかけましたが、ことごとく無視されました」
無視、無視か。なるほど。
魔族だけでなく、人族のセルガンに対しても口を開かなかった。ダンジョンにいるため魔王側だと理解していても、一縷の希望は捨てられず普通であれば命乞い程度はするだろう。
冒険者ではない。自分の命よりも依頼を重視するとは思えない。ならば、国の兵士。それも口を割る気がない程度に忠誠心のある兵士だ。
「確か、エルフの国が国家群にあったな」
「ユゥラ樹林国ですか。そうですね、そこの兵士でしょう」
国家群からの偵察か。おそらく向こうはまだ帝国の一件は続いていると思っているだろうから、その隙を狙っての行動か?
「ゲイツ、相手の行動理由は何だと思う?」
「え、ええ? 僕ですか?」
意見を求められることに慣れていないのか、突然の指名にゲイツが動揺している。帝国から町をもらえば突然の指名で動揺している暇などなくなるのだが。今のうちに鍛えておかないと大変そうだな。
「ええっと。もしかしたらですけど、ダンジョンはついでかもしれません。今まで帝国は少量ながら国家群に食料支援をしていました。ですが、ギルガルが馬鹿をした際にそれら打ち切ったはず。ユゥラ樹林国の目的はオワの大森林で食料の確保なのではないかと」
食料確保か。考えていなかったが、その可能性は大いにあるな。
オワの大森林にどれほどの恵みがあるか確認し、邪魔になるであろうダンジョンの確認。帝国の一件が引き金になって行動に移ったというのも納得できる。
「いい読みだと思うぞ、ゲイツ。それでは直接尋ねに行こうか」
二階層へと移動すればそこには蛇長人のマツが待機していた。おそらく俺が来ることを知って出迎えてくれたのだろうが、蛇人を大勢集めて出迎える必要はないと思う。案内をするマツとそれの補助に少しいれば十分じゃないか?
ただ大勢の蛇人を目の当たりにし、ゲイツが驚いていたので魔族に慣れさせるという点では良かったのかもしれない。
そして案内されたのは二階層に入ってやや奥、玉座の間への道から外れた場所にある崖の下。
「底の浅い洞窟がありましたので、ヒデの所に放置されていた作りかけの木の柵で蓋をして利用しております。監視も常に二名付けており、ここからでは一階層への扉の場所も分からないので逃亡の心配はありません」
自慢気にマツが語るだけあり牢と呼ぶには雑ではあるが、悪くはない。壁を掘って抜けるには硬く、蓋である木の柵に触ろうとすれば監視の蛇人が気づき警戒するだろう。それに底の浅いため奥で固まっても外から見えるため、怪しい行動を取ればすぐに分かる。
「強いて不安を上げれば監視の数か。何かあってエルフが出た時、蛇人だけで止められるか?」
「私は別ですが、蛇人のみでは同数はいないと話にならないかと。とはいえ、大勢をここで張り付かせるわけにもいきませんので、監視の蛇人に何かがあった場合、上の崖の蛇人が大岩を落としてここを封鎖する予定です」
ちらりと上を見れば大岩らしき影が見える。あれを落とすのか。落とせば牢を塞ぐ永遠に開かない蓋になるし、外にエルフが出ていても圧し潰せる。どんな状況でも役に立ちそうだな。
つまりエルフから見える監視と見えない監視の二重体制か。見えない方は死刑執行しか出来ないが。
「なるほど、では安全だな。しかし、エルフから一人一人別々で話を聞きたいのだが、どうしようか。木の柵を外した時点で逃げようとするだろうし。捕縛した木人はいないだろう?」
「それでしたら良い方法があります。少々お待ちください」
そう言うとマツは周囲に待機させていた蛇人を呼び出してあちこちに配置させる。
内容は牢の中にいるエルフを嵌める内容であり、牢の前で話すのはどうかと思ったが、エルフに魔族語が分かるとは思えない。仮に分かったとしても牢の中からではこちらが何をしているのかほとんど分からないので問題はない。
それから蛇人たちが配置に付くまで待ちつつ、念のためにゲイツとセルガンにはこの場から離れてもらう。
準備が整えば俺は牢の前に立ち、中にいるエルフに声をかける。
「これより、個別に話を聞く。今から開けるが、暴れないように」
そう言って牢を引き抜こうとしたが、思った以上に固い。無理矢理入れたのだろうが、取る時のことを考えていなかったようだ。
仕方ないので待機している蛇人の力を借りる。俺が力尽くで引き抜いたように見せかけるため、木の柵の端を尾で掴んで引き抜いてもらう。
「さて、では手前の者から――」
蓋であった木の柵をどけ、声をかけようとするもそれを待たずに牢の中のエルフが一斉に動き出した。
当然だ、逃げ出せる機会が生まれたのだから。五人のうち二人は俺を狙い、三人は出口を探すように牢から出た途端に左右に分かれた。
良い連携だ。見ていた限り話していた様子もないので事前に決めていたのだろうが、誰もが淀みなく動いている。練度が高い証だ。
だが意味はない。
「シャアァァ」
エルフから見えなかっただろうが、牢となっていた崖の壁には多くの蛇人が待機していた。僅かな凹凸に蛇の身体を這わせて、壁に張り付くように待っていたのだ。
そしてエルフが飛び出してきた瞬間に蛇人たちも飛び掛かっていた。
エルフがどのような作戦を取っていようと物量の前には無力。上から飛び掛かってきた蛇人にエルフはなすすべなく巻きつかれ、拘束された。
蛇人が何重にも巻きつき、エルフがほぼ見えず唯一腕だけが拘束の隙間から抜け出しているが、今にも死にそうな感じで僅かに動くだけ。……エルフが窒息や圧力で死んでいないか不安になる。
「皆ご苦労。マツの作戦通り良い動きだった。それではエルフを一人ずつ見て回るので最低限の拘束に切り替えてくれ。……そうだな、目を隠し、抵抗時にすぐ殺せるように首も抑え、抵抗できないように手足に巻きついてくれ。それと誰か、ゲイツとセルガンがこちらに来ないように監視してくれ」
それでは早速、と思うも蛇人たちが中々動かない。一瞬俺への反抗かと思ったが、単純に全員で一斉に巻きついたため自分の身体がエルフのどこを抑えているのか分かっていないようだ。
エルフが逃げ出さないよう注意しながら、少しずつ拘束を解いていく。
「それでは順に見ていく。怪しいと思ったら即座に首を折って良いからな。安全が最優先だ」
さすがに目元、いや頭と首を抑えられ、手足も動かせないとなればエルフも無駄な抵抗はしない。ただ、こちらが何を聞こうとも絶対に口を開かないという覚悟は見受けられる。
やはりそれも、意味はないのだが。
順番に、一人ずつ技能『偽りの私』を発動。
目的は当然エルフの記憶。ここに来た目的から、ユゥラ樹林国の内部情報まで貰える限り貰うとしよう。
こちらが何の質問もせずに拘束だけしていることにエルフが不信感を抱いているようだが、もう遅い。五人分の記憶を覗かせてもらった。
おかげで面白いことが分かった。どうやら国家群は一枚岩ではないらしい。
帝国の内乱への対応について国家群内の各都市国家の代表が集まり会議が開かれた。
そこで決められたのは国家群の新たな防衛体制なのだが、それについては関係がないのでどうでも良い。
問題はユゥラ樹林国がその防衛体制で担う役割だ。
愉快なことにユゥラ樹林国は対帝国と対魔王、二つの勢力が攻め込んできた際の主軸として動く。ただ二勢力分の担当は負担が大きいため、防衛拠点への出資は低くなっている。
そして帝国は今回の騒動で戦争をするような余裕などあるわけもなく、俺もわざわざ攻め込む理由がない。
要は現在の状況はユゥラ樹林国にとって非常に都合が良い。攻め込まない二勢力を担当するだけで他よりも楽が出来るのだ。状況さえ知っていれば笑いが止まらないだろう。
これは、利用できるな。
「誰か、ゲイツとセルガンを呼んできてくれ。エルフはそのまま拘束だ」
あの二人の反応も知りたいな。無関係ではないのだから。
「国家群でそんな話が……。では彼らの目的は?」
蛇人の手招きにより戻ってきた二人に、得たばかりの情報を話す。
「ダンジョンの様子を伺いに来ただけのようだ。ただダンジョンの防衛状態によっては帝国軍が攻めてきた際に、密かに妨害出来るよう地形を把握し作戦を練るなども任務に含まれていたようだが」
「そんな……。自国の利益のために魔王討伐を妨害する算段とは」
「俺としては助かるんだがな?」
俺の立場を忘れている様子のゲイツに意地悪なことを言うと、何とか弁明しようとあたふたするも言葉が出ず、最後には俯いてしまった。
そんな健気なゲイツとは反対に、セルガンは何ら気にした様子を見せずに蛇人に拘束されているエルフを見ている。
「それで、このエルフはどうされるのですか?」
エルフの目的はダンジョンではあったが、俺を害する気はなかった。ならばそこまで過激な対応を取る必要はない。
なんて思うはずもなく、エルフは俺を利用しようとしただけ。なら俺だって同じことをするさ。
「ゲイツ。お前だったらこのエルフをどうする?」
「え、えっと。皆殺し……じゃなくて。甘く見られないように報復をします。例えば、この場で一人を惨殺してその様を他のエルフに見せます。それをユゥラ樹林国に伝えさせ警告とします」
随分と決意を込めて言うが、やや過激ではないか? それに無理して言っているように思える。先程人族寄りの発言をしたことを気にしているのか? 別に気にする必要はないのだが。
ただ、エルフを使いユゥラ樹林国に伝えるというのは悪くない。内容は少し変える必要があるが。
「ゲイツ、無理にこちらに合わせようとしなくて良い。と言うか合わせようと考えた結果がその答えなのか」
俺に対する認識については後で話し合うとしよう。俺は必要ではない限りそのようなことはしないのだ。
今必要なのは、帝国が今回の騒動の後始末を終えるまでの時間稼ぎだ。帝国が後始末を終え、動けるようになれば国家群への牽制になる。それにゲイツがこちらにいる以上ダンジョンが攻められるとなれば、秘密裏に援助はしてくれるだろう。
それと、俺を手助けしてくれる友達が帝国だけと言うのは少ないと思っていたんだ。増やせる機会があるのなら是非とも増やしたい。
「ユゥラ樹林国と仲良くなれるとは思わないか? ユゥラ樹林国にとって最良とは帝国が攻めてこず、オワの大森林の魔王である俺が活動する様子を見せず、いつまでも健在なこと。そうすればユゥラ樹林国はいつまでも今の恩恵を受けられるのだから」
「ユゥラ樹林国にとって現状維持が最良と言うことですか? 帝国としても国家群が下手な暴走をするよりかは、こちらを警戒するだけで何もしないでいてくれた方が望ましいですけど。ただユゥラ樹林国を信用できるか、それと信用されるか。後ユゥラ樹林国が自国の利益ではなく、国家群全体の利益を考えて行動した場合どう動くのかが怖いです」
「信用する必要があるか? 信用される必要があるか? 別に明確に手を組むわけではないのだ。帝国が手を出すことはない、オワの大森林の魔王も動かないという情報を与えるだけで良いのだ。その情報を信じようが疑おうが、ユゥラ樹林国は防備を怠ることはない。ただ、情報通り帝国も俺も動かなければ、ユゥラ樹林国も動く理由はない。そして他の輩が帝国や俺に手を出そうとすれば阻止してくれるだろう。何も起きないことが利益なのだから」
ただ、ゲイツの懸念の通りユゥラ樹林国が自国ではなく国家群全体の利益を考えて動いた場合、帝国も魔王も動けない状況にあると教えるようなものだ。まあ、俺は動けないのではなく、動きたくないだけなのだが。危険であることに違いはない。
そんな危険は抱え込みたくないので詳しいであろう人物に聞く。
「それでセルガン。ユゥラ樹林国は自国の利益と国家群全体の利益のどちらを優先するだろうか?」
「え? 私に聞きますか?」
「当然だろう? 国の防衛の要であるファース辺境伯の跡継ぎ。いや、ファース辺境伯は帝都に残って家督を譲ると言っていたから、もうセルガンがファース辺境伯なのか? いや、手続きなど色々あるからまだか。とにかく、防衛の要であるファース辺境伯家の人が仮想敵国の一つであるユゥラ樹林国について、知らないはずがないだろう」
「まあ、はい。家にも戻った際に陰険爺、いえクラースに国家群全ての都市国家の情報を聞かされた、というか無理矢理覚えさせられましたが。ですが、今の問題はそこまで考えなくても分かります。カルネア公国がどうなったか? 隙を見せれば食い合うような仲です。確実に自国の利益を優先します」
そうだった、内輪揉めをして今の状況を作ったのだったな。ならば自国の利益を捨ててまで国家群の利益を優先することはないか。
ならば問題はない。後はエルフの扱いだが。
「さすがに全員を帰すのはこちらに利益がないな。情報を届けさせるだけなら一人でも、いや途中で魔物に襲われる可能性も考えれば二、三人程度で帰すべきか。何人かは人質として残したいが、どれくらいが適切だ?」
「あの、人質って、必要ですか? その、人質として残してもやらせることもないので、邪魔なだけなんじゃないですか?」
「邪魔? そんなことはないぞ。使い道なんていくらでも――」
ある、と言いかけてゲイツの表情が変化したおかげで気付いた。
……ああ、俺が人質のエルフに何かすると勘違いしているのか。それも非人道的なことを。
そんなことをしたことはない、とは言わない。そんなことをしない、とは言えない。時と状況と場合によってはやる。逆に言えばそれだけの理由がなければしないのだ。
だがそんなことを言っても理解はしてくれないだろう。まだ清濁を併せ呑む度量がないのか、単純に人族と言う分類では同じエルフを助けたいだけなのかは知らないが。
「ゲイツ、人質を残すのは口実を作るためだ。先ほど言っていただろう、信用できるのかと。必要はないと言ったが、あって困るものでもない。例えばユゥラ樹林国が現在の状況をより長く維持したい、もしくは現状よりも有利な状況を作るためにこちらにお願いに来る可能性がある。その際に、捕まった仲間を取り戻すという名目で交渉部隊を送り込むことが出来る。魔王討伐、などのありきたりな名目では他の都市国家から応援を出す、なんて言われかねないだろう?」
だから耳当たりの良いことを言っておく。可能性としては低いだろうがないとは言えない。まあ、セルガンは察しているようだが。
「一人ですと、何かあった時に取り返しがつきませんから二人程度が適切かと。それに二人なら先ほどの話の逆、ノブナガ殿が交渉を望んだ時に一人を開放して伝令とすることも出来ますから」
察しているからこそ、すぐに話を終えられるように合わせてくれる。ありがたい。彼が次のファース辺境伯で良かった。
二人なら、と手前にいたエルフ二人を選んだが、適当に選んだように見せかけて実は最初から狙っていた。
何故なら、この五人の中で一番偉い奴と若い奴だからだ。
偉いということは他の奴よりも情報を持っており、経験も豊富。逆に若い奴は最も生命力に溢れていると言える。セルガンが言っていた何かあった際に最も生き残れる可能性がある。
まあそれはゲイツやセルガン、そして五人のエルフには分からないこと。そもそもエルフたちは目隠しをされ、身動きも封じられているため何も出来ない。自分たちの介入できないところで話が進んでいくのを黙っているしかない。
いや、抵抗しているのかもしれないが蛇人の力が強くて何も出来ないだけかもしれない。
「じゃあ開放する奴はとっとと手放すか。捕まえておく意味がなくなった」
「それでしたら一人、連れて帰りましょうか? 帝国の方からも帰らせた方が色々と早いでしょう」
早い? 何が? 普通に帰すだけならどう考えてもダンジョンから放り出した方が早いと思うが。わざわざ帝国に向かわせてから帰す理由は何だ? 安全面か? それくらいしか思いつかない。
「ああ、そうですよね。ダンジョンで魔王から得た情報なんて、言い方は悪いかもしれませんが信用出来ません。裏を取るために帝国から情報を仕入れなければいけないでしょうが、今の混乱具合だとかなり時間がかかりそうですから」
なるほど、情報提供者の信用度か。客観的に見て魔王である俺からの情報は国家群から見れば、詐欺師の方が信用できるくらいだろう。
だからエルフの一人をセルガンと共に帝国に行かせ、情報の信用度を上げるわけか。国家群が悠長に情報を集めるのを待って時間稼ぎ、というのも悪くはないがユゥラ樹林国だけが先に情報を得ている状況を作り出した方が良いな。
「そうだな、では頼もう。適当にエルフを選べ。今なら鳥人がいるから最速で送ってやれるぞ」
「それについては遠慮します。地に足をつけて帰りたいので」
余程怖かったのか、セルガンの声が若干震えている。ゲイツに至っては体が震えていた。
そこまで怖かったか。まあ、緊急時以外に使いたいとは思わないのは確かだ。
決まったことはとっとと実行するに限る。こちらの話を盗み聞きしておおよそのことは理解しているだろうが、念のために開放するエルフに帝国の内乱終結の経緯を話しておく。
特に俺とファース辺境伯が協力していたことは絶対に伝えてもらわないと困る。強固な協力関係を築いていることを強調し、どちらかに手を出せば両方を相手にすることになると思ってもらわないと。
セルガンの方は徒歩で帰るとのことなので、オワの大森林を出るまでの間は護衛を付け、連れて帰るエルフは逃げないように手を蜘蛛人の糸で縛り、それをセルガンに持たせる。
そして人質として残ったエルフは、暇であろうゲイツに任せるか。
はっきり言って今のダンジョンに余裕はない。主戦力も便利な奴も帝国に置いてきたため、今のダンジョンの戦力では防衛を固める以外の余裕がない。共に帰ってきた鳥人もこれからダンジョンの警戒網を構築せねばならず、手が空いているのは俺とゲイツだけ。
そして俺はこれからの予定を立てる必要がある。皆が返ってきたら様々なことが一気に進むだろう。その時に混乱を生まないようにするために。
ゲイツにエルフの世話を任せ、ライルたちの住処に投げ込んだ。本当は私室で寝泊まりさせてやりたかったが、扉から階層を無視して移動出来るのは俺だけなので玉座の間に連れて来られなかった。二階層は広いからな。
問題だったエルフの一件も片付き、疲労も溜まっているのですぐにでも風呂に入って寝たかったが、玉座が激しく輝き主張するため出来なかった。
正確には玉座の裏に隠してある『ダンジョンを造ろう』が黄金の強烈な光を放っていた所為で。
開かなくても何故光っているのかはおおよそ見当が付く。クエストが達成されたのだろう。
どうせ大した報酬はないのだろうと思いながらも光を止めるために『ダンジョンを造ろう』を開けば。
出るわ、出るわ。達成された物騒なクエストが。
『人族の町を襲撃せよ』『人族を大量に殺害せよ』『人族の首都を襲撃せよ』『人族の首都を占領せよ』『人族の国を亡ぼせ』『魔族の国を築け』
突っ込みどころ満載だ。俺はやってないと大声で主張したい。
まず『人族の町、首都を襲撃せよ』については仕方がない。これについては認める。仕方がないことだった。
『人族を大量に殺害せよ』についても今までにない規模での戦闘だったのだ。複数ではなく大量になってしまう辺りは受け入れるほかない。
しかしだ。
俺は帝都を占領してはいない。帝都を制圧はしたがファース辺境伯と共にであり、すぐに帝都関連のことはファース辺境伯に丸投げしたのだ。占領など何かの間違えだろう。
帝国だって亡ぼしていない。皇族であったギルガルを殺したが、ギルゲイツは保護し預かっている。……帝国なのに皇族がいない状況を作り出してしまったかもしれないが、亡んだ扱いには、ならんだろう? それとも、国の指導者を殺した時点で達成なのか? 国の滅亡条件なんてあやふやだからな。
だが、『魔族の国を築け』これは絶対に否定できる。俺は国なんて築いていない。帝国は帝国のままで俺の支配下ではない。俺の支配下にあるのはダンジョンだけで……。そういえば、帝国から町を一つ貰うんだったな。いや、町一つだけだ。第一、俺が建国宣言をしていないのだから、魔族の国など築いていない。
疲れて帰ってきて休もうとした矢先に更に疲れることになるとは。クエストの達成報酬を確認する気にもならず、全部取り出して確認は明日に回そうとしたが。
「何だ?」
クエストの達成報酬は吐き出したはず。現に『ダンジョンを造ろう』の下には達成報酬と思われる剣や盾、金属や不思議な光を放つ装飾品などが出てきて床に転がっている。
なのに『ダンジョンを造ろう』は未だに黄金の光を放ち続けている。まるでまだ見て欲しい物があるかのように。
いったい何なのか。
確認すべく『ダンジョンを造ろう』を見れば。
大魔王への昇格条件。
大きく、そう書かれていた。
今までとは明らかに違う演出。つまりこれはそれだけ重要と言うことなのだろう。しかし大魔王への昇格条件?
魔王から大魔王になれるということか? そう言えば魔王は職業だった。
……待て。魔王は俺が生まれた時から持っていた職業だ。そして職業は四段階。まさか、魔王は一番下の職業で、大魔王は二番目の中級? 上にまだ二つあるということか?
・大陸を――
バタン! と俺は勢いよく『ダンジョンを造ろう』を閉じた。
理由は単純。この本が勝手に大魔王への昇格条件を提示しようとしたからだ。
魔王と言うだけで俺はアリス、上級剣士と戦うことが出来た。大魔王ともなればあの剣聖とも互角に戦えるかもしれない。
しかしだ、そのためには『ダンジョンを造ろう』から提示される条件を達成する必要がある。
もし仮に、大魔王への昇格可能、などなら俺は躊躇いなく大魔王となっただろう。しかし、『ダンジョンを造ろう』は条件を提示しているだけ。その条件を達成しない限り大魔王になるのは不可能だろう。
だが俺は知っている。この本の物騒さを。性悪さを。
提示される条件はおそらく、何かを殺せやどこかを占領せよなど、面倒極まりないことだと容易に想像できる。
あの剣聖と互角になれるかもしれないのだ。多少厄介程度の甘い条件のはずがない。
だから俺は条件を見ずに閉じた。見ても意味がないからではない、見て意味があった場合が怖いからだ。
もしも多少の無茶でどうにかなる条件だった場合、俺はその無茶をしてしまう。たとえ命に係わる可能性があっても、対価が剣聖に匹敵するかもしれない強さなら欲を抑えきれない。
ここで見さえしなければその危険はなくなる。そもそも帝国と堅固な友好関係を築けた以上個の強さなど不要。アリスやオルギアなど配下がいれば十分!
そう自分に言い聞かせて俺は逃げるように大浴場へ行き、忘れるために早々に床に就いた。
「何? ようやく帰ってきたのか」
俺がダンジョンに戻って一か月。ようやく帝国に置いてきた配下たちが戻って来たらしく、警備網に引っかかった。
まあ、少し前から交渉が長引いているとは連絡が来ていたが。
「誰か来たのか、魔王? 迎えに行ってやろうか?」
そう言ったのは俺と共に一階層を見て回っているエルフのムゥア。捕縛された五人組の隊長だった男だ。
今でこそゲイツの傍に付き添い、色々と世話を焼いているが少し前までは事ある毎に自殺しようとしていたのだ。ユゥラ樹林国に迷惑をかけないために。
それを止めさせたいとゲイツから泣きが入ったため、仕方なく死んだらダンジョンの情報を流せない、ゲイツと共にいればダンジョンの情報が手に入りやすいと餌を与えるように助言したところ、今までの自殺志願者が嘘のようにゲイツの身の回りの世話をしている。
「お前を迎えに行かせたら逃げるだろうが。黙って待っていろ」
おかげでゲイツの世話やダンジョンの改築案など精力的に働いてくれているが、隙があれば外に出ようとする。ダンジョン内部を確認し終えたということなのだろうが、部下であるはずのもう一人のエルフを平然と置いていこうとするから厄介だ。
後、改築案は全てエルフにとっての改築案であり防衛を不利にする内容なので全て無視している。
「迎えに行かせるならティアに行かせる。しかしそうだな。ゲイツにも迎えに出てもらうか。俺の配下とはまともに顔を合わせていないだろう? 癖が強い者が多いからな。少しでも早く顔を合わせて慣れておけ」
「「は、はい!」」
元気に返事をするゲイツとティア。念のために護衛の魔族も付けて置こう。
ティアとは人質として残したもう一人のエルフ。愛国クソエルフと異なり、ダンジョンと言う特殊な環境にも馴染み始め、最近ではゲイツと共にセルガンが置いていった本を基に魔族語を習得しようとしている姿を見る。
ゲイツとの仲も良好。はっきり言うと愛国クソエルフのムゥアより重宝している。人質だが返したくないな。
迎えに出ていくゲイツ達を見送り、その後に続こうとするムゥアには『重力』を使って出ていくのを阻止する。
「お前には二階層での意見が欲しいのでこっちだ」
「ぐぇぇぇぇ!」
『重力』を強くしすぎたか。まあ良いか。仕置きの意味を込めしばらくこのままにしてから二階層に向かうとしよう。
「岩だらけで殺風景な場所だ。そうだな、一階層から木々を持ち込み少しでも緑を増やすべきだな。それと道が曲がりくねり過ぎている。整備して行き来がしやすくすべきだな。それと峰に何か作ろうとしているな。大して役に立たないだろうから止めた方がいいぞ」
ムゥアは二階層を見て回った感想を自信満々に述べ、俺は今の感想から愛国心と言う余計なものを抜き出す。そうすると。
『殺風景で身を隠す場所が少ない。木々などで視界を遮るものが欲しい。道が曲がって侵攻しにくいので整備しろ。それと峰に作ろうとしているのは砦か? 邪魔になるので絶対に止めてほしい』
実に分かりやすい。森での戦闘を得意とするエルフにとって山岳地帯は鬼門と言うことなのだろう。配下が戻ってきたら絶対にここら一帯、特に峰の砦作りに力を入れよう。
これで一階層も二階層もかなりの改築計画が出来上がったな。今ならムゥアを手放してダンジョンの情報が流れようが、別物と言えるほど変わっているだろうからまるで痛くない。
人質を利用せず手放すなどもったいないことはしないが。
問題は帝国から貰える町だな。人材はある程度はそのまま流用できるが、こちらの人材も送らねばならない。それがどれほど必要か。
それに折角の人族の町なのだ。人族の技術も欲しいから、習得のために魔族を派遣しないと。
……そうすると、技術力が大幅に向上するか。今の改築計画の質を上げられる。しかし技術習得にどれほどの時間が必要か。それにどのような技術を得てくるかで改築計画も大きく変わる。
その辺りはトドンやスズリと相談する必要があるな。いつ町を貰えるのかもわからないのだ。
「そうだ! 程度の低い柵が量産されていたな。あんな簡易で質素なものを多く作り壁とするのが良いぞ。技術力がなくても簡単にできるだろう?」
『良いことを思いついた。辛うじて柵と言える程度の木材があったはずだ。あれを大量に用意させよう。あの程度なら容易に解体して再利用できるので、侵攻の際に使えるはずだ』
良し。量よりも質を取ろう。少し改築計画が遅れるが、安全のためなら致し方ない。
それからしばらく二階層を見て回り、一階層に戻ると賑やかになっていることに気が付いた。
どうやら戻ってきたようだな。
無事とは思うが一応様子を見に行こうかと考えたが、その前にこちらに向かってくる気配がある。
「ノブナガ様! ただいま戻りました!」
シバだ。どうやら帰還報告のため俺の元に大急ぎで来てくれたようだ。だからムゥア、臨戦態勢を取るのはよせ。
「元気そうだな。皆無事か?」
「はい! 帝都滞在中に問題はなく、帰還の道中も騎士団が護衛についてくれておりましたので」
それは良かった。アリスやイフリーナなど問題児がおり、魔族の扱いも慣れていないだろうから問題の一つや二つはあるかと覚悟していたが。護衛も付けてくれたというし、かなり配慮してくれたのだろう。
「それと、スズリが交渉の結果について報告したいと探しておりました。おそらくまだ一階層の入り口に居るかと」
「それは重要だな。それに一度皆の顔を見ておきたかったところだ。すぐに行こう」
「それでは先に行き、ノブナガ様がお見えになることを伝えてまいります」
そんな大層なことはしなくて良い、と言う前にシバが行ってしまった。皆の元気な様子を確認し、スズリから報告を受けるだけなのだ。特別なことなど何もないのだが。
大げさだな、と思いながら一階層の入口へと向かった。
「すまない。もう一度言ってくれ」
大げさ? そんなことはない。俺の知らぬ間に大変なことになっていた。
「国の名前を決めてほしいと言ったのですが?」
うーん? スズリの言っていることが理解できない。
「ああ、すまない。違うんだ。最初から頼む。全員、スズリの話に耳を傾けるように」
もしかしたら俺の耳が壊れているだけかもしれないので、その場の全員に聞いてもらおうとしただけなのだが、スズリは何を勘違いしたのか納得したように頷き全員に語り掛けるように声を上げる。
幸い、ここはダンジョン一階層の入口。遠征組の出迎えに居残り組が来ており、ここには俺の配下のほとんどがいる。これだけの耳があれば先程のは俺の聞き間違いだと証明できる。
俺の言葉に魔族たちが一斉にスズリへと目を向け、何故かゲイツに絡んでいたアリス達もつられてそちらを向く。
「皆さま、今回の一件お疲れさまでした。帝国へ遠征された方、ダンジョンに居残り防衛に徹せられた方、両者の努力により、我々は大きなものを得ました。一つは帝国からの信頼です。その証拠に帝国次期皇帝のギルゲイツ殿下がこちらにおられます。これにより、もし我々に危険が迫れば帝国は必ず手を貸してくれるでしょう」
そのようなことは起きないのが一番ではあるが、いざという時に確実に助力を得られるのは助かる。配下たちへの負担も減り、誰もが喜ばしい結果だと思ったのだが。はて、配下たちの顔が優れない?
いや、あれはスズリの言葉に納得していない顔だ。
「別に他からの助力などなくともノブナガ様がいれば問題ありません」
ランが腕を組みながら必要ないと強気な発言をし、それに同調するように他の族長たちも静かに頷く。
なぜそこまで自信を持てるのか。ああ、帝都を襲撃して勝ったからか。確かに、自信を得ても仕方がないとは思うが。
帝都の一件はあくまで一部貴族の反乱なのだ。そして味方にはファース辺境伯と言う強力な貴族がいた。
しかしスズリの言う危険とは国が攻めてくるような場合だ。その国の全ての貴族が攻めてくる、と言うわけではないが。少なくとも帝都の一件に関わった数の貴族と兵士が攻めてくるだろう。
そうなれば、質は同等、地の利はこちら、人数差は十倍と言ったところか。ふむ、無理だな。
運よく一度は撃退出来ても被害が大きく、回復する前に第二陣が来て殲滅されてしまうだろう
それを伝え、帝国が味方となることの有用性を教えられれば良いのだが、無理だろうな。おそらく万を超える敵など想像したこともないだろう。
「……そうですね! 確かにノブナガ様がいれば問題はありません。ですが、使えるものが増えるということは、ノブナガ様にとって非常に助かることなのです!」
ランの想定外の発言に一瞬硬直したスズリだが、諭すよりも肯定した方が楽と分かったのか、俺の方に話を持ってきた。
俺としても面倒な説明などしたくもないので頷いて返す。
すると魔族たちは良いものを得たのだな、と納得した様子で周囲の者たちと喜びを分かち合っている。
色々とずれているような気がするのだが、俺への忠誠故ということにしておこう。
「それともう一つ。帝国国境にある町を貰いました。ダンジョン外初の領地と言えるでしょう。これにより税を得ることが出来ます。また町を持つことで今までのように交易に頼らず商人から物を買えるようになります。職人を育て作らせることも出来るのです。今まで出来なかった様々なことで出来るようになります」
単純にゲイツに町を治める経験を積ませようと思って要求したのだが、想定外のおまけが付いてきた。しかもそのおまけが本命と言えるほどの価値を持って。
俺は人族の技術が手に入ると思っていた。人族の領地が手に入ると考えていた。だが実際は違う。
人族の中に入るんだ。
今までは一線を引いていた。居場所はダンジョンだと。人族は敵だということで。時折俺が人族の中に紛れ込んだり、ファース辺境伯と関係を持ったりした。
しかしそれでも、一時的なもの。過度に入れ込むようなことはしなかった。
しかし人族の領地を持ってしまえば今までのように一線を引いてはいられない。線を跨いで入り込んでいかなければならない。
人族の領地を持つことによる大きな利益。しかし同時に大きな不利益も背負うことになったのだ。
俺が引き籠ることが出来ない。
残念ながら俺以外に人族とまともに話せる魔族の配下は育っていない。オルギアは良識があり人族についてそれなりに分かっているので任せたいのだが、容姿が恐ろしいため逆に人族が話せなくなる。ランなど人語を話せる魔族はいるが、まだ魔族としての思考が強く安心して任せることは出来ない。
スズリが理想なのだが、スズリには他にしてもらわなければならないことがたくさんある。
何故スズリは一人しかいないのか、と嘆きたくなる程度には優秀な人材が常に不足している。
ライルなどスズリの補佐が出来る者はいるが、スズリの代わりとなるものはいない。
「ふむ? スズリ、良く分かりません。物ならヒデら小悪鬼が作っているでしょう?」
「……質が違います。ええっと、今までと異なり鉄が容易に手に入りますよ? それに職人が育てば今まで存在しなかった蜥蜴人用の全身鎧など作れます。ああ! オルギアさんの義手の件のように困ることが無くなると言えば理解しやすいですか? 他で言うと例えば――」
理解力の乏しい魔族を相手にそれぞれの魔族に想像しやすい利点を示す。
人族の物が手に入るだけでなく、魔族用の道具を作ることが出来る。トドンに教わった以上の人族の技術を得られる。人族が農業で使っている食物の種なども容易に手に入り、栽培方法も簡単に分かる。
スズリが言葉を尽くしてくれたおかげで大半の魔族は利点を理解できたようで、あれが出来るこれが出来ると新たな可能性に想像を膨らませている。
「町を得た利点は皆さま理解できたと思います。そして、ノブナガ様が町を得たことで可能となったことがあります。それが建国です!」
おそらくスズリからすればこの建国宣言は意外性があり、かなり盛り上がるはずの重大なことだったのだろう。両手を広げて大事のように言った。
しかし反応は。
「へぇ」
あまりにも淡白だった。
勿論スズリの想像通りに驚いた者もいる。ライルやオルギア、セルミナなど良識のある者たち。
ただここに良識のある者は少なくアリスやイフリーナはへぇ、とあまり興味がない様子で驚いているゲイツに絡み、ランら魔族はあまり理解出来ていないようでスズリが大々的に何か言っている程度の反応で終わった。
「え。えっと。建国って分かりませんか?」
「はぁ? 分かりますが? 人族の言う帝国やら王国のようなものを国と言うのでしょう? で、それを作ると。それが凄いとでも? ただの大きな集まりでしょう?」
国がただの大きな集まりか。まあ主権だの領土だの話をしたところで魔族に分かるはずもなし。それに間違っているわけではない。
しかしスズリは困っただろう。スズリにとってこれこそが本題。そのための長い前振りだった。それがランの無情な一言により一瞬で全員からの関心を失った。
ここからラン、いや魔族の分かる言葉で国について説明して関心を戻せるだろうか。難しいだろう。
ただこの流れは俺にとってありがたい――。
「大きな集まり? なるほど、あながち間違ってはいません。ですがランさん、それではまだ考えが甘いです」
「ほう?」
スズリに考えが甘いなどと指摘されるとは思っていなかったのか、ランは一瞬驚いた表情をしてすぐに妖しく笑った。……あれは獲物を捕らえる時の狩人の目だ。
ここでの返答を間違えればスズリに不幸が訪れる。しかしスズリは自信ありげに微笑みで返し、俺の方に手を向ける。
……何故、俺?
「ランさんは、ノブナガ様がこのオワの大森林と帝国から貰った町一つだけを治める程度の器しかないとお考えなのですか?」
いったいスズリは何を言い出しているんだ。
「ほう。続けなさい」
続けなくて良いです。
「ランさんはノブナガ様が自身を何と名乗られているかご存知ですか? オワの大森林の魔王です。今はオワの大森林と帝国の町一つ、それと西の山脈を治めるだけですが、これからノブナガ様が支配する領地は増えるかもしれません。今のままではオワの大森林の魔王としか名乗れません。ですが、建国すればその国の魔王と名乗れるのです。オワの大森林よりも広大な領土を持つ国の魔王であると、容易にノブナガ様の偉大さが伝えられるのです」
これでもまだノブナガ様の為の建国の素晴らしさが理解できませんか、とスズリは挑発的に返すとランは腕を組んで唸った。
「なるほど。確かに洞窟の主や沼の支配者などと名乗り自分の強大さを示す者はいました。しかしノブナガ様であれば支配する場所は数知れず。それら全てを上げ連ねるのは不格好ですね。それら総称として国の名ということですか。確かに建国は必要ですね」
「はい。その通りです。それで皆さんの協力が必要となります。それは――」
「国の名、ですね! ノブナガ様に似合う名にしませんと」
「え、それも確かに必要ではありますが後で。……いえ、はい。そうです。頑張ってください」
全てを理解したかのようにご機嫌な様子のランに対し、全てを悟ったかのように諦めた様子でランの言葉を全肯定しその場から下がるスズリ。
ランが他の者たちの注目を集めて国の名を決めるのに盛り上がっている間、それから離れるように移動したスズリに近づき声をかける。
「スズリ、お前が話したかったのはこれでは、ないよな?」
「……はい。国となれば国同士の付き合いがあり、新たに治める町には多くの人族がいますから、習慣や文化、いえ人族の文明を学び付き合い方を知る必要があると訴えたかったのですが、もう無理だと思いまして。国の名についてはもっと後の方で……」
疲れた果て今にも真っ白に燃え尽きそうなスズリ。同情の心が芽生えつつはあるが、同時に憎しみの花が見事に咲いてもいる。
建国などしたくはなかった。国を得たところであるのは面倒だけ。しかしスズリの想定外の結果とはいえ他の者まで乗り気になり、もはや建国は確定事項となった。
だがそれでも少しは抗ってみたい。
「無理に建国などしなくても良かったのではないか? 町一つをもらってそれで終わりにも出来ただろう」
「いいえ、建国は必須です。例えば、必ず町を通らなければならないとして、盗賊に占領された町と不良国家の町。どちらを通りますか?」
「どちらも嫌だが、通らなければならないのなら不良国家の町だな」
「はい、ほとんどの人は不良国家の町を選ぶでしょう。それは無法よりも悪法が信用されているからです。そして、魔王や魔族は盗賊だと、いやそれよりも酷いと思われていますから」
無法より悪法の方がマシか。確かに貰える町は国境沿いの町。帝国と国家群を行き来するのであれば通らなければならない場所。魔王に占領された町を通りたくない、と人の行き来がなくなっては帝国や国家群に大きな悪影響を与えてしまう。
最低限の信用を得るために建国は必須か。不良国家どころか超不良国家の認識なのだろうが、そこはゲイツに改善してもらおう。
俺が納得して頷く様子を見て、スズリは手で顔を覆いうな垂れる。
「ああ、こうして話せば理解してもらえるはずなのに。どうして分からないの。何で変な方向に理解するの。おかしいでしょ……」
種族としての意識の差か、文明の差か。それとも単純な知能の差か。何ともしがたい壁を目の前にスズリは追い込まれた様子。
ああ、うん。これからはもう少しスズリに対して優しい配慮を、してやりたいがスズリにしか出来ないことが多いので無理だな。……待て、これからはゲイツの補佐についてもらう予定だ。つまり今回のようなことからは遠ざけることになる。
優しい配慮をすでにするつもりだったのだ。なら今の間は酷使しても良いな。
とりあえずスズリに目の前で行われている国名決めを無難に治めてもらい、国名も差し障りのないものにしてもらおうと思ったが。
「ノブナガ様、来てください! あの馬鹿共にガツンと言ってやってください!」
その前にランに手を引かれ国名決めの場に連れ出される。しかしランよ、その言葉はスズリがお前に向けて言いたかった言葉だぞ。その証拠にスズリがジッとお前を見てるし。
国名決めの場では何故かアリスとイフリーナが強弁をふるい、それをゲイツが必死に諫めていた。
「ラン、まずあいつらの主張は何だ?」
「国名を決めるなら折角だから自分の名前でも入れてやろうと割って入ってきまして」
何で自分の名前を入れたがるんだ。恥ずかしいとは思わんのか。
「入れるならノブナガ様の名前だと対抗していました」
何で自分の名前を入れなきゃいかんのだ。恥ずかしいだろう。
「それなのにあの小僧が国名には由来があった方が良いと言い出しまして」
実に常識的な意見だと思うぞ。さすがはゲイツ、次期皇帝だ。こんなことで見直されるとは思ってもないだろうが。
しかし、由来か。ここでは国名の由来となれるものなど地名くらいしかないが。
「ああ! 良かった。いきなりアリスさんとイフリーナさんが自分の名前を国名に入れたいと騒ぎだして」
俺を見つけてゲイツは希望の光を見つけたかのように喜びながら近づいてきて、名指しされたアリスとイフリーナは自慢げに腕を組んでいる。
「面白そうだったからな」
「丁度良い機会だと思ってな」
国名に自分の名前を入れるのがどう面白そうで、丁度良い機会だと言えるのか。自分の名前を歴史に刻む行為が国名にする何てことで良いのか。
まあどうせ本気ではないのだろうが。
「ほれ、下らん話もそこら辺にしておけ。ゲイツ、国名の由来になりそうなものに心当たりはあるか?」
「ええっと、過去に精霊が居たとか何かしたなどの話は、知りませんよね。オワの大森林に関する有名な出来事は、人にとって良くないことばかりですから印象が良くない。ええっと、オワの大森林って名前くらいでしょうか?」
精霊なら現在進行形でダンジョンの最奥、私室で遊んでいるだろうが、わざわざ教えるような内容ではないな。役に立っているわけでもないし。出来事も、騎士団殲滅や剣聖来襲など禄でもないことばかりだ。
やっぱり地名しかないのか。大して力になれなかったことにゲイツが申し訳なさそうにしているが、基本的に知識面で力になれる奴はうちにはほとんどいないので気にしないで良いぞ。
「オワの大森林を中心に建国するからオワの国。安直だな。長くならない程度にもう少し捻りを入れたいな」
「オワアリス国」
「オワ・イフリーナ・ヘルベート国」
「ライルオ――あ、何でもないッス」
だから自分の名前を入れようとするな。というかイフリーナは長いし、ライルはランに睨まれて止めるなら最初からするな。
「ノブナガ様の名を付けられては?」
「断固として拒否する。自分の名前を付けて喜ぶ趣味はない。何かオワの大森林らしいものでも付け加えろ」
おかしなものでなければ何でも良い。とりあえず国名として浮いていなければ問題ない。
建国をしなければならない理由はスズリに教えてもらったが、それでも現実感が持てないために国名決めもやや投げやりになってしまっている。
駄目なんだろうが、建国と言われてもいまいち自分と結びつかないのだ。
「オワの大森林らしいものですか? 何でしょう? ノブナガ様の好物であるワリの実など?」
「オワワリの国? 変だぞ?」
「そこはオワリの国で良いのでは?」
……ん? オワリ?
「オワリの国、終わりの国。あんまり良い名前では……」
「オワリを、尾張を名乗っていいのか?」
「は、はい。国名を決める権利はノブナガ様にありますので」
ノブナガか。元々はアリスに対して名乗らねばならず、その時に魔王らしい名前と言うことで借りた名前。その後、魔王らしい、名前に似合った行動を取れたかと言えば否定しか出来ないが。
すでに名前を借りているのだ。国名を借りても良いだろう。
「新しき国の名はオワリとする。これから俺はオワリの国のノブナガだ」
これにて完結となります。
読者の皆さま、応援ありがとうございました。
よろしければ新たに「おじさんのおじさんによるおじさんのための生き方」を書いていますので、そちらもよろしくお願いします。