第百四十九話 魔王と皇帝
どこかで誰かが戦う音が聞こえる。
しかし目の前の歩く魔王はまるで聞こえないかのように平然と歩き続ける。
僕は黙って魔王の後ろを付いていく。
あの馬鹿兄が暴走しなければこんなことにはならなかったのに。
帝国皇帝、ギルフォード・ギルア・ギルバードは大変優れた統治者だった。歴史に名を遺す偉人と言えた。
ただ父親としては、決して褒められたものではなかったと思う。他の父親を持ったことがないので比較できないが。
そもそも、僕は皇帝としての姿は見ても父親としての姿は見たことがない。
常に正しく、偉大で、誰からも尊敬されていた皇帝の目に、僕も兄のギルガルも映っていないと気付いたのは物心を付いてすぐだった。
兄はそれに反抗するように父を超えようと努力していたのだろう。ただ、魔族の襲撃を受けた際に変な方向に向かってしまったようだが。
僕は、兄のような努力もせずに諦めた。言われたことをこなしつつ、いずれ皇帝になる兄の補佐になるという理由で図書館に入り浸った。実際は居場所のない僕が本に逃げただけ。
偉大な皇帝という光は、それと比較されて育つ僕らに大きな影を落とした。
そんな皇帝が魔王を友として大々的に紹介したという話を聞いた時、僕は何か考えがあるのだろうと思った。
例えば魔王をおだてて他の魔王と戦わせる。魔族を労働力として使役する。兄の魔族嫌いの荒療治。
首領悪鬼が討伐された話を聞いた時はやっぱりと思った。兄が皇帝を殺したと聞いた時もやっぱりと思った。
だが、魔王が僕を救出するために牢の前に現れた時はまるで理解が出来なかった。
魔王は皇帝に利用されていたのだろう? もし利害の一致による関係でも皇帝が死んだ以上、関係は解消されるはず。
「どうして?」
つい口から言葉を漏らしながらも考える。
魔王が僕を助ける理由。そして他国の内乱に首を突っ込む理由。
ああ、魔王は帝国を欲して……。
「ギルに、友に頼まれたからな」
方便だ。これを機に帝国に食い込むつもりだ。偉大な皇帝も国外の、それも魔王に助力を求めるとは。そう考えた、いや思いこみたかった。
なのに。
「ギルは、どこだ?」
「魔王殿、陛下は残念ながら……」
「すまない、言葉が足りなかったな。ギルの墓はどこだ? 墓参りをしたい」
魔王とマンドの会話を聞いていくほど、魔王の人物像が、皇帝の人物像が壊れていく。
亡き友人の頼みごとを聞いてやってきて、最後に友人の墓に行く。
ただの、いや非常に親しい皇帝の友人にしか見えなかった。
本当に皇帝は魔王と信頼関係を築いて、友人となったのだろうか。
僕の知る皇帝は、帝国臣民に愛されるも隣に立つ者は誰もいない孤高の存在だった。
何もかも計算尽くで動く優れた統治者だった。
こんな、打算も何もなく動いてくれる友を持てる人ではなかったはず。
「そうでしたか。ですがじつは……」
マンドが皇帝の葬儀は未だに行われておらず、皇帝の棺は専用の部屋に安置されているであろうことを伝えると、魔王は表情こそ変えなかったが肩を落とした。
僕の知る魔王は傍若無人の暴君だ。帝国と友好的関係を構築するような変わり者の魔王だとしても、皇帝の葬儀が行われていないことに憤り、肩を落とすような存在ではないだろう。
「よろしければその場所にご案内いたしましょうか? ギルゲイツ殿下が」
「ああ、それは良いな。ぜひ頼む」
目の前の現状についていけず、何とか現実を受け入れようとしたがマンドが僕を魔王に売ったせいで、余計に現実を受け入れたくなくなった。
抗議の意味を込めて視線を向けるとマンドはこっそりと理由を教えてくれた。
「ここに魔王が来たということはもうギルガルは駄目でしょう。となれば次期皇帝はギルゲイツ殿下、貴方になります。そして皇帝となる以上、あの魔王との付き合いは絶対。ですから、今のうちにあの魔王と話し、少しでも人となりを知ってください。ギルゲイツ殿下はあの魔王について、なにより皇帝陛下についても知らないことが多いですから」
うぐ、マンドの言う通りあの魔王とは長い付き合いになりそうだ。なら今のうちに少しでも魔王について知るのは重要。
しかし魔王だけにならず、皇帝についても知らない? それはどういう意味か。
それを問う前にマンドは一緒に捕まっていた近衛兵を開放しに行ってしまったので聞けなかった。
「皇帝は、父はどんな人でしたか?」
長時間の沈黙に耐えられなかったのか、それとも先ほどのマンドの言葉が引っ掛かっていたのか、僕は気づいたら魔王にそんなことを聞いていた。
その質問が意外だったのか、魔王は一度だけ振り向いて手を顎に当てる。
「息子であるお前の方が知っていると思うが? そうだな、ギルは良い奴だった。初対面の俺に友になろうと言ってきてくれた。一緒にファース辺境伯の町を見て歩いたこともあったし、以前帝都に来た時も快く歓迎してくれた。ギルは本当に、良い奴だった」
「……良い奴?」
魔王は懐かしむように話しているが、僕の知る皇帝とはまるで違う。
皇帝を優れた、偉大などというのは何度も聞いたことがあるが、良い奴なんて表現は初めて聞いた。
「良い奴ですか」
マンドの言っていた通り、僕は魔王についてはもちろん、皇帝についてもまるで知らなかったのかもしれない。
今度、マンドからも皇帝の話を聞いてみよう。ただ、その前に。
「魔王様、そこを曲がってください。そのまままっすぐ行けば地下に続く階段があります」
道案内をしっかりとしよう。もしかしたら、魔王について少しは分かるかもしれない。
皇族や将軍など国葬が行われる者だけに使われる遺体安置所。
滅多に使われることがなく、最後に使われたのは祖父の国葬が行われた際。そしてそれは僕や兄が生まれる前の話。
一度も入ったことがなく、時折マンドが次に使われるとしたら自分だと何故か自慢気に話していた所だが。
思っていたより殺風景で、思っていた通り寒い場所だ。
派手な装飾も、豪華な絨毯もない。
ここに置かれるのは遺体。生前どれだけ偉かろうと物を言わないのだ。華美な装飾は必要ないのかもしれない。
だからだろうか、あって当たり前なはずの二つの豪華な棺が異物のように見えた。
「ふむ? ギルの棺はどっちだ?」
部屋の雰囲気などどうでも良いとばかりに魔王は進んでいき、二つの棺の間に立ち聞いて来た。
一つは皇帝の棺だとして、もう一つは近衛団長のバン・バララムのだろうか。ならば見分けは簡単だ。帝国の国章が付いているのが皇帝の棺で、近衛の記章が付いているのが近衛団長、バンの棺だ。
その違いを教えると魔王はふむ、と頷いて皇帝の棺の横に座る。
何をするのかと見ていると、今度はこちらを見て手招きしてきた。
「な、何でしょう?」
「こっちに来て座れ。……お前から見たギルはどんな奴だった?」
手招かれるがまま近づき、皇帝の棺を挟んで魔王の反対側に座ったが。そこで発せられたのは何とも怖い質問だった。
ただ表情こそ変わらないが魔王は何故だか期待しているように見える。自分の知らない友の話が聞けるとでも思っているのだろうか。
だが、僕から見た皇帝の人物像は魔王を喜ばせるものではないだろう。……だからこそか。魔王の反応を見れる機会か。
「どうした? もしや、ギルが嫌いだったか? ならば声に出して言うべきだ。ここにギルはいるが、何も言ってこない。ギルにものを言う最後の機会だぞ?」
「はは、最後の機会ですか。そうですね。僕から見た父は、皇帝でした。親の面など一度も見せてくれず、見せてくれるのは皇帝としての背中だけ。その背中を見るたびに、皇族としての義務を果たせと、叱られている気分でした」
不思議と言葉がすらすらと出てくる。抑えようとしてもなかなか止まらない。魔王が何かしているのかと思うほどに、心に溜まっていたものが出ていく。
「皇帝としてどれだけ優れていても、父親としては最低だったと断言できます。兄、ギルガルが暴走しているのも、元をただせば皇帝がギルガルをちゃんと見ていなかったからです。だから自分を見てほしいという欲求と、皇帝を超えたいという野心が混じって馬鹿みたいなことをしているんです。僕だって、あんな興味のない冷たい視線ではなく、親としての期待するような温かい視線で見てくれたのなら――」
一体どれだけ溜まっていたのか。話している自分でも驚くほど言葉が途切れることなく続き、その間魔王は何も言わずに話を聞き続けてくれた。
最後には思いだけが先走り、まともな話にもなっていなかったにも関わらず、僕が口を閉ざすと魔王は大きく頷いた。
「そうか、ギルも駄目な奴だな。もしかしたら偉大な皇帝より、立派な親の方が偉いのかもしれないな。聞いているかギル? 皇帝として振る舞うのも結構だが、親としての振る舞いも身に付けて置かないと駄目だぞ」
まるでそこにいて聞いているかのように魔王は皇帝の棺を軽く叩いた。
さすがに棺を叩くのは、とも思ったが魔王相手に止めるのも怖い。それに、なんだろうか。喜びとも、悲しみともいえる複雑な感情を発散しているように思える。
「ん? 死人の悪口は気が咎めるか? 葬式で抹香を投げつけるより良いだろう? それに今までずっと言えなかった本音でもあるんだ。ギルなら笑って済ますだろう」
抹香とは何なのか。分からないが葬式で投げるものではないと思う。それに、皇帝が笑う場面など、大抵何らかの企みがあるときだけだ。楽しくて笑う皇帝など想像できない。
やはり僕の知る皇帝と魔王の知る皇帝は全然違う。
ただ僕の知らない皇帝が何故この魔王と友人関係を築こうとしたのかは、なんとなく分かる。
この魔王は非常識だ。まず魔王の在り方として間違っている。人族と手を組もうと考える魔王がいるものか。
では人族に近いのかと思えば違う。人族の常識を持っているのであれば、友人に頼まれたからと言って他国の内乱に首を突っ込まないし、敵の首魁を討つ手柄を放棄して死んだ友人に会いに行ったりはしない。
だが魔王の行動が無茶苦茶なわけではない。この魔王には、ノブナガにはノブナガだけの常識があるのだろう。
未知の常識。琴線がどこにあるのか想像も付かず、それによる行動も分からないという恐怖。自分たちでは考え付かなかった概念が得られるやもしれないという好奇心。そして未知の常識の中でも共通する部分があった際の安心感。
そんな様々な考えの中で皇帝はノブナガを友人にしたくなったのかもしれない。
そして僕も、ノブナガと友人になりたい。
皇帝のように色々と考えた末ではなく、こうして話して分かったからだ。
ノブナガは悪人か善人かはともかく、優しいのだ。
こうして少しだけ向かい合って話しただけで、今まで心の底に溜まっていたものが出て行った。面白いことに牢屋を出た時よりも、ノブナガと話をした今の方が解放感を覚えているのだ。
こんな友人が欲しい。しかし、それは出来ない。
友人とは対等なものだ。僕がノブナガの友人になったとしても、得るものばかりで返せるものがない。だから。
「あ、あの。ノブナガ様! 僕が父のような立派な皇帝になれたら、僕の友達になってくれませんか!? 頑張って父に並ぶような皇帝になりますから!」
(ふはは)
僕の一世一代の決意表明を、誰かが愉快そうに笑う。
目の前のノブナガではない。ノブナガもこの空虚な声に驚いている。しかしこの場には僕とノブナガ以外に誰もいない。
では誰が……。
「ギルか?」
目の前の棺に目を向けるが、棺に何の変化はない。ただノブナガの考えは当たっている気がする。この空虚な声には生気もない。
(ノブよ、頼みがある。不肖の息子を、立派な皇帝にしてくれ)
「お前の頼みを聞いてここまで来たのに、更に頼み事か? 良いだろう、死んだ奴から直接頼まれるなど滅多にあることじゃない。だから、安らかに眠れ」
その答えに満足したのか、声は何も返さずに不思議な現象は終わった。
しかしあれは、本当に皇帝だったのだろうか? 似ていると思うが、いつもと違い威圧される感じがしなかった。
「な、何だったでしょうか?」
「そりゃ、死んだギルがまだいたんだろう? 骸骨兵とかいるんだから、そういうことだってあるだろう?」
あの不思議な現象と、魔族の骸骨兵が同じ? 本当におかしな常識を持っている。
「ギルも最後の最後。いや、最期の後に面倒な頼みをしてきたな。立派な皇帝か。力は貸すから、ギルに負けないような皇帝になれ」
「あ、あの! その時は――」
「ああ、その時は俺をノブと呼べ。俺はお前をギルと呼ぼう。それまでは、……ゲイツだな」
「よ、よろしくお願いします!」